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    不吉な予感と聖人|沈黙の亡骸は疑念を生む



 この嫌に綺麗な死体は、誰かが仕掛けた罠かもしれない。そんな不吉な予感が、スレンの胃を重くした。


 金目の物を探すのに夢中なゾルグに話しても、きっと『考えすぎ』と一蹴されるだけだろう。


 深刻に捉えすぎだと思うが、スレンの過去の経験が、この死体はきな臭いと警鐘を鳴らし続けている。


 

(……悩んでも仕方ない。怪しいと思うなら、調べればいいだけだ)



 そう腹を括った瞬間だった。突然、ゾルグが大きな声を上げた。

 何か金目のものを見つけたようで、眉間の皺が消えてなくなる。

 しかし、すぐに都合よくお宝は転がり込んでこないと思い知らされたようだ。

 ゾルグの笑みは、泡のように儚くしぼんでいく。



「……知恵の盃の首飾りって。……このじいさん、教会の坊さんかよ」



 肩を大きく落とし、この世の終わりのような声でゾルグが嘆いた。



(……教会の人間が、こんな山中で行き倒れてる?)



 スレンはまじまじと、ゾルグが見つけた知恵の盃の首飾りを見つめる。


 知恵の盃は、聖智恩教会(せいちおんきょうかい)の象徴だ。

 言われてみれば、死体が身につけている白いローブは、知り合いの導師が着ている服に似ている気がした。



 鈍い光を反射する首飾りが、スレンが死体から感じ取った嫌な匂いの元のような気がした。



「……オレのワクワクを返せよ、クソ坊主」



 スレンたちオルダグ族は土着の神を祀っているので、聖智恩教会(せいちおんきょうかい)の信者は少ないが、この国に住むアリノール人のほとんどは信徒だ。

 どれだけ宝石や銀で飾られていても、神の知恵の象徴を買い取る罰当たりな商人はいない。



「久々にサーシャちゃんの店で飲めると思ったのに……」



 ゾルグはしなしなと萎んだ表情で嘆く。

 その後も、信者には聞かせられないような言葉を吐きながら、ゾルグは死体の乱れた衣服を丁寧に整えていた。



「……文句言うくせに、ちゃんと服は整えるんだな」


「当たり前だろ。教会の坊主だぞ! 雑に扱って、祟られたらどうするんだよ!」


(……祟りって……)



 スレンの心内を読んだかのようなタイミングで、ゾルグの手が止まった。

 心の中を読めるはずはないし、呆れを顔にも出していない。

 訝しげな目と目が合う。スレンは笑ってはぐらかした。



「なにヘラヘラ笑って、突っ立ってんだ!!」



 ゾルグが怒鳴ると、近くのモミの木から雪が落ちた。雪崩でも起こせそうな大きな声を至近距離で浴び、耳から変になりそうだった。



「この坊主、リリウスのとこに連れてくんだろ? おまえも手伝えよ!」



 スレンが耳鳴りを止めようと、耳たぶを揉んでいると、ゾルグが指を向けて言う。

 リリウスと、知り合いの導師の名前が出て、スレンは首を傾げた。



「なんでわざわざスノーゼンまで行くんだよ」



 リリウスはスノーゼンの村の教会の管理人だ。

 確かにリリウスなら死体を弔ってくれる。

 だが、知り合いでもない行き倒れを、わざわざ村まで運ぶと言ったゾルグの意図がわからなかった。



 きょとんと立ち尽くしていると、ゾルグが信じられないものを見るような、冷ややかな目で一瞥してくる。



「……もしかして、そこら辺に埋めるつもりなのか?」


「ああ。冬だし。掘り起こして食うようなやつもいないし……」



 スレンが淡々と考えを口にすると、ゾルグがはっきりと呆れを顔に滲ませる。

 なにがおかしいのか分からず、口を閉ざすとゾルグが白い息を吐いた。



「そこら辺に埋めるわけにはいかないだろ!!」


「……たしかに、病死かもしれないから埋めるのはよくないかもしれないな。けど、近くに人里も水源もないし大丈夫だろ」


「そういう問題じゃない!!」



 生まれも育ちもネフリト山、外の世界を知らないゾルグに「常識がない」と叱られるとは思わず、スレンは目を剥いた。



「あのなぁ、教会の坊さんだぞ!? 獣じゃないんだ! ちゃんと葬式しないといけないだろう!!」



 正直、ゾルグの理屈はよく分からなかった。

 これ以上ゾルグのがなり声を聞くと、耳が変になる。

 スレンは口を閉じ、曖昧に相槌をうつ。

 反論はやめ、大人しくゾルグの指示に従うことにした。



「ソリに乗せれば、スノーゼンに運ぶのも苦労しないだろう」


「……そうだけど、白昼堂々と死体運びなんてしたら、解放軍に目をつけられるぞ」



 リリウスがいるスノーゼンの教会に行くには、村の大通りを抜ける必要がある。

 村人になら死体を見られても、気味悪がられるだけで済むが、治安維持を行う“解放軍”に見つかれば話は別だ。



「最近、ネフリト山の国境にいる解放軍がピリピリしてるって評判なのに。死体運んでるとこを解放軍に見つかって“取調室送り”にされたら笑えないぞ」



 ゾルグの顔色がみるみる青くなる。

 半分脅し、もう半分は事実だ。今、この国は内戦で治安がよくない。

 スレンたちのような、アリノール人でない少数民族は何かと目をつけられやすい。

 運悪く、点数稼ぎをしたい兵士にあたれば、殺しの濡れ衣を着せられる可能性もある。



「ま、まぁ、解放軍がいても、いなくても、死体をむき出しのまま運ぶのは晒し者にするみたいで嫌だしな……仕方ない!」



(……どのみち死体は運ぶんだな……)



