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    大人と子供|怒りは正しさを欲しがる



 ヴァーツラフ少尉とその部下たちが、荷物を積んだ荷ゾリを曳いて教会を去るのを見届けてから、スレンたちは遅い朝食をとった。



 腹が膨れれば、もやもやとした気分も晴れると思っていた。

 キャベツの酢漬けと、しょっぱいハムを挟んだサンドイッチを頬張ってもだめだった。


 食後にリリウスが淹れてくれた、野イチゴのジャムが入った甘い紅茶を口にしても変わらない。

 胃の中に落ちる熱い液体が、ドロドロに溶けた鉄のようで。腹の底で煮えたぎる怒りと混ざり合っていく。



「うちは倉庫の肥やしになっていた銀製品を処分できて幸せ。――ヴァーツラフ少尉は、資金を援助してもらって幸せ――。うん。朝からよい行いをしたね―。神様からなにかご褒美もらえるかな」



 暗澹とした気分で茶を啜るスレンをよそに、リリウスは、晴れ晴れとした表情を浮かべている。



「……なにがよい行いだよ」



 スレンの口から、非難めいた声が漏れた。

 リリウスを責めたいわけではない。

 ただ、スレンに気を遣って、明るく誤魔化さないでほしかった。



 お前が、王政派の一員かもしれない死体を運んできたせいで、教会の宝を供出しなければならなくなった。

 そうはっきりスレンにぶつけてくれればいいのに。

 そうすれば、こんな惨めな気持ちにならずに済んだ。



「解放軍が来たの、昨日の死体のせいだろ? ……わたしを売ればよかったんだ。――オルダグのガキが勝手に連れてきた。うちは関係ないって――。そう言えば……」



 感情のまま言葉をぶつけていると、リリウスが「スレン」と、咎めるように名前を呼んだ。


 顔を上げると、長い前髪の隙間から覗く薄青の目と目が合う。

 いつもは波のない、穏やかな湖のような目が、今は毒沼のように濁って見えた。



「なんだよ、その目! 全部本当のことだろ!」



 余計なことを言ってしまったと察したが、スレンも退けない。

 スレンが厄介事を運び込んだのは事実だ。


 なにより、教会に迷惑をかけたくないというスレンの気持ちを、なぜリリウスは汲んでくれないのか。



「……きみは、思い込みが激しいのが欠点だね」



 リリウスが目を細めて苦笑する。

 人間、痛いところを突かれると、冷静ではいられない。

 スレンは無意識のうちに、両手を机に叩きつけていた。手のひらがじんじんと痛む。



「こっちは、あんたのことが心配で言ってんだぞ!!」


「落ち着いて。……何を勘違いしてるのか知らないけど、おれは解放軍にいらないものを渡しただけだよ」


「そんな嘘で騙されるとでも!?」


「嘘じゃないさ」



 リリウスは静かにスレンをかわすと、ため息をついた。



「……きみが死体を見つけてくる前から、解放軍に連絡をとってたんだよ。……王都の導師さまが処刑される前から、解放軍が教会に目をつけてるって噂が流れていたからね」



 余計な心配させたくないから黙ってたけど、とリリウスは付け足す。



「うちみたいな、なんの後ろ盾もない田舎の教会は、評議会と解放軍に睨まれたらやってけない。だから、いらない宝物を渡してご機嫌取りをしようって考えたんだ。……おれの言うことが信じられないなら、レイモンドにきけばいいよ。解放軍からのカンパ依頼のビラを配ってたの、あいつだしさ」



 リリウスは言うだけ言うと、すっきりしたような顔で紅茶を啜った。



「前から考えてたんなら、なんで今日、解放軍が来たんだよ! どっからどう見ても、昨日の死体を調べにきたようにしか見えないだろうが!」


「……うーん、それは本当にたまたまなんだよ。なんでも、ヴァーツラフ少尉が昨日まで非番だったらしくてね。今日、実家のある隣村から、ネフリト越山道の国境基地に戻るついでに、うちに寄ったそうだよ」



 そんな都合のいい話があるか、と思う一方で、確かにさっきヴァーツラフは『昨日まで休暇で家に帰っていた』と話していたことを思い出した。


 少なくともヴァーツラフが、家から国境基地に戻る道中、教会に寄ったのは嘘ではなさそうだ。



 リリウスは隠し事をするのがうまい。

 感情的になってろくに頭が回らない今、嘘か事実かスレンに判断できる気がしなかった。



「心配かけたのは申し訳ないと思ってる。けど、きみよりもおれの方が大人だし、賢いからね。きみが心配するようなことは起きないよ」



 リリウスが鼻をならし、得意げに笑うのが癪だった。

 スレンはやり場のない苛立ちを乗せて舌打ちをすると、席についた。



「もし万が一、死体の件でヴァーツラフ少尉がきたとしても、うまくやったよ。……だからさ、スレン。全部自分のせいにして抱え込まないように。頼れる大人に頼るのも、時には必要だよ」


「なにが頼れる大人だ。……それに、自分のことを賢いっていう大人にろくなやつはいない」



 口に出た悪態は負け惜しみでしかない。

 子供じみた態度をとっても、リリウスは「正論だね」とへらへら笑うだけだった。

 うまくあしらわれて、更に情けない気持ちになる。


 気を紛らわすために飲んだ茶は、ぬるく、嫌に渋く感じた。



「そうだ! スレン、きみに相談事があるんだけど、聞いてくれる?」



 カップを両手で握り俯いていると、話の流れを変えるような、明るい声が響いた。



 不機嫌な子供の気を逸らすような物言いに腹が立つが、いつまでも拗ねていてはそれこそ聞き分けの悪い子供だ。


 気分を切り替えるためにも、スレンは大人しく話に乗ることにした。



「……んだよ。面倒事はごめんだぞ」


「大丈夫。すぐに終わるから」



 そう言うと、リリウスは腰を押さえてゆっくりと立ち上がった。

 年寄り臭い、ゆったりとした動作だった。


 どこに行くのかと目で追うと、ダイニングの隅にあるイーゼルの前で足を止める。

 イーゼルに掛けられた布を取る。宙に埃が舞う中、見知った微笑みが見え、スレンは目を瞬かせた。



(……冬聖女)



 心がささくれたとき、教会に来ては無意識に見上げていた絵がそこにあった。

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