【1-2】準備と祈り|導師は祈りで嘘を隠す
〇前回までのあらすじ
雪原で死体を見つけたスレンは、同行者ゾルグとともに、それをスノーゼンの教会へと運ぶことに。
道中、王政派をめぐる不穏な噂に触れながら、導師リリウスの待つ教会へと辿り着く――
けれど、死体が抱えていた“ある秘密”に、誰も気付いていなかった。
「山の中で死体を見つけた。……たぶん、あんたのお仲間だ」
念の為、声を落として死体の話をすると、リリウスのふにゃりと緩みきった顔が、みるみるこわばっていく。
「お仲間って……導師の死体?」
「役職まではわからないけど……たぶん、そうだと思う」
死体を包む布を見るリリウスの目か、いつになく険しい。
無理もない。
道中サーシャから聞いた噂が事実なら、教会は今、“評議会”や“解放軍”といった国家権力から睨まれている状態だ。
そんな中、同業者の死体が運び込まれれば、内心穏やかでいられるわけがない。
スレンはゾルグを呼んだ。
早くリリウスに死体の確認をさせたかった。
ゾルグの手を借り、死体を包んでいた敷物や毛皮を取り除いていく。
重なる毛皮の隙間から死体の目元が覗く。
リリウスが白い息を吐いた。
こわごわと目を見開き、死体に焦点をぴたりとあわせている。
青白い顔がすべて寒風にさらされると、リリウスは息を呑み、薄青の瞳を伏せた。
無も知らぬ死者を悼むようにも、嫌な予想が当たってしまったと現実から逃げているようにも見える。
「……知り合いだったか?」
「知り合いであっても、なくても関係ないよ。同じ神の教えを説く仲間だからね」
リリウスは唇の片端を上げて言う。
スレンが首をひねっても、はぐらかすように笑うだけだった。
そのままはっきりとした答えは返さず、弔いの言葉を唱え始める。
(……都合が悪くなるといっつもこれだ)
リリウスは話したくないことがあると、いつも唇の片端を上げて誤魔化すように笑って場を濁す。
スレンは、じとりとリリウスを横目で睨んだ。
短い祈りの言葉を唱え終わっても、リリウスは亡骸から目を離さなかった。
胸の前で手を組んだまま、何かを探るようにじっと死体を観察している。
見ず知らずの他人に向けるにしては、入れ込み過ぎに思うほど、沈痛な面持ちをしている。
「スレン? じっとおれの顔見てどうしたの?」
苦笑混じりの声が降ってきた。リリウスの口元には再び嘘くさい笑みが貼り付いている。
「別に……。導師さまが、ただの行き倒れの死体に同情してるのが珍しいなと思って」
「死者に尊卑の差はないよ。……埋葬する前に綺麗にしてあげないと。――ゾルグ、彼を教会まで運んでくれる?」
リリウスはスレンの追求をさらりとかわし、退屈そうに前髪をいじっているゾルグに話をふった。
(ゾルグを使って、話を切り上げたな……)
リリウスは何か隠している。疑惑は確信にかわった。
スレンとリリウスが無言で腹の内を読み合っている中、何も知らないゾルグは二つ返事で死体を担ぎ上げた。
「ありがとうゾルグ。日が落ちる前に埋めてしまおうか」
スレンの猜疑心にまみれた視線をものともせず、リリウスは歩き出した。
*
教会の中は、外のどんよりとした空のせいで夕暮れ時のように薄暗かった。
年代物の煤けた暖炉が赤々と熱を放っており、冷え切ったスレンたちの体を優しく包み込む。
待望のぬくもりにスレンとゾルグが表情をほころばせていると、リリウスが教会の扉を閉め、かんぬきをかけた。
「ゾルグ、彼を長椅子に寝かせておいて」
ゾルグに指示を出すと、リリウスはそのまま一人奥へと進んでいく。
「道具をとってくるから、きみたちは火にあたって待ってなさい」
