第8話 急使
騎馬隊は白い砂煙を巻き上げて陣へ滑りこんでくる。先頭を駆る男は黒い長髪を風になびかせる美男子で、陣内へ入るなり声を張り上げた。
「レイン・ウォルフ・キースリングさまは在陣なさっているか!?」
「はい!! こちらにいらっしゃいます!!」
軽騎兵の一人が答えると男は軽快な動作で音もなく馬から降りる。そのまま砂丘のふもとまで案内されると、焚火の傍でレインとジョシュが待ち受けていた。
「よお、誰かと思えばダンテじゃねぇか!!」
ジョシュは嬉しそうに近づいて力強く抱擁をかわす。男の名前はダンテ・カインハルト。彼もまたレインの幼馴染で、普段はジョシュとともにレインの副官を務めている。今回はロイドの外征に参加して傍を離れていた。
「お前、ロイドさまと一緒じゃないのか?」
「ええ。一緒におりましたが、急使として先発しました」
「お前が急使? ペテロ爺さんが腰でもやったか?」
「ふざけている場合ではありません」
ダンテは軽口を叩くジョシュからレインへ視線を移した。
「レイン、お久しぶりです。ダンテ・カインハルト、ただいま戻りました」
「お帰りダンテ。無事で嬉しいよ」
レインも鉄仮面の下で声を弾ませる。ダンテと抱擁をかわすと用向きを尋ねた。
「いったい何があった? 父上と母上に何かあったのか?」
「いえ、ロイドさまとサリーシャさまはお元気にされています。このたびは親書を持ってまいりました」
「親書? 僕に?」
「はい、さようでございます。これをご覧ください……」
ダンテは懐から封筒を取り出してレインに手渡す。確認してみると封蝋には『翼竜』の印璽が使用されていた。『翼竜』の紋章は皇族のみに使用が許されている。レインはギクリとしてダンテを見た。
「これは……皇族から?」
「はい。ガイウス大帝からの親書でございます」
「「ガイウス大帝!?」」
親書は神聖グランヒルド帝国の現皇帝、ガイウス大帝からだった。レインの隣ではジョシュも驚いている。レインは手紙に拝礼すると帯剣に付属する小刀で封蝋を取って手紙を読み始めた。
『藩王ロイド・ウォルフ・キースリングの息子レイン・ウォルフ・キースリング。貴公の才気煥発なる噂、ウルド砂漠を越えて帝都まで響く。余の孫娘リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤは貴公を強く慕うものなり。余はリリーの心情とウルド国の繁栄を願って二人の婚礼を決断す。しかれば、一軍を率いてリリーを出迎え、速やかに挙式せよ。余も藩都ウルディードへ赴き、二人の門出を祝福するであろう。神聖グランヒルド帝国の威信を示せ』
「……」
親書を読み終えたレインは足元がぐらつくのを感じた。突然のことで何が何だかわからない。すると、そんなレインを見てジョシュが顔を顰める。
「どうした? 何て書いてあるんだ? 出征命令か?」
「いや……結婚しろって」
「ふぅん。結婚ねぇ……結婚!?」
ジョシュは驚いてレインを二度見する。
「いったい誰とだよ??」
「リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ殿下……」
「リリー殿下だぁ!? 皇帝の孫じゃねぇか!!」
ジョシュは大きく目を見開いたまま固まってしまった。レインは頷きながらダンテの方を向く。
「ダンテ、これは……」
「そのままです。リリー殿下がレインさまとの結婚をお望みになり、ガイウス大帝はお許しになられました」
ダンテが神妙な面持ちで答えるとジョシュが口を挟んでくる。
「おいおい、ダンテ。リリー殿下ってアレだろ? 男を取っかえ引っかえしてるとかいう……」
「ジョシュ!!」
ダンテは鋭い口調でジョシュを制し、周囲を見回して気を配った。
「口を謹んでください。誰が聞いているかわからないのですよ」
「ここはレイン・ウォルフ・キースリングの本陣だぞ。密告するヤツなんかいねぇよ」
「そういう問題ではありません」
「じゃあ、どういう問題なんだよ。お前は心配しすぎなんだって」
「ダンテ、ジョシュ、三人で話そう。少し歩こうよ」
レインは見かねて二人の背中を押す。歩きながらことの経緯をダンテに尋ねた。
「いったい、どうして僕が選ばれたんだ?」
「それはわかりません。リリー殿下の二十歳を祝う祝賀会で突然、殿下本人がレインとの結婚を望まれました」
「リリー殿下が僕を……」
レインは会ったことのない皇女を思った。『リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ』……ルキウスは先帝の名前であり、グランヒルドは国名、フレイヤは皇女を守護する女神の名前だった。
──二十歳ということは僕と同じ年か……。
レインたちの歩調が緩くなる。ダンテは説明を続けた。
「リリー殿下はロイドさまとサリーシャさまにもご挨拶なされました。その折、サリーシャさまは家宝の短剣を殿下へ献上なさったそうです」
「母上が……父上はなんと言っている? 書状はないのか?」
「書状はございません。ですが、言伝を預かっております」
「父上から? 教えてくれ」
「『ウルドの未来を考えろ』……とのことでございます」
「……」
父ロイドは遠回しに『リリー殿下と結婚しろ』と言っている。そのことはダンテやジョシュにもわかった。二人は真剣な顔つきでレインの答えを待っている。
──父上と母上はこの結婚を認めている。僕の病状を知っているのになぜだ……断れない理由でもあったのか? それに、リリー殿下本人は僕の病を知っているのだろうか……。
様々な思いが脳裏をよぎる。レインは自分の容姿を思って奥歯を噛んだ。いかなる理由があるにせよ、リリーがレインの素顔を見れば気味悪がって嫌悪するだろう。そう思えてしかたがなかった。
──リリー殿下に会って結婚が撤回されればいい笑い者だ。恥をかく未来しか待っていない……。
陣の外れまでくるとレインは足を止めた。昇り始めた太陽の光を浴びて大地が白く輝いている。レインにとって忌むべき陽射しは世界を色鮮やかに変え、白い大地と真っ青な空が世界を二分していた。
──そういえば、リリー殿下の髪は白銀で、瞳は澄みきった空のように青いと聞く。
その昔、帝都へ派遣された使者がリリーの容姿を語っていた。朝廷に姿を見せたリリーは目も眩むほどに美しく、微笑むだけで宮殿が華やいだという。レインは自分と対照的なリリーが羨ましく思えた。
「なあ、ダンテ、ジョシュ。二人はリリー殿下のことを知っているか?」
「「……」」
レインが尋ねると二人は気まずそうに顔を見合わせる。辺境まで聞こえてくる皇女リリーの噂は芳しくなかった。
「お前は噂に興味がないから知らないかもしれないが……」
ジョシュは困り顔で説明を始めた。