苦手意識と罪悪1|敵意は消えない
床を軋ませ、最後の段差を下りる。
白っぽい朝日に満たされた教会で、真っ先に目に入ったのは、暖炉の傍でくつろぐ一団だった。
くすんだ赤の制服に身を包んだ四人は、皆緩みきった情けない顔で、火にあたっていた。
(……なんだろう……。なんか猫の集会……みたいだな)
想像していたようなひりついた空気はない。
スレン一人だけが肩透かしを食らった気になり、苛立ちが募る。
自然と床を踏む音が大きくなった。
スレンが立てた、ぎしりという音に兵士たちはすぐに反応した。
一番端に座っていた、軍帽を目深に被った男の号令で、一斉に立ち上がる。
皆揃って制服の乱れを正し、号令を出した男と同じような険しい顔を浮かべる。
とってつけたように威圧的に振る舞うさまが滑稽だった。
「あ、気にしないでくつろいでいてくださいね」
「導師様、お言葉はありがたいのですが、そうはいきません!」
軍帽を目深に被った角張った顔の男が、この一団の代表なのだろう。
顔と同じ硬い声で固辞する。
「“由緒ある”スノーゼンの教会の宝物を分けていただくのですから。お手伝いします」
若い兵士が続いて言う言葉に、スレンは吹き出しそうになった。
面倒な難癖をつけられるかもしれないので、正直に感情を表に出せない。
くしゃみをするふりをして木箱に顔を寄せて、スレンは緩みきった表情を隠した。
(……由緒あるスノーゼンの教会って)
たしかにスノーゼンの教会は古くからあるらしいが、田舎の小さな教会でしかない。
粗暴者と悪名高い解放軍が、リリウスの嘘くさい説法を真に受けているとは思いたくない。
しかし、若い兵士がリリウスに向ける目には、親しみと尊敬の色が滲んでいる。
スレンの冷ややかな眼差しに気付いたのかわからないが、リリウスが照れくさそうに笑い、グレーの髪を撫でた。
唖然としているうちに、兵士の一人が「お嬢さん失礼します」と声をかけてくる。
返事を返す前に兵士はスレンの抱えていた木箱を持っていってしまう。
「ほんと、気にしないでください。全部、最近使っていないものばかりですし。――ネフリト越山道の国境警備にあたる皆様のお役に立てれば……」
リリウスが演技臭い笑みを顔に貼り付け、導師のお手本のような言葉を恥ずかしげもなく吐いたときだった。教会の窓ガラスがガタガタと震えた。
若者たちが、腹の底から吐き出した謝礼の合唱が、リリウスの声をかき消す。
あまりの大声に、スレンとリリウスは反射的に身を屈めてしまった。
「よかったですね少尉!! これで国境まで予算が回ってこない、って泣かずに済みますね!」
「あんまりにも西部が冷遇されてるから、総督と一緒に中央にクーデターしかけるんじゃないかって噂もありましたし!」
突然、内情をべらべらと口にし始めた若い兵士たちを、監督役の少尉が顔を赤くして怒鳴りつけた。
その声もすさまじい声量なので、スレンは両手で耳を塞いだ。
ゾルグで慣れているつもりだったが、軍人の声は別格だった。暴力のような重低音がじんじんと頭に響く。
「無駄口叩く暇があるなら、手を動かせ!!」
喝を受け、兵士たちは働きアリのように荷物を抱えると、慌ただしい足音を鳴らして教会から飛び出していった。
「……いや、見苦しいところをお見せして申し訳ない」
今度は控えめな声量で言うと、目深にかぶっていた軍帽を脱いで、深々と頭を下げた。
影になっていて分からなかったが、顔色は悪く、目もとには濃い隈が刻まれている。
先ほどの部下たちとのやりとりから察するに、きっと気苦労がたえないのだろう。
「顔を上げてくださいヴァーツラフ少尉。若い兵士なんて、どこもあんなもんですよ」
リリウスが人のいい笑みを浮かべて言う。
「……教育が行き届いておらず恥ずかしい限りです」
「いえいえ。昔従軍していたとき、おれもあんな感じではしゃいでましたよ」
自分の知らない土地ってワクワクするじゃないですか、とのんきな言葉を付け足す。
堅物、真面目を具現化した軍人の前で、旅行に行った田舎者みたいなことを言うなど、リリウスの心臓には図太い毛が生えているのだろうか。
スレンは、さっき教会の窓を震わせたヴァーツラフの怒声が飛んでこないことを祈った。
「……従軍というと……国境戦争ですか?」
聞こえてきたのは、予想に反した静かな驚きの声だった。
リリウスがうなずくと、ヴァーツラフ少尉の硬い表情が綻んだ。
目の前にいるのが、ただの導師ではなく、国境戦争を戦い抜いた人間だとわかり親近感が湧いたのだろうか。リリウスを見る目が柔らかなものに変わる。
