宝石と戦争の話|雪国の民は罪の記憶を語り継ぐ
「雪の結晶モチーフのアクセサリーはアリノールでは別に珍しくはない。はい、ここで問題。ゾルグくん、なぜだと思う?」
急に話を振られ、ゾルグはあたふたした様子で口をもごもごと動かす。
話を振ったくせに、リリウスは、ゾルグの答えを待たず、勝手に話を続けた。
「なぜなら、雪の結晶はうちみたいな寒い国ではよーく使われるモチーフだから、だね。スノーゼンみたいな田舎でも、雪の結晶モチーフのアクセサリーをつけている人、結構いるよね?」
説法の相手が村の子供であれば、リリウスの言葉を肯定する元気な声があがっただろう。
今リリウスの前にいるのは十代後半の大人に片足を突っ込んだばかりの擦れた二人だ。
スレンは返事をする気はないし、ゾルグにいたっては、話についてこれてないようだった。
雨に濡れた子犬のような目で、なんて答えればいいのかとスレンに訴えてくる。
困っている同胞を見捨てるわけにもいかない。
スレンは黒い髪を掻き「面倒くさい」と前置いてから、口を開いた。
「確かに雪の結晶のアクセサリーは珍しくない。そのブローチぐらいの大きさなら、小金を持ってる庶民でも手が届くだろうし。……あ、サーシャも雪の結晶のピアスをつけてたよな」
スレンはリリウスが求めているであろう答えを返しつつ、ゾルグに助け舟を出した。
サーシャ関連の話ならゾルグも食いつくだろう。
「たしかに、サーシャちゃんがいっつもつけてるピアスも雪の結晶だ!」
ゾルグがうんうんと頭を振る。
「なら『人を隠すなら人混みの中に』という言葉を知っているかな?……きみたちオルダグ族の中ではよく知られた言葉だと思うけれど……」
リリウスの薄い唇の端が歪に吊り上がる。
性悪導師は“戦争”の話をしようとしている。
「おい、リリウス!」
込み上げてくる不快感を押し戻せなかった。口からは想像よりも大きな声が飛び出す。
突然の声に驚いたのだろう、視界の端でゾルグの肩が小さく跳ねた。
「今その話をする必要あるのか!?」
今度は声を押さえ、できるだけ感情的にならないように意識して、ゆっくり言葉を吐き出す。意識しても、語気が荒くなる。
「怒らないで、スレン」
「なにが怒らないで、だ!」
スレンは拳を握りしめ、薄ら寒い笑みを貼り付けているリリウスを睨んだ。
ゾルグをはぐらかすためだけに出した例えであれば、ここで話を打ち切らせるつもりだった。
「ゾルグにもわかるような、うってつけの例はこれしか思い浮かばなかったんだ」
「うちのバカをバカにするな。他にもっとマシな例があんだろ!」
「バカにしてんのはおまえだスレン!」と即座にゾルグが会話に割り込んでくるが、スレンは相手にせず、まっすぐリリウスの目を射貫く。
リリウスの長い前髪の奥にある濁った右目が、氷のように冷たく光る。
スレンとリリウスの間に言葉はない。
だが、漂う空気が冷え冷えとしたものに変わったことにゾルグは気がついたようだった。
ひとりだけ置いてけぼりにされ、ゾルグの顔に不安の影が差す。
「……なぁリリウス『人を隠すなら人混みの中に』ってどういう意味なんだ?」
なぜ二人の間に険悪な雰囲気が漂っているのか。スレンよりもリリウスの方が優しく答えてくれると思ったのだろう。
ゾルグがリリウスに答えを促す。
「どういう意味も何も『国境戦争』で、オルダグ族の戦い方の元になった言葉だよ!」
リリウスに向けられた質問だ。スレンが答える必要はない。
わかっているが、苛立ちを抑えきれずスレンは乱暴に吐き捨てた。
国境戦争という言葉にゾルグが息を呑む。
なぜスレンがリリウスを睨んでいるのか、ネフリト山近郊の世界しか知らないゾルグでも察しがついたのだろう。
「ごめん、スレン」
ゾルグから、か細い声が漏れた。謝罪の言葉に更に苛立ちが募る。
「今の言葉が国境戦争のことって知らなくて……」
握りしめた拳の親指の爪で指の腹を抉り、痛みで沸き上がる感情を抑え込む。
ゾルグに対して八つ当たりするのは違う。
北部の小さな世界の中で生きてきた彼は、戦争を知らない。知らない……を理由にされると腹が立つが、知らないことを責めても仕方がない。
「……里長になりたいんだったら、他の地で暮らす同胞のことぐらい知ってろ!」
スレンは言葉を選び、できる限り淡々と言葉を返した。
行動と感情を簡単に切り離すことはできなかった。掠れたスレンの声にははっきりと怒りが滲んでいた。
いまだに“国境戦争”と聞くだけで取り乱してしまう自分自身が情けない。
気分を落ち着かせようと、スレンは視線を遠くへと逸らした。
無意識のうちに奥の壁に飾られている“冬聖女”に目が向く。
今はただ冬聖女の、すべてを包み込むような温かな微笑みに縋りつきたかった。
しかし顔に貼られた赤紙が、スレンを拒む。
天井、床、暖炉に視線を移し、感情を逃がす先を探すが、どこにもない。
過去から逃げても、必ず過去は追いついてくるのだと思い知らされる。
