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    勧誘と亀裂|経験は不和を招く


 ゾルグは困惑するスレンの手を握り、腕を上下に振り「やったなスレン! がんばろうな!」と嬉しそうに言ってくる。


 なぜスレンも一緒に解放軍に入る流れになっているのか。

 スレンは手を振りほどき、ゾルグの頭をひっぱたいた。中身の詰まっていない音が鳴る。



「なにすんだよ!」



 ゾルグが頭に手をあて、睨んでくる。



「自分の立場を考えろ!! ……おまえ、次期里長だろ!? 解放軍なんかに入ったら里長が泣くぞ」



 スレンが一喝しても、ゾルグはたじろいだりしなかった。



「まだ候補だ! 決まったわけじゃない! それにかーちゃん――いや、里長も無理に後を継がなくていい、やりたいことがあればそっちを選んでもいいって言ってたし」


(……それは後を継ぐなって言われてるのと同じでは……)



 口には出さなかったが、呆れが顔にでてしまったようだ。ゾルグがむくれる。



「なんだよ、その顔、文句あんのか! 何しようがオレの勝手だろ」


「……たしかに勝手だな」



 なにがいけないか分からない子供に、道理を説明するのは面倒だ。

 しかし、言わないと何度も同じ過ちを繰り返す。ゾルグは馬鹿ではない。言えば学ぶ子だ。



「……解放軍に入ってなにするんだ?」



 スレンは腕を組み、値踏みするようにゾルグに問う。

 ゾルグの後ろにいるネルが、綺麗に整った顎髭に手をあて、楽しそうに成り行きを見守っている。 



「そ、そりゃ、総督さんと一緒にネズミ狩りをすんだよ! ちゃんと給金も貰えるし、家に金も入れられる。こんな山の中じゃなくて、村に家が買えるかもしれないし!」



 ゾルグが声を張り上げて力説する。

 返ってきたのは予想よりもずっと浅い答え。

 スレンはたまらず辺りを見回した。


 幸い、先ほどまでこちらを窺っていたザルヒの姿は見えない。


 見張り番のザルヒのような、昔ながらのオルダグの暮らしを重んじる保守的な人間が、今のゾルグの話を聞いていたらと思うと、途端にキリキリと胃が痛くなる。



 ゾルグはスノーゼンの村に通っているから、村での暮らしに憧れがあるのだろう。彼の気持ちは分かる。


 だが、ゾルグは解放軍に入る意味を正しく理解していない。

 金がもらえるから、という理由だけで解放軍に入りたいと考えているように思えた。



「おまえ、ネズミ狩りってどういうことかわかってんのか?」



 質問を変え、再び問う。

 ゾルグは口を曲げ、眉間に皺を作る。

 子供でもわかることを訊かれ、バカにされていると感じたのだろう。



「王政派の人間を捕まえるんだろ!」



 ゾルグが胸を張って言い切った瞬間、ネルが眉をひそめ、暗い目を伏せたのをスレンは見逃さなかった。

 甘ったれたことばかり言うオルダグの青年に失望した。スレンの目にはそんな風に映った。



「なんだよその顔! バカにしてんのか!?」


「バカにしてない」



 耳元で怒鳴られ、耳がキンキンと鳴る。

 スレンの耳のためにも、お冠の同胞を適当にあしらって会話を切り上げたいが、そうも言ってられない。


 今のやり取りだけでも、ゾルグは“解放軍”に向いていないことが分かった。


 ネルがゾルグを勧誘候補から外したのは、スレンにとってはありがたいが、ゾルグ本人はきっと納得しない。

 諦めずネルに言い寄れば、いつか熱量が認められると勘違いする可能性もある。


 多忙なネルに面倒を押し付けるのも申し訳ない。

 無知な同胞に、現実を突きつけるのも同じオルダグであるスレンの仕事だ。



「捕まえるだけじゃない。殺すんだ」



 ゾルグの目を見て、スレンははっきりと軍人の仕事を口にした。

 分かりやすくゾルグが狼狽える。が、ごくりと息を呑んだ後、前のめりになって反論してきた。



「んなことわかってる! ちゃんと殺せる!」



