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    勧誘と困惑|心は過去と今で揺れる


*



「ちょっと―! スレン、聞いてるの!?」



 宿の女将――サーシャの声で、スレンは我に返った。

 アリノール美人を絵に描いたような女将は形のいい眉を吊り上げ、むくれている。



 頑張って頭を回しても、なんの話をしていたか全く思い出せない。



 サーシャは愛想を尽かしたように白い息を吐く。

 彼女に惚れ込んでいるゾルグであれば、ショックで三日は寝込んでしまいそうな態度を取られたが、スレンは下手な苦笑いで場を濁した。



「ちょっと、どうしちゃたのよ! 素直に謝るなんて、いつものスレンらしくなくてよ…」



 都市部の令嬢のような物言い。夏空のような明るい青の瞳を大きく見開いて、まじまじとスレンを見てくる。

 特にいつもと変わった対応をしたつもりはないが、勘がいい女将には変に映ったようだ。



「いつももっと面倒くさそうにあしらうのに、どこかの導師さまみたいにニコニコしちゃって……。本当にどうしちゃったの? 変なもの食べた? それとも熱があるの?」



 陶器のような白い手が、スレンの額目掛けて伸びてくる。スレンはとっさに体をよじり「疲れてるんだよ」とぶっきらぼうに返した。



「あー、聞いてるわよ。毎日、解放軍と一緒にネフリト山に行ってたんだって? 大変そうね」



 まだ何も言っていないのに、サーシャはあっさりとスレンの疲労の原因を口にした。さすがはスノーゼン一の情報通を自称するだけはある。

 スレンはうんざりと、その通りだとうなずいた。



「昨日、見舞金支給日だったから、リリウスとレイモンドがうちの店に来たのよ。で、最近スレンとゾルグが来なくて寂しいねーって話していてね。リリウス、あなたたちが無茶してないか、ずーっと心配してたわよ」


「……あいつはわたしの保護者か」



 むず痒くなり悪態をつくと、サーシャは不思議そうに首をひねって「保護者でしょ」と即座に真顔で返してくる。



「不安的中、ってわけね。リリウス、素直じゃないだけであなたのこと、妹みたいに思ってるのよ」



 スレンが嫌そうに顔を皺だらけにしかめると、サーシャが澄んだ声で笑った。


 リリウスが心配するような無茶はしていないと返したかった。しかし、現に今、話もろくに聞けていない姿を晒してしまった。

 なにを言っても説得力は欠片もない。スレンはサーシャから逃げるように俯いた。



「あらあら、どうしたのよ! 強がりもしないなんて……。あなた、かなりの重症ね」


「うるさいな。疲れてるんだ。用がないならもう行く」



 これ以上絡まれたくない。スレンは荷ゾリのロープを握りしめて会話を切り上げた。

 しかし相手はスレンの天敵。簡単に逃がしてくれるような女ではない。

 お節介焼きのサーシャは止まらなかった。スレンの手をつかみ、圧のある笑みを浮かべ、こちらを睨んでくる。



「あなた、今から教会に行くんでしょ? リリウスに話を聞いてもらいなさいよ」


「……一応今日も解放軍からの仕事で来てるんだ。道草食ってる暇なんかない」



 金をもらっている以上、仕事はしなくてはいけない。

 いつものように教会で休む気にはなれなかった。

 スレンの硬い声に、サーシャは大きなため息で返事をした。

 呆れられるようなことを言ったつもりはないし、なぜかサーシャはまだ腕を離してくれない。



「もうそろそろ行かないと……時間が……」


「真面目か!」



 小声で手を離すように頼んで、返ってきたのは怒声だった。

 予想外の反応に肩が跳ねる。なぜサーシャに怒られたのか。ますます考えが読めない。



「いい? 少しはレイモンドを見習いなさい」


「……いや、あんな大人見習っちゃだめだろう」



 レイモンドは配達物を運ばず、教会の前でずっとタバコ休憩をしていたり、昼寝をして数時間は動かない。そんなサボり魔を見習えるわけがない。



 スレンが冷静に返すと、癪に障ったのかサーシャは目を吊り上げた。

 腕から手が離れた。しかし離れた手はそのままスレンの頬をつまむ。



「年下のくせに生意気言わない! 解放軍も常にあんたを見てるわけじゃないでしょ? 教会に聞き込みに行ったふりしてサボりなさい!」



 サーシャはサボるようまくし立ててくる。

 いい大人が青少年に言っていい言葉とは思えないが、一言返せば百倍になって返ってくる。

 下手なことを言って天敵を刺激しないよう、スレンは慎重に口を開いた。



「……その、スノーゼンの教会は最近宝物を渡したり、リリウスと解放軍の少尉殿も仲良かったりして、怪しいところはないし……」


「関係ないわ! 最近教会に来た解放軍の将校さん。――あー、ヴァーツラフ少尉だっけ? その人の家がある隣村の導師さま、王政派とつながってて解放軍に連行されたのよ! 隣村の導師が王政派なら、リリウスも怪しいに決まってるわ!」


