第九章「人魚会」
翌日は夏休み中に何日かある登校日だった。朝のホームルームの後は、みなもはみずきと一緒に、学校図書館で仕事をする。新着図書の整理や、たまった購入リクエストの整理など、けっこう大変だ。
仕事が一段落したところで、みずきは、図書館のバックヤードのデスクでイラストを描いていた。みなもが覗き込むと「ゴールデンカムイ」のアシリパさんみたいな、アイヌ風の小柄でキュートな美少女だ。コスチュームやアクセサリーの細部まで緻密に描き込み、カラーインクを何色も使って、カラフルに仕上げている。
「みずきちゃんて、絵が上手なんだね。でも誰、これ?」
「《メムトイフレナイ》たん。昨日の前野川を擬人化してみたんだ。なんとなく、こんな感じなんじゃないかと思ってさ」
「すっごく可愛いね」
「タトゥーにして彫ってもらおうかな。今度は左の肩に」
「やめときなさい」
みなもはキッチリとつっこんでおく。でも、ホント、みずきちゃんてば絵が上手。人格が雑でがさつな分、手先が器用でこまやかなのかしら、と失礼なことを考えるが、もちろん口には出さない。
「できたー!」
みずきは、図書館のキカイを無断使用して、カラーの縮小コピーを何枚か取る。カードサイズに切り取って、ラミネート加工する。五枚ほど作って、みなもにも一枚渡す。
「ミナミナも持ってるといいと思うよ。お守り代わりにさ」
「ありがとう。イラストは可愛いけど、下に書いてある字は読めない。これがリンガ・ビブリアなの?」
「そう。アルファベットの一種だよ。そんなに難しいもんじゃない。ちょっと勉強すれば、ミナミナも読めるようになる。でも、正確に《メムトイフレナイ》って書いてあるわけじゃない。似たような音をなぞっているだけ。本当の真名は、文字なんかまだ無い時代のものだから」
「そうなんだ」
「でも、十分に効果はある。ミナミナも、何かピンチの時に、このカードをかざして、『川の名前』を呼んでみな。何かしらの、助けがあると思う」
と、みずきが、ちょっと不思議なことを言ったのに、みなもは気づく。
「わたしは図書委員じゃないから、本のマナを引き出したり、使ったりはできない。でも、このカードの『川の名前』の真名なら使えるってこと?」
みなもの言葉に、みずきが瞬間、固まる。
「ミナミナって…」
「どうしたの、みずきちゃん。わたし、なんか変なこと言った?」
「ミナミナって、ほんと、鋭いよな。あたしが何年もかけて、ようやっと気がついたことを、直観で分かってる。
その通りだよ。あたしら図書委員が本から引き出すマナ…板橋派の図書委員なら『古事記』を丸暗記して引き出すマナと、『川の名前』の真名は一緒なんだ。より古くて純粋な分、『川の名前』の真名のほうが力が強い。昨日、ミナミナも見ただろ? 暗渠とは言え、水も何もないところに『川』を丸ごと出現させるなんて、そんなことができる図書委員がいるなんて聞いたこともない」
「そうだったの」
「図書委員会も分かっていないんだ。マナは本に宿るものだとしか思ってない。だから、図書委員や司書として、リンガ・ビブリアを使って図書館を支配していれば、マナを独占できると思ってる。でも違うんだ。マナすなわち真名は『真の名前』という意味。川の真名を知れば、川を使うことができる。ということはだ、土地の真名を知れば土地を、山の真名を知れば山を、海の真名を知れば海を使えるってことだろ? 本どころか、文字さえまだ無かった時代の、古い名前、本当の名前を知ることができれば」
「それって、例えば、富士山でもってこと?」
「そう。『富士山』というのは、平安時代の『竹取物語』にも『ふしの山』と出てくる、けっこう古い名前なんだけど、千年以上に渡って、たくさんの人に使われて、文字にも印刷にもされていて、なんていうのかな、マナが磨り減っちゃって、ほとんど力を失っているんだよね。でも、もっと古い時代。富士山がバリバリの活火山で、噴火しまくってた時代の『山の名前』を知ることができたら…。マナを火の力で使うイグナの図書委員にとっちゃ、すさまじい助っ人になると思わないか?」
「火山を使うの?」
「そう。もしも、そんなことが出来るなら、百年に一度のテッラの『地獄のハンマー』どころじゃない、究極の破壊神にさえ、なれちゃうかもしれないわけだよ。わたしら図書委員が」
