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【3-1】冬聖女と密書|秘密はつながりを暴く


 天幕に入る前にしっかりと涙を拭い、腑抜けた表情をしないよう頬を叩く。

 ゾルグを信じたのだ。スレンも今は自分ができることをするだけだと腹を括る。


 不安を和らげようと、深く息を吸い込んだ。

 痛いほど冷たい空気で肺を満たすと、熱がこもった頭も冷えていく。



(ゾルグは大丈夫。……もしなにかあったときのために、情報を集めるのが今のわたしの仕事だ)



 そう自身に言い聞かせると、スレンはネルの天幕へと戻った。



 中は、気持ち悪くなるほど暖かく、食事とタバコの匂いがこもっていた。

 外の空気を吸い、少しマシになったはずの頭痛と吐き気が、再び襲いかかってくる。

 換気したほうがよいのでは、と思ったが、二人はなんとも思っていないようだ。



 頭を押さえていると、ネルとヴァーツラフと目が合った。

 ゾルグとの話を聞かれていたのではないか。


 一瞬ひやりとしたが、よく観察してみると、こちらを見る二人の視線は、想像したような鋭いものではなかった。

 後ろめたさを感じてしまうほど、気遣わしげな目。たまらず、スレンは目を逸らした。



「大丈夫そう……ではないな」



 ヴァーツラフの硬い声を聞いたネルが不安そうにうなずく。

 タバコの煙と動揺のおかげで、演技を疑われないほどスレンの顔色は悪いようだ。


 

「オルダグ族はタバコの煙を嫌うんだったね……。失念していたよ。ネズミ共のことで頭がいっぱいで、気が回らなかった。申し訳ない」



 ネルは頭を下げたあと、スレンに水の入ったグラスを差し出してくれた。

 両手でコップを受け取り透明な水面を見つめる。

 揺れる水面越しに、憔悴しきったスミレ色の瞳と目があった。



(……しっかりしろ……)



 そう喝を入れて、冷えた水を一口煽る。嫌な苦味が舌にまとわりつく。思わず眉をひそめると、ネルが首をかしげた。



「……ただの水なんだが、変な味がしたかい?」


「いや。……気持ち悪いせいで、舌が変になってるだけ……だと思う」



 一気に中身を飲み干すと、苦味は気にならなかった。よく冷えているおかげか、液体は喉にすんなりと染みこんでいく。



「……ありがとう。少し落ち着いた」



 スレンはぎこちなく口角を吊り上げて言うと、ネルにコップを返した。

 ネルは藍の目でじっとスレンの顔色を窺ってくる。

 純粋に心配してくれているのだろうが、今は尋問官に睨まれているようで胸がざわつく。



「……だいぶ風が吹いてきた。今夜も荒れそうだ」



 黙っているのも変なので、スレンは当たり障りのない天気の話を持ち出した。



「そうか、冬将軍が来る時間か」



 応えたのは、厳しい顔つきで腕を組んでいるヴァーツラフだった。時計の針のように一定の間隔で、自身の腕を指で叩いている。



「もうそんな時間か。まだタバコの話しかできていなかったね。スレンもお疲れのようだし、さっさと本題に入ってお開きにしようか」



 ネルの顔から穏やかな笑みが消えた。

 自分に向けられたものではないとわかっているが、獲物を品定めするような目付きが恐ろしい。


 スレンは動揺が出ないよう、固く唇を引き結んだ。



 ネルが「座って話そう」と言うので、スレンとヴァーツラフはそれぞれ近くにあった椅子に腰を下ろした。

 こちらが座るのを見届けてからネルも着席し、長い脚を組む。



「聞き出せた情報は、ネフリト山でウロウロしているネズミ共の企みだ。……逃げたネズミがどこの誰か、協力者についての情報は、まだ確度が低いので精査中だ。わかり次第すぐに里の皆にも共有する」



 ネルは堪えきれない笑みを隠すように、顔を伏せた。目元に暗い影が落ちる。



「ネズミ共の目的は、我々の予想した通りだった。連中は、王族から受け取った手紙を帝国のシュネー姫に渡そうと企んでいる」



 首を振って相槌をうつと、頭が脈打ち、ネルの顔が大きくブレた。

 ひどい目眩に見舞われたように目の前がぐにゃぐにゃと歪む。

 情報を整理するためにも、スレンは一度目を閉じた。



 死体をリリウスの下へ運んでいる最中、サーシャが声を弾ませながら語っていた話を思い出す。

 王都アリンの導師が、王政派の一員に手紙を渡そうとしたところを解放軍に捕らえられ、内乱罪で処刑されたという話。



(……あのときサーシャは、王都の導師が王政派に渡そうとした手紙は、評議会に殺された王族の遺言かもしれないって言ってたよな……)


