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極夜の狼─ウルデンガルム─  作者: 綾野智仁
第1章 皇女と昏い静寂の塔
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第2話 来訪者

 ロイドとサリーシャが滞在する迎賓館は帝都グランゲートの郊外にあった。二階に用意された部屋へ戻るとサリーシャはすぐに衛兵を下がらせる。サリーシャの強い扉の閉め方が抑えきれない不満を表していた。



「ねえ、あなた……」



 サリーシャは振り向くなりロイドを睨んだ。黒のパーティードレスからのぞく肩や背中には刀と矢の傷痕が刻まれている。傷痕を隠そうともしない姿がサリーシャの激しい気性と誇りを物語っていた。



「やっぱり、明日にでも参内(さんだい)して、婚礼をとりやめるようにガイウス大帝へ奏上(そうじょう)しましょう」

「サリーシャ、どうしたんだ?」



 ロイドはサリーシャの性格を知り尽くしている。サリーシャを長椅子に座らせるとグラスに水を注いで手渡した。落ち着いた声で「もう、決まったことだ」と告げるが、サリーシャはロイドの落ち着きぶりが気に入らなかった。



「こんな風に結婚が決まるだなんて、あまりにも急よ。レインはどうなるの?」



 サリーシャはグラスをサイドテーブルに置いて立ち上がった。



「リリー殿下のお噂はあなたも知っているでしょう? レインは気の優しいのんびりした子。あまりにも気性が違い過ぎる」

「……」

「それに、あの子は大病を抱えているのよ。身体中の皮膚が炎症を起こし、鉄仮面や包帯がなければ外出もままならない……リリー殿下の結婚相手が務まるとはとても思えないわ」

「そうかもしれないな」



 ロイドは曖昧な態度で答えをはぐらかす。サリーシャは眉根をよせた。



「レインには決められた相手ではなく、自分で結婚相手を探して欲しいの。お互いを想い合って愛のある結婚をする……わたしたちがそうであったように」

「……」


 

 自分たちを引き合いに出されるとロイドは何も言えなかった。かわりに、サリーシャの豊かな栗色の髪をなでて、そっと抱きよせる。


 

「サリーシャ、お前の気持ちもわかる。だが、こんな時代にあって俺たちはかなり運がよかった……それに、宴席とはいえガイウス大帝の勅命も下った。俺たちにどうこうできることじゃない。それはお前もわかっているはずだ」



 困り顔のロイドを見てサリーシャは遠い昔を思い出した。昔から、困った時のロイドは苦しい胸の内を優しさで覆い隠す。その優しさにほだされて、いつも最後には納得してしまう。



「……やけに大人しく納得するのね。『砂漠の狼王(ウルデンガルム)』の牙も抜けたのかしら?」

「あはは、言うじゃないか」



 ロイドは苦笑しながらサリーシャの額に口づけをする。



「悪いことばかりじゃない。レインがリリー殿下と結婚して皇族になれば、未来は約束されたようなもの。それに、二人が仲睦まじい夫婦にならないともかぎらないだろ?」

「……そうだといいわね」



──本当に……そうだといいのだけれど……。



 ロイドへ微笑み返しながらも一抹の不安がよぎる。それは、ロイドがあまりにも簡単に結婚を認めたことだった。いくらガイウス大帝の勅命とはいえ、ロイドも帝国内に領国を持つ藩王(はんおう)。意義を申し立てるなり、返答を延ばすなりできたはずだった。



──夫とガイウス大帝の間で何かあったのかしら?