「それって、例えば烈花ちゃんが? イグナの烈花ちゃんが『富士山』を噴火させたら、板橋区どころか、東京が丸ごと溶岩に飲み込まれちゃったりして」
「…それは、怖いな。そうだ、烈花には絶対に秘密にしておこう。ちうか、ミナミナとあたしたちだけの秘密に」
「あたし『たち』ってことは、みずきちゃん一人じゃないのね? みずきちゃん以外にも、同じことを考えている仲間がいるってことなのね?」
「…ミナミナ。分かった。降参だ。全部白状するよ」
みずきは両手を上げる。全面降伏のバンザイである。
「年に一回、東京二三区の図書委員が集まる懇親会があるんだ。参加資格は番付の幕下以上。ざっと千人ぐらいかな。去年は帝国ホテルだった」
「そんな凄いところでやるの? 皆、女子高生とか、中学生でしょ?」
「あえて、そういうところでやって、礼儀とか、格式とかを教えるんだろうな」
なるほど、昭和スケバンにも「礼儀」をね、と、みなもは思うが、もちろん、口には出さない。
「図書委員はふだん、区単位で活動してるだろ。隣接した区同士でトラブったり、喧嘩したりが、昔はよくあったんだって。一番有名なのが、二十何年か前の『板北戦争』。我が板橋区と隣りの北区が、荒川の河川敷で集団決闘したわけよ。その当事者が、今の日本国図書委員長の紫蓮院香織と、ミナミナも会ったことのある桃子姐さんこと、板橋区図書委員長の穂村桃子。その二人が主導して『二三区みんな仲良く』という趣旨で、始めた懇親会なんだってさ」
「桃子姐さんって、そんなに偉い人だったの?」
「図書委員の現役時代は、凄かったらしい。アクアで名前が桃子だろ。ついた仇名が『ピンクのシャチ』。池袋の裏通りで、大学空手部男子十数名を素手で叩きのめしたとか、とんでもない話をいっぱい聞いた」
ああ、そういうのって…と、みなもは思う。
「憧れちゃうよねえ。かたや『地獄のハンマー』の香織さん、こなた『ピンクのシャチ』の桃子姐さん。あたしは…しかし、人望無いからねえ」
みずきは、へへっと自嘲する。分かる、分かるよ、みずきちゃんの憧れは、と、みなもは、これ以上にないくらいに納得する。
「で、『人魚会』ってのは何?」
「懇親会の立食パーティでさ、意気投合しちまったわけですよ。その時の話題が『人魚姫』だったんで、『人魚会』ちうわけ」
場所は、足立区北千住駅前の「ジョナサン」だった。待ち合わせ時間は、日曜日の午後三時。
「いいかミナミナ。この会合のことは、図書委員会には絶対の秘密だぞ。特に桃子姐さんには、絶対の絶対の秘密」
と、みずきが念を押す。
みずき以外のメンバーは、北区、荒川区、足立区の図書委員。すべてアクアだ。一人一人自己紹介する。
まずは北区の蔵本架純。博徳学園と並ぶ、東京北部のお嬢様学校として知られる、赤羽の聖美学園の二年生だ。いかにもお嬢様風のワンピースはいいのだが、色は漆黒。髪も黒髪で、桃割りの三つ編みに編んでいる。みずきとは違ってちゃんと手入れをしているから、キューティクルが光っている。
「お初におめにかかるでござる」と、にっこりと微笑む。
時代劇のお侍さんですか? 外見とのギャップに、みなもは何となく不穏な匂いを感じとる。
次に荒川区の都立西日暮里高校二年の井崎水琴。白のカッターシャツに濃紺の半ズボンと白のハイソックスという、男の子のような…それも最近のじゃなく、「少年探偵団」の時代のようなスタイル。髪は短く、緑色のベレー帽をかぶっている。
「僕は井崎水琴。よろしくね!」と、明るく挨拶する
僕っ娘ですか。と、みなもは思う。もちろん口には出さない。おしゃれなんだけど、何かコスプレしているみたいな感じだ。「名探偵コナン」とか。
最後に足立区の都立花畑高校二年の御台澪。みなもは彼女に一番驚かされた。フリルのいっぱい付いたピンクのワンピースで、大きく開いた胸元から色白で豊満な胸の谷間が見える。髪は天然らしい茶髪で、縦ロールのパーマがかかっている。化粧もばっちりで、濃い紫のアイシャドーにまっ赤な口紅。とても高校生には見えない。
ていうか、普通の女に見えないよ。十八歳未満は入れない、夜のお店で働いてる女性みたい。もちろん、言えやしないのだが。
