女将と噂|天敵はにこやかに心を乱す
「それはね」
ゾルグがふわふわと、はにかみながら口を開いた。
さすがに死体を運んでいることを暴露しないとは思うが、スレンは信頼よりも安全を選んだ。
(悪いなゾルグ)
厄介事の種は芽吹く前に刈るしかないのだ。
一言内心で詫びたあと、スレンは握りしめた拳をゾルグの頭に落とし、強制的に黙らせた。
突然のスレンの蛮行にサーシャが口に手をあて、目を丸くする。
「鹿の毛皮だ」
睨みつけてくるゾルグを肘で小突きながら、スレンはさらりと嘯いた。
「毛皮……ねぇ」
サーシャの青の目が、陽の光をたっぷり浴びた夏空のように輝く。面白いネタを見つけたと、目が雄弁に語っている。
スレンの一言が、サーシャの詮索スイッチを入れてしまったようだ。
(目をつけられた時点で負けだったのかも……)
ゾルグを置いて、スレンだけ先に教会に行けばよかった。今さら選択の誤りを悔いても遅い。
積荷の中身を悟られなければいいだけだ。
(……リリウスも言ってただろう)
以前、教会の導師から教えてもらった、対サーシャの攻略法を思い出す。
『探りを入れられたときは、へらへらと笑って適当に流せばなんとかなるよ。なんか嘘くさいってサーシャちゃんに思わせれたら、勝ちだね』
(ヘラヘラ笑って、適当に流す)
スレンはぎこちなく口角を吊り上げて、サーシャと対峙した。
「ずいぶんたくさん仕留めたのね。一枚うちにも分けてほしいわ」
媚びるような声に、隣りのゾルグが反応する。
スレンは反射的にゾルグの外套のフードを引っ張った。
ゾルグに気を取られていると、今度はサーシャがスレンのソリに一歩近付いてくる。
嫌な連携に舌打ちしたくなるが、ぐっと口角を吊り上げて、堪える。
サーシャとソリの間に足を伸ばして割り込み、距離を詰められないようにした。
女将はスレンに構うことなく、布と毛皮に包まれ、もこもこになった死体をまじまじと見てくる。
「見たところ、丁寧に処理されてるみたいだし、変な臭いもしない」
臭いに言及された瞬間、思わず顔がこわばった。
漏れ出てしまった焦りを悟られていないことを願いながら、スレンは硬い笑みを浮かべる。
「あら、スレン、そんなに顔を赤くしてどうしたの? 具合でも悪いの?」
「いや、その……。……皮を剥ぐの失敗したから、じっと見ないでほしくて」
動揺を隠そうとするほど言葉がぎこちなくなる。
追い打ちをかけるように、サーシャが「ふーん」とつぶやき、スレンの顔をまじまじと値踏みするように見てくる。
ゾルグが熱をあげているスノーゼン唯一の宿の女将、サーシャ。スレンは彼女が苦手だった。
詮索好きで噂好き。彼女に漏らした話は、半日もあればスノーゼン中に広がる。
荷物に偽装した死体を運んでいるなんて知られたら、どんな噂を村中に流されるか、考えたくもなかった。
村人の耳に入るのは別に構わないが、噂が広がり解放軍の耳に入れば、社会的な死が待っている。
「そんなにあるのなら一枚ぐらい綺麗なのもあるでしょ? 導師さまよりも多めに払うから。ね、お願い」
「客の物を横流しできるか! 欲しいならゾルグに頼め。きっと、張り切って山中の鹿を狩りつくしてくれるよ」
スレンはゾルグへ雑に振り、荷についての話を無理やり切り上げた。
サーシャの追及が飛んで来ないか不安になる。が、スレンには頭の中がお花畑のゾルグがいた。
「毛皮だね! どれぐらい欲しい?」
見えない尻尾を振りながら絡み、サーシャに荷について追及する間を与えない。
予期せぬ援護に、スレンはよくやったと心の中で歓喜の声をあげた。
「……あなたたち、教会に行くのよね? なら気をつけた方がいいわ」
気をつけた方がいいと注意するくせに、サーシャの声は弾んでいた。
雪の結晶の形をしたピアスを指でいじりながら笑うサーシャに、ゾルグがのぼせ顔で、なぜかと尋ねる。
「朝、解放軍が教会から出て行くのを見たの」
物騒な単語が飛び出し、ゾルグが血相を変えてスレンを見てくる。
「なんで解放軍がわざわざ教会なんかに……」
疑問を口にすると、ゾルグが同意するように首を振った。
「たしかに。教会にお祈りに行く暇もなさそうなのにな」
王からこの国の政権を奪った“アリノール人民解放評議会”――正式名称が長いので、“評議会”と呼ばれている組織お抱えの軍隊。それが“解放軍”だ。
解放軍は、国王による統治復活をもくろむ“王政派”を鎮圧するために結成された。
王国軍が解体された今、事実上アリノールの国軍でもある。
国内各地の治安維持を請け負っている他、スノーゼンだけでいえば、帝国との国境ネフリト山の警備なども行っている。
最近、人手不足に悩まされているらしく、スノーゼンの村はもちろん、スレンたちの住むオルダグの山里にも勧誘のビラが頻繁に届く。
それでも志願者が足りていないようで、評議会は皆兵制を導入しようと企んでいるらしい。
最近、スノーゼンの若者たちが兵役は嫌だとこぼしているのをよく目にする。
そんな多忙な解放軍が、わざわざ田舎の、古臭い教会にまで出張ってきた。一気に不穏な空気が漂う。
「こないだリリウスが、評議会の議長の髪型を鳥の巣みたいって、バカにしてたのがバレた……とか」
導師リリウスの問題行為を口にしたのは、ゾルグだった。
