始まりはいつも突然に
始まりは常に突然。
それは偶然? 必然?
始まりは新たな道。
始めるのか、続けるのか、終わるのか。
彼等はどうやら――…
ここは何処にでもある様な学校の屋上。見える風景は家やらマンションやら面白みのない町の風景。幾つかのベンチが高いフェンスの足場辺りにそって設置してある。
そのベンチに座ってお弁当や菓子パンを食べている生徒を見ると昼休みだと告げていた。
いや、何よりも彼、鬼神勇士の胃が唸っている。これが昼休みである動かぬ証拠だ。
そんなベンチの一つに、真剣そうな表情の少女と、パシリを心良く受けてくれた男を待つ勇士が座っている。
「海斗おせぇなぁ……」
ぽけーっとだらしない猫背に手は両太股の間にぶら下げ、顔は少し高い位置を見る様に斜め上を向いて、太陽に愚痴る。
そんな勇士の横で何かを決意した様にコクリと頷きながらゴクリと固唾を飲み込む少女。無意識に制服のスカートが皺になる程強く強く両手で握りしめていた。
「ね、ねぇ……? もし私たちがこの世界とは全く違う世界に行かなきゃって事になったら、どーする?」
彼女は如月絢。昔からの幼馴染みで勇士にとって大切な『家族』だが、たまにリアクションに困る話しをぶっかけてくる困った少女だ。
絢は真剣な表情でゆっくりと言葉を選びながら話している。そんな絢に勇士は「いきなり何だ?」と首を傾げながら怪訝な表情をしてみるが、絢の表情が真剣なので一応話しを合わせておこうと無難な選択を選んだ。
「……何のゲーム?」
--いや異世界といったらファンタジー映画とか小説か?
そんな事を考えながら勇士は猫背のまま視線だけ絢に合わせながら言うが、ブンブンと音がなりそうな程顔を横に振る絢。顔を振るごとに絢の髪の毛が勇士の顔を叩きシャンプーの香りを楽しむことは忘れないが、くしゃみが出るのを堪えるので少々必死だ。
「違うっ! ゲームとか本とか映画とか関係無しにもしも! もしもの話だって!」
真意はわからないが、取りあえず真剣な絢の気持ちを汲み取り、もしもについてもう少し考えてみよう。
もしいきなり知らない世界に迷いこんだら……。
「そーだなぁ……、違う世界にいっちゃったら帰る方法探すんじゃないか?」
「……いっちゃったらっていうか、同意の上でいってるって事。」
ど、同意ねぇ……。
意味のわからない事を真面目に聞かれる勇士の脳内では、空腹に耐えるために妄想へと思考を進めた。彼の妄想は癖の一つかもしれない、役には立たないのだが。
………………。
……いきなり真っ白な長い髭に白髪の老人が、真っ白な布切れに身を包み、雲の上に乗りながら俺に、
「勇士よ、魔王を倒してはくれまいか? おぬしにしか出来ぬのじゃ……」
そんな事を言ってきたとしよう。我ながら想像力が豊かだと思う。
俺がいきなりの事に迷っていると、白髪の爺さんが長い髭を撫でながら、
「もちろん、ただでとは言わん。」
そういうと、何処から取り出したのか、光を放つ木製の長い杖が爺さんの右手に現れ、その杖をゆっくりと横薙ぎに振り出した。
まるで柔らかい光の残像がフワフワと生きているようにも見えて、いつの間にかワクワクしながら爺さんの行動を見ていた俺は次に起こった出来事に腰をぬかしてしまった。
「この魔法使いを連れて行け!」
そのフワフワと飛散していた光が人の形に集まったと思えば酷く美しい年上のお姉さんが……
「…………ふむ」
「え? 今なんて言ったの?」
阿呆な妄想が終了し即答してしまう自分に自己嫌悪するが、聞き逃したようで耳を寄せてくる絢。
そういえばシャンプー変えたのかな……。
ほんのり香る絢の臭いにほのかな桃の香りがプラスされ鼻を擽ると、いい加減にしやがれと言わんばかりにグゥと腹の虫が唸りはじめた。
海斗おそいなぁ……。
「ねぇ、勇! 何ていったの??」
「…………あ」
「え??」
キーンコーンカーンコーン……
無常にも繰り返される木琴だか鉄琴だかの鐘の音。
絢の表情が忌ま忌ましいチャイムによって期待から諦めに変わって行くのがわかるが、今の勇士にはそれをフォローする余裕はなかった。
勇士はこれから二時間半も、我が儘な腹の虫と戦わなければならないのだ。
正直勝てる気がしない。
戦う前から負けを認めてしまうのは自分をよく分かっているからなのか、それとも面倒だからなのか。
「…………。……めんどくせぇ……。」
「はぁ……」
がっくしと頭をたれる二人。
そんな事はお構いなしに昼休みを終えるチャイムは学校中に響き渡り余韻を残して消えていく。
◆
午後16時30分、我が家に着くまでが空腹との戦いだと自分自身を戒める勇士だが、やっと一つの難関を潜り抜けることが出来た勇士の表情はとても清々しい。
「や、やっと……やっと終わったぁ!!」
「いやー長かったー……。これが後一年続くとなると頭おかしくなりそーだな……」
「覚えてろよ、使えないパシリめ。今日から俺の命令は絶対だからな!?」
「そんなの昔からだろ……。」
彼の名前は海斗。鬼使海斗16歳高校二年生。
