【2-1】朝と賄賂|目覚めは現実を連れてくる
▼1章までのあらすじ
スレンが雪原で見つけた死体は“王政派”とのつながりを匂わせる傷や写真を隠していた。
厄介な事情を抱えた死体を死体は埋めたが、不安は消えない。
リリウスが語った新たな戦争の兆し。起きると決まったわけではない。ただの噂話。不穏な未来に蓋をしてスレンとリリウスはいつも通りの一日を終えた。
リリウス特製のシチューのパイ包み焼きを食べて腹が膨れたおかげだろうか。
その後ベッドに潜り込んでも、珍しく悪夢に苛まれることはなかった。
泥のように眠り、眩しい朝日で目を覚ます。
驚くほどさわやかな目覚め。
色々あった昨日とは違い、今日はいい一日になる。そんな予感にスレンの胸が躍った。
思い返せばここ数日、ずっと分厚い雲が空を覆っていた。
久々にちゃんと陽の光を浴びた気がする。
熱のない眩しい朝日に目を細めながら、スレンは腕を上に伸ばした。
大きく伸びをしていると、外がざわざわと騒がしいことに気付く。
巡礼者の一団でもやって来たのだろうか。
結露を寝間着の袖で拭い、水滴が滲む窓を覗く。
朝日を吸った雪が眩しい。
目を細め、声のもとを探していると、薄目で見ても目立つくすんだ赤の制服が飛び込んでくる。
(……解放軍?)
悲しいことに、いい一日になるというスレンの予感は外れた。
さわやかな朝は、五分もしないうちに終わってしまった。
解放軍が身につけている赤褐色の軍服は、どこにいても目立つ。
戦場では恰好の的になりそうだが、街中で王政派をはじめとする不穏分子を炙り出すのが目的であれば、理に適っているように思えた。
やましいことをしている人間は、あのくすんだ赤の制服を見るだけで、自分を探しに来たかもしれないという恐怖心から挙動不審になる。
スレンもその例に違わず、半ば後ろに倒れ込むように窓から距離を取った。
昨日、王政派らしき死体を埋葬した。
血眼になって王政派狩りをしている解放軍に目をつけられてもおかしくない。
スレンはただ行き倒れていた死者を弔っただけだが、解放軍からすれば、不穏分子に変わりはない。
彼らにとって、生きていようが死んでいようが、評議会の治世を転覆させようと企む王政派に絡むものは、全て悪だ。
解放軍が来るかもしれないと腹は括っていたが、いざ目の当たりにすると、心臓が痛いほど脈打つ。
スレンは一呼吸置いたあと、息を殺して再び窓に顔を寄せた。恐る恐る兵士の様子を窺う。
兵士の数は二人。二人とも、傾いた柵にもたれかかり、忙しなく口を動かしている。
昨日スレンが雪原で見つけた死体の件で来たのだとすれば、どこから情報がもれたのか。
(死体を見たのはゾルグとリリウスだけだ。……あの二人が漏らした?)
まず、リリウスはあり得ない。
彼の所属する教会そのものが、王都の導師の処刑騒動で、評議会と解放軍から睨まれているからだ。
どんな言いがかりをつけられるかわからないのに、リリウスがわざわざ解放軍に死体の報告をするとは思えない。
(リリウスじゃないなら。――まさか、ゾルグ……?)
