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    沈黙と写真|壁の傷は真実を語る


 リリウスはためらうことなくブローチをひねった。

 バキっと嫌な音が響く。ブローチが壊れたのではないかと思ったが、リリウスの手の中で原型を保っている。

 ブローチは表面の雪の結晶形の装飾部と裏の金具、二つのパーツに分かれた。



 雪の結晶の裏側には、金具をはめる溝の他に、小物が入りそうな隙間があった。

 隙間といっても、指輪や小ぶりのイヤリングが、ぎりぎり入るかどうかといったほど狭い。



 中に入っていたのは装飾品ではなく、折りたたまれた紙だった。

 リリウスは中に物が入っていたことに特に驚く様子もなく、紙を指でつまんで取り出す。



「……見て大丈夫なのか?」



 死体が王政派の導師であれば、紙切れの中身は“一般市民”は見ない方がいいモノの可能性が高い。

 特に、王政派との繋がりを疑われている教会の人間は関わらないほうがいい。



(解放軍にどんなケチつけられるか分からないのに、不用心すぎないか……)



「そんな心配しなくても大丈夫」



 スレンの心の内を読んだかのような言葉を吐く。軽薄な“大丈夫”と言う言葉を信じられるわけがない。

 スレンが「リリウス」と名前を呼び、静止すると、リリウスは冷然とした目でこちらを一瞥した。



「この紙切れを見れば、この導師さまが王政派の人間かわかるかもしれないんだ。……好奇心で首を突っ込むんじゃない。おれたちの身を守るため、だよ」



 そう駄々をこねる子供に言い聞かせるように言ったあと、よれた紙を広げた。

 雑に小さくに折りたたまれていたせいで、紙はくたくたによれており、背面は煤のようなもので薄汚れている。



 中身を目にした瞬間、リリウスの喉が動いた。

 紙の端の部分がくしゃりと握りつぶされる。


 沸き上がる激情に任せて紙切れをクシャクシャに丸めて床に捨ててしまいそうなほど、拒絶と動揺に塗れた表情。

 スレンの予想通り、あの紙切れは見てはいけないもの”だったのだろう。


 様子を窺っていると、紙から視線を逸らしたリリウスと目が合う。

 リリウスは沸き上がる激情を振り払うように、ゆっくりと瞬きをして、口元を綻ばせた。 



「……なるほどね」



 眉間に皺を寄せながら、うっすらと笑う。あまりにも演技臭い取り繕い方だった。



「なんだったんだ?」



 固唾をのんで様子を窺っていたゾルグが口を開く。



「……見たい?」


 少し間を置いて、リリウスは言う。

 こちらの興味を煽る切り出し方に舌打ちが出た。

 スレンが止めるのと同時にゾルグがリリウスの誘いに無邪気に乗る。



「ちょっと待て!」



 スレンは声を張り上げた。


 ゾルグからうんざりした視線を向けられ、スレンは奥歯を噛む。狭い里の中でぬくぬくと育ってきたせいで、危機感という言葉を知らないのだろうか。



 スレンが呆れと怒りに任せて言葉を発する前に、リリウスが口を開いた。



「大丈夫、心配しなくても、ただの記念写真だよ」



 リリウスはからりと笑って呟くと、紙をゾルグに渡した。

 ただの記念写真とのたまうが、中身を見た瞬間、リリウスが不快感を煮詰めた顔をしていたのをスレンはしっかりと見ている。



(あんな顔して、ただの記念写真なわけがないだろう)



 ゾルグが写真を覗き込んだ。好奇心で輝くゾルグの目は、一瞬にして深い落胆に沈む。



「んだよ、ただの解放軍の記念写真じゃねーか!」



 声を荒げながらも、ゾルグは少しほっとしたようにぼやいた。


 そんなわけがない。スレンは即座にゾルグのもとへ行き、紙切れを取り上げた。

 眦を吊り上げたまま、皺だらけの写真を睨む。




 モノクロの写真は、何処かの屋敷の中で談笑する解放軍を写していた。


 写真の中の兵士たちは、肩を組んで笑っていたり、床にしゃがみ込みキメ顔でタバコを吸ったりしている。

 各々思い思いのポーズをとる若い兵士だけを見れば、ゾルグの反応通り、解放軍の兵士たちの日常を切り取った、何の変哲もない一枚だろう。



「ほら、ただの記念写真でしょ? 導師さまのご子息か、お孫さんでも写っているのかな」



 リリウスが言うように、導師の身内が写った一枚であれば、故人がブローチに忍ばせていても不思議ではない。

 あくまで、兵士たちに焦点をあわせたらの話だが。



 スレンが気になったのは兵士たちではなく、その後ろに写る部屋の壁だ。


 壁には、写真越しでも緻密とわかる野イチゴと蔓草紋様が描かれている。

 壁紙に金をかけるのは貴族か富豪ぐらいだ。

 時世的に、貴族か富豪の屋敷に解放軍がいるだけでも不穏なのに、壁のいたるところに穴があいている。



 壁近くの床も無残な有様だった。

 崩れた壁の破片か、カーペットに染み付いた汚れなのか、写真からは判断できないが、何かで黒く汚れていた。



 優美な壁を無残な姿に変えた無数の穴を見ると、ドラゴラードのアパート群を思い出す。

 敵味方双方の銃弾を浴びて穴だらけになった無残な廃墟が、写真の中の壁と重なり、スレンは顔を顰めた。


 ゾルグとリリウスは記念写真と言うが、スレンには無邪気に笑う兵士たちが、室内で銃を乱射したあとの写真にしか見えなかった。


 金持ちへの鬱憤を晴らすために、兵士たちが屋敷を銃で破壊しただけと思いたい。

 しかし、写真を見た瞬間にリリウスが浮かべた表情が演技でなければ、もっと物騒なことが起きた可能性がある。



(例えば……銃殺刑の後……とか)