 迷いのないまっすぐなスミレ色の目が向けられる。

 そんな澄んだ目をした人間が、人を殺せるわけがない。

 すぐに否定してしまいたかったが、スレンはぐっと本心を呑む。

 今は口論をするときではない。ゾルグの覚悟を試すときだ。



「……相手が赤ん坊を抱いた母親でも? 殺したネズミの子供が『父親を返せ』と復讐にきても、おまえは迷わず相手を殺せるか?」


「も、もちろん! 当然だろ!」 



 わかりやすく声が裏返った。

 必死に口角を持ち上げて強がっているが、スミレ色の目は、迷うように瞬きを何度も繰り返している。


 きっとゾルグ自身もわかっているはずだ。

 自分は戦場に行けない。人殺しもできないと。



「どんな相手だろうと、ネズミならぶっ殺してやる!」


「……じゃあわたしがネズミって今、ここで白状したら、やれるんだな」



 強い言葉を吐いたゾルグに向かって、スレンはトドメを刺す。


 上目でじとりと様子を窺うと、ゾルグは大きなスミレ色の瞳を見開き、かたまっていた。

 表情は曇りきり、返事をしようとしているのか、口を開いては閉じるを繰り返している。



 さすがに言い過ぎたか、と思ったが、ネルがスレンに同意するようにうなずき、言葉を引き取った。



「スレンの言う通りだよ。解放軍に入れば、人を殺めなければならない。……場合によっては、親しい人がその対象になることもある」



 ネルはゾルグに語りかけているのに、スレンをじっと見てくる。

 何を考えているのかわからない暗い藍の目と目が合う。



「誘っておいて申し訳ないが、今の話を聞いて君は解放軍に向いていないことが分かった」



 ゾルグがネルを振り返る。悲痛な、泣き出しそうな顔で。

 なぜ、どうしてと消沈した調子で尋ねる様を聞いていられなかった。



「……ゾルグ、君の優しさは解放軍でなくても活かすことができる」



 ネルが諭すようにゾルグに言うが、きっとゾルグはネルに見限られたと思ったのだろう。

 手を強く握りしめ、うなだれてしまう。



「……戦争に行っていれば、オレだって……」



 肩を震わせゾルグが漏らす。

 深い意味はない。鬱憤を晴らすためだけの言葉だ。



 場の空気が、吹雪の夜よりも冷たく凍えたものに変わる。

 拗ねていても、ひりつく空気を肌で感じ取ったのか、ゾルグは顔を上げ、気まずそうに「……あ」と声を漏らした。


 なにも考えずに口走った言葉が、スレンだけでなく、ネルの触れてはいけない傷に触れたと悟ったのだろう。



 何事もなかったようにゾルグははぐらかして笑うが、一度口にした言葉は取り消せない。


 ネルは無言のまま立ち上がると、自身の天幕の方へ歩き出した。

 ゾルグは何も言えず、立ち竦んでいる。



 機嫌を損ねられた腹いせに何か危害を加えてくる男ではないと分かっているが、ネルを無視する気にはなれなかった。



「ガキじゃないんだから、言っていいことと悪いことの分別ぐらいつけろ!」



 スレンはそうゾルグに灸をすえると、ネルの背中を追って走り出した。




 広場から少し離れた場所、鶏を放っている柵の前にネルはいた。

 ネルはすぐにスレンに気付き、穏やかに微笑んだ。

 立ち去るときに身に纏っていた、寒々とした拒絶の空気はどこにもない。

 いつも通りの、紳士然とした柔和な態度が、今は恐ろしい。



「あの場ではゆっくり話ができそうになかったからね。手間を掛けたね」


「いや、べつに……。それに謝るのはこちらの方だ。うちの同胞が申し訳ない」



 スレンは深々と頭を下げたが、ネルはすぐに頭を上げるように言う。

 恐る恐る頭を上げ、ネルの様子を窺う。

 不機嫌そうではない。むしろ機嫌良さげに口元に笑みを浮かべている。



「気にしていないよ。それよりもだ。スレン、解放軍に来ないかい?」



 唐突な勧誘に、口から素っ頓狂な声が漏れた。

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