 サリーシャは愛する夫の行動に忠誠とは違う陰謀めいた臭いを感じていた。すると突然、衛兵が扉をノックする音が客間に響く。



「藩王ロイドさま、奥方さま、リリー殿下がお見えになっております!!」

「「リリー殿下が!?」」



 ロイドとサリーシャは驚いて顔を見合わせた。ロイドが慌てて衛兵に命じる。


「すぐにお通ししろ!!」

「畏まりました!!」



 衛兵が下がると間もなくして、リリーが客間へ入ってきた。後ろには長剣を携えたソフィアが控えている。他にも侍女を数名引きつれていた。



「深夜の来訪、ご無礼をお許しください」

「「とんでもないことです、リリー殿下」」



 ロイドとサリーシャは片膝をついて臣下の礼をとる。リリーはすぐにしゃがみこんで二人の手を取り、立ち上がらせた。



「そう畏まらないでください。お二人はいずれわたしの両親となるお方。帝国式儀礼は無用に存じます」

「「ですが……」」



 二人が困り顔になるとリリーは微笑みながら来訪の理由を告げた。



「さきほどの一方的な婚約に対する謝罪に参りました」

「謝罪……でございますか?」



 ロイドが首を(かし)げるとリリーは侍女へ振り返り「これへ」と(つぶや)いた。すると、侍女の一人が進み出て金色の小箱をリリーの前へささげる。リリーが小箱を開けるとそこには翡翠(ひすい)でできた袖止め(カフリンクス)が入っていた。


 袖止め(カフリンクス)には金細工の装飾がほどこされており、一目で高価な物だとわかる。しかも、翡翠には帝国の紋章である『翼竜(よくりゅう)』が彫りこまれていた。



「お詫びのしるしに持って参りました。どうか、お納めください」

「「……」」



 ロイドとサリーシャは戸惑うばかりだった。リリーはそんな二人を差し置いて、翡翠に視線を落としながら続ける。



「お二人は藩王であると同時に帝国軍を率いる将軍でもあります。レイン殿がわたしと結婚して皇族となれば、必要になることもあるかと……観閲式の折にでも付けてくださると嬉しいです」

「このように貴重な物、いわれもなく受け取れません」

「どうか、そう仰らずに……」



 ロイドが断るとリリーはゆっくりと顔を上げた。



──う……。



 視線が合うとロイドは言葉を失った。リリーの憂いを(たた)えた瞳は吸いこまれそうなほどに澄んでおり、こちらの心を見透かすようだった。



──なんと美しいことか。これほどの美貌に魅入られてしまえば、名君も暴君になろう。レインには荷が重いかもしれぬ……。



 ロイドが言葉に詰まっているとサリーシャが進み出る。サリーシャは一礼しながら小箱を拝受した。



「どうやら、夫は緊張している様子。どうか、お許しください。リリー殿下みずから下賜くださるとは光栄でございます。ところで……」



 小箱を受け取ったサリーシャはそのままリリーを見つめる。眼光は鋭く、まるで戦場にでもいるかのようだった。



「リリー殿下におかれましては、我が息子レインをどうして選ばれましたか? 母として理由をお尋ねしたいと存じます」



 身長の高いサリーシャが華奢なリリーと向き合うと見下ろす形になる。威圧的な雰囲気も相まって、(はた)から見れば将軍が下士官を()(ただ)しているようにも見えた。



「どうか、お答えください」



 サリーシャが迫るとリリーの後ろでソフィアがゆらりと動く。ソフィアはサリーシャの態度が気に入らない。陰鬱な眼差しをサリーシャへ向けたまま進み出ようとした。すると、その気配を察してリリーが口を開いた。



「レイン殿にはずっと恋焦がれておりました。この気持ちを何と表せばよいのか……」



 リリーは頬を朱に染めて伏し目がちになる。恥じ入るような姿はとても可愛らしく、サリーシャですら見惚れてしまいそうなほどだった。ソフィアも再びリリーの背後で気配を消している。



「わたしが初めてレイン殿を知ったのは、ちょうど半年前のことです。それは、帝国図書館でのできごとでした……」



 リリーは胸の前で細い指先を絡め、可憐な仕草で語り始める。少し上気した顔はレインへの愛しい想いにあふれている……少なくともサリーシャとロイドにはそう見えた。

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