盗みと面倒事|オルダグの青年は災いを拾う
「ゾルグ、導師さまになにか返さないといけないよね?」
リリウスはゾルグの肩に火傷の痕が残る右手を乗せた。
笑顔を貼り付けているが、火傷のせいで開ききっていない手は、しっかりとゾルグの肩を鷲掴みにしている。
「返すもの……?」
突然、詰問口調で尋ねられ、ゾルグが眉を下げる。
作業の手を止めて考え込んでいるが、困惑の色が濃くなっていくばかりだった。
「……言い方を変えようか。きみ、導師さまから、なにか盗んだでしょ?」
少し語気を強め、リリウスは穏やかではない言葉をにこやかな顔で口にする。
「は、はぁ? なに言い出すんだよ!」
ゾルグが声を上ずらせながら叫ぶ。リリウスから目を逸らし、木槌を振るいだした。
わかりやすく動揺するゾルグの横顔を、スレンはじっと眺める。いつの間にくすねたのだろうか。
(死体に布を巻いてる最中……とか)
死体に布を巻き付け、荷物に偽装する際、スレンは足から、ゾルグは頭からと作業を分担した。
その際、何か金目の物が目に入り、手間賃代わりに懐にしまった。あり得ない話ではない。
「オルダグ族にも『神は、昼は鷹の目、夜はミミズクの目を通して我らを見守る』という教えがあるんだよね。神は常にわたしたちの行いを見ているのですよ、ゾルグくん」
「胡散臭い説法はやめろ!!」
顔を真っ赤にして反論している時点で、自白しているようなものだ。
スレンはゾルグに「大人しく白状しろ」と促すが、当の本人はかたくなに「盗っていない」と否定し続ける。
「よってたかって人を盗人扱いしやがって! 証拠はあんのかよ! 証拠は!」
「あるよ」
リリウスがさらりと即答する。
そのまま気味が悪いほど満面の笑みを貼り付け、ゾルグに詰め寄る。
「導師さまが教えてくれたよ。『その雪の結晶のブローチは、わたしを見つけてくれた親切な若者に災いを運んでしまう。どうかわたしと一緒に埋葬してほしい』ってね」
「……なんだそれ、うさんくさ……」
口を出す気は全くなかった。
しかし、あまりにも下手なリリウスの演技を目の当たりにし、自然とスレンの口から苦言が漏れた。
スレンは胡散臭いと一蹴したが、ゾルグは違ったようだった。
地獄の底でも見たような蒼い顔で、じっと床を見つめている。
(……まさか、今のバカみたいな演技を信じたのか)
急に静かになったゾルグに目をやる。
一緒に得意気に笑うリリウスの顔も視界に入ってきて、スレンは頭痛をこらえるように頭を押さえた。
ゾルグは、スレンたちが住むオルダグの山里の次期里長候補だ。
大きな図体なだけあって体も丈夫だし、狩りの腕も上々。
あとは頭を鍛えれば文句なし、といわれているが、リリウスのはったりに簡単に乗せられる様を見てしまうと、頭を鍛える以前の問題な気がしてきた。
王や貴族による統治が終わり、評議会という新たな指導者が辣腕を振るう、何もかもが新しくなった時代。
ただでさえ先が読めない時代に加え、王政派と評議会の間で続く内戦のせいで、政情も不安定。そんな状態がもう何年も続いている。
(今後アリノールがどうなるかわからないのにゾルグが里長になる……)
更に頭痛が悪化しそうなので、スレンは考えるのをやめた。
幸い、ゾルグの母である現在の里長はまだまだ健在だ。
彼が里長になるのは、どれだけ早くても数年は先の話だろう。
「そ、その……運び賃代わりにいただいてもいいかなって……」
ゾルグはたどたどしい口調で言い訳をいいながら、大人しく盗んだものをリリウスに差し出した。
ゾルグが盗んだのは、水晶で作られた雪の結晶の形を模したブローチだった。
手のひらに乗る大きさだが、緻密な細工が美しい。
窓から入る弱々しい日光を反射して、本物の雪のような冷たい輝きを放っている。
「正直なのはよいことです。……それに、これを持っているところを見つかったら、きみもオルダグの里も、面倒なことに巻き込まれただろうね」
「……面倒なこと?」
ゾルグが張りのない声でリリウスに聞き返す。
導師としての堅苦しい口調から、素のリリウスの口調に戻して「面倒なこと」というぐらいだ。
物を盗ったゾルグを脅すためだけについた嘘ではないだろう。
「そう。面倒なこと。それも、政治的な意味でね」
リリウスは好物の話をするような浮ついた口調で、不穏な言葉を口にした。
今、この国――アリノールには、リリウスが言う『政治的な面倒事』があちこちに散らばっている。
スレンたちオルダグ族は、南の草原地帯から流れてきた遊牧の民で、この国に古くから住むアリノール人とは異なる文化を持つ。
平時であれば、異なる文化は退屈な毎日に刺激を与えるものとして歓迎される。