 

 評議会は、王族を王政派から“保護”していることになっている。ネルたちにサーシャか聞いた噂話をそのまま話すことはできない。



「……王族からの手紙って、こないだ処刑された王都の導師が王政派に渡してたってやつ、だよな……」



 王族の遺言かもしれないという噂には触れずに訊くと、ネルがうなずく。



「その手紙は、解放軍が回収したんじゃないのか?」


「我々もそのつもりでいたが、ネズミ共は小細工を使って密書のやりとりをしていたらしい」


「アリンの導師は国内の教会関係者に配ったブローチの中に密書を隠していると、先日捕まえたネズミが教えてくれてね」


「……ブローチ……?」



 首すじに嫌な汗が伝う。ネルはうんざりとしたようにうなずいた。



「そう。水晶で作られた雪の結晶の形をした小さなブローチ。君ぐらいの年頃の娘さんなら持っていそうなありふれたデザインでね。――探すのも一苦労しそうな代物だ。……現物を持ってこればよかったね」



 ネルがヴァーツラフにブローチの特徴について詳細を報告するように言う。

 ヴァーツラフがつらつらと特徴を並べるが、頭にまったく入って来なかった。


 正確には聞かなくても、ネルが言う密書が隠されたブローチをおそらくスレンは見ている。



(……あの死体が持っていたブローチのことじゃ……)



『今話題の王都の導師さまが、教会関係者に配った記念品だからね』

 思い出したくないのに、リリウスの言葉と、雪原で見つけた白い導師の死体がよぎる。



「政治的な面倒事に巻き込まれる」と忠告し、ゾルグから回収した、雪の結晶のブローチ。

 リリウスはブローチが厄介事の種と知っていた。

 その時は王都の導師が配ったものだからという理由で納得していたが、今思えば気になるところが数多くある。



(……なんでリリウスは、死体がブローチを持ってるって知ってたんだ)



 死体と知り合いかと尋ねても、リリウスは答えをはぐらかすだけだった。


(……まぁ、直球で聞かれたら、はぐらかすしかないよな……)


 正直に知り合いだと答えれば、自分も王政派の人間と疑われる可能性がある。はっきり否定をすればよかったのに、リリウスはそれをしなかった。



(……死体の導師とリリウスは知り合いだった。だから、死体が密書を隠し持っているって知っていた……? 死体の身支度をした際にブローチがないことに気付いて、ゾルグを疑ったなら――)


 

 話は繋がる。考えすぎだと思いたいが、色々とリリウスは怪しすぎる。

 スレンは目を細め、ずきずきと脈打つ頭を押さえた。



(密書……って総督さんは言ってるけど、入っていたのは気味悪い写真だけだ。……あの写真が密書なのか?)



 密書というぐらいだから、小難しいことが書かれた手紙かと思ったが違うようだ。


 ブローチの中にあったのは、一度見たら忘れられない気味の悪い写真。


 貴族の館と思われる場所で撮影された一枚。

 穴だらけの壁の前で、なぜか得意気に笑う若い兵士たちが写っていた。

 リリウスは、導師の身内が写っていると言っていたが、きっと嘘だ。



(……王族が評議会に殺されたっていうサーシャの噂話を真に受けるなら……あの写真、誰かを銃殺したあとに撮られたもの……だったり……)



 緻密な野イチゴが描かれた壁紙にあいた無数の穴。瓦礫と黒い汚れが染み付いた床。


 兵士たちの笑顔が頭から離れない。


狂気を知った人間だけが浮かべられる、妙に晴れやかな笑み。

 写真を見たときに感じた嫌な予感が当たっているなら、あの部屋では人が死んでいる。



(……ただの憶測だ……)



 スレンは首を振り、嫌な予想を振り払った。



「アリンの導師が教会関係者に記念品としてブローチをばらまいた。密書は教会関係者を通して、王政派に渡ったと考えるのが自然だ。……シュネー姫が帝国へ連れ去られたときから気になっていたが、悪知恵が回るお姫さまがネズミを使っているようだ」


「……悪知恵が回るお姫さま?」



 顔を上げ、引っかかった部分を口にすると、ネルは額に手をあて、あぁと苦い顔でうなずく。



「ああ。第一王女ブランカ。……シュネー姫とネージュ王子の姉。アリノールの次の王となるはずだった人だ」



 王族には疎いので名前を聞いても、そうなのかとうなずくことしかできなかった。

 名前を口にしたネル、名前を聞いたヴァーツラフは揃って険しい表情を浮かべている。


 触れてはいけないことだったのかもしれない。

 余計な詮索をするのは危険と判断したスレンは、深追いせず、二人が再び口を開くのを待った。

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