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    赦しと真の敵|真実は少女の心を焼く


 ドラゴラードという都市の名前と国境戦争がすぐに結びついたのだろう。会話を聞いていたゾルグが、心配そうな声でスレンと名前を呼んでくる。



「平気だ。そんな顔すんな」



 ゾルグの気遣わしげな視線に、こわごわとした固い笑みで応えたあと、スレンはネルを一瞥した。



「ドラゴラード出身の総督さんは、復讐のためにわざわざわたしを指名したのか?」



 相手の出方を窺うため、スレンは煽るように言う。

 安い挑発で釣れたのは、ネルの部下たちだけだった。

 不興を買ったようで、刺すような視線を向けられる。



(……ずいぶん上官思いなことで)



 ひりつく空気を肌で感じながらスレンは揶揄する。

 頭に血がのぼった相手の方がやりやすい。

 ネルの部下たちが怒りに任せて口を割るように仕向けるため、スレンはさらに小馬鹿にするように鼻で笑った。



「……やめなさい」



 膨れ上がる不穏な空気は、ネルの静かな一言によってしぼんでいった。

 ネルは争いことを厭うような物憂げな表情で、じっとスレンを見てくる。



「不安にさせてしまう物言いだったね。申し訳ない。……深い意味はないんだ。ただ単純に、また同郷の子に会えて嬉しくてね」


「あんた、正気か?」



 即座に出たスレンの声は高く引きつっていた。

 兵士たちから射抜くような目で睨まれようが、鳥肌が立つほどのぞわりとした不快感は誤魔化せない。



 国境戦争でドラゴラードを焼き、瓦礫の街にしたのはオルダグ族だ。

 その一員であるスレンを前にして、ネルは恨み言をぶつけるわけでもなく、同郷の子に会えて嬉しいとのたまったのだ。



 ネルの考えが全く理解できない。

 混乱のあまり、目の前の男は本当に同じ人間なのか、という意味の分からない疑問が頭の中に浮かぶ。


 ネルの、怒りを微塵も感じさせない穏やかな表情がただ恐ろしい。

 まるで得体の知れない怪物が人間の真似事をしているかのようで。警戒のあまり無意識のうちに全身に力が入る。



「私は正気だよ。でなければ西方の国境基地を任せてはもらえないからね」



 固まるスレンをよそに、ネルは声を上げて軽やかに笑う。



「そして、先ほどの言葉も嘘ではない。私はまた南部のオルダグと会えて、本当に嬉しいのだよ、スレン」



 ネルは再び、嬉しいとはっきり口にする。

 何度同じことを言われても、スレンの気持ちは変わらなかった。

 なにを企んでいるかわからない目の前の男が、ただ恐ろしい。

 叶うなら今すぐ自身の天幕に引っ込んでしまいたかった。



「……余計警戒させてしまったかね?」 



 こちらの心の内を見透かしたような言葉に顔が引きつった。

 言葉で距離を縮めることはできないと悟ったのか、今度は物理的に距離を縮めてくる。

 思わず後ずさりをすると、ネルは悲しげに眉を下げた。



「怖がらないで。私は君を敵とは思っていない」


「敵と思ってないなら、何なんだよ……!」



 スレンは上擦った声で叫んだ。


 どれだけ拒絶してもネルは足を止めない。伸びてきた手がスレンの腕を掴む。

 幸いなことに力は強くない。振り払おうと思えば簡単に振り払える。



「同志だよ」



 腕を振り払おうとした瞬間、ネルは一切迷いのない声で囁いた。

 雷に撃たれたような衝撃、とはきっとこのことをいうのだろう。

 ただただ頭が真っ白で。言葉の意味が理解できなかった。ネルの手を振り払おうとしたのに、手も動かない。



 スレンにしか聞こえないような小さな声で、ネルは続ける。 



「確かに、君たちオルダグはドラゴラードを焼いた。国境戦争で我々を完膚なきまで叩き潰した恐ろしい敵だ。……恐ろしさを知っているからこそ、私は君たちを仲間に加えたいんだ」



 言葉がでなかったが、ようやく腕は動いた。

 気が付くとスレンはネルを突き飛ばしていた。


 恥を捨て、ゾルグの背に隠れてネルから距離を取る。

 動揺するスレンと異なり、ネルは涼しい顔のままだった。



 なぜ一人だけこんなに心を乱されなければならないのか。

 分別のつかない強い感情は、徐々に怒りへと変わっていく。



「スレン、お前顔真っ赤だぞ! 総督になに言われたんだよ!?」


「……秘密だよ。ね、スレン」



 ネルがいたずらっぽく笑うと、ゾルグが「おぉ……」という感嘆の声と一緒に目を瞬かせた。



「……なんか、大人だ。……あのスレンも顔真っ赤になるわけだ……」



 スレンは余計なことを言うゾルグの背中を力いっぱい殴った。

 八つ当たりではない。見当違いかつ、癪に障ることを言ったゾルグへの正当な制裁だ。


 

