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    朝焼けと指名|敵意は優しさに揺らぐ



 夜明け前の一番暗い時間帯。まだ鶏すら鳴き声を上げない時間帯。

 睡眠による心地よさが頂点に達するときにスレンは叩き起こされた。


 重い目蓋を持ち上げると、秋祭りで鳴らす銅鑼のような大声が、はやく起きるよう催促をしてくる。


 天幕の中まで入ってきて、騒ぎ立てるような人間はゾルグしかいない。



「……んだよ、まだ夜だぞ」



 ゾルグに背を向けるように寝返りを打ち、スレンは毛布の中に潜り込んだ。

 ゾルグは容赦なくスレンから毛布を剥ぎ取ろうとする。


 全体重をかけて抗っても、男女の力の差に寝起きの脱力感が加わって、勝負はあっという間についてしまう。

 悲しいことに、毛布をめぐる応酬はゾルグに分配が上がった。



「朝一で山狩に行くって話、聞いてなかったのか?」



「あんなの、金目当てのやつらに任せろよ」



 スレンは薄目でゾルグの位置を確認すると、手を伸ばした。

 さっさとはぎとった毛布を返して欲しい。



 昨日夜に西部国境基地の総督ネルが、王政派の残党狩りをすると話していたのを忘れたわけではない。

 有力情報を渡せば金を出す。その言葉を聞いた大人たちのざわめきをはっきり覚えている。



 金は欲しい。が、教会が解放軍に渡した宝物から捻出されたものと思うと、やる気が出なかった。

 ネルも協力を求めただけで、全員に強制はしていない。


 どうせ、金目当ての大人が張り切る。スレンは参加する気は微塵もなかった。



 死体運びもした。解放軍の少尉の子供嫌い克服にも付き合った。ここ数日、毎日真面目に働いた。

 誰に何と言われようが、今日は休養日にあてるつもりだった。



「はやく毛布返せ。今なら一発殴るだけで許してやる」


「残念だけど、そうはいかない。おまえは総督さんからのご指名だからな」



 ゾルグの言葉の意味を理解するのに時間がかかった。


 目を半開きにしたまま固まっていると、ゾルグは勝手知ったる様子で天幕の中を物色し、着替えと外套を放り投げてくる。



「背荷物は兵隊さんが持ってくれるってよ。いつまでも寝ぼけてないで、さっさと顔洗え」


「……風邪で寝込んでるって言えよ」



 顔に命中した服を剥ぎ取りながら、スレンは不満気にぼやいた。



「ガキみたいなこと言ってないで、さっさと準備しろ! おまえも変に目立って、解放軍に目を付けられたくないだろ」



 返ってきたのは真っ当な正論だった。言い返す言葉も思いつかない。


 トドメを刺すようにゾルグが天幕の入り口の幕をめくる。

 痛いほど冷たい外気が遠慮なく入ってくる。

 スレンは服をたぐり寄せ、寝台の上で身を縮こませた。



「いいか! 五分以内に仕度しろ! 五分経ったら着替えの途中でも外に叩き出す! わかったな!」



 ゾルグが入り口の隙間に頭を挟み、トドメの言葉を突きつけてくる。



 このやりとり全てが悪い夢だったことにして、二度寝しようと企んでいたが、早々に計画は頓挫した。


 着替えの途中で外に叩き出す。スレンを女と思っていない無神経なゾルグなら本気でやりかねない。


 スレンは大きなため息をひとつこぼしたあと、渋々寝台から下りた。




*




 五分を少し過ぎてしまったが準備を整えた。

 天幕を出ると、外にはゾルグとネルとその部下らしき数人が待機している。



「遅い! 他の奴らはもう出たぞ!」 


「まぁまぁゾルグ、誰だって仕度に時間がかかるものだからね」



 ゾルグをあやすようにネルが言う。



「総督さん、女だからってあいつを甘やかしちゃダメです。あいつ、ちっさいくせして、大熊より飯を食うし、凶暴だし、なにより色々と雑なとこが……」


「……ゾルグ、おまえ今日背中に気をつけろよ」



 いつもにも増して喧嘩を売ってくる同胞に忠告したあと、ネルには素直に遅れたことを詫びた。



 ネルはスレンを責めなかった。

 むしろ「疲れているところ申し訳ない」と言ってくる。


 昨日も同じことを思ったが、西部国境基地の代表にしては腰が低すぎる。

 何か裏があるのではないか。頭が勝手に邪推を始める。



「……どうしてわたしを指名したんです? そこのバカの言う通り、兵隊さんたちを楽しませるような女らしさは皆無ですよ」 


 

