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    総督と少女2|過去は二人をつなげる


 突然歩みを止めたネルにあわせ、スレンも立ち止まる。



「……私は君の気持ちも考えずに、無神経なことを言ってしまったようだ。本当に申し訳ない」



 ネルは被っていた軍帽を脱ぐと、深々と頭を下げた。

 撫でつけられた金の髪が風に乱され、顔に垂れる。



「な、なにして……」



 突然、かしこまった態度で謝られ、虚を突かれた。

 真っ先に湧き上がったのは、意味が分からないという気持ちだった。開いた口から情けない声が漏れる。



「ぐ、軍の中じゃあ、そうヘコヘコ頭を下げてたら許されたのか?」



 罵声を浴びせるつもりで開いた口からは、動揺で震える迫力のない声が出た。

 一方、ネルは言い返してこない。ただ黙したまま頭を下げているだけ。



 コハル鳥の気の抜けた鳴き声と、木から雪が落ちる音が沈黙を掻き消す。


 これでは一方的になじっているスレンが悪いようではないか。

 いたたまれない気持ちになり、スレンは乾燥した下唇を強く噛み締めた。うっすら血の味がする。



 昨晩からわけのわからない綺麗事を浴びせられた鬱憤も溜まっている。

 いい機会だ。相手が何も言い返してこないなら、気が済むまで罵声を浴びせてやれ、と本能が嬉々として言う。


 一方で、冷静なもう一人の自分が待ったをかける。

 もしスレンたちが遅れていることに気づいたゾルグや、ネルの部下たちが戻ってきたら、この場をどう取り繕うつもりだ。そう凪いだ声で問いかけてくる。



(……ゾルグはまぁ、なんとか言いくるめられるからいいけど……) 



