【2-4】信念と証明|若者は新風に未来を見る
その後も、連日ネフリト山の王政派狩りに駆り出された。
結果は芳しく無く、ネズミの尻尾はおろか、初日に見つけた焚き火跡以外、人がいた痕跡すら見つけることができなかった。
ネルも、王政派の残党はネフリト山を離れたと判断し、山狩は一旦中断になった。
今後は、帝国との国境を行き交う人々の身元確認の強化と、国境付近の村落の調査に重点を置くらしい。
「皆、引き続き協力のほどよろしく頼む」
粉雪がちらつく鈍色の雲の下、ネルは今後の方針を伝え、オルダグの山狩り部隊に深々と頭を下げた。
何度見ても、解放軍の――しかも国境基地を預かる人間とは思えない腰の低さだ。
ここ一週間ほど付き従った山狩部隊の人間は次々にネルへ、労いと、王政派のネズミを必ず捕まえるといったような、やる気に満ちた言葉を贈る。
(……総督さん、リリウスと同じで、人の心に付け入るのが上手いんだよな)
一人、また一人と仕事に戻って行く中、ゾルグはネルの傍に残り、楽しそうに話をしている。
まるで上官と部下。または教え子と教師のようだ。
オルダグ社会の外を知らないゾルグからすれば、ネルの話全てが遠い国の冒険譚のように魅力的に聞こえるのだろう。
好奇心の光に満ちたゾルグの目は見ていて飽きない。けれど、同時に不安になる。
少し遠くに目を向ければ、門番のザルヒと数人の男が、こちらを倹のある顔で見ながら、ヒソヒソと話し込んでいる。
(昔気質の人間は、次期里長が解放軍と仲良しなのは面白くないだろうしな……)
解放軍は国境戦争帰りの兵士が多く所属している。
なので、かつて敵だったオルダグを嫌う者も多い。
そのせいで、なにかと解放軍の標的にされやすく、オルダグ側も解放軍をうっすらと嫌っていた。
解放軍は敵だった。だが、その感覚が今変わろうとしている。
里に来た軍人――ネルは、恐ろしいぐらい理知的な人間だった。
故郷を焼いたオルダグを恨んで当然なのに、ネルは『国境戦争を起こしたのはスノーゼン付近に住む北部のオルダグではない』と説く。
里に在中する彼の部下が、オルダグに敵意を向けず、普通に接するのは、きっとネルの影響だろう。
はじめのうちは、里の大人たちもネルの言葉を綺麗ごとと一蹴し、相手にしなかった。
だが、ネルがドラゴラード出身である話が広まるにつれ、少しずつ態度が軟化した。
なぜ、ドラゴラード出身のネルがオルダグの肩を持つのか、皆、興味があったのだろう。
ある晩、ザルヒをはじめとする保守的な里の人間がネルの本性を暴こうと酒宴を開いた。
ゲスいやり方にスレンはうんざりしたが、半分興味もあった。
綺麗事の裏に何を隠しているのか。それを知りたくて。遠巻きにゾルグと一緒に宴会を眺めていた。
山狩部隊の面々もいたので、きっと皆気持ちは同じだったのだろう。
ネルは男たちに延々と酒を飲まされ、すぐに赤ら顔になった。
トドメと言わんばかりに、酒と一緒に摂ると、意識が朦朧とする木の実を肴として勧める男がいたので、スレンは口を挟んだ。
自白剤まがいのものを客に渡すのは、さすがにやり過ぎだと思った。
『大丈夫だよ、スレン。私はこう見えて酔い潰れたりはしないからね』
酒に呑まれ、半分目蓋を閉じているのに、はきはきとした口調でネルは言うと、一気に木の実をあおった。
うつらうつらと船を漕ぎ出したネルに向かって、ザルヒが質問を投げる。
『あんた、北のオルダグは戦争とは無関係って言ったよな。……なら、南部のオルダグは憎いんじゃないか?』
意地の悪い聞き方だ。
もじゃもじゃの黒い髭に隠れている口には、ニタニタと下卑た笑みが浮かんでいたに違いない。
『そこにいる、スレンはドラゴラードにいた。南部オルダグだ。アレを前にしても、同じ事が言えるか?』
ネルがゆっくりと頭を上げる。新月の夜のように光のない暗い瞳がじっとスレンを見つめる。
本心は何を告げるのか。ネルが口を開くまでの間が永遠のように思えた。
息の吸い方が分からなくなり、頭がじんわりと痺れた頃、ネルが酒のせいで灼けた喉から声を絞り出した。
『南部のオルダグたちも、好きで戦を起こしたわけでない。あの戦争は王のせいで起きた』
そう感情を挟むことなく、淡々といつもスレンに言うのと同じ答えを返した。
(……こいつ、本気で言ってんのか)
スレンは一滴も酒を飲んでいない。なのに、ふわふわとした高揚感で頭がいっぱいになった。
『さすが総督さん!!』
隣のゾルグが叫びながら、スレンの肩を大きく揺すった。きっとゾルグも山狩の面々もスレンと同じ気持ちだったに違いない。
ネルは嘘をついていない。
オルダグを恨んでいない。その事実がわかっただけで、ひどくほっとした。
同時に『オルダグはこんな人に地獄を見せた』という罪悪感が募った。
この酒宴のあとから、里の人間のネルへの接し方がわかりやすく変わった。
ゾルグはネルの後ろを子犬のようについてまわるようになり、たぶん、スレンもネルへの接し方が柔らかくなったと思う。