別れ際、浮き足立っていた同胞の背中が頭の中に浮かぶ。
ゾルグは愛しのサーシャちゃんの店に飲みに行ったきりだ。
サーシャに『教会で何をしていたの』と甘い声で聞かれたら間違いなくゾルグは喋る。
(ゾルグがサーシャに話して、サーシャが解放軍にチクったのなら、辻褄が合う)
ゾルグを一人でサーシャの店に行かせたのは間違いだったかもしれない。スレンは頭を抱えた。
きな臭い死体を埋め、これで面倒事は終わったと気を抜いていた。
ゾルグがサーシャに話す可能性があるなんて、少し考えればわかったのに。
後悔しても遅いと分かっていても、昨日の自分の読みの甘さに舌打ちが漏れる。
リリウスに迷惑をかけたくなかった。
なのに、最悪の事態になってしまった。
込み上げてくる自身への苛立ちを抑えるため、スレンは息を吸う。
頭に血がのぼったままでは、ろくな判断ができない。冷静にならなければ。
(対策を考えるにしても、とにかく今は情報を集めないと……)
外にいる解放軍の会話を聞き取ろうと、少し窓を開けた。
隙間から入り込んでくる冷気が、火照った顔を冷ましてくれる。
風に乗ってきたのは、会話ではなく耳馴染みのあるメロディーだった。
歌、と呼ぶには抵抗があるが、本人からすれば、きっと歌なのだろう。
ひどい音程に乗って紡がれるのは、汚い言葉で王や貴族を罵る言葉。
ドラゴラードで、友軍の共和国の兵士たちがよく口ずさんでいた革命歌だ。
(……朝から胸糞悪くなる歌歌いやがって……)
嫌な過去と現実、両方に板挟みにされ、スレンは唇を噛み締めた。
苛立ちの原因は焦りのせいだとわかっているのに、適切に怒りを処理できなかった。
歌は止まない。
音痴の癖に、著名な歌手のように抑揚をつけて高らかに歌い続けているのが、さらにスレンの感情を逆撫でした。
おまけに、歌い手に向けられたと思われる嘲笑まで聞こえてくる。
聞いていられなくなり、スレンは窓を閉じた。
教会の二階は住居になっている。
“よほどのこと”がない限り、解放軍が乗り込んではこないだろう。
ただ、そのよほどのことかどうかを決めるのは、解放軍側なので、安心はできないが。
(……リリウスは教会か?)
解放軍の取り調べは、荒っぽいという評判をよく耳にする。
不安に突き動かされるがまま、スレンはベッドから飛び降りた。
肩にかかる黒い髪を襟足で雑に丸くまとめ、椅子にかけた綿の詰まった白い毛皮の外套を肩に担ぎ、扉を開ける。
「あ、おはようスレン。よく眠れた?」
部屋を飛び出した瞬間、ひとり気が立っているスレンが馬鹿らしくなるような、緊張感のない声が聞こえてきた。
怒ってはいけない。
今怒鳴り散らしても、ただの八つ当たりにしかならない。
頭ではわかっているが、気の抜けた眠たげなリリウスの顔を見ていると、むしゃくしゃした感情が抑えきれなくなる。
「おはよう、じゃないだろ! 解放軍が来てんだぞ! 起こせよ!」
解放軍に気取られないようにできる限り声を押さえて、スレンは煮えたぎる激情をぶつけた。
リリウスは焦る様子もなく、鷹揚な声で「大丈夫だよ」と言い、埃が積もった木箱を抱え直した。
はらりと綿埃が舞い上がる。埃を吸わないよう口元を袖で隠し、スレンはじとりとリリウスを睨む。
「どこが大丈夫だ! 解放軍が見えないのか!?」
「……そんなに怒る元気があるならさ、運ぶの手伝ってよ」
リリウスは上に積んでいる木箱を持つよう、顎で促してくる。
色々聞きたいことがある。
何から聞けばいいのか、整理しきれないでいると「それなら重くないから」となぜか持つこと前提に話が進んでいく。
気がつくとまんまと口車に乗せられていた。
節だった木箱を持ち上げたが、思ったより重く、口から変な声が漏れる。
「……なに入ってんだよ」
起きがけに心臓に悪いことが続きすぎている。
のほほんと気の抜けた顔をしている導師さまは、重くないと言っていたが、しっかり重い。
「いらないものだよ。お国のために提供しようと思ってね」
返ってきたのはいつも通りの、ぼやけた答えだった。
その“いらないもの”とは何かを尋ねる前にリリウスは歩き出してしまった。
突っ立っていても仕方ない。
スレンは木箱を抱え直すとリリウスの後を追い、ダイニングを通り抜けて、教会に続く階段を下りた。
次は6/15(日)20時頃に更新予定です。