 ネルの部下は厄介だ。確実に揉め事になる。

 それに今、揉め事になれば、自制が利く気がしない。



 一時の感情に流されて、やはりオルダグは野蛮だと嗤われる原因を作ってはならないという理性の声が勝った。

 スレンは握りしめた拳を緩め、舌打ちをした。



「頭上げろ!」



 少し間を置いてから、ネルはゆっくりと頭を上げた。

 軍帽を胸に押し当てたまま、じっと藍の目を向けてくる。

 小娘に怒鳴られても、不服そうな顔をしない。ただ、神妙な顔でこちらを見てくる。

 そんな顔で見られても、火に油を注ぐだけなのに。

 スレンは腕を組み、鼻を鳴らした。



「簡単に頭を下げるなよ! あんた、国境基地のお偉いさんなんだろ!」 


「……階級など関係ないよ。人を不快にさせたら謝る。これが人の道理だろう?」



 なにが道理だ、と血の味がする口から低い声が漏れた。

 言葉は漏れたが、感情に任せて怒鳴らなかった自分はよくできた方だと、なけなしの理性が褒めてくれる。



「……わたしは、あんたに謝られるような人間じゃない」



 一人自虐的にぼやくスレンを見て、ネルはふと口元の力を緩め、弱々しく微笑んだ。

 その目はさきほどの、憐れみに満ちた目とは全く異なっていた。



「……やはり君は、私に似ているね」



 スレンを真っ直ぐ捉える藍の目は暗く濁っていた。

 蛇の目のようにぞっとする目付きなのに、下がった眉と一緒に見ると、泣き出しそうになるのを必死に我慢しているように見える。


 表情からは、何を思ってスレンとネルが似ていると言ったのか真意が読めない。


 ただ、綺麗に取り繕っていた善人の仮面の一部は剥がせた気がした。

 悲しげに細められた目には、ネルの本心が宿っているようで。新月の空のように暗い藍色の目を見入ってしまう。



 これ以上、ネルの心を覗いてはいけない気がした。

 しかし、自分と似ていると言う男を知りたいという好奇心も湧き上がってくる。

 ぐしゃぐしゃの感情が整理できないまま「スレン」と名前を呼ばれる。

 スレンは一歩後ろに下がって距離を取り、ネルを指差した。



「次から次へと変なことばっか言いやがって! 一回医者に頭診てもらった方がいいんじゃないか?」



 どれだけ冷たい言葉を吐いても、拒絶しても、暗いネルの目は、スレンに向けられたままだった。



「あんたみたいな冷血な軍人と一緒にされて喜ぶとでも思ってんのか!?」


「……確かに。君は一緒にはされたくはないだろうね」



 ネルは目を伏せ、口元を綻ばせた。白い息が漏れる。



「けれど、君を見ていると、若い頃を思い出すんだ」


「若い頃?」


「あぁ。……ドラゴラードで……子供を殺すことに耐えきれなくなって、死のうとした頃のことを、ね」



 その場しのぎで吐いた嘘と思いたいが、あまりにも重い告白だった。



「……死のうとしたって……」



 スレンは疑うような目でネルを見た。

 ネルは、口元に悲しげな微笑をたたえ、遠くを見ていた。ドロドロとした感情が宿る藍の瞳に吸い込まれそうになる。



「本当……なのか?」


「あぁ。本当だよ。……ドラゴラードのオルダグとも仲は良かったから。……自分が動けば、この悲惨な戦いを変えられるって意気込んで……」



 ネルは言葉を切ると、過去から逃げるように、目を伏せた。

 ネルの境遇を想像し、同情しそうになったが、黒いコートの下のくすんだ赤の制服が目に入り、思いとどまった。



「……なにが罪悪感に押しつぶされそうになっただ!」



 絆されてたまるかとスレンは吠えた。



「人殺しが嫌で、死のうとしたなら、なんで今も軍人なんかやってるんだよ!」


「……何故今も人殺しの軍人をやっているのか……か。いい質問をするね」



 穏やかな声で噛みしめるように言ったあと、ネルは軍帽を持つ手を大きく振った。

 視線の先には彼の部下がいる。遅れているスレンたちの様子を見に来たのだろう。



「……ほんと、どうしてだろうね」



 ネルは軍帽を被り、辟易とした様子で自問する。目元に帽子の影がさす。



「……罪滅ぼしのため……なのかもしれないね」



 独り言のようなつぶやきだった。

 なんて返していいか分からず、立ち尽くしていると、ネルが「行こう」と声をかけてくる。



 見上げたネルは笑みを浮かべている。

 しかし、いつものような、何を考えているかわからない完璧な笑みではなく、リリウスと同じ、本心を覆い隠す下手な笑みだった。



 ネルがゆっくりと歩き出す。スレンもそれに続いた。


 さっきまで饒舌だった男が静かになると、落ち着かない。

 遠くから聞こえてくる、忙しないコハル鳥の鳴き声が場をつないでいた。



「……罪滅ぼしで軍人やってるって言ったよな」



 息が詰まり、スレンは口を開いた。

 ネルが、罪滅ぼしのために軍人を続けていると言ったことが引っかかっていた。

 尋ねてみたが、口にしてから、もっと軽い世間話を振ればよかったと後悔した。



「罪滅ぼしなんて、大層なことを言ったが、実際はただの自己満足……だね」



 ネルは乾いた声で自嘲した。

 どういう意味か分からなかった。続く言葉を待っているとネルがため息と一緒に口を開く。



「……スレン。君は泣き落とし作戦を知っているね?」



 話をふられ、スレンは暗い顔でうなずいた。



 オルダグのとった戦い方の中でも上位に入る最低最悪の作戦。それが泣き落とし作戦だ。


 囮役が逃げ遅れた子供のふりをして、敵兵士を袋小路に誘い込む。

 敵が釣れたら、物陰に潜んでいる大人たちが兵士に向かって攻撃をするといったものだ。



 顔を焼かれたリリウスや、我が子と向き合えなくなったヴァーツラフなど、スレンの知る王国軍側の従軍経験者は皆、この作戦でなんらかの傷を負っている。



「さっき死のうとしたと言っただろう? ……私はその囮役の子供に、殺してもらおうと思ったんだ」


「どうして……そんなことを」


「……ドラゴラードの惨状を目の当たりにして、心が折れたからだよ」



 ネルは死人のように穏やかに笑った。

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