解放軍に睨まれそうな導師の非行には、スレンも心当たりがあった。
「リリウスのやつ、ネフリト越山道を抜けてくる帝国人を教会に泊めて儲けてるくせに、税金払ってないらしいぞ」
「え、脱税!? 犯罪じゃん!! ……そりゃ、解放軍に捕まっても仕方ないな……」
サーシャに目を向けると、気まずそうな顔で相槌を打っていた。
「議会侮辱罪と脱税の容疑じゃないのか?」
スレンがきくと、サーシャは「違うわ」と首を横に振った。
他にもまだ余罪があったことに驚き、スレンとゾルグは顔を見合わせた。
「ちょうどひと月くらい前かな、王都の教会の導師様がね、内乱罪で処刑されたの」
リリウス個人が何かやらかしたと思っていたが、サーシャの口から飛び出したのは、予想よりもずっと深刻な話だった。
「ん? 教会と評議会って仲が悪いのか? どっちも市民の味方だって言ってるのに……」
「さぁな。お偉方の考えることは、下々のものにはわかんないもんだし」
ゾルグの疑問に皮肉で返しながら、スレンはけど……と話を続ける。
「……教会側は、評議会と仲良くしたいんじゃないか? お布施してくれるお貴族さまはいなくなったんだ。評議会に媚を売らないと、教会の修繕ができなくなるし」
「スレン、口が悪いわよ」
腕を組んだサーシャが咎めてくる。
女将の言う通り、誰に聞かれているかわからない白昼の往来では不適切な表現だったと自省する。
熱心な信徒に聞かれたら、不信心なオルダグと唾を吐かれただろう。
「けど、評議会の支持層のほとんどは、よく導師の世話になる労働者や農民だろ? ――庶民の味方の導師さまを処刑なんてしたら、不満に思うやつも出てくるんじゃないのか」
政権の基盤を固めたい評議会が、支持層から崇敬の念を集めている導師の処刑を表沙汰にすることにスレンは引っかかっていた。
言葉を投げると、サーシャは形のいい眉を顰め、スレンに顔を近づけ、小さな声で話し始めた。
「……今年のはじめ、帝国にシュネー様が亡命したの覚えている?」
スレンはうなずいた。
評議会の監視下に置かれていた王女が、親族のいる帝国へ逃げた事件は、スノーゼンでも話題になっていた。
「王政派の人間にシュネー様を引き渡したのが、王都の導師様らしいのよ」
「あー……たしか、お姫さまが帝国に逃げたせいで、王政派が勢いついたんだよな。……本当に亡命に協力したなら、文句無しに内乱を煽った罪で殺されるわな」
スレンがぼやくと、サーシャは「そうなのよ」と不機嫌そうにうなずいた。
「けど、亡命騒ぎからもうすぐ一年だ。仕事が早い解放軍にしては、犯人を見つけるのに時間がかかりすぎじゃないか?」
「……そうね。導師様がヘマをしなければ、きっと表に出ることはなかったでしょうね」
サーシャは肩を竦めて苦笑した。
「ヘマ?」
「ええ。王政派の人間に手紙を渡していた所を解放軍に見つかったんだって」
「なるほど。……それはたしかにヘマだわな。捕まって、芋づる式に余罪が見つかったってわけか」
「さすがスレン。そのとおりよ。……渡そうとした手紙の中身も、評議会に殺された王族の遺言だとか、物騒な噂が飛び交ってるし……。暗い話ばかりで嫌になるわね」
「ちょっと待ってサーシャちゃん! 評議会は王様たちを王政派から守ってるんだろ? 殺されたって、おかしな話じゃないか?」
話の深刻さを理解していないゾルグが、いつもと変わらない声量で疑問を口にした。
なぜサーシャが声を落としたのか、考えが回らないのか。
「評議会が、王様を保護してるわけないでしょう?」
ゾルグがそうなのかと驚く。スレンは大きなため息をついた。
「考えてみろ、王さまは評議会の結成を妨害した邪魔者だぞ。……生かしていたら王政派連中にいいように使われるのが目に見えてる。一族郎党秘密裏に処分したいに決まってるだろう」
「ここ半年、新聞に載るのも、帝国に亡命したシュネー様だけよ? 本当に王様たちを生かしているなら、こんな噂が出回る前に国王一家の写真を新聞に載せるだろうし」
ゾルグが、頭を抱えだしてしまった。
(……お堅い話はここまでだな)
まだ目的の教会にたどり着いていないのに、考えすぎて熱でも出されては困る。
「リリウスのとこに解放軍が来たのも、教会全体が王政派と組んでるんじゃないかって、睨まれてるからか」
サーシャはにっこりと微笑み、満足そうにうなずく。
「えぇ、抜き打ちチェックだと思うわ。……リリウスに何頼まれたのか知らないけど、変なことに巻き込まれないように気をつけなさいよ」
「ありがとうサーシャちゃん!」
ゾルグが喜色満面の笑みで声を張り上げる。
さっきまで知恵熱で倒れそうなほど唸っていたのが嘘みたいだ。
「気をつける。ありがとう」
スレンはサーシャに礼を言うと、中々歩き出そうとしないゾルグの外套のフードを引っ張った。
ゾルグは首が絞まると鳴くが、構うことなく教会に続く道に引き戻す。
解放軍が王政派とつながっていた導師を処刑した。
(……この坊さんも、王政派とグルだったりしないよな)
スレンはちらりと荷ゾリを見る。
死体から感じたきな臭さは、気のせいではなかった。
悪い方へと思考が流されそうになるのを振り払うように、スレンは無心で薄く雪が積もった道を進んだ。