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【2-2】夜と客|紳士は穏やかに語る

◯前回までのあらすじ

王政派らしき死体を埋めたが、日常は何も変わらない。

そう信じるスレンを嘲笑うように、朝、解放軍は教会に現れた。

死体の件が露見したのではと怯えるスレン。

対して、リリウスは涼しい顔で、解放軍の少尉ヴァーツラフに教会の宝物を差し出す。


解放軍が去ったあと、金品差し出すことになったのは、スレンが運んできた死体のせいではないかと詰め寄るが、リリウスは事前に軍との取引を進めていたと言う。


煮え切らないが、嘘だと決めつける証拠もない。――リリウスの言葉を飲み込むしかなかった。


別れ際、リリウスは解放軍への従順と口外無用を厳命。

その真剣さに、スレンは複雑な感情を抱えたまま帰路につく。



 罠の中に入っていた、雪鴨をぶら下げ、オルダグの山里に戻った頃、日は山の向こうに沈んでいた。


 せっかくの獲物だが、今から羽をむしって、解体しなければならないと考えると億劫になる。



「鴨食べたかったな……」



 スレンが腹の音と一緒に力なく漏らすと、隣を歩くゾルグも無言でうなずいた。



 昨日の遅れを取り戻すため、半日中藪をかき分けて、雪山を進み、罠を回収した。

 おかげで全身痛いほど冷え切っている。体力も気力も限界でくたくただった。



 何か腹に入れたあと、すぐに湯を浴びて、寝台に飛び込みたい。

 口と目を半開きにし、死人のような表情で隣を歩くゾルグも、きっとスレンと同じ気持ちだろう。




 重い足を引きずりながら帰路についていると、里の見張りをしている髭面の男と目が合った。

 男はスレンたちの姿を見るや否や、慌てて立ち上がり、駆け寄ってくる。


 なにか用でもあるのか。スレンが立ち止まると、子供たちがどこからともなくわらわらと集まってきた。



「ゾルグ、スレン、うちのチビに荷物あずけて、里長のところに行け」



 男は、髭で隠れた口を動かして、用件だけを伝えてくる。

 疲れて頭が回らないせいか、話が見えない。

 首を傾げている間に、子供たちが甲高い声で騒ぎ立てながら、荷物をひったくっていく。


 戦利品の鴨を奪われ、スレンは「あっ」と気の抜けた声を漏らした。

 持っていくなら、処理もして、肉にしたあと返して欲しい。そんな厚かましい欲が湧いてしまう。



「んだよザルヒ。もうくたくたなんだよ。説教ならあとにしてくれよ」



 ゾルグが文句をこぼすと、ザルヒの眉間の皺が増える。



「おまえは次の里長候補だろう! 甘えたこというな! ……今、里長のとこに、解放軍のお偉いさんが来てる。次の長になる気なら、話ぐらいは聞いとけ」



 解放軍。今日一日中、うんざりするほど耳にした名前だ。

 スレンは辟易とした気分になるが、ゾルグは違うようだった。

 眉を下げ、不安そうにスレンを見てくる。



(……リリウスは解放軍が来るかもしれないって言ってたけど、もう里に来てるとは思わないしな)