海斗の髪は赤に近い茶髪で、前髪を両サイドにふわりと分けている。瞳は茶色だが真ん中に行くにつれて黒くなる一般的な日本男児だ。
大きい瞳からは活発で人当たりが良い印象をうける。実際は『勇士が家族と認めた者にだけ』活発な性格を見せる捻くれた所があるのだが。そして勇士と海斗にはテレパシーにも負けず劣らずの感覚がある。
勇士に危険があれば、それに気付ける海斗。海斗に不安があれば、それを悟れる勇士。二人の間に距離感など無く恋人なんかよりも見えないところで繋がっているとまで言える。まるで双子の様。
しかし実はお前達は双子だったんだ。と言われても驚かないというか違和感が無いのは確かだ、と勇士や海斗は思っていた。
身長は勇士とほぼ同じ179センチ。どちらが先に180台へ上り詰めるか、という賭けは未だ続いている。
「あんたたちは学校終わるといつもそれね……。そろそろ違うセリフ考えたら?」
「絢だっていつもそのセリフ言ってないか?」
「そ、そんな事ない……と思うんだけど……」
勇士に切り返され戸惑う彼女は絢。如月絢16歳高校二年生。
この三人は幼少の頃からいつも一緒で、いわゆる幼馴染になる。
透き通った金髪。一本一本がきめ細かい髪で、長さは胸の当たりまである。
真っ直ぐなストレートヘアーで、右サイドにピンクのリボンで優しく束を一つだけ作っている。それに普段は服の中に入れていて見えないが虹色の透き通った石がついているネックレスをいつもつけている。昔勇士が一緒にお風呂に入った時に石の正体を聞いたのだが、わからないけどとても大切なお守りだと言っていた。
そしてかなり珍しいと言われる薄紫の瞳は何処か魅惑的で、目は吊り目だがパッチリしていて、怖い印象は受けない。顔立ちは整っていて綺麗だが、まだ幼さが少し残っているため可愛い系の部類に入る。
身長は160程。細身でスラっとしていて良いスタイルなのに、発展途上の胸がひそかな悩みらしく絢の前で胸の事を話すのは地雷を踏むようなもの。しかしこれは女性共通の悩みだろう。
彼らの家は学校から少し歩きシャッターの閉まった元お店が犇く商店街を抜けて10分ほど歩いた場所にある。大体30分ぐらいだ。
ちなみにこの商店街にはコンビニが一軒あるだけで他の店は閉まりきっている。噂ではこの商店街に深夜0時から3時の間だけ開いているという『なんでも屋』があると言われているが、その店に立ち寄ったという話は聞いた事が無い。その噂を知っている者は七不思議の様な物だろうと誰もが思っている。
その商店街にあるコンビニを通りすぎようとしたところで幼馴染三人組の絢に話しかける者がいた。
「あ! そこの可愛い女の子! 遊びに行こうぜー?」
「それで海斗、おまえがいってた女は死んだのか?」
海斗が言っていた事とはパシリに失敗した理由だ。内容は「焼きそばパンを三つ入手したのはいいんだが、いきなり俺のファン59号だと名乗る女が来て私と付き合ってくれないなら今ここで自殺します!! って大声で叫んでな。しょうがないから保健室に連れて行って言い包めるのに時間が掛かったんだ」だ。これは嘘なのだが勇士は疑う事なくすんなり信じ込んでしまった。ちなみに海斗にファンがいる事は嘘ではない。頭脳明晰、運動神経抜群、サバサバした性格でクール、容姿だってイケメンの部類に入るだろう。ファンがいる理由はそれだけではないのだが、大勢のファンがいてファンクラブまで存在している。
「おーい! 無視かぁ? そこの金髪の女の子だよ!」
「おいおい……。勇士、あれを信じるのか? ……いや、俺が悪かった冗談なんだよ。実は絢が―――」
「ばっ! バカイト(バカカイト)!! 言うなっていったでしょ!?」
「その呼び方はやめてくれって言ってるのに……」
「バカイトが悪―――」
「おいっこらッ!!」
3人の世界に入っていた幼馴染三人組にはコンビニの前でたむろしていた彼らの声は聞こえなかったらしい。
コンビニにたむろしていた彼らは真っ黒の制服のボタンを全て外し真っ赤なシャツやら派手な柄シャツやらをインナーとして着ている。奇抜な髪型に耳には大きな輪っかをつけているものや、唇に穴を開けている者までいる。合計3人の彼らは誰がみても不良だと言うだろう。そんな不良の一人が無視された事に腹を立て(実際は聞こえていなかっただけだが)絢の二の腕をがっしりと掴んだ。
「ん? 近くで見るとめっちゃ可愛いぞコイツ! お前らも見てみろよ」
「まじかよ? ……ほぉー、ガイジンサンデスカ?」
絢の二の腕を掴んだ男が呼ぶと、コンビニの入り口でカップラーメンを食べていた仲間だと思われる2人が近づき絢の顔を覗くと下品な笑みでカタコトの日本語を話し出す。
もはや、無視されたことなど忘れているらしく不良3人組は勝手に、
「カラオケにする? でも最近毎日いってんよな」
「でもここらへん遊ぶとこねーし、いんじゃね?」
「その後はーー……、お前んちあいてる?」