 脅せば、どこか適当な場所に死体を埋めようという話になるかと思ったがダメだった。

 ゾルグが自身の荷ゾリへ向かい、がさごそと何かを探し始める。

 雪の上に携行食の入った袋、敷物を放り出し、鹿の毛皮を何枚か取り出した。



「適当に包めば荷物っぽく見えるだろう!」



 人目につかないようにするため、休憩時に使う敷布や毛皮などを死体に巻き付け、荷物に見えるように偽装する。

 準備が整うと、今度はどちらが死体を運ぶかという話になった。



 ゾルグは「見つけたやつの責任」だとか「オレは死体なんか運びたくない」と言い、運ぶのを拒否する。


 見つけたのはスレンなので、スレンが死体を運ぶことにした。

 その代わり、スレンのぶんの荷物をゾルグが運んでくれることになった。



 二人分の荷物と死体だと、おそらく死体の方が軽い。

 素直ではないゾルグの優しさに、スレンは心の中で礼を言い、目的のスノーゼンの村へと歩みを進めた。




*




 スレンたちがスノーゼンの村に着いたのは、太陽が真上を通り過ぎた頃だった。



 荷ゾリを曳き、村の大通りを進む。

 雪掻きがされ、綺麗に舗装された道は歩きやすいのに、気は重い。


 すれ違う人が皆、スレンの荷ゾリを見ているような気がして、動きがぎこちなくなる。


 スレンとゾルグは山里から肉や薬草を売りにスノーゼンによく下りてくるので、村人に不審がられることはない。

 顔なじみがいれば、軽く会釈をしてやり過ごせばいいだけ。難しいことではない。



(……わたしは、なにもやましいことはしてない)



 むしろ、見ず知らずの行き倒れを弔おうとしている。何か言われたら、素直に経緯を話せばいいだけだ。



 村の中心部に近づき、行き交う人が増えると歩く速度が自然と速くなる。

 後ろのゾルグもスレンと同じ気持ちかと思っていたが、そうでもなかったようだ。



「スレン、はやい」



 ゾルグの不満を背中で聞き、スレンは目を閉じて長いため息をついた。

 速度を上げろと言いたいが、ゾルグに荷物を運んでもらっているので強くは出られない。仕方なくスレンが折れることにした。



 スレンは胃がきりきりしてたまらないのに、後ろのゾルグは、毛皮や肉を卸しに来た時と変わらない調子で、ふらふらと歩いている。

 死体を積んでないから、なんともないふりができるのだろう。



(……やっぱり、ゾルグに死体を任せたらよかった)



 痛む胃をさすったときだった。



「ゾルグー!」



 王都の劇団で活躍する女優のような、華やかな顔立ちの美人が、ゾルグを呼ぶ。


 ゾルグに気付いてもらおうと、白い手を振るたびに、ひとつに結ばれた金髪がさらさらと揺れる。

 げっ、とスレンの口から、年頃の乙女らしからぬ声が漏れた。


 

 死体に気を取られ、昼下がりの大通りにはスレンの天敵がいることを失念していた。

 スレンの天敵は、いつも昼間は、宿の食堂に客の呼び込みをしている。仕事だからいて当然だが、今日だけは何か理由をつけてサボっていてほしかった。



(……ゾルグ、死体をどうにかするのが先だぞ)



 ゾルグが死体を運ぶことを優先してくれることを祈ったが、徒労に終わった。



「サーシャちゃーん!!」



 主人に名前を呼ばれた、愛玩犬のような甘ったるい声でゾルグは女の名前を叫ぶ。

 そのまま道を逸れ、女神のように微笑む女の元へ一目散に駆け寄る。


 もしゾルグに犬のような尻尾が生えていれば、千切れそうなほど激しく左右に振っていただろう。



「バカ!! 寄り道しないでさっさとリリウスのとこ行くぞ!!」



 スレンの声に反応したのは、ゾルグではなく天敵のサーシャだった。



「あら、ゾルグ。あなた、導師さまのところに行くの?」



 サーシャは胸の前で腕を組み、蠱惑的に微笑んだ。



(……口が軽いゾルグを狙いやがって)



 舌打ちをしたいが、感情を表に出せばサーシャが喜ぶだけだ。荷ゾリのロープを握る手に力を込め、平常心を保とうとする。



 スレンが必死に自分を律しているのに、ゾルグはだらしなく鼻の下を伸ばしている。

 以前、恋は盲目という言葉を、これから行く教会の導師リリウスが教えてくれた。



(……恋は毒……とかの方がしっくりくるかも……) 



 完全に死体のことなど頭から抜け落ちている同胞を一瞥しながら、スレンはぼやいた。



「そんな大きな荷物持って? 導師さまになにを頼まれたの?」



 サーシャの瞳が、スレンたちの荷ゾリに向けられた。

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