しかし、政情が不安定になれば、為政者たちの勢力基盤を固めるための都合のよい敵にされる。
スレンとリリウスが行った戦争がまさにそうだった。
ゾルグもそのことをうっすら肌で感じているから、リリウスのいう『政治的面倒事』という言葉に怯えているのだろう。
「どうして、ブローチを見ただけで、面倒事が起きるってわかるんだ」
蒼い顔のゾルグに代わって、スレンはリリウスに言葉の意味を問う。
スレンは死んだ導師の言葉を聞いたなんて戯言は信じない。
リリウスもそれをわかっている。ゾルグを相手にするときのような、下手な誤魔化しはしないだろう。
「このブローチ、今話題の王都の導師さまが、教会関係者に配った記念品だからね」
リリウスは唇を吊り上げ、皮肉っぽく笑う。
“王都の導師”と聞き、さらにゾルグの表情が暗くなる。
スレンも道中サーシャから聞かされた王都の導師の話を思い出し、下唇を噛み締めた。
(――たしか、王政派とつるんで、お姫さまの亡命を手伝ったり、手紙を渡したのがバレて処刑されたんだっけ……)
道中耳にした、きな臭い話が、目の前の死体とつながる。
「……この導師さま、王都の処刑された導師と同じ、王政派の人間なのか?」
スレンの直球の質問にリリウスは答えなかったが、かわりに自身の右腕をトントンと叩く。
右腕になにかあるのか。スレンは自分の右腕を見るが、汚れや埃がついているわけではない。
(わたしの腕じゃないとしたら……死体か?)
スレンは死体の袖をまくった。
導師が着用するローブはゆったりとした袖になっている。ローブの下の肌着をめくると、土気色の素肌が顕になった。
腕の内側に傷がある。よく見てみると、赤い線は文字になっていた。考えたくないが、刃物で切り刻んでつけたものだろう。
『権力にしがみつく豚に死を。解放軍に栄光を……』
文字は手首から肘の少し手前まで刻まれていた。文字の線ごとに傷の深さが異なる。
すぐに故人をいたぶり、亡骸すら辱めるためにつけた痕だと察し、気分が悪くなった。
(……この導師さま、ネフリト山の国境基地から逃げる最中にくたばったのか、それとも解放軍が王政派への見せしめとして死体を捨てたのか……)
どちらであっても、厄介な事情を抱えた死体であることに変わりはない。
特に前者の場合、脱走者の死体を回収したと解放軍に知られれば、リリウスにも迷惑がかかる。
(ただでさえ、教会が疑われているのに……)
運んできた手前、今さら捨ててくるとはいい出せない。
死体を処理しようにも、スノーゼンの教会に火葬場はない。
無理に死体を燃やしても、中途半端に焼け残ってしまう上に独特の匂いもする。
不審に思った住人が、解放軍に密告する可能性も否定できない。
「……なぁスレン、やっぱりこの坊さん、王政派のやつだったのか?」
ゾルグが血の気の引いた顔で、こわごわと尋ねてくる。
王政派の人間、そうでなくても解放軍に目をつけられた人間であることに間違いない。
間違いないのだが、正直に話をして、ゾルグを不安にさせたくはなかった。
(死体を見つけたのはわたしだ。……わたしがきちんと始末しないと……)
ゾルグにもリリウスにも迷惑はかけられない。
とりあえず、ゾルグの気を楽にしてあげたいが、なんと切り出そうか。
スレンが悩んでいると、リリウスがのんきな声でゾルグの名前を呼んだ。
「答えを教えてもいいけれど、せっかくだ、ゾルグくん。過去から学びを得て、答えを導き出してみようじゃないか」
村の子供に教えを説く時のように、リリウスは明るく朗らかに語りだす。
説明に悩むスレンを見かねて、助け舟を出してくれたのか。スレンはリリウスの出方を窺うことにした。
「んな悠長なこといってる場合か! オレたちが運んだ死体のせいで、解放軍が来たらどうすんだよ! サーシャちゃんも、今教会は解放軍に目をつけられてるって言ってたし……」
「心配しなくても大丈夫。サーシャちゃんになに吹き込まれたか知らないけど、スノーゼンの教会は評議会を全力で支持している。目をつけられる心配はないよ」
「……そうなのか?」
ゾルグがスレンを見ながら首をひねる。
リリウスの言い分を信じていいのか、測りかねているのだろう。
正直にいえば、今のリリウスの言葉は気休めだとスレンは思った。
解放軍に目をつけられる心配はないと言われても「はい、そうですか」と思える状況ではない。
(どうするんだ、リリウス。……ゾルグすら言いくるめられてないぞ)
スレンがじとりと横目でリリウスを見ると、リリウスは大丈夫だと言わんばかりに冷たく微笑んだ。
「では、過去から学びを得て、この死体が王政派の人間かどうか、答えを出してみようか」
軽薄に笑ったまま、リリウスはゾルグが盗もうとした、雪の結晶の形をしたブローチをかざした。