「そんなめちゃくちゃな……」



 とんでも論理に苦言を漏らすと、サーシャの眉間に皺が寄る。



「王都の導師もクロ、隣村の導師もクロときたら、うちの導師もクロ! 当然でしょ! いいから黙って行きなさい! それとも、善良なアリノール市民の告発が信じられないわけ!?」



 鼻先がつくほど詰め寄られて凄まれれば、なにも言い返せなかった。

 これ以上、無駄な体力と気力を使いたくない。スレンは折れることにした。


 両手を挙げ「わかった」と降参するとサーシャはにこやかに手を振り、見送りの体勢になる。

 話はまとまった。さっさと行けということだろう。



「じゃあね、スレン。ゾルグに会ったらはやく店にくるよう伝えておいてね」



 女将は愛嬌たっぷりの笑みを浮かべて、太客への言伝を押し付けてくる。



(……自分から引き留めておいて勝手な……)



 面と向かって言う度胸はない。スレンは心の中で静かに反抗した。

 サーシャに会釈をして教会へ向かって歩き出す。

 どの道、教会には肉や薬草を運ぶ予定だった。軽くリリウスと話をしておけば、文句も言わないだろう。




*




 昼下がりの村の往来は相変わらずの賑わいだった。

 帝国からの商人の数が少ないのが気になるぐらいで、それ以外は普段と変わらない。


 この前のように死体を隠して運んでいるといった緊張感もないはずなのに、歩みが重い。

 曳いている荷ゾリが、特別重いからでは無い。きっと気持ちの整理がついていないから。



 サーシャと話している間は気が紛れたが、一人になると、里を出る前、ネルがスレンに言った『解放軍に来ないかい』という言葉が鮮明によみがえる。



 なぜ自分を誘うのかと訊けば、ネルはいい質問だと贔屓の教え子を前にした教師のように、嬉しそうに微笑み、答えてくれた。



『スレン。我々が求めているのはね、君のような揺らぐことのない正義を持つ人間なんだ』



 今、ネルはオルダグの山里にいるはずだ。

 なのにネルの迷いのない真っすぐな視線が、スレンを貫いているような気がして、落ち着かない。



(……思い出すな、一旦忘れろ)



 悲しいことに、忘れろと念じれば念じるほど、ネルの言葉が鮮明によみがえってくる。



『うちに来れば、君が抱えている『罪悪感』を、軽くすることができるかもしれないよ』



 罪悪感という楔から解放されるかもしれない。

 ネルの言葉は魅力的だった。

 しかし、その選択はだめだと心の声が警告してきて、その場では首を振れなかった。

 そんなスレンの葛藤を、ネルも見抜いたのだろう。


『言い方を変えよう。我々に協力し、この国の未来のために働いてみないか? ドラゴラードの悲劇を繰り返さないために』


(ドラゴラードのような悲劇を繰り返さない……)



 スレンが大きく揺らいだのは、その一言だった。



 ネルの言う通り、南部のオルダグたちも、好きでドラゴラードを焼いたわけではない。生きるためだ。

 武器を手に戦わなければ、南部のオルダグたちは家族を炭鉱に送られ、徹底的に搾取され続けた。

 暮らしを守るためにあの戦争は必要だった。使いたくないが、一言でいうと、仕方なかったのだ。



 どれだけ悔いても過去は変えられない。

 過去が変わらなければ、スレンの中の罪悪感も消えてなくならない。

 なら、うじうじと過去に悩んで生きるぐらいなら、ネルの言う通り解放軍に入るのは建設的な生き方ではないか。


 戦いたくはないし、人殺しも嫌だ。しかし、スレンはそんな甘えたことを言える立場ではない。

 第二のドラゴラードを生み出さないようにするために働く。悲劇を未然に防ぐことで、過去の過ちを償えるような気がした。



(この平和もいつまで続くかわからない……)



 リリウスやネルが話していた、王政派が、帝国軍をアリノール国内に呼び込もうと画策している話を思い出す。


 戦火は気付かないうちにすぐそこまで迫っている。

 過去は変えられない。けれど、過去を繰り返さないよう努めることはできる。

 気持ちの天秤は傾いている。なのに里を出る前、素直にネルの手を取れなかった。



(……なんでなんだろう……)



 歩いていると考えがまとまるかと思ったが、まとまらず、『何故』の堂々巡りが始まってしまう。



「おい、リリウス。あれスレンじゃねぇーか」


 

 あれこれ悩んでいるうちに、いつの間にか教会の前。道沿いにある傾いたベンチまで来ていた。

 顔を上げると、いつものようにタバコをふかしているリリウスとレイモンドが、スレンに向かって手を振っていた。

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