 スレンは貧相な自身の体を見て、自虐的につぶやく。

 ゾルグと一緒にいることが多いせいか、よく少年と間違われる。

 解放軍が女を求めているのであれば、スレンに声がかかるとは思えない。


 何を考えて、わざわざスレンを指名したのか。

 理由が分からない以上、身の安全を守るためにも、人気のない山の中には行きたくなかった。



「そう自分を卑下しなくてもスレン。君も“北のオルダグ”とは違った魅力があるよ」



 わざわざ“北の”という言葉をつけたネルを、スレンは反射的に睨んだ。


 一方、ネルはじゃれついてくる小動物を見るような笑みで、スレンの視線をかわす。余裕気な態度が癪に障った。



「北部のオルダグは素朴で余所者にも寛容だ。――対して、南のオルダグは警戒心が強いが、親しくなれば同胞と同じように扱ってくれる者が多い。今の君は、まさに南部の人間という感じがしたよ」


「……ずいぶんお詳しいことで。総督さんの恋人はオルダグなのか?」



 スレンが嘲笑と一緒に下世話な話題を振る。

 個人的なことに言及しても、ネルは笑みを崩さなかった。

 リリウスと違い、嘘くさい取り繕うような笑顔ではないのが気味が悪い。



「なんだったか? 相手をよく知れっていう冬聖女の教訓。……昔、私の友人がよく話してくれたんだが……」



 スレンがじとりと訝しがって見ても、ネルは自身のペースを崩さない。


 綺麗に整った顎髭に手をあてながら、目を閉じ、うーんと唸りだした。

 演技なのか、本当にど忘れしたのか読み取れない。



 スレンは諦め混じりのため息をついた。

 冬聖女の教えは、リリウスからいくつか聞かされているので覚えがある。

『相手をよく知れ』という教訓も知っている。話を先に進めるため、スレンは不快感を滲ませながらも口を開いた。



「冬厳しければ、芋うまし」



 ネルもスレンと同じタイミングで、神から知恵を授かった聖女の言葉とは思えない、間の抜けた言葉を口にした。


 スレンを釣るために、わざととぼけたふりをしていたのではないか。そんな疑いの目を向ける。



 しかし当人は「よく知っているね」と役職持ちの軍人とは思えぬほど無邪気に声を弾ませた。

 まるで同好の士を見つけたかのような喜びようだ。


 虫の居所が悪く、スレンはネルから顔をそらして小さく舌打ちをした。



 “冬厳しければ芋うまし”という言葉は、そのゆるい響きのせいか頭に残りやすい。


 リリウスはこの教えを、『冬は寒く辛いけど、寒いほど芋は甘みを増して美味しくなる。苦手なものも、よく知れば有効活用できるっていう教えだ』と説いてくれた。



「私は南部のドラゴラード出身なんだが……」



(ドラゴラード!?)



 その一言で、ネルが冬聖女のゆるい教えではぐらかした感情が何なのか察しがついた。



 ネルの故郷――ドラゴラードは、オルダグ族が地獄に変えた都市の名前だ。


 スレンはわかりやすく顔をこわばらせて立ち尽くしてしまった。

 対して、ネルは嬉しそうな声色で話を続ける。



「家の近所にあった労働者アパートに、山から下りてきたオルダグも大勢住んでいてね。よく一緒に遊んだ。……懐かしいな」



 ネルは空と同じ暗い藍色の目を細めた。


 スレンに向けられたのは、予想していたような、憎悪にまみれた目ではなかった。

 静かな、異国に奪われ、帰ることが叶わなくなった故郷を想うような、どこか淋しげな目。



「君の目は、昔、労働者アパートにいた子たちと同じだ。――芯の強さが滲み出る、キラキラ輝いたスミレ色の目。間違いなく、あの街にいたオルダグの目だ」



 ネルの目は、故郷を奪った敵を見るには、あまりにも哀憫の情に満ちていた。

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