「私も従軍していまして! もしかしたら、どこかでお会いしていたかもしれませんね」
「そうかもしれないですね」
「……では、その顔の火傷は戦争で?」
急に饒舌になったヴァーツラフは、躊躇うことなくリリウスの顔の火傷に言及する。
スレンは思わず眉根を寄せた。
自分の傷に触れられたわけではないが、ずけずけと人の事情に踏み込んでくる無神経な物言いが気に障った。
「えぇ。友人が襲われそうになったのを咄嗟に庇ったら、派手に燃えちゃいまして」
対してリリウス本人は、過去の傷に触れられてもなんとも思っていないようだった。
酒場で失敗談を語るような陽気な調子で笑っている。
スレンとしては一切笑えないが、それはヴァーツラフも同じようだった。
苦笑すら浮かべず、ただ痛ましそうに眉を顰めている。
「オルダグの火炎瓶は恐ろしいと、総督――あっ今の私の上司も話していました。……油が服に染み込みやすい作りになっているせいで、一気に燃え広がるらしいですね。……運よく私は遭遇せずに済みましたが……。むごいものです」
ヴァーツラフは目を伏せた。
視線が下がり、暗い目と目が合う。
話の流れから、今目が合うのはまずいと感じ、慌てて顔を逸らしたが、遅かった。
明暗の差はあるがスミレ色の瞳は、オルダグ族の特徴だ。
スレンの目を見たヴァーツラフの瞳孔がじわりと開く。
隠そうともしない、はっきりとした敵意が突き刺さる。
(まぁ……国境戦争帰りなら当然だよな)
気付かれた以上、逃げるわけにはいけない。
ヴァーツラフの怒りと蔑みに満ちた視線を、スレンは真正面から受け止めた。
――国境戦争は、王国軍の敗走で幕を閉じた。
相手は少数民族と、アリノールの地理に疎い共和国軍。地の利と、圧倒的な物資に物いわせて戦う王国軍が敗れるとは誰も予想していなかった。
王国軍が敗れた原因、それは相手が真正面から真面目に攻めてくると思い込み、戦略を立てたことだ。
オルダグの戦い方は毒、または病のようだった。
一般人のふりをし、王国軍に気取られないよう相手を無力化する。
一度の攻撃で王国軍を潰しきれなくても、常に狙われているという恐怖心を抱かせ、休息を与えない。そして、疲労からくる判断ミスで自滅させる。
戦い方だけでなく、武器も王国軍を苦しめた。
相手を殺す必要はない。再起出来ない傷を負わせろ。
そのモットーのもとで生み出されたのが、ヴァーツラフが口にした“火炎瓶”をはじめとする武器だった。
重傷を負わせ、敵の医療資源の消耗を狙った戦い方は王国軍を苦しめた。
スノーゼンの宿の女将サーシャが昔話してくれた。彼女は看護婦として前線の野戦病院に派遣されたらしい。
サーシャが言うには、野戦病院は怪我人だらけで、足の踏み入れる場所すらなかったらしい。
死人が出なくても、怪我人は毎日出る。それも重度火傷、裂傷など、放置をすれば命に関わるようなものばかり。
兵士を失うわけにはいかない。だが、医薬品にも限度はある。
薬を水で薄め、ごまかして治療をしていたとサーシャは苦い顔で語っていた。
王国軍側は生き残っても、リリウスのように一生癒えない傷を負った者も多い。
たいていの従軍経験者は、姿を隠して戦い、癒えない傷を負わせたオルダグ族を“卑怯者”と憎んでいる。
「……導師リリウス、そちらのお嬢さんは?」
例に違わずヴァーツラフの表情が硬くなる。
顔を焼いた敵と、仲良く肩を並べているリリウスが異常に映ったのだろう。
声が尋問官のように重苦しいものへと戻る。
すぐにスレンが「ただの知り合いだ」と口にしたが、声はリリウスに掻き消されてしまった。
リリウスが薄っぺらい笑みを貼り付けたまま、口を開く。
「そんなに怖い顔しないでください、少尉。彼女はこのあたりのオルダグです。あの戦争のことは何も知りませんよ」
リリウスは平然と嘘を付いた。
嘘がバレたら話がこじれるのに、正気なのか。
スレンはリリウスを見上げたが、当の本人は口元に笑みをたたえたまま、真っ直ぐヴァーツラフを見ている。
「だとしてもです。……導師様は随分と心が広いのですね」
棘を隠そうともしない攻撃的なヴァーツラフの物言いにむっとすると、リリウスがスレンの頭の上に右手を置いた。
頭の上に乗せられたリリウスの手は冷たく心地よい。頭に血がのぼっていたことに気付かされる。
「べつに、彼女に燃やされたわけじゃないですし」
場に漂う険悪な空気を振り払うように、リリウスがあっさりと言い切った。