「いいねえー、俺酒かってくるぜ。俺の顔見たら身分証見せろだなんて言えねえだろ?」
「はは、言えてる言えてる。絶対びびるぜ?」
「んじゃ、行こ―――」
「―――楽しそうに話してるのはいいんですけど、……離してください。」
「あー?」
絢の二の腕を掴んでいた不良が行こうと言う所でピシャリと絢が言い放つ。その言葉を耳にした不良は条件反射の様に眉を寄せ低い声を出した。
「いや離したほうがいいです。お願いします、ここは引いてください。」
不良の威嚇に竦む事もなく、冷静に離した方が良いと勧める絢だが、この不良達は下品な大声で笑い出した。
「……離した『ほうがいいです』? ぷっ……、こ、この娘ビビって日本語間違えてるぜ?」
「離して下さい、でしょ? 可愛いなあ……、もぉ直行で俺んちにつれていこうぜ!?」
「あはははっ! さんせー! ねぇねぇ金髪ちゃん、名前なんてーの?」
「めんどくさいな……」
「じゃあエイト(コンビニ)で酒かってこいよ! 俺ら先いってるし。」
勇士がぼそりと呟くも、まったく耳に入っていない不良達の話は一方的に進んでいく。勇士はボリボリと頭を掻きながら顔を伏せ小さく溜息をついた。
「勇士、あまり騒ぎにするともっとめんどくさいぞ?」
「あ、ずりぃ! すぐ行くからゆっくり歩いとけよ?」
そんな勇士を横で見ていた海斗は携帯を取り出した勇士に一応の意味で忠告する。
「わかってるよ、海斗。」
そう言った勇士は携帯を片手に大きく酸素を吸い込んだ。
「あのーーー!!」
「あん? うっせーぞ、お前。痛いのが嫌なら黙ってろよ?」
そんな不良の言葉に眉一つ動かさない三人。勇士はまた酸素を大きく吸い込み楽天的な態度で言った。
「警察呼びますよーーー!!」
その単語、警察という単語を勇士が言った瞬間、不良達の動きがピクリと止まった。それを見て海斗はコンビニの中でヒソヒソ話しながら見ている店員二人を横目で確認する。
「おい、お前あんまちょーしこいてっと(あんまり調子に乗ってると)一生俺らの奴隷にすっぞ? あ?」
「黙らすか、ついでに酒代もらっていこうぜ」
「てか、こいつら『青学』のボンボン(裕福な子供)だろ? 使えるんじゃね?」
標的を定めたハイエナの様にゾロゾロと勇士たちの周りに集まる不良達。ちなみに青学とは、勇士達が通っている市立の高校で学力は日本全国にある高等学校の中でも5本の指に入る高校だ。だが、しかし勇士はそこまで勉強が出来るという訳でも無い。10点満点で言えば彼の知力は5だ。普通の学力である。
「勇士、周りの事は考えてるか?」
「んじゃ派手に頼むよ、派手にな」
「はいはい……」
この会話から見るとこれから怒っている不良達を勇士と海斗が格好良く張り倒すのかと考えてしまうが、断じて違う。
「早く来いよ、ボッコボコに『されてやるよ』。ゴミ共」
「は!? テメェ……、その言葉忘れんじゃねーぞ……。」
「怖いなー、怖いなー。生ゴミが変な日本語を話してるー!」
この言葉で不良達はスタートを切った。不良はそれぞれがバラバラに動くが、目的は同じ。勇士と海斗をボッコボコにすること。挑発する事によって一体感を無くした不良達は目的を果たす事だけしか考えられなくなっている。
『突撃』、彼らにはそれしか出来なくなっているのだ。人間とは容易だ。複雑な構造を進化の過程で得た人間は複雑だからこそ小さいネジを一つだけ緩めるだけで壊れてしまう。
勇士は絢に携帯を手渡し、真っ直ぐにコンビニへと走りだした。海斗もそれに続く。勿論、頭に血の上った不良達も全力でコンビニへと向かった。
『商品で溢れている』コンビニ。道の横幅は1メートルから2メートル。この狭さなら1対1になるのは必然だろう。だが、それが勇士と海斗の目的ではない。
勇士と海斗はコンビニに入り真っ先にに別れ走り出す。
正方形のコンビニの内部には長い棚が3列並んでいる。出入り口から右手の方向には雑誌類があり、出入り口から真っ直ぐ進むとお弁当や牛乳などのパックが置いてあるコーナーになっている。出入り口から内部へ入った左手には二つのレジが有り逆の奥には缶類やペットボトルの飲み物が入っている冷蔵庫のコーナーがあった。
勇士は弁当のコーナーの方へレジの前を通り、海斗は雑誌コーナーの奥へと走る。
走るといってもそこまで距離は無い。勇士は三歩程で突き当たりに付くと、あたふたしている店員に胸ポケットを指差し、
「その警報のブザーを押して下さい」
と簡潔に言った。安心させる為だ。不安の色に染まった興奮状態の人間に『それがあれば大丈夫』とお守りを持たせてやれば何の保障のないガラクタも神から得た貫けない防具へと変わる。そのガラクタなお守りを持たせると同時に一人の不良が勇士に殴りかかる。
どうやら三人の内一人が勇士の方へ、もう二人が海斗の方へ進んだらしい。勇士の方へ向かってきたのは先ほど絢に声をかけた不良だ。その不良は勇士の胸倉を掴むため右手を突き出した。
勇士はボッコボコにされてやると言い放ったが軽くステップを踏むと右側へ重心を傾ける。不良の右手はその動きに対応することは出来ず勇士の鼻先を掠める。
