実際はそんな事ありません
「ああ、お可哀そうなグリンダさま。お互いに家を継ぐお立場でなければ……」
「シャルダンさまと想い合っているのに……」
ひそひそと噂される内容を耳にしてマリベルは溜息を吐く。グリンダは自分の姉。シャルダンは婚約者である。
誰が見ても絶世の美女であるグリンダと同じく誰が見ても美形のシャルダンはいわゆる引き離された恋人同士……と言われている。そして、それを引き離したのは次女であるわたくし……マリベルだと。
我が家ダンピール伯爵家とシャルダンの家であるプラム伯爵家。ダンピール家は姉とわたくししか生まれず、姉が婿をもらい跡を継ぐのが決まっていて、プラム家はシャルダンしか子供がいないのでシャルダンは次期伯爵になる。
爵位は同じくらいの美男美女で年頃も近い。学園でも親しかったのに互いに家を継がないといけないからこそ結ばれなかった悲劇の恋人たち。
そんなことを巷で囁かれているので、シャルダンの婚約者であるというだけでグリンダの妹でありながら凡庸な顔立ちであるわたくしは少し社交界に出るだけで二人を引き裂いた悪役令嬢だとじろじろ見られて針の筵状態なのだ。
「はぁ~」
まあ、凡庸な顔立ちだから少し隠れれば見つからないのだけど。
そっと茂みに隠れて、行儀悪いけど足を延ばして腰を下ろす。
「嫌になっちゃうわ」
グリンダとシャルダンが卒業してから学園に入学した時から学園内でそんな噂が囁かれて、学園内で友人を作ろうとしたのに二人を引き裂いた悪女と言われて誰も近づいてこない。
こういう社交界でもお義理で誘われるけど、誰も近づかない。
「シャルダンもほんとはお姉さまの方がよかったのかしら……」
優しい婚約者でどんな時も気遣ってくれてこういう時しっかりエスコートしてくれるのだが、知り合いに呼ばれたと告げてファーストダンスもなく傍からいなくなってしまった。
そんなシャルダンと並んで踊るグリンダを想像しているときっとわたくしよりも似合いそうで嫉妬以前に遠すぎて届かない気持ちに晒される。
なら来なければよかったのではないかと思ったが、来ないと来ないで何を言われるか分からないので渋々来たが、
「帰りたい………」
「なら、帰ろうか」
愚痴ったら相槌が来る。
「やっと、解放されたよ。一人にしてごめんね」
深い黒に見間違える紺色の髪に、緑色の目の絶世と言えるような美形。
「シャルダン……」
「マリィと踊ろうと思って楽しみにしていたのにファーストダンスをする前にいきなり拉致られてはっきり言って迷惑。こっちが強く出られないのをいいことにさ~。で、やっと踊れると思ったけど」
こっちを気遣うように額に触れるぬくもり。
「体調悪い? 辛いなら帰ろうか」
心配げにこちらを窺う眼差しに、
「ううん」
先ほどまで囁かれていたことは気にしなくていいかと自分に言い聞かせると、
「わたくしもシャルダンと踊りたかったので」
と弱々しく本音を漏らす。
「じゃあ。一緒に踊っていただけませんか。マリベル嬢」
どこかわざとらしい感じで悪戯をしでかす子供のように笑いながら手を差し出されて、つい同じように笑いながら手を取る。
会場の中心で二人でやっとファーストダンスを踊り出すとざわざわとこちらを見て囁く様子が見て取れる。内容は聞こえないがこちらを非難するような視線でわたくしがシャルダンとグリンダの仲を裂いたと言われているのだろうと予想が出来て傷付く。
「ああ。――なるほど」
にこやかに踊っているシャルダンの耳にはしっかり内容が聞き取れたのか納得できたと声を漏らす。
「気を遣いすぎたな」
眉を顰め小声で告げるのはわたくしに向かってではない。どこか遠くの――いや、グリンダのいる方向である。
グリンダはシャルダンと目が合った事で嬉しげに――そして、勝ち誇ったようにこちらに向かって笑い掛ける。
音楽が止み、ダンスが終わると、
「シャル。次はわたくしと踊ってくれるわよね」
男性が申し込むのが基本なのに断られない前提でやってくるグリンダに先ほどまでの噂話を思い出して不安になる。
「いいよな。シャルダン。グリンダ嬢からの誘いだぞ」
「さっさと踊って来いよ」
グリンダと共に数人の貴族令息が現れて、こちらに向かって冷たい一瞥を送ってからシャルダンをはやし立ててシャルダンとわたくしの間に立って離れさせるように動く。
「シャ……」
「ねえ、良いでしょう。シャル」
グリンダの手がシャルダンに触れようとした矢先。
「君を愛するマリィの姉だからと思って遠慮してきたのが間違いだった」
