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    苦手意識と罪悪3|少尉は少女の黒髪を撫でる



 ヴァーツラフは、情けない話になりますが。と前置き、渋い顔で言葉を詰まらせながらゆっくりと話し出す。



「……私には二歳になる娘がいるのですが、娘の泣き声がダメで……」



 長い溜息をついたあと、ヴァーツラフはゆっくりと口を開いた。



「……ここはドラゴラードではない。泣いているのは私の娘だ。わかっているのです。……ですが、油断した瞬間、敵が襲いかかってくるような気がして、恐ろしくて……」



 スレンは拳を握りしめ、真っ直ぐヴァーツラフを見つめる。

 今、スレンが謝ってもヴァーツラフの傷は癒えない。

 ただのスレンの自己満足で終わるだけだ。わかっていても、衝動的に頭を下げたくなる。



 喉まで言葉がでかかったとき、リリウスはスレンの頭を軽く叩いた。

 落ち込む子供を慰めるような手つきだが、じんわりと響いて痛かった。

 おそらく、割り込まず、最後までヴァーツラフの話を聞けということなのだろう。



「娘が怖くて、逃げていると、家の中に居場所がなくなってしまって。……家族に会いに帰ったというのに、結局部下と遊んでいただけで。……ほんと、俺は情けない父親だ……」



「……なるほど。なら、彼女はちょうどいい練習相手になりますよ!」



 リリウスは軽やかな声を張り上げた。

 スレンの頭から手を離したかと思うと、今度は背中を押す。

 文句を言う間もなく、スレンは壁のような軍人の前に突き出されてしまった。



「口が悪いのがアレですが、泣いたりしないし、基本はおとなしい。子供に慣れる絶好の機会ですよ!」



 固まっていると、リリウスはスレンの肩に手を乗せた。

 まるで特売品の紹介をするような物言いだ。

 当然、ヴァーツラフもわかりやすく困惑した表情を浮かべている。



「子供って……話聞いてたのか? 少尉の娘さんは二歳だぞ。練習になるわけないだろ」



 スレンが苦言を漏らしても、リリウスは聞き入れてくれなかった。



「ちょーっと反抗的なとこがありますが、幼児と違って分別はあります! 噛んだり、引っ掻いたりもしませんよ!」



「……あんた、人をなんだと思ってんだ」



 躾のなってない犬猫のように言われたのが癪で言い返すと、ヴァーツラフの口から小さな笑い声が漏れた。


 ヴァーツラフを見上げると、こわばった頬がゆるみ、固く引き結ばれていた口元には、穏やかな微笑が浮かんでいる。


 スレンの不服な視線に気付いたのか、咳払いをして笑みを誤魔化そうとしているが、ゆるみきった頬には全く力がこもっていない。



「ごめん。君を馬鹿にしているわけじゃないんだ。ただ、導師様と君を見ていると、おかしくて……つい」



 おかしいと思っている時点で、バカにしているのではと疑問が浮かぶ。

 不貞腐れていると、ヴァーツラフの分厚い手が伸びてきて、影を落とした。

 威嚇してもいいが、それこそリリウスに犬みたいだとからかわれる。



 スレンは唇を噛み締め、しぶしぶ抵抗せずに頭をヴァーツラフに差し出した。

 何をされるかわからない。閉じた目蓋に力が籠もる。



 間を置いてから、ヴァーツラフの荒れた指が髪に触れた。

 そのまま、凍りついたように指は動かない。

 憎い相手に触れ、当時の怒りがよみがえったのだろうか。



「……同じ、でしょ」



 殴られるのを覚悟していたスレンの耳に、リリウスの柔らかな声が入ってくる。


 何が同じなのかわからない。


 ただ、ヴァーツラフには意味が通じたようで、今度は分厚い手のひらが頭に触れた。

 スレンの頭の形を確かめるような手つきだった。



「……ええ。同じです。当然、ですよね。同じ人間なんだ、頭に角が生えてるわけがない」



 自嘲めいた低い声が降ってきた。


 ヴァーツラフは黙したまま、こわごわとした手つきでスレンの髪を撫で続けている。

 まるで、犬が苦手な子供が、なけなしの勇気を振り絞っているような撫で方だった。


 数回往復した後、手が離れていく。

 終わったのを確認するため、目を開け顔を上げると、ヴァーツラフの凪いだ目と目が合った。



「ありがとう、お嬢さん。いい練習になった」



 ヴァーツラフはスレンに一言言葉をかけたあと、リリウスにも深々と一礼をした。



「礼を言われるようなことはしていませんよ」


「いえ、過去に囚われず、一歩踏み出してみるのも悪くないと学べました」



 誰かの学びの助けになれたと感謝されるのは、導師であるリリウスからすると最高の褒め言葉なのだろう。

 嬉しそうな顔をみじんも隠さず、ゆるみきった顔にニコニコと機嫌の良さそうな笑みを貼り付けている。



 教会の扉が開く。

 荷物を運び出した兵士が、少尉に出立の準備が整ったと、はきはきとした声で伝えた。



「導師リリウス、私はこれで。なにか困りごとなどありましたら遠慮なく、このヴァーツラフにご相談ください」



 リリウスは含みのある笑みを浮かべて「心遣い感謝します」とのたまう。

 目の前で解放軍の階級持ちを懐柔するさまを見せつけられ、スレンはなにも言えなかった。



「あ、あと。ネフリト山付近で王政派がうろついていると報告が上がっています。……もし不審人物を見かけられたら、すぐに報せていただくよう、ご協力願います」



 ヴァーツラフは最後にそう言い残すと、再び一礼し、外の兵士たちのもとへ向かって行った。

次回更新は6/22(日)の20時頃を予定しています。

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