「……ッチ」
不良は悔しそうに舌打ちをすると勇士を睨みつけ大きく右手を振りかぶり今度は勇士の顔面を狙って右手を突き出した。
不良の右手は勇士の顔面へと真っ直ぐに突き出されるが、また軽くステップを踏むと今度は膝をガクっと落とし前へと倒れるように体を傾ける。
「うお……ッ!?」
そうなれば不良の右手は空気を殴り重心は前のめりに傾くが、鳩尾に勇士の頭があり運悪く? 自分から突っ込んでしまった。
「くっ……」
苦しそうな表情で一歩二歩と後ずさりする不良に目もくれず勇士は目だけでコンビニの天井を軽く眺めた。そんな余裕を持っている勇士を見て歯軋りを始める不良。
「……コンノヤロォオ!!」
腹の底から捻り出した不良の声は店内に響き、その不良はまたも先ほどと同じく勇士の顔面めがけて軽く助走を付けながら右ストレートを繰り出す。
そろそろかな……。
そんな事を内心で呟いた勇士は、不良の拳を見据えながらほんの少し前のめりに体を傾けると、
---ッゴ!
「お?」
不良が突き出した拳は勇士の額に入った。不良がそれを黙認し、ニヤリと笑む。
不良はニヤニヤと笑いながら勇士の胸倉を両手で掴むと、勇士の背後にあるお弁当コーナーへと叩きつける。
派手な音を立てて勇士が突っ込んだお弁当コーナーは、おにぎりやら弁当やらが落ちるやら潰れるやらでぐちゃぐちゃだ。
「ははっ! テメェさっき何て言った? もう一回言ってみ---」
「---コラア!! そこで何をしている!!」
――流石。早いな、十分も経ってないや。
「あ?」
不良が格好良く決めセリフを吐こうというところで、
「警察だ! おとなしくしろ!」
「な……っ」
「当たり前だろ?」
言葉を失う不良に小さな声で囁く。コンビニの外ではパトカー三台に救急車が一台と大騒ぎになっていた。一番初めにコンビニの中へ乗り込んできた太った警察官は真っ直ぐに勇士達の方へ駆け寄り不良を即座に拘束した。
すぐに拘束された不良達はパトカーに乗り込む。まるで流れ作業の様に。
そして先ほど真っ直ぐ勇士の方へ駆け寄った太った警察官が勇士を睨みつけながら「お前!!」と叫ぶ。
「なんだよ、絢がピンチだったからしょうがないだろ?」
勇士は小さく溜息をつくと制服に付いたホコリをパタパタとほろいながらコンビニの外へ歩いていく。しかし執拗く(しつこく)付いてくる太った警察官にやる気の無い表情でそんな事を言ってのけた。
「可愛い可愛い、可愛すぎる俺の絢を利用して暴れたかっただけだろう!?」
「そんな事ないって……、こーするしかなかったんだってば。悟れよメタボリックめ。」
「な……ッ! こんのクソガキめぇ……」
そんな二人の会話にやれやれといった表情で海斗と絢は溜息をついた。救急車は怪我人がいないことを確認し帰っていったが、警察は太った警察官が勇士といがみ合っている為、不良をパトカーに乗せたものの身動きが取れなくなっていた。
その状況に痺れを切らしたのかパトカーの一台からいかにも下っ端の雰囲気を放った警察官が太った警察官におそるおそる話しかけるが、
「た、立て込んでいる所をすみません……、あのー……、彼らを署の方に連れていきたいんで―――」
「―――早く行け馬鹿者が!!」
と、逆切れされてしまうのは誰もが予想していた。そのいかにも下っ端の雰囲気を放っている警察官は「ひっ! す、すすすみませんすぐにすぐに行ってきます!!」ときょどって噛んで躓いて何とかパトカーに乗り込みこの場を離れる事になった。
この場には勇士達三人と太った警察官だけになる。コンビニ内では今だバタバタしているが。
「お前ならその場でどーにかできるだろうが!」
「隆二は俺に暴力沙汰を起こしてほしいの?」
勇士はその太った警察官を『隆二』と呼び、少し皮肉を混ぜて応答すると、その隆二と呼ばれた太った警察官はカッ! と目を広げて、
「当たり前だ馬鹿めが!! 逮捕してやるから早く犯罪でも何でもして来いクソガキ!!」
と、警察あるまじき発言をコンビニの外で、大声で、堂々と言い放った。
「隆ちゃん! いい加減にしなさい!」
「はぁぁ……」と大きな溜息をついてから絢が太った警察官、隆二に向かって言うと隆二は表情を一変させて「あ、絢……?」と今にも泣き出しそうに呟いた。
「今回『も』本当に私が絡まれたの。確かにやりすぎかもしれないけど……」
「で、でも絢? このクソガキは……」
「はいはい、終わり! そろそろ帰らないと。」
そこで傍観に徹していた海斗が間に入る。「ふむ……。」と隆二が頷くと勇士と絢も残っている一台のパトカーへ乗っていった。
「おーい!! 待ってくれ!」
帰る気満々の彼らを止めたのはコンビニのオーナーである。大きく手を振りながらパトカーに近づくと運転席のマドをコツコツとノックしながら開けてくれと言っていた。
「ふぅー……、ちょっと待ってくださいよ警察さん。うちのコンビニはぐちゃぐちゃで営業が出来なくなって……、いやいや弁償の方はどうなってるんですか!」