 スレンはリリウスに視線を送る。

 リリウスと目が合うも、薄青の目は何も教えてはくれなかった。

 ただ、はぐらかすように目を細めるだけ。



「見終わったなら返して」



 リリウスが手のひらを出して、写真を渡すよう促してくる。



「……あんた、本当に導師の家族の写真だと思ってるのか」



 スレンは差し出した写真から手を離さず、リリウスの目を見て問いかける。



「“本当”のことは誰にも分からないよ」



 リリウスは答えになっていない言葉を言ったあと、手を離さないスレンから写真を奪う。

 写真を掴むリリウスの指は、小刻みに震えていた。



 そのまま不穏な匂いしかしない写真を折りたたみ、懐にしまってしまう。



「答え合わせをしよう。この導師さまが王政派なのか、という問いの答えは『本人に聞かないとわからない』になるかな」



 リリウスが気の抜けた声で言う。

 ゾルグは小さく吹き出し、力の抜けた柔らかな表情で「なんだそれ」と笑う。



「だって、確固たる証拠はどこにもない。怪しいから王政派だって、勝手に決めつけるのも本人に失礼でしょ? わからないことは、わからないと言うのも大事なことなんだよ」



 屁理屈だ、とスレンは心の中で嘲る。

 ゾルグは答えになっていない結論でも腑に落ちているようだった。



「たしかに、ありもしない罪をなすりつけて、化けて出てこられても困るしな」


「そういうこと。ゾルグは頭が柔らかくて賢いね」



 “ゾルグは”という言葉に若干の棘を感じた。

 顔を顰めるスレンとは対照的に、ゾルグは言葉を素直に受け取り、照れくさそうに鼻をこすっている。



(……色々気になることはあるが、ゾルグを誤魔化せたから、ひとまずはいいか)



 モヤモヤが晴れたわけではない。だが、ゾルグを誤魔化すという目標は一応達成できた。



「ゾルグ、ブローチどうする? 手間賃代わりにとっとく?」


「今の話を聞いて、欲しいと思うわけないだろ!」



 だよね、とリリウスは笑う。

 そのままブローチを握りしめて、長椅子に横たわる死体の元へと戻っていく。



 故人の手を取ると、ブローチを握らせ、再び胸の前で手を組ませた。

 スレンたちから離れたリリウスは、どこかせいせいしたような表情を浮かべているのに気付いてしまった。



(……まぁ、不機嫌にもなるよな。……教会が上から睨まれてるのに、厄介事のタネを持ち込んだから)



 リリウスは冬聖女を大切にしている。

 戦場で荒んだ心を癒やし、真人間に戻してくれたのが冬聖女なのだと、何度も聞かされた。


 この教会はリリウスの大切な居場所だ。

 厄介事の火種になりかねない死体を持ち込まれ、機嫌を損ねるのも無理はない。




 スレンはそっとリリウスに近付く。


 リリウスは、死体に握らせたブローチをぼんやりと眺めていた。

 思い詰めたような、苦しげな横顔だった。



 今さら詫びても仕方ないかもしれないが、迷惑をかけたことを謝りたかった。

 スレンが「リリウス」と声をかけると、冷たい薄青の瞳が向けられる。



「どうしたの? ……まだ聞きたいことがあるのかな?」



 返ってきたのは穏やかだが、険のある声だった。

 これ以上深掘りすればゾルグに気取られるぞと牽制しているようにも聞こえた。

 別の話だと前置き、スレンはそっとリリウスに顔を寄せた。



「……面倒事を持ち込んで申し訳ない」



 頭を下げると、リリウスはふっと息を漏らす。



「……何のことかわからないけど、深刻に考えすぎ。ゾルグぐらい適当なほうがいいよ」



 返ってきたのは、茶化すような声。

 スレンがむっとした視線を向けても、リリウスは、煙に巻くように笑うだけだった。



「気に病む必要はない。きみは善い行いをした。ただそれだけのことだよ」



 “善い行い”という言葉が、皮肉めいて聞こえた。



 ゾルグがいるから、詳しい話をしにくいのはわかる。

 だが、ゾルグが棺を組み立てるのに集中している今、少しぐらい心の内を話してくれてもいいのでは、と思ってしまう。

 今なら木槌を振るう音で、こちらの声はゾルグまで届かない。



(……話したくないのか、話せないのか……)



 どちらであっても、胸がちくりと痛んだ。



「ゾルグだけに棺桶組み立てさせたら日が暮れるぞ」



 笑ってはぐらかすだけのリリウスを一瞥し、スレンは話を切り上げた。



「……そうだね。話し込んだぶんの遅れは取り戻さないと。暗くなると穴を掘るのも一苦労だし」



 リリウスは苦笑いを浮かべたあと、ゾルグの手伝いをするため、スレンに背を向けた。



(大丈夫。……面倒事が起きてもなんとかなる。……いままでも何とかしてきた。それと同じだ)



 今はオルダグ族らしい、牧歌的な暮らしに染まっているが、地獄のような戦場で生き抜いた記憶は、しっかりとスレンの中に息づいている。


 もしスレンが見つけた亡骸が、解放軍を連れてきたとしても、ゾルグやリリウスを巻き込む前に、スレンが罪をかぶればいい。



(……もう、二度と奪われたりするものか)



 スレンは冬聖女に目を向ける。

 冬聖女はいつものように、微笑んではくれなかった。


 冬聖女はただの絵だ。

 聖女の顔を覆う赤い紙が邪魔をしているから、見れなくて当然と頭ではわかっている。

 なのに、なぜか厄介事を運んできた人間だと、見放されたような気分だった。

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