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    理想と欺瞞|不安は雪のように積もる



「……別に、そんなんじゃない」



『解放軍に入ったようだ』と言うレイモンドの嫌味を否定しようと、スレンは力なく首を振った。



「今、この国のお偉いさんは評議会だろ? 変な疑いをかけられないよう、お上の命令に従ってるだけ……だよ」



 舌がざらりとする。口の中に砂が入ったようだ。



(……そう、わたしは上の命令に従ってるだけ)



 なにもやましいことはしていない。

 なのに、なぜ二人に責められなければならないのだという気持ちが、口の中の不快感を増幅させる。



 この国アリノールは今、評議会の統治下にある。解放軍は国の治安を守るための組織。


 解放軍も、スレンも人々の平穏のため動いている。


 それなのに、なぜ二人は解放軍に協力しているスレンに対して、様子がおかしいなどと嫌味を言ってくるのだろうか。



「王党派のネズミ、ねぇ……」



 タバコを咥え、黙り込んでいたリリウスが、煙と一緒にぽつりと吐き出した。

 何か心当たりがあるのだろうか。



「レイモンド、なんか知らない?」 


「だから、なんで俺にふるんだよ!」


「ほら、スレンがお国のために頑張ってるんだから、おれらも少しは協力してあげないと」



 リリウスはヘラヘラと笑って言う。

 言っている言葉はスレンの気持ちに寄り添うものだが、軽口のような喋り方のせいか揶揄されているように聞こえた。



「それに、ネフリト越山道はきみの散歩道でしょ? 雪男でも雪女でも何でもいいから、変なの見てない?」


「変なのって」



 レイモンドは眠たげな垂れた目を閉じ、ボサボサの寝癖頭に手を当てた。


 仕事をしているところを見たことないが、一応レイモンドは配達員だ。この中で一番行動範囲が広い。


 真面目に各地を回っていれば、リリウスの言うように、怪しい人物の情報の一つぐらい仕入れていても不思議ではない。



「……んなこと言われても、山に変な奴がいたら、真っ先に軍人さんが飛んでくるっての。ただでさえシュネー様が帝国に行ってから、国境部隊が目を光らせてておっかないのに……」



 国境越えをする際、何回撃たれそうになったことかとレイモンドは辟易とした様子でぼやいた。



「その王政派のネズミってのはどんな奴なんだよ。なんか特徴とか話してなかったのか、その総督さんは」


「配達員か商人の格好をした男。歳は三十から五十の間。以上」


「はぁ? それだけ?」



 ネルが話していた王政派の特徴を、一言一句違わずに口にすると、レイモンドがげんなりと表情を歪めた。

 非難はもっともだ。誰にでも当てはまるようなものを特徴とは言わない。



「捕まえた連中が情報を吐かないんで、特徴もよくわかってないらしい」


「……なるほどねー。今の話だけ聞くと、知ってる範囲で一番怪しいのはレイモンドかな。配達員だし、歳もそれぐらいだし、ネフリト越山道の国境にも週一で行くしさ」



 リリウスは長くなった灰を落としながら、からりと笑う。



「たしかに。真っ昼間から堂々と仕事をサボってるって情報がでてきたら、レイモンドのおっさんがクロだな」



 リリウスの冗談にスレンが乗っかると、レイモンドは「こんなサボりまくりの王政派がいてたまるか」とむくれる。



「ま、収穫はないとは思うが、一応気には留めとく。期待すんなよ」



 頼りになるのかならないのかわからないが、レイモンドは行動範囲はスレンの知り合いの中で一番広い。

 何か分かれば、儲けものぐらいの気持ちでいることにした。



「レイモンド。ネズミ探しだけじゃなくて、さっき頼んだ物、今日中に隣村に運んどいてよ」


「……はいはい、行きますよ」



 いつものように駄々をこねることなく、レイモンドは大人しく短くなったタバコを地面に捨て、立ち上がった。



「よろしくね。あと、荷物渡すついでに、うちの教会も鐘が壊れたって連絡しといて」



 レイモンドは気怠そうに「へいへい」と返事を返す。

 木の柵にかけていた配達かばんを肩にかけると「だるいな」とぶつぶつ文句を言いながら、村の外へと向かっていった。



「おっさんも仕事いったし、わたしもそろそろ行くわ」



 リリウスはタバコを咥えたまま、上の空でうなずいた。

 いつもなら笑顔で見送ってくれるのに、様子がおかしい。



(変なのはわたしじゃなくて、リリウスなの方じゃないか……?)