「おっと、失礼しました。それは追って連絡しますが、あの少年たちの親族が払う事になると思うので。ただコンビニとは緊急避難の窓口です。全てを弁償するのは難しいと思います。……まぁ後ほど検事が来ますので。」
「そ、そうですか……。」
「はい、それでは失礼。」
そう言うと隆二は窓を閉め車を発進させた。
「ほらみろ、クソガキめ。あれであのコンビニは大変だ!」
「そうだな」
隆二が後部座席に座っている勇士に怒鳴ると、他人事の様に相槌を打つ勇士。
そう、実に迷惑のかかる方法を選んだにも関わらず他人事なのだ。
まずコンビニの前で絡まれた絢、それを見ていたコンビニの店員。この二つで『その場で勇士と海斗が不良達を抑える』という選択肢が出来た。店員の目がなければ勇士達が逆に暴力沙汰を起こしたといわれてもしょうがないからこそコンビニ店員、第三者の目が必要だったのだ。まぁ見た目で不良達を悪者にするのは簡単な事だが。
次に勇士は即座に絢の父、そう警察官である絢の父に連絡し警察官達が来るまで時間を稼ぐ事も容易だった。前の会話で大体察することが出来るが隆二の本名は『如月隆二』であり如月絢の父なのだ。そして先ほどの流れで分かると思うが、勇士が携帯を絢に渡し絢が隆二に連絡を取るまで10分も経っていない。それなら勇士達でなくても時間を稼ぐことは容易であっただろう。
だが勇士はそうしなかった。コンビニ内に入り不良達にコンビニ内を荒らさせ、自分たちを完全に被害者の立場に立たせ、尚且つコンビニ店員を中立に置く選択肢を『わざわざ』選んだのだ。
この場合不良達は警察官に捕まるだけでなく、弁償としてお金も取られる。そして不良達が通っていただろう学校にも連絡が行き退学処分になる可能性は高い。
「絢に手を出したのが悪い。どいつもこいつも人間ってやつは本当にめんどくさいな」
勇士は後部座席の窓から外を眺めてぼそりと呟いた。
そう、勇士は最も不良達が困る方法を選んだのだ。勇士達ならその場で打ちのめす事も容易である、痛いしその方がダメージがあるように見えるかもしれないが、そんなものは次の日になれば無かった事に出来る些細なダメージだ。(極論だがここで不良達を殺してしまうと過剰正当防衛と見なされる可能性が高い。だからこそ逆に些細なダメージしか与えられない。)
警察が来るまで時間を稼ぐだけでは足りない。金銭的にも彼らの未来を殺ぐ為にも、もう一つが足りなかった。だからコンビニを巻き込んだ。これで彼らは学校を退学し、警察に捕まったという跡が彼らに一生付きまとい、金銭をコンビニに払う事になる。それは彼らの家族をも巻き込んだのかもしれない。
それが鬼神勇士、高校2年生の少年が選んだやり方だった。
「ごめんね、勇……。」
「絢は何もしてないだろ? 何責任感じてるんだよ」
勇士が軽いテンポでそう言うと絢は「うん……」と頷いた。こんな事は始めてではない、如月絢は不幸体質なのだ。それをよく知っている勇士と海斗はいつもフォローしてきた。そこに絢は罪悪感を感じているんだろう。
「着いたぞ、早く降りろクソガキ!! 絢はパパとドライブにでも行くかい?」
非常に激しく表情を変える隆二に溜息を付きながら車から出る勇士達。
◆
もぉ五時半近くになり太陽も月とバトンタッチしようとしている頃。
勇士、海斗、絢の家は非常に近い。住宅街のど真ん中に彼らの家が陣取っていて、勇士の家を中心に考えると海斗の家が隣にあり絢の家は車二つ分の道路を挟んで向かいにある。
勇士と海斗の家は見た目がとても古臭く、しかしだからこそ威厳があり威風堂々と立っている。元々平屋だった家を増築し二階建てになっている。勇士の家には十五畳は優にある倉があり、そこには歴史ある物が溢れている。
そして勇士の家は隣にある教室二つ分ほどの道場と繋がっていて、その道場は海斗の家とも繋がっている。勇士の家と海斗の家は道場で繋がっている大きな家だと思えば想像しやすいかもしれない。海斗の家は二階建てではないが十分に広い。
勇士の家の目の前にあるのは近代的な日本によくあるお洒落な一軒家。6畳ほどの庭では家庭菜園もやっていて緑溢れる良い家だ。
「それじゃあな」といって勇士が手を上げると海斗が相槌を打ちながら「また夜に」と手を上げる。
海斗は自分の家へと歩いていき勇士は絢と共に絢の家へと歩いていった。
「今日も疲れたな……っと、待てぃ! クソガキ!!」
「あー……、そういえば昼飯抜きだったんだ……」
「今日は肉じゃがにするって言ってたよ?」
「おお! それは楽しみだ! おいしいからなぁー、爛さんが作る肉じゃがっ!」
隆二のストップサインを無視して絢の家のドアを開けると腰の辺りまである黒髪の美人な女性が満面の笑顔で出迎えてくれる。
「あらぁ~! 絢ちゃんに勇ちゃんおかえり♪」
――この笑顔を見ると安心するなぁ。
と、内心で呟く勇士は絢に続いて「ただいま、爛さん。」と笑顔で言った。
「もう少し時間がかかるから絢の部屋で待っててね?」
