第4話 偽りの銀狼
合同演習の日がやってきた。
学院の北に広がる演習場には、全学年の生徒が集結している。それぞれの傍らに聖獣を従え、緊張と高揚が入り混じった空気が満ちていた。
「本日の合同演習は、五人一組の小隊制で行う。各小隊に割り振られた区域の魔物を討伐し、成績を競え」
学院長の指示に従い、生徒たちが次々と小隊を組んでいく。
当然ながら、ノエルのところには誰も来ない。
「あの、私も——」
「悪いけど、うちは定員いっぱいなの」
「聖獣なしの人と組んでも足手まといだし」
「他あたってくれない?」
予想通りの反応。ノエルは唇を噛んだ。
「ノエル」
学院長が近づいてきた。
「今年も聖獣がいないようだが……演習に参加するのか?」
「します。——聖獣は、います」
「何?」
ノエルが右手を掲げると、手の甲の三日月の紋章が輝いた。
銀色の光が収束し——ノエルの足元に、一匹の狼が現れた。
体長一メートルほど。銀色の毛並みに、少しくすんだ金の瞳。どこから見ても下位聖獣——銀狼だ。
本来の威厳はすっかり封じられ、少し大きめの犬のような佇まい。アルシェスの力のほんの一欠片。
周囲がざわめいた。
「嘘……ノエルが聖獣を?」
「でも、あれ——下位聖獣じゃない?」
「銀狼? 一番弱い部類のやつよね」
「三年かかって下位聖獣って……さすがに笑えないわ」
嘲笑が広がる。けれどノエルは気にしなかった。
『……この姿は屈辱的だな』
アルの念話が不満げに響く。
『我が千年の生で、ここまで矮小化されたのは初めてだ。尻尾を振れと言うのか』
「振らなくていいから。お願いだから威厳は保って」
『当然だ。下位聖獣でも、品格だけは失わん』
小さな銀狼が胸を張る姿は、どこか可愛らしかった。
「……ノエル・フォルティア。聖獣との契約が確認できた以上、演習への参加は認める。ただし、小隊が組めないのであれば——」
「私が組もう」
声がしたほうを見て、ノエルは目を丸くした。
ルキウス・ヴァルハイトが、雷狼ヴォルトを従えて歩み寄ってくる。その後ろには、ルキウスの小隊のメンバーが三人。
「ルキウス先輩?」
「うちの小隊はまだ一枠空いている。来い」
「で、でも——」
「文句があるか?」
周囲が色めき立った。学院首席のルキウスが、落ちこぼれのノエルを自分の小隊に入れる。それは破格の扱いだった。
「ルキウス先輩、本気ですか?」
小隊メンバーの一人が不満げに声を上げた。
「本気だ。——俺は、あの従者が気になっている」
ルキウスの視線が、ノエルの隣に立つアルに向けられた。
今日のアルは従者として演習場にいるが、生徒としての参加資格はない。あくまでノエルの護衛兼付き添いという立場だ。
「行ってこい、ノエル。俺はここで待っている」
アルが小声で囁く。ノエルは頷き、銀狼を連れてルキウスの小隊に合流した。
演習場の第三区域。
深い森に入ると、すぐに魔物の気配が漂ってきた。
「フォーメーション・デルタ。ノエルは後方支援だ。銀狼の索敵能力を使え」
ルキウスの指示は的確だった。下位聖獣の銀狼に戦闘力は期待していない。索敵に特化させるという判断は、むしろノエルへの配慮だろう。
銀狼——アルが、鼻をひくつかせた。
『北東に魔物が四体。ゴブリン級が三、オーガ級が一。……この程度の演習なら寝ていても終わるが』
「みんなには分かりやすく教えてね」
銀狼が北東を向いて低く唸る。ルキウスがそれを読み取った。
「北東か。全員、戦闘準備」
木々を抜けると、そこにはゴブリンが三体とオーガが一体。
ルキウスのヴォルトが雷撃を放ち、ゴブリンを一瞬で殲滅する。残ったオーガに小隊メンバーの聖獣たちが群がり、ものの数分で片がついた。
「順調だな。次の区域へ——」
その時だった。
地面が、揺れた。
「な——地震?」
「違う。これは——」
ルキウスの顔が強張った。
森の奥から、重い足音が近づいてくる。
木々がなぎ倒される轟音。空気を震わす咆哮。
そして——巨大な影が、森を割って現れた。
「……嘘だろ」
ルキウスが呻いた。
体長十メートルを超える巨体。黒い鱗に覆われた四足歩行の魔獣。額には禍々しい角が三本。
黒角竜ギルヴァース——Aランク魔獣。本来、学生の演習に出現するような存在ではない。
「全員、退避! これは演習の範囲外だ!」
ルキウスが叫ぶ。だが黒角竜の動きは速かった。
巨大な尾が薙ぎ払われ、小隊のメンバー二人が吹き飛ばされた。
「くっ——ヴォルト!」
ルキウスの雷狼が全力の雷撃を放つ。だがAランク魔獣の鱗はそれを弾き返した。上位聖獣の攻撃すら通じない。
「ルキウス先輩!」
「下がっていろ、ノエル! お前の銀狼じゃ——」
黒角竜の前脚が振り下ろされた。ルキウスとヴォルトが回避する。だが衝撃波で周囲の木々が倒壊し、退路が塞がれた。
黒角竜の赤い目が、ノエルを捉えた。
最も弱い獲物を本能で見抜いたのだ。巨体が突進してくる。
「ノエル!」
ルキウスの叫びが聞こえた。
間に合わない。ヴォルトも離れすぎている。
——死ぬ。
そう思った瞬間。
銀色の光が、世界を覆った。
ノエルの足元にいた小さな銀狼の体が膨れ上がる。一メートルだった体躯が二メートル、三メートル——そして五メートルを超えた。
銀色の毛並みが月光のように輝き、額に三日月の紋章が燃えるように浮かび上がる。
黒角竜の突進が——止まった。
いや、止められた。片方の前脚だけで。
『我が主に、牙を向けるか』
アルシェスの声が、その場にいる全員の頭に響いた。念話ではない。声そのものが空間を震わせている。
銀煌の神獣が、黒角竜を見下ろしていた。
Aランク魔獣が——怯えている。がたがたと震え、後退しようとしている。
だがアルシェスは逃がさなかった。
『消えろ』
銀色の光弾が放たれた。
それは黒角竜を直撃し——Aランク魔獣の巨体が、一撃で消し飛んだ。
跡形もなく。
静寂が落ちた。
演習場に残ったのは、黒角竜が抉った地面の跡と——圧倒的な存在感を放つ、銀色の巨大な獣だけだった。
ルキウスが、呆然と口を開いた。
「何だ……今の、は……」
銀色の獣がノエルを振り返った。金色の瞳は、さっきまでくすんでいた色とは別物だ。太陽を溶かしたような、眩い金。
『すまない、ノエル。約束を破った。——だが、お前が傷つくくらいなら、世界中に正体を晒す方がましだ』
ノエルは震える足で立ち上がり、アルシェスの前に歩み寄った。
「……ばか」
銀色の毛並みに顔を埋める。
「ばか。ありがとう。ばか」
アルシェスはそっと体をノエルに寄せ、大きな尾でノエルを包み込んだ。
演習場の向こうから、教師たちが駆けつけてくる気配がする。
もう隠し通せない。それはノエルにも分かっていた。
だが不思議と、恐怖はなかった。
この銀色の温もりがある限り——きっと、大丈夫だ。