 さすがは、王政派絡みだと仕事が早いと揶揄される解放軍なだけある。



 スレンがきな臭い死体を教会に運んだことを知っているのは、リリウスとゾルグだけのはずだ。

 いくら仕事が早い解放軍といえど、スレンたちを捕まえに来たわけではないと思いたい。


 あるとすれば、ネフリト山で、おそらく王政派絡みの何かがあった。で、山に入るものが多いオルダグから話を聞こうとしているのではないか。 



「なんで軍人さんがこんな辺鄙なとこに? 訓練中に誰か遭難でもしたのか?」



 推測は一旦腹の中に留め、なにも知らないふりをしてザルヒに訊く。

 髭面の男は、眉を寄せたまま、面倒くさそうに首を横に振った。



「ネフリト越山道に、王政派の大きな拠点があると商人から密告があったらしい。……で、昨日、山の案内をしろと押しかけてきやがった。それ以外のことは知らん」


「なんだよそれ!」



 ゾルグが悲鳴のような声を張り上げた。

 さっきまで死人のようだったのに、まだ声を出す体力は残っていたのか。


 突然の大声のせいで、耳と頭が痛い。スレンは、この世の終わりが来たような顔をしているゾルグをじとりと睨んだ。



「行ったらオレたちも手伝わされるに決まってるじゃん! ふざけんなよ!!」



 今にも雪の上に崩れ落ちてしまいそうなほど悲壮感に満ちた声で叫ぶ。

 うるさいが、あまりにも悲しげに叫ぶ様子に思わず苦笑が漏れた。目の前の同胞は、険しい表情のままだったが。



「うるさい! 泣き事言ってないでさっさと行け!」



 ザルヒは太い眉毛を吊り上げ、ゾルグに負けず劣らずの声量でまくし立てると、ゾルグの背中を乱暴に押した。




*




 かつてオルダグは遊牧の民だった。

 時代が移ろい、一つの土地に定着するようになっても、小屋を建てず、革や毛織物でできた天幕で暮らしている。



 北部オルダグの天幕の入り口は、二重構造になっており、分厚い入り口の布を二枚めくって部屋へ入る必要がある。


 部屋に入る際も、冷気が中に入りこまないよう、最小限しか開けてはならない。素早く入らなければならないなど、細かな決まりがある。

 正直、邪魔くさいので、スレンはいちいち守ってはいないが。



(……ほんと、疲れた日ほど嫌になるな)



 細かな刺繍が入った中布を持ち上げ、内心で毒づいた。


 なんで出入りにこんな苦労しなければならないのか。

 スノーゼンの家屋のように、扉をつければいいのにと毎回思う。


 保守的な人間――例えばさっき会った見張り番のザルヒあたりから叩かれるので、表立って口にはできないが。

 スレンは里長の天幕の入り口をめくり、中へと入った。



 入り口のすぐ脇に、くすんだ赤の制服を着た若い兵士が二人立っていた。


 見張り役だろう。

 スレンとゾルグを見るなり、銃剣を構えようとする。


 ピリピリとした害意を感知し、スレンはすぐに腕を伸ばした。後ろのゾルグを制し、自身も首を引っ込める。

 一瞬でも反応が遅れていれば、銃剣の切っ先があたっていただろう。



 スレンは武器を突きつけてきた兵士をぎろりと睨む。

 兵士は悪びれる様子もなく、はっきりと敵意を向けてくる。



(……これだから解放軍と絡みたくないんだよ……)



 疲れているので、いつもの倍関わるのが邪魔くさい。

 相手の武器が見えていなかったら、後のことを考えずに殴り返していた。



 ザルヒは、解放軍の目的は、商人から密告があった、王政派の拠点までの道案内だといっていた。

 とてもじゃないが、物を頼みに来たような態度には見えない。


 道案内の依頼は建前で、オルダグの里には取り調べできたのではないか。

 そうであれば、向けられる敵意にも納得がいく。



(……もし、取り調べならゾルグはここにいないほうがいい)



 解放軍の取り調べは色々と悪い噂が多い。


 万が一、昨日の死体の話を漏らしでもしたら、ただの取り調べでは済まなくなるかもしれない。


 疲れているゾルグには酷だが、いますぐ里を出てリリウスのところに避難したほうがいいかもしれない。

 ゾルグを軽く押すと、正面から両手を打つ乾いた音が響いた。



「誰彼構わず威嚇するのはやめなさい。……何度同じことを言わせるつもりだ?」



 ため息交じりの声がした。

 声の主は兵士たちの上官なのだろう。すぐに銃剣が引っ込み、謝罪の言葉が響く。

 ただ、声量だけ立派な謝罪は、スレンではなく、苦言を呈した上官へ向けられたものだったが。



(……身なりは立派でも、謝る相手すらわからないぐらい頭は残念なんだな)