勇士がはーいと言う所で荒々しくドアが開く。誰が来たのかは言うまでもないのだが。
「こらガキ!! 当たり前のように我が家に上がりこみやがってからに!」
「いつもの事なんだからいい加減許してくれよ、隆二」
「何がいつもの事だ! お前はあれか? 私の可愛い絢とは将来を約束しあった存在なのでこの家は自分の家の様な物なのです。 とかなんとか言い出すのか!? 私は許さんぞ! 絢は私のも―――」
「隆ちゃん!! もぉ、うるさいってば!」
真っ赤なトマトの様な顔で静止をかける絢だが、勇士がニヤリと微笑みながら隆二に食って掛かる。
「残念だったな、隆二。どうやら絢は俺の味方の様だ。」
大袈裟に肩を竦めると「ぬぬぬぬぬ……」と唸りながら隆二も絢の制止を無視して勇士の挑発に乗ってきた。
「何が味方だ! 私の可愛い絢はしょうがなくお前の味方を装ってるだけだと気付けバカモンが!! 兎にも角にもお前は自分の巣に帰れ! 餌が欲しいのか? それなら私が食い散らかした残骸を丁寧に包装して持っていってやるわ!!」
息継ぎも無しに捲くし立てる隆二にニヤリとした表情を崩さなかった勇士が突然シュンと寂しげな顔にチェンジする。
「爛さん……、僕歓迎されてない様なので帰りますね……。食べたかったな、爛さんのおいしい晩御飯……」
演技なのは誰が見ても明白なのだが涙目の勇士を見て爛は笑顔のままでギロリと隆二を睨む。もう一度言うが演技なのは明白なのだが絢までもが隆二を睨んだ。
「ちょ……、何故だ!? ら、爛ちゃん? 絢??」
そんな妻と娘の敵意をビシビシ受ける隆二はあたふたしながら絢と爛の顔を交互に見返すが、その敵意が消えるわけもなく。
「あ、あはは。何を勘違いしてるんだい? ちょっとした仲の良い二人の言い争いじゃないか。 よし、勇士君。 今日もおいしい晩御飯を食べていきたまえ。」
そう口にしてやっと妻と娘の敵意が薄れたことを視認できた隆二は、ホッと安堵の溜息を漏らすが勇士の顔を見て愕然とする。その並びの良い白い歯を隠そうともせず、表情からニヤリという音が鳴りそうな邪悪な笑みを爛と絢の死角、隆二にだけ見える角度でしていたのだ。
「ありがとう、隆二。隆二がそう言ってくれるならお邪魔しちゃおうかな。……それにしても隆二、パトカーを戻さなくていいの? 家の前に放置してたら駄目なんじゃ……。それにさっきの件もまだ途中だよね?」
「……っな!?」
「いってらっしゃい、隆二。もちろん晩御飯は残しておくからね。」
隆二の驚愕する顔を満足げに見つめながら勇士は副音声で「出て行け」と言っている事に気付いたのは勇士本人と隆二だけだったらしい。
「もぉ隆二さん、また仕事残してパトカー持ってきたの?」
爛が天使の様な笑みを体現して言うと隆二はコクリと首を縦に振る。すると爛が「じゃあ……」と続けて、
「先に食べておくから早く帰って来てね、隆二さん」
と、語尾にハートマークをつけて言い放つ。
「あ、あぁ……。じゃあ行ってくるよ、爛ちゃん」
「はい、いってらっしゃい隆二さん」
真っ青な表情で我が家を出る隆二は重い足を引きずりながらパトカーに乗ると窓を全て締め切り叫んだ。
「またかあああああああああ!!!」
そんな叫び声が聞こえるはずもない勇士は、「いい加減学習しろよ、隆二……」と呟いた。
◆
「じゃあ改めてお邪魔しまーす」
「ふふ、勇ちゃん。今日は肉じゃがよ?」
にっこりとした笑顔を常に保っていた如月絢の母、如月爛は頬に片手を添えて40台前半とは思えない綺麗で満面の笑みで言う。先程の出来事など忘れてるのかと疑いたくなる二人の言葉に小さく溜息を付く絢は「もぉ……」と呟いてから続けた。
「あんまり隆ちゃんを苛めちゃ駄目だよ? 根は凄く真面目なんだから……、あんなんだけど。」
「あらあら、絢ちゃん。勇ちゃんのお嫁さんみたいね?」
「俺は嫁に諭される夫ですか」
「なっ! もぉ爛ちゃん!!」
また真っ赤になる絢を見ている爛の顔は母親の顔そのもの。勇士はこの顔をみると安心するのと同時に毎回体の芯からジワっと青くて冷たい液体がにじみ出る感覚を覚える。そんな自分を鼻で笑う勇士だが単純に寂しいのかもしれない。
――まぁ、今更糞親父共が帰ってきても家には入れないけどな。
捻くれた事を心でブツブツと呟くのも良くある事。そんな事を頭の何処かで考えていると、爛は「じゃあ絢ちゃんの部屋で待っててね?」と言いながらとてもよく似合っている淡いピンクの腰掛けエプロンをその場で閉めなおしキッチンへ戻っていった。
「それにしても……」
爛の後ろ姿を眺めながら呟く勇士。絢は熱くなっていた頬に手の甲を当てながら「うん?」と続きを要求する。
「なんでいつも絢の部屋で待機なんだ?」
「……へ?」
「いや別にリビングでもいいだろ。いやリビングの方がいいだろ? いちいち階段上らなくてもいいんだし。」
「え、あ、えーっと……、料理する所は見せたくない……とか?」
――これは無理やりすぎ……っ!?