 そう怪訝に思っていると、リリウスが「スレン」と躊躇いがちに名前を呼ぶ。

 小首を傾げて振り返ると、リリウスはひどく億劫そうに口を開けた。



「ひとつだけ教えてほしいんだけどさ……。里に来た解放軍の総督さんってさ、もしかしてネル・ヴァルデミアって名前の優男じゃない?」



 リリウスの口からその名前が出るとは思わなかった。

 スレンがうなずくと、リリウスは火傷痕を隠すように右頬を手で押さえた。

「やっぱりかー」とぼやき、大きく項垂れる。



「知り合い……なのか?」



 リリウスは肩を落とし、辟易とした様子でうなずいた。



「国境戦争で同じ部隊だったんだよ。……そっか、あいつそんな偉くなったんだ」


 

 かつての戦友の活躍を喜んでいるように聞こえたが、顔を見ると違った。

 厄介なことになった、といわんばかりに、大きく眉を下げている。



「……スレン、いいかい。あいつはおれと同じ、悪い大人だ。うまい言葉に騙されちゃだめだよ」


「……悪い大人って」



 リリウスは自分も含めて、悪い大人とはっきり言い切る。思わず苦笑が漏れた。

 しかし、当のリリウスは茶化しているようではなかった。いつになく真剣な顔をしている。



「特に、真面目な顔して、綺麗事を言ってくるときは要注意だよ。……そんなときは大抵、腹の中ではあくどいことを考えてるからね、あいつ」



 経験者なのか、リリウスは薄青の瞳を伏せて、うんざりしたように言う。



「……みんな、あいつの見てくれの良さに惑わされて、ころっと騙されて、地獄を見るんだ」


「……そんなに、なのか?」


「あぁ。あれは悪い大人のいい見本だよ。断言する。堅物なくせして、ふわふわとした理想主義者で……ほんと、救いようがない」



 理想主義者。というのはなんとなくわかる気がした。

 ネルはオルダグを恨んでいないと言った。



(……まぁ、実際、恨んではいるんだろうな……)



 リリウスの話を聞いて、ネルに抱いていた不気味な違和感の正体の輪郭が掴めた気がした。


 理想を語るネルの目に偽りはなかった。けれどネルも人だ。暗い感情を抱くこともある。



(今日だって、ゾルグが総督さんの逆鱗に触れたっぽかったし……)



 ゾルグがポロリと漏らした『自分も戦争に行っていれば……』という言葉。

 戦前の――オルダグがドラゴラードを知るネルからすれば、耐え難い一言だったに違いない。


 ネルにも立場もあるし、ゾルグは一応里長の息子だ。

 事を荒立てないために、ネルは物理的にゾルグから距離を取ったのではないか。



(……総督さんも人間だし……)



 ネルはオルダグをどこかで恨んでいる。

 しかし、理想のため、割り切ろうとしているのではないか。


 王政派が国境で不穏な動きを見せている今、ネフリト山を知り尽くしている土着のオルダグを仲間に引き入れるのは益になる。



(もし、そうだったら、あのとき『冬寒ければ、芋うまし』って言ったの、も納得できる)



 山狩に来るよう指名された朝、ネルは気の抜けるような冬聖女の教えを口にしていた。

『冬寒ければ、芋うまし』は苦手なものでも、きちんと向き合い特性を知れば、有効活用することができるという教えだ。


 オルダグは憎い。しかしうまく使えば、戦火を防ぐ尖兵になるかもしれない。

 あの暗い目の総督は、そう考えたのではないだろうか。



(……だとしたら、わたしは……)



 なおさら、ネルの手を取るべきではないか。

 スノーゼンを守ることもできるうえ、ネルへの罪滅ぼしもできる。



「……あのさ、リリウス」



 スレンは声を絞り出した。

 こわごわとしたスレンの声を聞き、リリウスが不思議そうにこちらを見てくる。



「実は、総督さんに解放軍に入らないかって誘われてるんだ」


「……解放軍に? きみが?」



 スレンは微笑んでうなずいた。

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