第24話 ガイウス大帝01
リリーとの散策が終わるとレインは西の城館へ帰城した。リリーとの別れはレインを名残惜しい気持ちにさせた。
──明後日にはリリーと結婚式を挙げるというのに、こんなにもリリーを恋しく想うなんて……。
レインはリリーに恋焦がれる純粋な青年そのものだった。寂しい気持ちも束の間だと自分へ言い聞かせ、幸せな心持ちのまま就寝する。すると、深い眠りのなかで吹き抜ける風と草木の匂いを感じた。妙に現実味のある夢路をたどっていた。
それは、見たこともない風景だった。レインは青々とした草原の上に立っており、目の前には生い茂る樹木と点在する沼の湿地が広がっている。湿地の向こう側は小高い丘になっており、丘の頂上には巨大な塔が天高くそびえていた。
──『昏い静寂の塔』……。
なぜかレインには塔が『昏い静寂の塔』であるとすぐにわかった。
──『昏い静寂の塔』は帝都グランゲートにあるはず……。
よく目を凝らしてみると、塔へ続く丘を数人の人影が登っている。後ろ姿はロイド、サリーシャ、ベル、ジョシュ、ダンテのものだった。他にも何人か見知らぬ背中がある。彼らは振り向きもせず、重い足取りで丘の草地を登ってゆく。
──みんな、どこへ行くんだ!?
レインは一人で取り残される恐怖を感じた。言い知れない不安に駆られていると急に空が暗くなる。慌てて空を仰ぎ見ると幾つもの巨大な岩石が地表へ向かって降り注いでいた。
──い、隕石!?
球体の岩石はどれもが赤く燃え盛る炎を纏っている。『昏い静寂の塔』をかすめ、丘の向こう側へ落ちようとしていた。
──み、みんな、そっちへ行ったらだめだ!! 隕石が落ちる!!
レインは必死になって叫ぼうとするが、なぜか声が出てこない。みんなはこちらを振り返らずに丘の向こうへ消えてゆく。すると今度は、誰もいなくなった丘の上に甲冑を纏う背の高い人物が現れた。レインにはその人物がこちらを見つめているとすぐにわかった。空気は張りつめて重くのしかかり、圧倒的な敵意と殺意まで感じる。
──お前は誰だ……。
レインがどれだけ目を凝らしみても、相手の顔は翳っていてわからない。やがて正体不明の人物は剣を抜いてこちらへ切っ先を向けた。そのとき、丘の向こう側へ隕石が落ちる。轟音とともに巨大な火柱が上がった。
──み、みんな!!
レインは呆然と立ちつくすことしかできない。奥歯を噛みしめたまま涙を流した。無力感と喪失感に包まれ、体中が震えて気が遠くなってゆく。やがて、レインは瞼に強い光を感じて目覚めた。ウルドの朝陽がレインを悪夢から救い出していた。
──今の夢はなんだ。僕は何を見たんだ……。
夢は暗い未来を暗示している。星を見たときに感じる予感よりも鮮明だった。レインは汗だくになった寝衣から式典用の軍服に着替えて自室を後にする。悪夢のことが引っかかり、足取りは重かった。
× × ×
地平線の彼方に砂嵐が巻き起こった。かと思えば、砂嵐の中から巨大な戦列艦がいくつも出現する。無数に現れた戦列艦は黒い津波のようにウルディードへ向かって押しよせた。
神聖グランヒルド帝国が誇る水陸両用の戦列艦は、敵戦艦や城壁を一撃で粉砕する投石機や弩砲を搭載している。船団を率いるのは神聖グランヒルド帝国皇帝、ガイウス大帝だった。
ガイウス大帝はリリーの兄弟たちと一緒に帝国正規軍を率いてきた。それは神聖グランヒルド帝国の武威を内外に示そうと考えてのことだった。わざわざ南方のカリム海からウルド砂漠へ入り、ウルディードまでやってきた。
──ガイウス大帝がお出ましになられる……。
城壁から艦隊を確認したレインは妙な胸騒ぎを覚えた。帝国艦隊がウルドへ侵攻する侵略軍のように見える。艦隊の投石機や弩砲から放たれた炸裂弾がウルディードの城壁や街並みを破壊する……悪夢を見たせいかそんな予感を抱いた。
──僕はなんて想像をしているんだ……。
レインは自分に呆れた。不安をかき消すように足早に軍港へ向かう。リリーと一緒にガイウス大帝を出迎える手はずになっており、夜には前夜祭が予定されていた。
× × ×