スレンは強く服の袖を握りしめ、目を伏せた。
「……さすがに、国境戦争のことは知ってるよね……?」
リリウスが控えめな声で、ゾルグに問う。暗かったゾルグの顔がみるみる赤らむ。
「バカにすんなよ! ……リリウスとスレンが行った戦争のことだろう」
ゾルグが答えるとリリウスは、
「すごい、さすが次期里長」と大げさにゾルグを褒め称えた。
(……ほんと、性格悪いよな、こいつ)
スレンは内心で悪態をつく。
リリウスの嘘くさい、道化じみた笑みを見ると、むしゃくしゃとした感情が更に強くなる。
「そう。――国王の圧政に怒ったオルダグ族が、南部の資源を狙う共和国と手を組んで起こした戦争。それが“国境戦争”だね」
リリウスは赤く変色した右頬に指を這わせ、目を伏せた。
(……思い出すのが嫌なら、話さなきゃいいのに)
戦争の話をするとき、リリウスは右頬の火傷に触れる癖がある。
スレンは不満を詰め込んだ目でリリウスを一瞥した。
国境戦争はスレンの生まれ故郷――アリノール南部で起きた戦争だ。
アリノール南部――共和国との国境地帯であるドラゴ山脈には、豊富な鉱山資源が眠っている。
当時の国王が、国の財政を立て直すため鉱山の開拓と資源の採掘を国家事業とした。
国家事業と銘打ったものの、劣悪な労働環境が原因で人手が足りない状態が続き、計画は頓挫しかけた。
王国の財政立て直しを掲げた一大事業だったため、計画の失敗は許されない。
人手不足を解消するため、目をつけられたのが、ドラゴ山脈に住むオルダグ族だった。
王と鉱山を運営する貴族は、ドラゴ山脈のオルダグ族は税を納めていないと難癖をつけ、働ける男をすべて鉱山へと連行した。
男たちは無給の上、休みなく鉱山で働かされ、次々と倒れていった。
国境戦争は、アリノール王に家族を奪われたオルダグ族が、家族と同胞の解放を求め、王国軍に抗ったことから始まった戦いだった。
「南部の同胞が、年寄りと女子供だけで王国軍を負かせたのは知ってる。……けどそれと『人を隠すなら人混みの中に』って言葉、どう関係してるんだ?」
ゾルグはちらりと横目でスレンの様子を窺いながら、リリウスに尋ねる。
ゾルグの気遣わし気な視線もスレンには毒だった。
「……ろくに戦えない女子供だけでどうやって、王国南部の守りの要になってる都市を落としたと思う?」
絞り出した低い声が震える。
リリウスに戦争のことを話させるぐらいなら、自分で話そうと思った。が、質問を質問で返してしまい、なんの説明もできていないことに気付く。
うまく言葉に出来ない情けなさと、語りたくない過去を口にする不快感に表情を歪めたまま、スレンは話を続けた。
「言葉通りの意味だ。……わたしたちは、共和国の援軍が来るまで、ドラゴラードに一般人として潜伏し、普通に暮らしていた」
スレンは蜘蛛の巣が吊り下がっている天井を見あげて一度言葉を切り、埃っぽい空気を吸い込んだ。
何かに意識を逸らさなければ、当時の生々しい記憶が目の前に浮かんでくる。
「わたしたちは普通に暮らすふりをして、ドラゴラードを攻撃した」
当時のことを口にするだけで、見えない何かが背中に重くのしかかってきた。
言葉を切り、視線を彷徨わせていると、リリウスと目が合った。
リリウスの長い指が存在を示すように焼けた肌を叩く。
逃げても、罪が消えるわけではないと言われているような気がした。
「……街の水源に汚物をまいたり、軍の施設や病院に鼠を放って、疫病を流行らせたりしてな」
スレンは重いため息と共に、まだ話せる過去を口にする。
ただこの一言が呼び水になってしまった。
他の、口にはしたくない所業が次々とよみがえってくる。
「……人を隠すなら人混みの中に……ってそういう」
ゾルグがぼそりと呟く。低くかすれた声は非難を含んでいるように聞こえた。
ゾルグはただ話を聞いて言葉を返しただけ。非難されたような気がするのは、スレンの思い込みのせい。
わかっているが、スレンは怖くてゾルグの顔を見ることができなかった。
「……リリウスは、その雪のブローチの中に坊さんが爆弾でも仕込んでたって言いたいのか? ありふれた物の中に隠してしまえば、簡単にバレないだろうし」
「さすがゾルグ! 物わかりがいいね。そう、相手を油断させたり、気付かれないようにするには、ありふれたものの中に紛れさせることが一番だと学べたね」
リリウスはにこやかにゾルグを褒める。
知恵を授け、清く道徳的に生きる道へと誘うのが、聖智恩教会の教えだ。
リリウスは教義に則り、ゾルグに過去の経験から知恵を授けた。
導師としての仕事を全うしただけだ。
ゾルグは過去の戦争から学びを得たかもしれないが、当事者のスレンにしてみれば、過去をほじくり返されただけだ。
気分が悪くて仕方がない。
「ということで、答え合わせをしようか。このブローチには一体何が隠されているんだろうね」
リリウスは雪の結晶形のブローチを持つと、ジャムの瓶をあけるようにひねった。