どこに行くのかというスレンの無言の問いに答えたあと、リリウスは大きな足音を立てて二階の私室へと駆けあがって行った。
ゾルグは指示通り、長椅子に死体を横たえると、そのまま暖炉に近寄り、手のひらを火にかざす。
「いきかえるー!!」
間延びした声が教会中に響く。
顔の筋肉を緩め、炎の温かさを噛み締めているゾルグをみると、スレンも火にあたりたくなる。
今、暖炉の前に行ってしまうと、火のそばから離れられる気がしない。
誘惑に負けないよう目を閉じ、その場にとどまった。
リリウスのいう準備も、そう時間がかかるものではないだろう。
だからといって、何か訳ありの死体と一緒に待つのも嫌だった。
(……冬聖女さまでも見て、時間をつぶすか)
スレンは目を開けると、説法台の奥の壁に目を向けた。
壁には色とりどりの絵画が飾られている。
聖智恩教会の教えでは、天にはありとあらゆる知恵を兼ね備えた唯一神がいることになっている。
その唯一神から知恵を授かった人々を聖人と呼び、彼らが神から賜わった知恵を保管・広めるのが教会と導師の役目なのだと、以前リリウスが教えてくれた。
教会には、文字が読めない者にも知恵を広めるため、壁一面に絵が飾られている。
神の知恵を図示したもの、聖人・聖女が神の教えを説く場面など様々な絵が、くすんだ木の壁を彩っていた。
スレンは聖智恩教の教えに興味はないが、物語の一場面を切り取ったような聖人たちの絵は好きだった。
リリウスも、スレンに信仰を押し付けて来ないので、教会に来るたび、ぼんやりと絵をみるのが習慣になっている。
数ある聖人画の中で、一番のお気に入りは、スノーゼンで一番崇められている【冬聖女】だ。
真っ白な雪原の中にたたずむ、白い髪の聖女が、両手を広げ微笑みを浮かべているだけの絵。
リリウスが言うには、冬聖女は『冬に生きる者の守護者』らしい。
聖智恩教会において『冬』とは、人生における困難、逆境を表す言葉だそうだ。
『冬聖女は、冬に生きる者全ての守護者。俗っぽく言うと、困っている人を見捨てず、笑顔で受け入れてくれる聖女さまなんだよ』と、リリウスはスレンに説いてくれた。
人の道に背く行いをしたスレンでも、冬聖女は笑顔で受け入れてくれる。
そんな気がして、教会に来ると、決まって冬聖女をぼんやりと眺めている。
今日もいつもと同じように、冬聖女を見て暇を潰そうと思ったが、冬聖女の温かな微笑みを隠すように、真っ赤な紙が貼られていた。
(……なんだこれ)
教会の信徒でなくても、思わず顔をしかめてしまう。雑に顔に貼られた赤紙に言葉に出来ない不快感が胸の中に渦巻く。
(……リリウスが冬聖女にあんなものを貼るとは思えないし)
スノーゼンで一番信仰が厚いのが冬聖女だ。
リリウスも、戦争から帰り荒んでいた頃、人々に寄り添うような冬聖女の教えに救われたと、照れくさそうにスレンに教えてくれた。
そんなリリウスが、冬聖女を貶すようなことをするとは思えない。
スレンの位置からは読み辛いが、赤紙には文字が書かれていた。
文字を確認しにいこうとした時だった。再び階段から足音が響く。
「スレンはシーツを長椅子の上に広げて。シーツを敷きおわったら、ゾルグ、彼をその上に寝かせてあげて」
リリウスが籠にシーツや水の入った瓶などを詰め込んで、二階から下りてきた。
(紙の内容気になるけど、今は死体の埋葬が先だな)
絵も紙も逃げない。あとで時間をとって確認すればいい。
スレンは一呼吸置いて、意識を冬聖女から切り離した。階段から下りてきたリリウスに駆け寄ると、シーツを受け取った。