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エッセイ・随筆集

ひなたの道と財閥とタコ――カムカムから派生した彼是

初出:カクヨム

https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818622172086884248

 現在、NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』が平日昼に再放送されている。このドラマでは、ジャズのスタンダードである”On the Sunny Side of the Street”が非常に重要なモティーフとなっていて、しばしば、るい(深津絵里)や錠一郎 (オダギリジョー)がこの歌を口ずさむシーンが描かれる。

 この二人にとっての思い出のレコードは、るいの命名にも因むLouis Armstrong (サッチモ)の歌唱によるものである。おそらく1930年代の採録盤と思われ、いかにもジャズらしく、本来のメロディをあえて大きく外した、非常に癖の強い歌い方なので、そのサッチモの自由なアドリブを、なぜだか深津絵里やオダギリジョーが却ってことさら律義に踏襲しようとするのが土台無理な話で、何だかずいぶん歌いづらそうでぎこちなく、僕にとっては見ていて痛々しくどうも引っかかる。

 ドラマの中では、世良公則演じる柳沢定一が進駐軍のクラブでのクリスマス・ステージに飛び入りの形でこの曲を歌うシーンもあるが、このときは、オリジナルのメロディに沿った尋常な歌唱となっていた。


 この曲には『明るい表通りで』という邦題があり、フランク永井や新倉美子など日本人の歌手によってカヴァーされ、これらはYouTubeで視聴できる。

 しかし、僕には、自由劇場のミュージカル『上海バンスキング』で演奏されたものが印象深い。と言っても、僕は舞台をじかに目にしたことは無く、1988年の串田和美監督による映画(1984年の深作欣二監督のものとは別)を学生時代に見たのみである。ただ、その映画に触発されて、当該ミュージカルの楽曲を収録した吉田日出子らによるCDをただちに購入し、何度も聴いたので、その音が脳裏に刻み込まれている。

 サッチモの曲とは随分と違った、明るく軽いテンポの演奏と女性コーラスになっている。


 この歌の歌詞は、憂鬱な過去を振り切り、表に出て通りの明るい日向側を歩いて行こうという内容で、この趣旨がカムカムエヴリバディの主人公たちの生き方にも大きく影響する。何より、るいと錠一郎の娘、ひなた(川栄李奈)の命名も「ひなたの道(the Sunny Side of the Street)」から来ている。


 歌詞の中で僕が特に面白いと思うフレーズは、” If I never have a cent, I'll be rich as Rockefeller” (ほんの1セントすら持っていなくても、ロックフェラーと同じぐらいリッチ)というところ。

 Rockefellerという財閥の名称が具体的に出てきているのが印象に残る。この当時の日本であれば、三井とか三菱とかが歌詞に織り込まれるようなものだと思うが、流行歌などでかかる生々しい固有名詞が登場するものは、ちょっと思い当たらない。


 一方、海外の曲では、こうしたことは珍しくないのかも知れない。


 ”On the Sunny Side of the Street”の外に、” Rockefeller”が登場する歌詞として思い当たるのが” Puttin’ on the Ritz”。

 僕らの年代では、インドネシア生まれのオランダの歌手Taco(Taco Ockerse)が、1983年にカヴァーした『踊るリッツの夜』という邦題のものが懐かしい。当時はラジオの洋楽放送でよく耳にしたものである。最近ではTBSの『マツコの知らない世界』でこのメロディのアレンジが用いられたりしている。

 この曲の歌詞の中には、Rockefellerの外にも1920~1930年代に活躍したアメリカの俳優、Gary Cooperといった固有名詞が現れる。そもそも、題名にあるthe Ritz自体が実在するホテルの固有名詞である。

 なお、Puttin’ on the Ritzとは、この曲が生まれた頃の慣用表現として、「派手に着飾る」「気取った振舞をする」というような意味があったらしい。


 ところで、Tacoによる『踊るリッツの夜』のミュージック・ビデオはいわくつきとなった経緯がある。

 当初のものは、目の周りや唇を白く縁取る黒塗り(Black Face)のダンサーが黒人に扮しており、このクラシカルかつステレオタイプの表現が差別的であると問題となって、のちに差し替えられた。それでも、少し前まではYouTubeで黒塗りヴァージョンも見ることが出来ていたが、今ではどうもすっかり消去されてしまったらしい。


 ” Puttin’ on the Ritz”は、もともと1929年に発表され、同名のミュージカル映画にも採用された曲である。歌詞は、時代によって変遷し幾つかのヴァージョンがあるが、20世紀初め頃のアフリカ系アメリカ人によるHarlem Renaissanceなどの社会的風潮に触れているらしい。

 すなわち、” High hats and colored (or arrow) collars, white spats and fifteen (or lots of) dollars, spending every dime for a wonderful time”というような描写には、ハーレムの貧しい黒人たちが白人富裕層風のいでたち――High Hat (シルク・ハット)、Colored (or Arrow) Collar(流行の礼装用替襟)、White Spats(礼装用の白い脚絆)など、派手な高級衣装に身を固めて、歌詞にも出てくるLenox Avenueあたりを闊歩した当時の風俗が皮肉に詠みこまれていると言われる。

 曲を作ったIrving Berlinはロシアで生まれ、アメリカで活躍したユダヤ系の人物で、いささか複雑な出自である。彼がどのような意図でこの歌詞を書いたのかは、残念なところ調べがつかなかったが、時代背景から鑑みると、当時この曲を耳にした人たちなどには、身の丈に合わない恰好をした黒人たちを白人側から揶揄する気分が、惹起されていたのかも知れない。


 いずれにせよ、かつての白人優位的な時代や社会において、黒人をコミカルに表現するのに用いられた古典的な手法が、黒塗り(Black Face)のメイクであり、『Puttin’ on the Ritz(踊るリッツの夜)』がリバイバルした1980年代以降における欧米などの価値観からすると、侮蔑の色合いを指摘され、差別とみなされても仕方ないところがある。

 また、Tacoにしても、インドネシアで生まれたとは言いながら、両親ともにオランダ人の家系らしく、このことが却ってかつてのオランダ(白人)によるインドネシア(有色人)の植民地支配を想起させ、ミュージック・ビデオにおける黒塗り(Black Face)のシーンを、よりネガティヴなイメージに助長したのかも知れない。


 ただ、黒塗りを全て差別に結び付けるのも、ステレオタイプなポリティカル・コレクトネスで、行き過ぎた態度と考える。例えば、1980年代に日本の音楽シーンで活躍したシャネルズの黒塗りは差別意識どころか大いなるリスペクトであろう。文化盗用(Cultural Appropriation)の議論もそうだが、原理主義的なポリティカル・コレクトネスの主張は、却って人々の反発を招き、現下のアメリカで見られるようなDEI(Diversity, Equity & Inclusion)の過剰な排斥といった、極端から極端へと振れてしまう可能性があるので注意が必要に思われる。


 何だか、カムカムエヴリバディから随分と脱線してきたようである。

 この辺でそろそろ筆を擱くこととしたい。

 なお、” Puttin’ on the Ritz”の歌詞に複数のヴァージョンがあることは既に述べたが、当初のオリジナル歌詞には、固有名詞のRockefellerもGary Cooperも記されていなかったという事実を、末筆ながら付言しておく。




                         <了>






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