あからさまな嫌悪感を宿した眼差し。
「お前たちもだ。交友関係を大事にしろと言われたから特に異論も言わなかったが、俺のマリィを侮辱するような相手だと気付いていたら相手にしなかった」
友人だったはずの人たちを押しのけてそっとシャルダンはわたくしの手を取る。
「ここではっきり明言しておく。俺はマリィ、マリベル以外興味ない。学園時代にそこの女に丁寧に接したのはマリベルの姉だからだ。それなのに何が悲劇のコイビトだ。反吐が出る」
そっと肩に手を回して、
「ここに居るのも不快だ。帰ろう」
とシャルダンはさっさと決めて会場を後にする。誰も口を挟めない。シャルダンの怒りに触れたくないから。
「すまない」
馬車で二人きりになった矢先。申し訳なさそうにシャルダンが謝る。
「あんな噂がここまで広がって流されているなんて知らなかった。とっくのむかしにけせたとおもったのに……。道理で、マリィと一緒に居る時間をことごとく潰されたわけだ」
どういう事だと詳しく尋ねると、シャルダンが学生時代グリンダがよくわたくしの名前を使って呼び出していたのだと、そしてわたくしの姉だからと無下にできずに話を聞いていたら付き合っているとか悲恋のコイビトという噂が流れた。しかも、シャルダンに確かめる人はいないが、グリンダには確かめに来る人が居てグリンダは思わせぶりな事をしたのだと。
絵に描いたような美男美女。そんな二人の関係を応援しようとする輩は次々と湧いて、わたくしを悪女に仕立て上げたと。
「二人で居れば噂話も払拭できると思ったが……」
ただわたくしの姉だからと遠慮していたから後手に回った。そして、とうとう我慢できなくなったと言うことらしい。
「あの女に関しては義父上に相談したし、姉の婚約者になる人にも告げておいた。でも」
守れなくてすまないと謝ってくるシャルダンに、
「いいえ。わたくしも不安になって聞けなかったのが悪かったのですから」
と答えると、
「そんなあっさり許してしまうのは不安だ。ああ、そうか。これからもっとマリィを守れるように気を配れと言うことだね。分かったよ」
と一人納得している。そうやって一人で解決しようとしているから今回の騒動が起きたのだろうと思ったが、同じような事をしたので人の事が言えないなと苦笑を浮かべてしまった。
自分がおかしいのだと知ったのは家の中に古参の侍女に変装した侵入者が現れた時だった。いや、変装していたそうだけど、自分には分からなかった。
家族と家人以外の人間がのっぺらぼうに見えるのだ。
のっぺらぼうが名乗ればのっぺらぼうの顔に記号のような文字で名前が書かれるので、たとえどんな格好をしていてものっぺらぼうの名前が分かるから人の顔を忘れない。どんな仮装をしても正体がばれると何故か評価された。
家族はそんな歪な自分を知っていたので、その報告を聞くたびに複雑な顔をしていて、そういう体質だと受け入れつつも治療をした方がいいのかと、だとしたらどこに行けばいいのかと執事と話していた。このままだと思っていた。マリベルに出会うまで。
マリベルに出会ったのはどこかの家でのお茶会。のっぺらぼう達が一人の女ののっぺらぼうを取り囲んでいた時に一人楽しく寛いでいた。
風の心地よさを感じて、咲いている金木犀の香りを楽しんでいるマリベルは家族や家人以外に初めて顔のある【人間】だった。
それを伝えたら家族は喜び、さっそく婚約を打診した。身分も釣り合ったから話はスムーズに進んで、何度も会いに行った。
マリベルと一緒に居ればいるほどマリベルを中心に顔が分かる人間が増えてきた。マリベルがいたから友人、マリベルの家族の顔も分かるようになってきた。
(数少ない顔が分かる人だったから相手にしてきたけど、あれがマリベルの姉だなんてな)
のっぺらぼう相手にまともに相手するのは苦痛だったので、マリベルの姉とよく話してはいた気がしたが、のっぺらぼうと共に自分とマリベルに不快な噂を流すとは思わなかった。
マリベルに害を与える存在だと認識したからか普通に顔が分かった存在だったのにまた顔が分からなくなった。そういうこともあるんだなとまた家族を悩ませてしまうだろうが、家に帰って報告する必要性を感じたのだった。
そして、そんな歪な自分をマリベルには一生隠しておかないととそっと肩にかかるマリベルの体重を受け入れながらすやすや眠っているマリベルを見つめた。
実は婚約者は歪んでいるので彼女以外見えていない(精神的な意味で)
追記義理の兄のところが分かりにくいという話なので捕捉しました