第5話 揺れる天秤
合同演習は即座に中止された。
黒角竜の出現は事故——演習場の結界に何者かが細工をした痕跡が見つかり、学院は大騒ぎになった。
だがそれ以上に騒ぎになったのは、銀色の神獣の出現だった。
「ノエル・フォルティア。説明してもらおうか」
学院長室。
ノエルは学院長、フェルディン教授、そして急遽駆けつけた王宮騎士団の幹部たちの前に座っていた。
アルは人の姿に戻り、ノエルの隣に立っている。
「あの聖獣は何だ。Aランク魔獣を一撃で消し飛ばす力——上位聖獣のものとは思えない」
「……正直に、申し上げます」
ノエルは覚悟を決めた。隣のアルが小さく頷くのを感じる。
「あの聖獣は——銀煌帝アルシェス。千年前の神獣です」
室内が凍りついた。
「……馬鹿な」
学院長が呻いた。フェルディン教授は椅子から腰を浮かせている。
「神獣は千年前に絶滅したはずだ。伝承上の存在を——」
「伝承ではない」
アルが口を開いた。その瞬間、部屋の空気が変わった。人の姿をしていても、アルが纏う気配は人間のそれではない。
「我は確かに、千年の眠りについていた。だが絶滅はしていない。この世界がまだ我を必要としている限り、消えることはできなかった」
「……証拠は」
「証拠が必要か?」
アルの体から、銀色の光が溢れた。圧倒的な魔力の奔流。部屋にいる全員が椅子から立てなくなった。
上位聖獣の契約者である王宮騎士団の幹部ですら、顔面蒼白で額に汗を浮かべている。
「この程度で十分か? これでも千分の一も出していないが」
「や、やめてくれ……!」
アルが力を引っ込めると、全員がぐったりと椅子に沈み込んだ。
「……認めざるを、得ないようだ」
学院長が震える声で言った。
「ノエル・フォルティア。いや——神獣の契約者殿。なぜこれほどの存在との契約を隠していた?」
「大騒ぎになると思ったからです。……こうやって」
ノエルの率直な答えに、学院長は苦い顔をした。
確かに大騒ぎになっている。この事実が王宮に伝われば、国中がひっくり返るだろう。
「この件は最高機密とする。王宮への報告は私が行う。ノエル・フォルティア——いや、ノエル君。君には改めて、学院での立場を再考してもらう必要がある」
「再考……?」
「神獣の契約者を、一般生徒と同じ扱いにはできない。特別待遇を——」
「必要ありません」
ノエルはきっぱりと言った。
「私は今まで通り、普通の生徒として過ごしたいです。アルシェスも——アルも、今まで通り従者として傍にいてくれれば、それで」
学院長は難しい顔をしたが、アルの金色の瞳に射抜かれて、渋々頷いた。
「……分かった。ただし、護衛は増やさせてもらう。神獣の契約者に何かあれば、国の存亡に関わる」
会議は長引いた。
解放されたのは夜も更けた頃。ノエルは疲労困憊で寮へ向かった。
「疲れたな」
アルが隣を歩きながら言う。
「疲れたのはこっちのセリフよ。あなたは堂々としてただけじゃない」
「あの程度の人間たちに圧をかけるのも、それなりに気を遣うのだ」
「……それ、全然気を遣ってなかったように見えたけど」
二人で顔を見合わせて、小さく笑った。
寮に戻ると、廊下でセレスティーナとすれ違った。
「——ノエル」
セレスティーナの表情は、いつもの余裕を失っていた。蒼白な顔。揺れる碧眼。
演習場での一部始終は、目撃者を通じて学院中に広まっている。
「あなたの聖獣が、Aランク魔獣を一撃で倒したって——本当なの?」
「……本当よ」
「下位聖獣の銀狼が、そんなこと——」
「銀狼じゃないの。本当の姿を隠していただけ」
セレスティーナの目が見開かれた。
「隠して……? じゃあ、あなたの聖獣の、本当の格は——」
「ごめんなさい、セレスティーナ。それはまだ言えないの」
セレスティーナは唇を震わせた。それが怒りなのか、動揺なのか、あるいは——恐怖なのか。ノエルには判別できなかった。
「……ずっと、馬鹿にしてたわ」
ぽつりと、セレスティーナが漏らした。
「三年間。あなたを可哀想な子だと思って、見下して——。あなたが本当は、私なんかより——」
「セレスティーナ」
ノエルは一歩踏み出し、かつての親友の手を取った。
「私はあなたを恨んでない。……嘘よ、少しは恨んでた。でも、あなたが悪いんじゃない。この学院の、聖獣の格で全てが決まる仕組みが歪んでいるの」
「ノエル……」
「私は変わりたい。この学院を、この国の在り方を。聖獣がいてもいなくても、誰もが自分の力で道を切り拓ける世界に」
セレスティーナの碧眼から、涙がこぼれた。
「……あなた、変わったわね」
「変わったんじゃない。やっと——自分の足で立てるようになっただけ」
廊下に月明かりが差し込んでいた。
ノエルの背後で、アルが静かに微笑んでいる。
その夜。
ノエルは自室の窓辺に座り、月を見上げていた。
隣にはアルが座っている。人の姿のまま、長い足を窓枠に投げ出して。
「アル」
「何だ」
「合同演習の事故——あれ、本当にただの事故だったのかな」
アルの表情が引き締まった。
「……やはり、気づいていたか」
「結界への細工があったって言ってたでしょ? Aランク魔獣が偶然入り込むなんて、ありえない」
「ああ。誰かが意図的に結界を破り、黒角竜を演習場に誘導した。それも——お前たちの区域に、狙って」
ノエルの背筋が冷えた。
「私を狙った……?」
「お前か、あるいはルキウス・ヴァルハイトか。どちらにせよ、学院の内部に敵がいる」
アルの金眼が、鋭く夜の闇を射抜いた。
「ノエル。我はお前を守る。何があっても。だが——心しておけ。神獣の契約者が現れたという事実は、この国の権力構造を根底から揺るがす。それを望まない者は、必ずいる」
ノエルは月を見上げた。
穏やかだった日常が、急速に変わり始めている。
けれど——隣にアルがいる。それだけで、ノエルの心は折れなかった。
「大丈夫。私はもう、一人じゃないから」
アルはノエルの手をそっと握った。
『ああ。もう二度と、一人にはさせない』
念話で返されたその声は、どんな言葉よりも温かかった。