焦る絢だが「あぁ、そうなのか」と納得する勇士。即興でなんとか出した嘘を『盲目的』に信じる勇士に罪悪感、不安、安堵を覚え、心の中でホッと溜息を付いた。
――ごめんね……。
そう呟いてるうちに我が家の様に階段を上っていく勇士を小走りで追いかける。勇士の広い背中を眺めながら階段を上っていると、いきなり立ち止まる勇士にぶつかりそうになるがグッと堪える絢。
「そういえば絢、さっきから顔真っ赤だけど大丈夫か?」
「ほえっ!?」
やっと収まってきた顔の温度が勇士の言葉で簡単に上昇する自分を殴ってやりたくなる衝動をなんとか堪える絢だが、不意打ちすぎる勇士にどこからでたのか分からない言葉で返答してしまう。
「……ん? お前いつも無理するからな」
そういいながら勇士の右手の甲が絢の首筋に触れられる。少しひんやりした勇士の手にビクっとする絢だが、それ以上に心臓がギュっと握られた様な一瞬だけ脳が真っ白になってしまう。
「……っは!」
真っ白な脳内にはドドドドっと情報が流れ込みふらっと体制が崩れるのを無意識で抑えようと右足を少し後ろに出す。これで重心は戻り脳内の整理を行ってから「いきなり女の子の素肌を触るな!!」と意義を申し立てるはずだった。……はずだったのだ。
――あ……れ……?
「んなっ!! おっ……いっ……!!」
そこからは最新のスローカメラでも撮れないと確信を持てる程の鮮やかなスローモーションだった。
◆
――俺の「本当」って何だろうか。
海斗はそんな哲学的な事を考えながら風格ある日本の家、自分の家の扉を開けた。
「ただいま帰りました。」
静かなトーンで自分の帰りを告げる海斗の声色は酷く硬くなっている。そんな海斗を迎えたのは彼の母、鬼使春菜。
「お帰りなさい、海斗。今日は遅かったですね? 弦護さんが待ってますよ?」
「……はい。母上、悪いんですがこの鞄をお願いできませんか?」
「はい、確かに。」
そう硬い言葉で鞄を渡す海斗は制服のまま道場の方へ向かっていった。
玄関から廊下を歩き突き当たりを右手に真っ直ぐ行くと引き戸がある。そこに手をかける海斗は道場の外からでも分かる重い空気に溜息を付きながら引き戸を引いた。
「遅れました。」
引き戸を引いて道場に入ると中央で座禅を組み瞼を閉じる片耳の無い男が目に入る。海斗の申告も容易く飲み込む威圧を放つ原因だ。
――そこまで怒っていない様だ。
そんな事を思うのは海斗だけかもしれない。冷静に自分の父を見ながらそう判断すると片耳の無い父から1畳分ほど離れた所で正座を組む海斗。
「遅いぞ、海斗。何があった?」
瞼を閉じ背筋をピンと伸ばしたまま口だけ動かす彼は海斗の父、鬼使弦護。
「言うまでも無い事です。」
「そうか、勇士様の事であるならば問題は無い。今日はお前に見せなければならない物がある。」
「何でしょうか。」
この親子を見たら誰もが冷たいと思うだろう。しかしこの鬼使家では当たり前の事なのだ。
『脳を燃やし頭を冷やせ。』これが家訓。簡単に言えば感情は燃えるように高ぶらせ、しかし外面は冷静を装えと言う事だ。これを幼い頃から刷り込まれている鬼使家では家族間でも冷静を装う様になってしまう。
しかし海斗はこの冷静な外面もまるで自分の一部の様に違和感を感じない。だからといって勇士といる間の海斗自身にも違和感を感じない。家では冷たく外では熱く、まるで家訓の逆だなと海斗は思ってしまう。
「では海斗、本日は『かくれんぼ』をしようか。」
「……?」
「ただのかくれんぼだ。お前が鬼だ、隠れるのは私。」
海斗が怪訝な表情をするも、それを意に介さず話を続ける弦護。
「範囲はこの道場内だ、簡単だろう? 特別なルールは無い、私の姿をお前が視認すればお前の勝ちだ。」
「……わかりました。」
間を開けるが海斗にとって父の言う事は『勇士の言葉の次』に絶対。断る選択肢など初めからないのだ。海斗の肯定を聞いて初めて瞼を開く父は音を立てずに立ち上がった。
「では、お前が次に瞬きをした時が開始の合図だ。」
「……俺を舐めてるんですか? ……まぁ、わかりました。」
海斗は内心で舌打ちをしながら父の姿を脳裏に焼き付けるように下から上へと見渡すと静かに瞬きをする。
「…………」
――くそ……。
ついつい内心で悪態をつく海斗の目前には、もはや父の姿は無い。それを嫌々認識すると父と同じ様に音を立てる事なく立ち上がる。