「よろしくお願いいたしますわ」と、深々とお辞儀をするのも、丁寧というよりも、何か「お店」っぽい。
「『人魚会』結成のきっかけは、アンデルセンの『人魚姫』について語り合い、意気投合したから。ここであらためて、それぞれの『解釈』を披露し合おうじゃないか」
と、みずき。
「では、拙者から」と、蔵本架純。
「拙者としては、人間になった人魚姫は、姫ならぬ彦。魔女が薬の調合を間違えて、男にしてしまったのでござる。男同士という、最大のハンディを乗り越えて、いかにして人魚彦が王子との愛を結実させるか? 創作意欲が燃えあがるでござるよ。通常なら、王子が攻めで、王子×人魚彦なところを、あえて逆転させ、彦×王子、というのが拙者のこだわりで」
みなもには、いったい何を言っているのか分からない。
「僕も姫よりも王子だな。人魚の王子様。白いイルカが友達なんだ。海の平和を守るためにがんばる。罪もないクジラたちを殺そうとする、日本の捕鯨船なんて、かたっぱしから撃沈だ」
井崎水琴は、サラっと恐ろしいことを言って、あははっと笑う。いや、目は笑ってない。
この子、本気なんだ。と、みなもは空恐ろしくなる。
「わたくしとしては…」
と、御台澪が語り出したところで、みずきが制する。
「あのさ。澪。今日はその、ミナミナが同席してるから、内容については十八禁、いや十五禁に自制してくれよな」
「あらまあ、ウブなオボコってわけですの? よろしいですわ。でしたら出力五〇パーセントで」
「…。夜露死苦」
こほん、と咳払いをして、澪が語り始める。
「魔女の薬を飲んだ、人魚姫の美しい尻尾が、二つに割れて人間の女の醜い脚になるんですの。割れた脚の間には当然、お尻とピーも醜く割れているわけでございます。そのピー丸出しの全裸で、王子様に見つけてもらうまで、野外のビーチで放置プレイだなんて、どういうSMなのでございましょうか。もしも王子様ではなくて、ワイルドでロウアーでプアーな地元の漁師さんにでも見つかったなら、そのまんまピイイイイされてしまうじゃございませんか。アーネスト・ボーグナイン似の地元漁師の権平ちゃん(仮名)に。助けを呼ぼうにも、「声」を魔女に売ってしまったから、空しく口パクするだけなんですの。じたばたすんじゃねえ、この露出狂の痴女がぁって恫喝され、砂浜に押し倒されて、出来立ての両脚を思い切り割り開かれ、出来立ての初々しいピーに黒々と潮焼けした金棒のような逞しい漁師ピーが迫ってくる。ぐっとピーに押し当てて、太すぎて一度には入らないのを、バールで金庫をこじあけるようにむりっむりっとピーにねじ入れていく。ああっだめ!だめ!王子様に捧げるはずのピーをこんな野蛮人に…」
「ストーップ!」
赤面したみずきが制止する。
「どこが十八禁だ。ピー入れただけじゃんよ」
「あら、これからが本番ですのよ。ほ・ん・ば・ん。だめよ、だめ、負けちゃいそう。理性が負けちゃいそう!」
「それはおまえの理性だろ?」
「あ、だったらこうしたらどうだろう?」
水琴が介入する。
「権平は実は先王の忘れ形見だった。大臣のクーデターで父の王を殺され、炎上する王宮から乳母に抱かれて、秘密の抜け穴から海岸の洞窟に脱出。洞窟に隠しておいた小船で、隣国に亡命したんだ。それが二〇年前のこと。逞しい青年に成長した権平は、密かに故国に戻り、漁村に匿われて漁師として働きつつ、逆襲の機会をうかがっている」
そんなお話、前に映画で観たような気がする、とみなもは思う。「バーフバリ」だったっけ?
「人魚姫をゲットした権平一党は、人魚一族と同盟して、海から王国へ攻め込む。王国の海軍なんて全艦まとめて撃沈だ」
僕っ娘は「撃沈」大好きっ娘だってか、とみなもは心の中でツッコむ。
「そして王子と権平殿との一騎打ちでござるよ」
さらに架純が介入する。
「戦いの中で、やがて二人の間に男同士の男愛がめばえ、権平×王子、と見せかけ、王子×権平で…。拙者、創作意欲がもりもりと湧いてきたでござる!」
「人魚姫も交えての3Pシーンが欲しいですわ」
と澪。
「王子が白なら権平は黒。前から白、後ろから黒と攻められる人魚姫。理性が…理性が負けちゃう!」
女子三人で、わいわいと大騒ぎである。みなもは茫然として見とれている。
でも、なんかとっても楽しそう。学校の漫研とか、こんな感じなんだろうか?
