異変と心配|大人は変わりゆく少女を想う
「大丈夫」
決意を胸に短く返す。
リリウスはなにか言いたげな顔で、じっとスレンの顔を見てくる。
スレンは心配性な導師さまを安心させようと目を細め、ふわりと口元を綻ばせた。
「本当に大丈夫だよ。……さっきまで悩みごとがあったけど、二人の顔を見たら、どっかに吹っ飛んだ」
「なんだそりゃ」
レイモンドが目を丸くして言う。
「おれたち、そんな能天気な顔してる?」
「あぁ。してる、してる」
スレンは雑に話を切り上げると、積荷の紐を解いた。
馬鹿にされたと不服そうなレイモンドが鼻からタバコの煙を出す。
隣のリリウスは曇り顔のまま、相変わらずこちらの様子を窺っている。
穴が空くほど見られると、やりづらい。
意識を荷物に集中させ、教会に渡す分の肉や薬草を探す。
「風の噂で聞いたんだが、お前とゾルグ、最近解放軍と仲がいいんだって?」
レイモンドは風の噂と濁すが、話の出どころはすぐにわかった。絶対にサーシャだ。
大方、昨日サーシャの店に呑みに行った際に聞いた話が本当か確かめたいのだろう。
「最近こっちに来ないのは、解放軍といる方が楽しいからか?」
「楽しいもクソもない。里に居座られて、命令されたら逆らえないだろ」
鹿肉が入った包みをリリウスに手渡しながら、スレンは淡々と言う。
「……なんだ、おっさん。もしかして、わたしたちに会えなくて寂しかったのか?」
「もちろん!」
嫌に爽やかな口調でレイモンドは言う。
経験上、今のレイモンドに絡むと面倒だ。
相手にせず、次にリリウスに渡す薬草を探すため、再び荷物をあさる。
「スレンちゃん、冷たいな……。俺のこと嫌いになったのか」
「人の仕事の邪魔する、鬱陶しいサボり魔は元々嫌いだ」
「かわいくない! そんな無愛想な態度とってたら解放軍に虐められるぞ。解放軍の上の連中なんて、ほとんどこの能天気導師さまと同じ、国境戦争帰りなんだからな」
「……別に虐められてないし」
「またまた、強がっちゃってー! 南部の惨状を知る奴らが、お前らオルダグにお優しくするわけないだろ」
「……それが、お優しくされてるんだよな」
スレンは唇を吊り上げ、したり顔で言う。途端にレイモンドの目付きが鋭くなった。
いつも魂が抜けたような、虚ろで淀んだ目をしているのに、まるで別人のようだ。
一体何が無気力配達員を焚き付けたのか。
「……それは随分と人間が出来た人が来たんだね」
リリウスが張り詰めた空気を緩めるような、間延びした声でぼやく。
「……そうなんだよな。総督さん、ドラゴラード出身なのにオルダグを差別しないんだ。――なんかあると、『オルダグは王政の被害者だ』って真剣な顔で言う変わり者だし」
ネルの言葉を思い出すと、ほろりと笑みが漏れる。
リリウスに渡す薬草が見つかった。
これはリリウスから頼まれたものではない。
スレンが勝手に渡しているものだ。潰して出る汁が肌の乾燥を和らげてくれる。
ただの自己満足でしかないと分かっているが、スレンに出来る数少ない罪滅ぼしのひとつだ。
スレンは薬草が詰まった麻袋を手に取り、顔をあげた。見開かれた薄青の目と目が合う。
スレンと目が合った瞬間、リリウスは慌てて目をそらした。
「……なんだよ、その顔」
「いや、ドラゴラード出身者で、そんな綺麗ごと言う人がいるんだって驚いただけ。……ね、レイモンドくん」
「なんで俺に話を振るんだよ」
レイモンドが眉間に皺をよせ、不機嫌そうに言う。
「きみ、昔ドラゴラードのお貴族さまの家にいたんでしょ? 同じドラゴラード住民として意見があればどうぞ」
リリウスに促され、レイモンドは大きなため息とともに紫煙を吐き出した。
「解放軍にチクるなよ」と前置いたあと、レイモンドの垂れた翡翠色の目が、スレンを射抜いた。
「……その総督さんは相当頭がイかれてる。まともじゃない。悪いことは言わねぇから里から追い出した方がいい」
「……会ったこともないのに、お詳しいことで」
レイモンドの嫌味にスレンは皮肉で応える。
すると、目の前にいるのが本物のスレンなのか確かめるように、レイモンドが翡翠色の目をゆっくりと瞬かせる。
「んだよ……。雪男でも見たような顔して……」
「……いや、きみが庇うなんて……。その総督さんにすごくよくしてもらってるみたいだね」
「別に! そんなんじゃない!」
リリウスの微笑ましげな眼差しが気に障り、スレンは声を張り上げた。
自分でもネルを庇ったのかよくわからなかった。変なことを言った訳ではないが、なんとなく居心地が悪い。胸がざわざわして、落ち着かない。
「渡すもんは渡したからな」
「え、もう帰るの?」
「さっきも言っただろ。今日も仕事で忙しいんだ」
はっきりと言い切り、広げた荷物をまとめると、後ろで大人二人がコソコソと話し込んでいる。
陰口を叩く子供かと言い返したいが、二人のことだ。
構ってほしいからふざけているのだろう。
荷物をまとめ、しっかり荷ゾリに固定する。
スレンはまだヒソヒソ話をしている二人に会釈だけして歩き出した。
「ちょっと待て!」
レイモンドがベンチから立ち上がり、スレンの腕を掴む。
「んだよおっさん、大人しくタバコ吸っとけよ」
「いや、スレン。きみ、さっきからちょっとおかしいよ」
「……おかしい?」
リリウスとレイモンド二人揃って真顔でうなずく。
「どっか悪いんじゃない? 熱は?」
リリウスはサーシャと同じようなことを言うと、額に手を伸ばしてくる。
なぜこの村の人間は、身内でもないのに無遠慮に人の体温を測ろうとするのか。
スレンは伸びてきたリリウスの腕を、身をよじってかわし口を開いた。
「熱はないし、調子も悪くない!」
なんなんだよ、と悪態をつくとリリウスは眉を下げ表情を曇らせる。
「だってきみ、そんな真面目に働く子じゃなかっただろ?」
「そうそう。教会に来ては冬聖女さまを見たり、リリウスに菓子をねだったり……」
「あんたらと一緒にすんな! 何回も言ってるだろ、ネズミ狩りで忙しいって!」
「……ネズミ狩り、ねぇ……」
レイモンドが嫌に険のある声でぼやく。
思いかもしれないが、微かな蔑みのようなものが含まれているような気がした。
「仕事熱心なのはいいが、スレン。お前いつから解放軍になったんだ?」
顔をこわばらせて立ちすくんでいると、レイモンドが鼻で笑って、冷水を浴びせてくる。
“解放軍になった”という言葉を聞き、肩が震えた。
リリウスに目を向ける。
レイモンドが不機嫌になった理由を知っているのではないかと期待したが、リリウスも同じだった。
薄青の冷たい目は、探るようにじっとスレンを射抜いている。
解放軍の仕事がどういうことか、本当にわかっているのかと訴えるような目。
里を出る前、ゾルグに言った言葉がそのままスレンに返ってきた気がした。
(……捕まえるだけじゃない。殺すんだ)
心の中でつぶやくと、体がぶるりと大きく震えた。
鈍色の空の隙間から日が差す。
弱々しいが陽は確かにスレンの背中を温めてくれている。なのに歯が鳴りそうなほどスレンの身体は凍えていた。