――これはかくれんぼ。見つければいいと言われたのだからルールは他にない。自分の死角に父がいるのは確実なのだからこの場でぐるりと回ってみようか。……足りないな。
「どうした?」
思考する海斗に後ろから父の声がすると不意にびくついてしまう。反射的に上半身で後ろを確認しようと動き下半身は半歩下がるが姿は見えない。
「いつも言っているだろう」
またも後ろから声がするが二度目は流石にびくつかない。今度は動かず敢て父の声を聴くことに徹した。
「お前は考える時間が長い。戦場ではすぐに死ぬ。死ぬのはいいが『盾』にもなれない様なら意味は無い」
父からの冷たい言葉に同様することもなく平然とした表情の海斗。慣れているのだ。物心付く前からこのような教育を受けていた。それに意義があるわけではない。むしろ盾になれるのなら光栄だと思っている。まるで王様の護衛兵士の様な心構えだが、彼にとって鬼神勇士という存在はそれ程までに大きい。しかし常識であっても疑問は沸く。
「それに意義はないんですが、この平和な日本で『この盾』は必要なのでしょうか。」
「……」
「父上との修行に何の意味が? 僕は幼い頃から疑問でしょうがない。僕も『勇士様』も何の為に人を殺める為の古流な武術を習っているんでしょうか。時代は変わり続けている。しかし僕らはただの反復、繰り返しているだけにすぎない。違いますか?」
「……」
弦護は珍しく意義を唱える息子の言葉を姿を見せないまま黙って聴いている。海斗は海斗で道場の壁に向かって淡々とした口調で言葉を続けた。
「百歩譲って10年後に日本が戦争に巻き込まれるとしましょう。ありえない話ではない。ですがその戦争に今習っている技術はいかほどまでに役立つのでしょうか? 相手は銃を持っている。戦闘機、爆弾。時代は繰り返すと言いますが、繰り返される人間の歴史は必ず進歩している。この際なので死ぬ覚悟でいいましょう。こんなお遊びに付き合っている時間がもったいない……!! 俺は勇士様の盾になる! この時代で盾になるにはこんな遊びではなく勉学に勤しむべきだ! 日本を知り世界を知り勇士を導いていく為に!!」
自分の言葉に驚愕している。正直後半は口に出すつもりなんて無かった。口が動く裏では止めろ、言うなと叫んでいた。この修行は心を鍛える修行なのだ。勉学などやろうと思えば睡眠時間を削って出来る。いや実際にやっている。死ぬわけじゃない、今の若さなら体調が少し崩れるくらいどうってことはない。
――何を焦っているんだ俺は……。
幼い頃から勇士様を護る盾になれと言われ続け、幼い頃から勇士の傍を離れず、幼い頃から何かあれば自分が勇士を護らなければと思っていた。しかしこの国で勇士を何から護るのか? 敵は誰だ? 仇は何処だ……。勇士の力にはなれてきた。しかし今日の出来事も勇士一人で十分事足りただろう。自分は『そこにいたからついでに』程度なのだと心のどこかで理解してしまう。
「……目の前から目を離すなよ、海斗。」
考え込んでしまっていた海斗はハッとして目の前を見た。見えるのは木目の壁。見慣れた道場の壁だ。
「海斗、お前はこれから別の場所で勇士様を護るのだ。」
「別の場所……? 紛争地区にでも行くんですか……?」
「そうだ。そこは『この世界より危険な場所』だ。」
「何故……、何故態々(ワザワザ)勇士様に危険が及ぶ場所へ……?」
「海斗、嬉しいのか?」
「っ!!」
嬉しいのか。その言葉がいやに響いた。海斗は嬉しくなんかないと何度も何度も内心で呟くが、その度に体の芯からブワっと気持ちの悪い汗が吹き出る。
「目を離すなと言ったはずだ、海斗」
「ぁ! ……っ!?」
視界が淀んだ海斗は弦護の言葉で我に戻る。戻って直した視線にあるのは、自分の首筋に突きつけられた長い刀の先。真っ黒な鞘に収められているが海斗の体はまるで動かない。いや動けない。瞳だけ刀に沿って動かすとそこには先程まで見ていた木目の壁を遮って父である鬼使弦護が消える前と変わらぬ表情で堂々と立っていた。
「この様な技術を持つ者が沸いて腐る程いる場所だ」
「これは……。暗歩?」
「そうだ。これが本物の鬼使流歩術闇の型の基本である暗歩。」
「本物……? じゃ、じゃあ今まで習ってきたものは?」
「もちろんそれも本物だが未完成なのだ。」