 スレンは嫌味と共に兵士を睨む。

 解放軍の人手不足は相当深刻なようだ。

 入ってそうそう気分が悪くなり、顔をしかめた。



「部下の教育が行き届いておらず、申し訳ない」



 朝も聞いたセリフだと思い、スレンは近づいてくる上品な顔立ちの男をじっと見上げた。



 年はリリウスと変わらないか、少し上のように見える。

 下っ端の教育はできていないことを認める頭はあるようだと斜に構えていると、男はスレンに気遣わしげな眼差しを向けた。



「怪我はないかな? 綺麗な黒髪のお嬢さん」



 綺麗に整えられた髭に囲まれた口から飛び出したのは、むず痒くなる言葉だった。


 撫でつけられた金の髪、よく手入れされた口周りの髭。穏やかな藍色の目。

 男は解放軍というよりも、彼らが民衆の敵と謳う、王や貴族のように見えた。



 スノーゼンに住む純朴な娘なら、男の耳障りのいい低い声を聞いた瞬間、頬を赤く染めていただろう。

 悲しいことにスレンは純朴な少女ではない。

 こちら側の警戒を解くための演技だとすぐに見抜き、睨みをきかせる。



「私はネル・ヴァルデミア。ネフリト山にある西部国境基地を任されている者だ。……よかったら、お嬢さんたちの名前も聞かせてもらえるかな?」



(国境基地の責任者って……)



 予想外の大物の登場にさすがのスレンも肝が冷えた。


 先に名乗られてしまった以上、無視をするわけにもいかない。

 スレンとゾルグが緊張した固い声で名乗ると、ネルは口元に一切敵意のない、親しげな笑みを浮かべた。



「よろしく、スレン、ゾルグ。君たちとは気が合いそうだ」



 春風のような爽やかな笑みとともに、手を差し出してくる。

 手を握り返すか悩んでいるのか、ゾルグが小声で「スレン」と助けをもとめてくる。


 初対面、しかも解放軍の役職持ち。

 昨日埋めた、王政派らしき死体の件で来た相手かもしれないのだ。

 笑顔で握手をかわせるほど、スレンも肝が据わっていない。



 やましいことをした人間を見抜く罠なのではないか。そんな考えがよぎる。

 だからといって友好的な挨拶を理由もなく無下にすれば、ますます怪しまれる。



(……腹を括るしかない)



 元々スレンが死体を見つけなければ起きなかった面倒事だ。

 自分のやらかしは自分で始末する。スレンは手を握り返した。



 ネルはスレンの内心の葛藤など全く知らぬ顔で、顔をほころばせ、包み込むように両手で手を握ってくる。



「君は働き者の手をしているね」



 凪いだ藍の瞳がスレンを見てくる。

 敵意も、疑いもない。純粋な褒め言葉だ。

 わかっていても、なにか含みがあるのではないかと思い、手に汗が滲む。



「……綺麗な手の人間が見たかったら、街に行けばいい」



 動揺を悟られないよう、スレンは悪態をついて手を振り払った。


 見張りの兵士から、非難めいた視線を向けられる。戸惑いと怒りの矛先を兵士に向け、スレンは八つ当たりのように睨み返す。



「たしかに、年頃の娘さんに使う言葉ではなかったね。失礼した」



 ネルの穏やかな笑い声が、スレンと兵士たちの間に漂うひりひりとした空気を消し去る。

 どうも調子が狂う。スレンは自身の黒髪を撫でた。



(なんだろうな、この感じ。……ゆるい物言いで距離を縮めてくる感じとかリリウスに似てるんだが、少し違うんだよな……)



 スレンの頭の中に、気の抜けたリリウスの顔が浮かぶ。


 リリウスは顔全体に嘘くささが滲んでいるが、ネルにはそれがない。

 だから、全て本心からの言葉のように聞こえ、恐ろしい。



「……国境基地のお偉いさんが、なんでこんな辺鄙なところに?」



 ゾルグが不躾な物言いで尋ねる。ネルは紳士然とした態度を崩さなかった。

 近所の子供と接するような、柔らかな眼差しでゾルグを見る。



「いい質問だ、ゾルグ君。私がここに来たのは、王政派のネズミを捕まえるため……だよ」



 ネルは柔らかく微笑んだまま、背すじが冷たくなる言葉をつぶやいた。

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