「解放軍が人手不足なのは本当みたいだな。……南部のオルダグはこの国の敵だぞ!」



 スレンはゾルグの背中越しに叫ぶ。

 喧嘩に負けた子供の負け惜しみのようで、我ながら惨めな気分になる。

 同時に、南部オルダグはアリノールの敵。そう口にした言葉が、スレンの心の古傷を抉った。



 鉱山での強制労働を拒み、アリノール王国と敵対したオルダグ族は、ドラゴ山脈の鉱山資源を狙う共和国と手を組んだ。

 オルダグ族は自由を、共和国はドラゴ山脈の莫大な資源を手に入れるため、ドラゴラードを攻撃し、地獄の国境戦争が始まった。


 ドラゴラード出身のネルが、故郷を破壊しただけでなく、敵国へ売り渡したオルダグ族を、恨みもせず仲間にしたいと言うなんて異常でしかない。

 頭のネジが数本外れているとしか思えない。



「勘違いしているようだが、我々の敵は君たちではない。むしろ君たちの敵と、我々の敵は同じなんだよ」


「……はぁ?」


「我々、アリノール人民解放評議会の敵は、王という旧時代の権威に縋る、王政派なのだよ」



 突然始まったネルの高説を、部下の兵士たちは目を閉じ、大きく首を縦に振りながら聞いている。



「君たち南部のオルダグが武器を取らなければならなかったのは何故かな?」



 こちらをまっすぐ射抜く藍色の瞳が恐ろしい。

 言葉が喉に詰まって出てこないスレンに構うことなく、ネルは淡々と続ける。



「そもそもの話だ。王やドラゴラード領主が、オルダグ族を無理やり鉱山へ連れていかなければ、戦争は起きなかったのでは?」


「……そ、それは……」


「ドラゴラードはオルダグも暮らしていた街だ。理由もなく故郷を焼く人間などこの世にはいないだろう」



 評議会がこの国を支配するようになってから、国王によるオルダグ族弾圧の事実が表沙汰になった。


 評議会からすれば、王が隠していた都合の悪い事実を晒すことで、王政がいかに既得権益者だけを潤し、市民を虐げるものだったかを喧伝する狙いがあったのだろう。


 実際、王政時代、餓死者が出るほどの重税に苦しめられた農村部、戦争とは無関係だった北部を中心に、オルダグに同情する者は多い。



(……それはそう。だけど……)



 だからといって、多数の無辜の市民を殺め、街ひとつ滅ぼした事実がなかったことになるわけではない。

 いかなる理由があろうと罪は罪だ。



「……やっぱあんた正気じゃない」



 スレンはネルの藍の瞳を真っ直ぐ見て、断言した。



「わたしはドラゴラードの人間を何人も殺した。……あんたの知り合いも殺したかもしれないんだぞ」


「それが?」



 怖いぐらい凪いだ声でネルは言う。暗い目には爛々とした光が宿っている。



「君たちも国王によって、理不尽に父や兄を奪われた。確かに戦争は数多くの悲劇を生んだ。しかし、オルダグ族が家族や仲間を守るためには必要な戦争だった」



 熱のある声が語るのは、オルダグの境遇に寄り添うような言葉。

 南部の同胞が聞けば涙を流して、「そうだ」と同意したかもしれない。

 しかしスレンにとっては、耐え難い猛毒でしかなかった。



 耳に入れば最後、罪の痛みを痺れさせてしまう言葉。

 戦後、同胞たちがよく口にしていた『仕方なかった』という言葉同じだ。



 自分たちがしたことは仕方がなかった。

 同胞たちはそうのたまい、何食わぬ顔で元の生活へ戻っていった。



 街ひとつ滅ぼして、仕方なかったの一言で片付けるのは違うのではないか。

 同胞への非難めいた気持ちは、やがて態度として表にでてしまった。

 そのせいで故郷に居づらくなり、あちこち放浪し、スノーゼンで野垂れ死にそうになったのだが。



「だいぶ白んできたな。……あまり遅れては先行隊に悪い。お喋りもこのぐらいにして、我々も山狩に行こうか」



 スレンの心中を知らないネルは、優しい眼差しを向けてくる。

 いたたまれなくなり、スレンはネルから逃げるように先にひとり山へと歩き出した。



「おい! スレン!」



 いつものゾルグであれば、先に歩き出すスレンに向かって「勝手なやつ」と余計なひとことを付け足すだろう。

 しかし、今日は走ってスレンに追いつくと、なにも言わず、横に並んで歩いてくれた。

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