恩人と秘密|信頼は淡雪のように溶ける
「……ブランカはお姫様なんてかわいい呼び方が似合わない、我々のような軍属寄りの人間でね」
長い沈黙のあと、ネルはため息と共に語りだした。
珍しく表情が曇っている。
渋々と語る様子から、ネルがブランカというお姫さまのことが苦手だということが、ひしひしと伝わってきた。
(……総督さんが蒼い顔になるぐらいのお姫さまって……どんな人なんだ……)
ネルは軍属よりの人間と言った。
王族も身を守る術ぐらいは学ぶだろう。おそらく、ブランカ姫は、そこらの兵士よりも武芸に優れていたのではないか。
スレンは顔をしかめながら、逞しい姫君の姿を想像した。
「ブランカは国境戦争返りの兵士から人気があってね……。我々、解放軍の中にも彼女だけは腐った王族とは違うという輩がいるぐらいだ」
ネルは机に肘を立てて手を組むと、顎を乗せた。
「そのお姫さまも兵士として戦ったのか?」
真っ先に思いついたものの、一番あり得なさそうなことを口にすると、ネルが意外そうに目を瞬かせた。
「……おや。リリウスから、ブランカのことを聞いていないのかい?」
「リリウス? ……どうしてあの導師さまが出てくるんだよ」
質問を質問で返すと、ネルはバツが悪そうな顔をして、スレンから目を逸らす。
余計なことをうっかり口にしてしまったと、暗い表情が物語っている。
「……リリウスから顔の火傷の話は聞いているね?」
「……国境戦争で仲間を庇った際についたものだって……」
ネルは暗澹とした低い声で「そうだ」とうなずく。
「大火傷を負ったリリウスを救った命の恩人が誰か……リリウスは話してないんだね」
「……なにも。病院に運ばれて、なんとかなった、としか。……そのブランカってお姫さまが、リリウスの命の恩人なのか……?」
自然と憶測が口から漏れる。
ネルはスレンの言葉から逃げるように目を伏せた。
そのまま顎髭を撫で、眉間に皺を寄せたまま、考えに沈んでしまう。
「……そう、なんだろ?」
思わず、聞き返す声の語気が強くなる。
当人のいないところで過去を掘り返すのは気が引ける。だが、今はリリウスが王政派なのか判断するための情報が欲しかった。
ネルが返事を返さなくても、話の流れから察しがつく。
ネルもそれをわかっているのだろう。しばらくの間、躊躇うように視線を泳がせた。
やがて決心がついたのか、大きく眉を下げ、見ている方も心苦しくなるような沈痛な面持ちでうなずいた。
「そうだ。……ブランカは、ドラゴラードの野戦病院で看護婦として働いていたんだ」
ネルは嘆息と共に、罪を告白する罪人のように力なく囁いた。
大火傷を負い、病院に運び込まれたリリウスをブランカが看病した。
話はつながるが、同時に疑問も湧く。
「どうしてお姫様が看護婦なんかに」
「王族の人気取りのためだ」
スレンの疑問に答えたのはヴァーツラフだった。
口にするのも嫌、というような苦い表情で口を開く。
「国境戦争時、王は財政難を理由に戦費を削減した。……敵は共和国から、最新の武器供給を受けていると報告があがっていたのに、王はただ一地方の反乱と言い、事実から目を背けた。……我々に渡されたのは、型落ちした武器と最低限の物資だけ。……あれでは、勝てる戦も勝てるわけがない!」
(……たしかに戦時中、王国軍の銃器がボロくて鹵獲しても使い物にならないって、年長のやつらが言ってたな……)
旧王国軍側の貧相な装備を思い出し、スレンは苦い顔で相槌を打った。
「戦況を直視せず、ただ兵士を使い潰せば、兵士たちの母親や恋人が怒り狂う。アリンの宮殿前広場では毎日のように抗議活動がおきたらしい。その火消しのため、ドラゴラードの野戦病院に遣わされたのがブランカだ」
「……彼女の名誉の為に補足すると、ブランカは自らドラゴラード行きを志願したそうだよ」
ネルがすかさず小声で付け足す。
「……彼女、私までバカと思われるのは癪だと言っていたよ」
「……総督さん、そのお姫さまに恩でもあるのか?」
王女を持ち上げるようなことを言うのが意外で口にすると、ネルは唇を弧の形に歪めて自嘲する。
「……スレン、山狩りの時にした、私の友人がオルダグの火炎瓶から身を挺して庇ってくれたという話を覚えているかい?」
スレンがうなずくと、ネルは少し躊躇うような素振りを見せたあと、口を開いた。
「……その友人が、リリウスなんだ」
なんとなくそうだろうと思っていたが、口にされ事実が明らかになると胸がずきりと痛む。
ネルも同じなのだろう。沈痛な面持ちでうなだれている。
「……野戦病院は王政の腐敗っぷり象徴するような、ひどい場所でね。……治療の順番は負傷の程度ではなく、身分、階級、出身地の順で決まるような所だった」
ネルがふざけてるだろうと吐き捨てる。
「……大火傷を負ったリリウスは、真っ先に治療されるべきだったのに、階級を理由に、病院の隅に追いやられたんだ」
できるだけ感情的にならないよう、話をしているつもりなのだろう。
しかしネルの焦点のあわない暗い瞳は、遠くの幻影を睨み、怒りで揺らいでいた。
スレンはその場を見ていないので想像しかできない。
おそらく戦場とは異なる、王政時代の負の側面を凝縮したような地獄が広がっていたのだろう。
ヴァーツラフの目が赤い。
スレンに見られていることに気付くと、分厚い手のひらで潤んだ瞳を隠した。
その表情が、野戦病院の理不尽な日常を物語っている。
「私はリリウスを助けたかった。目に入る医療班に片っ端から声をかけた。無駄だとわかっていても、友のためにやれることはしたかった」
沈痛な面持ちのネルにスレンは顔を向ける。
「端に追いやられていた我々に気付き、リリウスを医者のところへ連れていってくれたのがブランカだったんだ。……彼女がいなければ私は……命の恩人を失っていただろう」
そう安堵の声で囁くネルの話が、頭半分しか入ってこなかった。
(……お姫さまが命の恩人……)
王政時代に戻ってもリリウスに旨味がない。
だから、現金なリリウスは王政派とつながっていない。スレンはそう考えていた。
しかし、今のネルの話が真実であれば、前提が崩れる。
リリウスは薄情な人間ではない。
きっと命を救ってくれた王女と、その家族を救いたいと考えるはずだ。
王女を救うため、王政派の一員として暗躍しているなら、辻褄が合う。
視界がぐらぐらと歪む。
かなり前に火は消されたはずなのに、どこからか独特の甘苦いタバコの匂いがする。
リリウスを信じたいが、疑念は雪のようにどんどんと積もっていく。
吐き気を堪えるように、スレンは口元に手をあてた。