こほん、と咳払いして、みずきが一同を制する。
「あたしの場合は「そもそも論」なんだな。そもそも、何で人魚姫が人間になりたいんだか、まったく分からないんだ。海の底でお姉ちゃんたちと平和に暮らして、毎日キトキトのお刺身食べたり、退屈だったら、海の上に出て、歌をうたってアホな人間たちの船を座礁させたり、面白おかしく過ごしていればいいのに、なんでまた人間になろうなんて思ったんだろう?」
「男でござるよ」と架純が断言する。
「男だよね」と水琴。
「男に決まってますわ」と澪。
三人揃って「男」とハモる。
「処女が揃って何言ってんだか」と、みずき。
そのみずきの言葉を耳聡く受けた澪が、
「はいはーい! 提案でございまーす」と挙手する。
「ミナミナにクイズ!ですの」
「今日ここに集まったわたくしたちの中に『経験済み』が一人だけいます。誰でしょう? 一回で当てたら、今日のミナミナの飲食費は、わたくしたちのおごり。いかがですか?」
艶然と微笑む。
「え、え? 経験済みって」
「もちろん、ミナミナが経験済みだったら、二人ってことになりますけど?」
「わわわ、わわ、わたしは、そんなケーケンとか何とかは、とんでもない」
みなもは必死で考える。
みずきちゃんは違う。男関係ゼロなのは知ってるし、うち来た時はおばあちゃんに「処女でがんす」とか高笑ってたし、今はあきれて横向いて、ドリンクバーで入れてきたソーダ&コーラを飲んでいるし。
澪さんは、フツーだったらとてもとても処女には見えないけど、これはフェイク。自分が経験済みだったら、こんなクイズを始めるわけがない。
残るは、架純さんと水琴さん。どっちも処女に見える。でも、お嬢様風で、かつ「ござる」とか言ってる架純さんて、オタクっぽいし、オタクな彼氏がいて…「げんしけん」みたいな感じで…なのかも。
「架純さん」
と、みなもは答える。
架純が
「拙者が? 拙者が殿方に…殿方に、汚れ無き乙女の素肌を許した、と。かくも誤解された上は、腹を…腹を切るしか」
と言うので、みなもは死ぬほど慌てる。
「そ、そんな、架純さん!」
「なーんて、冗談でござるよ」
架純が、てへへ、と笑う。
隣りの美琴が
「正解は僕でーす!」
と、元気よく挙手する。
ええ、えええ! この僕っ娘が? 嘘でしょ、嘘って言ってよバーニイ、じゃなくて水琴さん!
「これが僕の彼氏」
水琴がスマホをみなもに渡す。水琴と肩を抱き合ってツーショットで写ってる相手は、超人ハルク…の緑色の肌を一般日本人の「肌色」に色調補正したような、筋肉ムキムキのお兄さんだ。肩幅が水琴の三倍以上ある。
「東京電機大ラグビー部副将の上村春樹君。僕の侍やってくれてるんだ」
「も…ご…かっこいい人だね」
ものごっつい、と言いかけて、みなもは無難な言葉に補正する。
「図書委員の仕事には危険がつきものだろ。その時に頼りになるのは侍。でも、そいつが本当に信頼できるかどうかは、ギリギリになんなきゃ分からない。だから、僕は侍と契約する前にはいつも、必ず一度は寝ることにしてるんだ。そうすれば、相手がどんな奴か分かるだろ?」
水琴がさらっと言ったせりふの数箇所に、みなもは引っかかる。
水琴さんが「経験済み」として、そのお相手はこのマッチョなお兄さんで、そのお兄さんと水琴さんが「経験」したのは侍契約の前で、でも「いつも」って言うからには、それ以前にも水琴さんには侍が最低一人いて、その彼とも契約前に「経験」して…って、ということは…
絶句したままのみなもに対して、水琴は補足する。
「ミナミナが何考えてるかはだいたい分かるよ。春樹君は僕の三人目の侍。で、侍を選んだ三回それぞれに他にも候補が何人かいた。さらに僕の『初めて』は侍とじゃない。もっと聞きたい?」
さわやかに微笑んでみせる。
「あの、あのあの、もう分かりました。分かりましたから」
この僕っ娘ってば「オーメン」のダミアンみたいな魔少年? わたしと同じ年でそんな…。みなもはクラクラする。
「あーもう、水琴も皆も、これ以上ミナミナいじめんなよ。純情なんだから。あたしらと違って」
みずきがフォローする。
「今日の会合の一番の目的は『カード』交換だろ?」
「そうでござるよ! カードでござる。今回、拙者の収穫は、ちょっとしたものでござるよ」