若者たちの中には、ネルについていくと、解放軍に志願する者も出始めた。
今や解放軍を嫌うのは、ザルヒのような保守的な人間か、王政派のスパイぐらいだという言葉が飛び交うほど、オルダグの山里は、解放軍に友好的になっていた。
「スレン」
しっとりとした耳障りのいい低い声が、思考に耽っていた意識を呼び戻す。
顔を上げると、穏やかな笑みをたたえるネルの顔が見える。
底の見えない暗い藍の目は、やはりどこか物悲しさを宿していて。スレンの中の罪悪感をちくりと刺激する。
「今日はスノーゼンへ向かうそうだね」
いつの間に調べたのか気になったが、ネルの隣にいるゾルグが、ニヤニヤとこちらを見てくる。
すぐに情報の出どころを察し、スレンはうんざりと白い息を吐いた。
「……なんだよ、村でネズミを探してこいと?」
連日、解放軍に連れ回されっぱなしで、身も心も疲れていた。
今日は休養日にして、気晴らしがてらリリウスの様子を見に行こうと思っていたが、面と向かって頼まれると断り辛い。
「もちろん、報酬は払うよ。『労働には正当な対価を』が評議会のスローガンだからね」
ネルがにこりと微笑む。
(……金の問題じゃないんだけどな)
そうため息をついたとき、自分が仕事を振られたわけでもないのに、なぜかゾルグの表情がだらしなく緩んでいることに気が付いた。
「ゾルグ。おまえ、今日スノーゼンに配達に行くんだろ? おまえが行けよ」
「はぁ? 無理だし。オレは解放軍の皆さんの道案内っていう任務があるんだよ!」
おこぼれを狙ってニヤニヤしているのかと思っていたので意外だった。
雪を散らす微風に揺られる横髪を押さえながら、スレンはじとりとゾルグを見る。
「なら、配達はどうすんだよ。……サーシャちゃんとこ行くんだろ?」
「ついでに行ってくれよ。な? 払うもんは払うからさ」
サーシャの名前を出しても、ゾルグは折れない。
この通りと、深々と頭を下げてくる。
顔は見えないが神妙な顔をしていないことだけは、浮かれた声色で察しが付いた。
(……ザルヒのやつが里長に文句を言うのも仕方ないな)
雑用を人に押し付け、自分はネルに稼ぎのいい仕事を与えてもらう。ここ最近、ゾルグが覚えた悪い癖だ。
昔気質な大人は、最近ゾルグが里の仕事をしないことをよく思っていない。
今日もザルヒが彼の母である里長に苦言を呈しているところを、通りすがりに目にしていた。
当の本人は、大人の目など全く気にしていないようで。
解放軍の道案内につきあい、得た給金で必要なものを買うほうが、無駄な労力を使わないと一部の人間を煽るようなことを言う。
解放軍が来てから、里の空気は良くも悪くも変わった。
外の人間が来て、風通しが良くなった反面、オルダグの牧歌的な暮らしが変わるのではないかと不安に思う人間もいる。
変化を歓迎する層と、そうでない保守的な人間の間に溝ができている気がする。
次期里長として、溝を深くするような行為に加担するのはいかがなものか、という気持ちはある。
(……たしかに、金を稼ぐのは大切だけど……。こいつ、ここはオルダグの山里、ってことが頭から抜けてんだよな……)
欲に目がくらみ、周りが見えなくなっているのだろう。
ゾルグがスレンにかわりにスノーゼンに行ってくれたら、これだけ払うと金額の提示をしてくる。
聞き流し、呆れるように息を吐くと、ネルがスレンに同情するように苦笑を漏らした。
(総督さんも、総督さんだ)
オルダグにはオルダグの暮らしがある。ネルもそれを理解しているはずだ。
なのに、なぜゾルグに請われるがまま、仕事を与えるのだろうか。
ここは山里。厳冬期は村に下りれないことも珍しくない。
だから、飢えないよう、必要なものを自分たちで補っている。
これから寒さがさらに厳しくなり、食糧の余裕がなくなったとき、金で糧は買えない。
閉ざされた山里では現物が全て。金などただの紙切れになるというのに……。
「君がスレンに給金を払う必要はないよ。ゾルグ君には今日も任せたい仕事があるからね。スレンへの手間賃はこちらで出そう」
ネルはそう金をちらつかせ、ゾルグを釣る。
暗い瞳の奥底に何か野望を隠しているのではないか。
(……例えば、次期里長を買収して、この山里に解放軍基地でも作ろうと企んでいるとか……?)
そんな、あり得ない邪推をしてしまう。
「本当ですか! やったー! 評議会万歳! アリノール人民解放評議会に栄光を!」
ゾルグが、最近里の中でよく耳にするようになった解放軍の挨拶を意気揚々と口にする。
ゾルグの能天気な気の抜けた顔を見ると、頭が痛くなった。
「はは、ゾルグ君は元気だね。……どうだい、スレンと一緒に解放軍に来ないかい?」
ゾルグのスミレ色の目が大きく見開く。
嬉しそうに表情を綻ばせて、まっすぐスレンを見てくる。
(……なんで、そんな顔できるんだ)
スレンは苦い気持ちを封じようと、奥歯を強く噛み締めた。