レインが軍港につくとソフィアの親衛隊とジョシュの儀仗隊が整然と隊列を組んでいる。最前列には青い宮廷ドレスを着たリリーと執事服姿のクロエ、そしてロイドとサリーシャが立っていた。
「おはよう、レイン。昨日は楽しかったですね」
リリーが挨拶するとクロエも頭を下げる。レインは悪夢のことを忘れて笑顔になった。
「おはよう、リリー。僕も楽しかったです」
「また二人でお出かけしましょうね」
リリーの笑顔は豪華な宮廷ドレスが霞んでしまうほど美しい。レインが思わず見とれていると、リリーはレインの軍服に目をとめた。
「レイン、紋章が少し傾いています」
リリーはレインの軍服へ手を伸ばして胸元の紋章に触れた。普段は絶対にとめ忘れないピンをレインはとめていない。銀で縁取られた紋章が傾き、外れかかっている。
「『狼』の紋章が泣いていますよ……」
リリーは慣れた手つきで紋章をとめ直す。手慣れた仕草を見下ろすレインの涼しげな目元が翳った。
──他の誰かの紋章もこうやって……。
レインはリリーの手つきに男の影を感じた。しかし、そんな自分をすぐに嫌悪する。
──リリーの過去をあれこれ想像するなんて、僕はなんて暗い人間なんだ……。
黙りこんでいるとリリーがレインの胸をぽんと軽く叩いた。
「ほら、もう大丈夫です」
「ありがとうございます」
「わたしの紋章も『翼竜』から変わるのね。『狼』の紋章だなんて素敵だわ」
リリーは無邪気に微笑んでみせる。その笑顔が眩しければ眩しいほど、レインはなぜか暗い気持ちになった。
──リリーはどうして僕との結婚を望んだのだろう……。
今さらながら何かが心の隅に引っかかる。レインの脳裏に再び悪夢がよぎり、暗い予感は消えることがなかった。
× × ×
ウルディード城内の軍港に鉄柵を引き上げる金属音が響き渡る。砂船専用の城門が開くと巨大な戦列艦が次々に入港してきた。戦列艦はどれもが『キースリング』と同程度の大きさで、統一された動きで港に停泊する。
ガイウス大帝が乗船する旗艦は戦列艦のなかでも一番大きく、『グランヒルド』という国名を冠していた。『グランヒルド』が停泊すると鋼鉄の乗船橋が轟音とともに立て架けられる。
「神聖グランヒルド帝国、ガイウス大帝のお出ましである!!」
戦列艦『グランヒルド』のなかから大声で叫ぶ声が聞こえてくる。ソフィアとジョシュ、親衛隊と儀仗隊は一斉に剣を抜き放ち、帝国軍旗と一緒にかかげた。ロイドとサリーシャは片膝をつき、レインも同じように跪く。
「「「帝国万歳!! 帝国万歳!! 帝国万歳!!」」」
親衛隊や儀仗隊が歓呼すると乗船橋に人影が現れる。すると、レインの隣にいたリリーが駆け出していった。
「ガイウス大帝!! お待ちしておりました!!」
「おお、余の可愛いリリー。ウルド砂漠の暑さにまいってはおらぬか?」
「わたしはガイウス大帝の孫。暑さなんかに屈しません!!」
「そうか、そうか。さすが余の孫だ」
ガイウス大帝は上機嫌になり、ロイドやサリーシャにも声をかけた。二人の「ウルディードへの行幸、誠に光栄でございます」という声がレインにも聞こえてくる。レインは跪き、頭を下げたまま待った。やがて、ガイウス大帝はレインにも声をかける。リリーに対する声色とは全く違い、地の底から響いてくるような低く、威厳に満ちあふれる声だった。
「レイン・ウォルフ・キースリング、面を上げろ」
「はい」
レインが顔をあげると2メートルを優に越える老人がこちらを見下ろしている。ゆったりとした真紅の宮廷服を纏い、『翼龍』の装飾がほどこされた帝冠を戴いていた。
「立て」
「は、はい!!」
立ち上がってみてもレインはガイウス大帝を見上げることになった。ガイウス大帝は彫りの深い顔に白く長い髭を蓄えており、二つの大きな黒い瞳は爛々と輝いている。レインの心底を見透かすような凄味があった。
「お前がレインか。皮膚病を患う鉄仮面の狼と聞いていたが……」
ガイウス大帝は巨体を折り曲げると首を傾げてレインの顔を覗きこむ。レインは凄まじい存在感に圧迫されて押し潰されそうになった。