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    匂いと痕跡|狩人は静かにネズミを追い詰める



 谷間はスレンの予想通り、柔らかな白雪に覆われていた。



「ここからは手分けして探そう。時間は昼前まで。ネズミを見つけたら、二回空砲を鳴らして知らせるように」



 ネルの号令の後、兵士たちは散り散りになっていく。スレンたちは道案内が仕事なので、捜索には加わらなくてもいいとネルに言われたが、何もしないのも退屈だ。



(総督さんも真面目に働いてるのに、サボるのもな……)



 王政派のネズミの探索など部下に任せて、自身は高みの見物でもすればいいのに、ネルは膝下まで雪に埋もれながら、部下と一緒にあやしそうな洞穴を覗いている。



(リリウスのとこで、ずっとタバコ休憩してるレイモンドのおっさんにも見習わせたいな)



 スレンは暇そうにしているゾルグに声をかけ、兵士たちが見落としそうな洞穴を探すことにした。



 崖沿いには川や風雪の浸食によって出来た洞穴が数多くある。洞穴は遭難者の避難所となる他、獣の住処になっている場合もある。

 スレンはゾルグと手分けして慎重に洞穴を確認してまわった。



 スレンが確認した洞穴は、予想どおり、どれももぬけの殻だった。先を見渡しても、雪の上には足跡ひとつ残っていない。まじめに探すだけ時間の無駄だろう。

 ゾルグの方でなにか収穫があることを期待し、合流することにした。



「ゾルグ、どうだ?」



 穴を熱心に覗き込んでいるゾルグに声をかけると、同胞は情けないほど肩を大きく跳ねさせた。



「うわ!!」



 突然の大声に、スレンも変な声が漏れた。



「……あのさ、もうちょっと気配を出してくれないと……王政派のネズミかと思うだろうが」


「いや、自分からわざわざ声をかけるネズミなんているわけないだろ」



 大声のせいで変な音が響く耳を押さえながら、スレンが返すと、ゾルグは「それもそうだな」と素直に納得する。そのまま、また洞窟の中を覗き込む。


 中にネズミがいれば、今のやりとりで飛び出てきそうだが、静まり返ったままだ。

 ネズミはいない。なら、痕跡か何かがあったのだろうか。



「地面、見てみろよ」



 ゾルグが指さす方に目をやると、焚き火のあとが残っていた。


 スレンは中に入ってしゃがみ込み、焚き火跡を観察する。

 脆くなった炭はすっかり冷え切っていて、人がいなくなって時間が経っていることを示していた。



「……鳥の小骨か落ちてる。あと……これは胡桃の殻か?」



 ほとんど炭になった木の実の殻らしきものを指で掴んで持ち上げると、ゾルグが舌を出す。



「おまえ……よく触れるな」


「……手ぶらで帰るわけにはいかないし。一応、人がいた証拠にはなるだろ。それに、なんか変わったもんが見つかるかもしれない」


 

 改めて洞穴の外に目を向ける。周りにはスレン達以外の足跡はない。


 冬のネフリト山は日が落ちると天気が荒れる。人がいたとすれば、昨日の夕方よりも前にこの洞穴を後にしている。

 夜、雪が降らなければ、洞穴にいた人間がどこに行ったのか、方向ぐらいは分かったかもしれないが、自然に文句を言っても仕方がない。



(……焚火のあとがあるだけマシだ)



 スレンは崩れた炭を指で掴んで取り出し、他に気になるものはないか探す。


 ネズミは帝国と行き来しているとネルは言っていた。

 帝国側の携帯食の包みなどが見つかれば、とりあえず解放軍が喜んで食いついてきそうだ。



「なぁスレン、この洞穴匂わないか?」


「匂い? ……なんだ、また死体か?」



 つい最近匂いに誘われて、王政派かもしれない導師の死体を見つけたばかりだ。

 スレンが冗談混じりに言うと、ゾルグも「笑えないからやめてくれ」とうんざりしたようにぼやいた。



 ネフリト山は、帝国とアリノールの交通の要所だ。春から秋にかけては穏やかな天候の日が多いが、冬になると表情が一変する。

 気まぐれな天気、深い雪に行く手を阻まれ、遭難者が後を絶たない。



 運悪く人通りの少ない谷底まで迷い込んだ遭難者は、風雪をしのぐため洞穴に身を潜める。自力で脱出できる者、救助される者ばかりではない。当然、凍死者も出る。



「なんだろう、前の死体の匂いとはまた違うんだよな。……生き物の匂いじゃない……なんていうか、煙いんだよ」



 ゾルグは必死に感じとった感覚を言葉に訳している。“煙い”という言葉にスレンは訝しがりながらも、小鼻を膨らませた。



(……煙いって、焚火の煤臭さとはまた別なのか?)



 はじめに感じたのは、洞穴特有のじっとりとしたかびの匂いだった。

 かびの匂いに混じって、微かに重くて苦い煙の匂いのようなものを感じた。



 煤とは違う、思わず眉を顰めてしまう不快な匂い。昼下がり、教会の前から漂う苦い煙の匂いと重なる。



「……あー、もしかしてタバコ?」



 スレンが疑問符混じりにつぶやくと、ゾルグは「それだ」と手を叩いた。



「なんか臭いと思ったら。そうそう、レイモンドのおっさんとリリウスの匂いに似てるんだ!」


「たしかに二人とも煙くさいけど……。言い方がな……」



 まるで二人が臭いと誤解されかねない物言いに、スレンは苦笑した。



「まだうっすらと臭うし、長居してたのかな」



 ゾルグはそうつぶやいたあと、しゃがみ込み、注意深く地面を探りだした。

 匂いがタバコのものなら、吸い殻が残っているかもしれない。スレンも吸い殻探しに加わる。



「……こんなとこにいたら、タバコを吸うぐらいしか気の晴らしようもなさそうだけど」


「たしかに。あ、あったぞ! スレン」



 ゾルグが、湿った土の中から潰れたタバコの吸い殻を摘みあげた。



「……こんなに小さくてふやけてたら、銘柄もわからなさそうだな」


「ま、人の痕跡があったって証拠にはなるだろう! 焚火のゴミとあわせて総督さんに報告だな」


「そうだな。あとのことを調べるのは、わたしらじゃなくて解放軍の仕事だし……」


「そうそう! 人がいた怪しい痕跡はあった! ……まぁ、ネズミかどうかわからないけど」



 ゾルグは服についた土や煤を払いながら、苦笑いを浮かべる。



「どのみち、しばらくは解放軍のネズミ探しに付き合わないといけなさそうだし……。適当に仕事してるふりをして誤魔化そう」



 ゾルグは「そうだな」とうなずくと、洞穴を出た。

 ネルとその部下たちを大声で呼んでいる。


 洞穴の外に出たのに、まだ鼻の奥にはカビの匂いと、重くて苦い煙の匂いがしつこく残っていた。

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