と言って、架純が皆に配ったのは、綺麗なカラーイラストが書かれたカードだ。ラミネート加工してある。みなもが見ると、イラストは、素肌に黒のシャツを着た筋肉質の、妙に色っぽい目つきの、ホストみたいなお兄さんだ。右手に赤ワインが入ったグラス、左手には葉巻を持っている。イラストの下に書かれた文字は…リンガ・ビブリアだ。みなもには読めない。
「丸々一週間通いつめて、何とかお名前を教えていただいたでござるよ」
「僕のはこれだ」
と、水琴がカードを配る。これってポケモン? 山猫に角が生えたみたいな水色のモンスターがアニメタッチで可愛らしく描かれている。下には同様にリンガ・ビブリア。
「わたくしはこれですわ」
澪が配ったカードは…グラマラスな金髪の白人女性のヌードグラビアだ。ちょっと年代がかっている。マリリン・モンロー…ほどは古くないけど、昭和の香りが…とみなもは思う。
「皆様方と違って、わたくし、絵が描けませんので、インターネットで拾ってきましたの。でも、まさにイメージぴったり。こんな感じの川ですのよ」
ああそうか、そうなんだ、とみなもは気づく。
最後にみずきが配ったのは、みなもが前に見た「前野川」のイラストカードだ。
「これで、何枚集まったかな?」
みずきが尋ねる。
「やっと二十枚ほどでございますかねえ?」と澪。
「まだまだ道は遠いでござるな」と架純。
「最低でも百枚は欲しいよね、僕たちの野望のためには」
と、水琴。その目に不穏な光が宿っているのを、みなもは目ざとくチェックする。
「人魚会」解散後、北千住から乗った地下鉄千代田線の電車の中で、みなもはみずきに小声でつぶやく。
「野望…なのよね?」
ぎっくう、と身体を固めるみずき。
「な、なんのことかな、ミナミナ?」
「水琴さんが言ってたじゃない。『野望のためには百枚は欲しい』って。あそこで交換してたカードは『川の名前』。それを使えば『川』が復活するのよね。こないだみずきちゃんがやったみたいに。でも、今はもう無い川が、百も復活したら、どうなるのかしら?」
「さあ…どうなるんだろうねえ」と、みずき。
「水没!」
と、みなもが小声で鋭く言う。みずきはあわてる。
「シー、シー、だめじゃん言ったら。図書委員会に知られたらどうなるか」
「はーあ」
みなもはため息をつく。
「やっぱり、とんでもないことを計画してたのね」
「ミナミナには隠し事が出来ないな。そうだよ。思ってる通りだよ。『東京右半分水没』が『人魚階』
の最終目的なんだ」
「東京右半分?」
「東京湾の水位が十メートル上がると、どうなると思う?」
「十メートル?」
「都心は大手町、有楽町、銀座、新橋その他全部水没。隅田川から東の下町も全部。板橋区や北区はざっと半分。荒川沿いに埼玉のずーっと先まで、かなりの面積が水没する」
「それってとんでもないことなんじゃないの?」
「ミナミナ、縄文海進って知ってるか? 今から六千年前の縄文時代には、そこまでが「海」だったんだよ。中山道の志村坂が海岸だったんだ」
「今の東京がそうなったら、大変なことになるでしょ」
「もちろん。だから、これはあくまで「夢」。実現はしないだろうけど、夢を見るのは自由だろ? 志村坂がビーチになって、毎日海水浴できるんだぞ。すばらしいと思わないか。ダサくて窮屈なスク水なんか絶対着ない。すっぽんぽんのマッパで泳いでやる。そして、あたしたちアクアの図書委員は全員、陸の生活とは縁を切って、人魚に変身して、海で楽しく暮らすんだ。ご飯は三食お刺身定食。東京右半分に壮大華麗な竜宮城を築くのだ。そしてあたしは乙姫様。すばらしい! すばらしすぎて目まいがしそう」
「はい!はい! 質問。そうなったら図書館はどうなるんでしょう? 本が全部海水に漬かっちゃったらマナどころか、全部丸ごとパーになっちまうんですが」
「それは困るな」
「そうそう、困りますよ。困るでしょう。だから水没はやめなさい」
「そうだ。お風呂でも読める本ってあるよな。図書館の本をその仕様に切り替えよう。予算の計上を要求する。今すぐに」
「そうね。そして図書館の本のすべてが『お風呂でも読める』ようになってから、東京右半分を水没させましょう。そうしましょう。それまでは我慢だよ、みずきちゃん」
「うん。我慢する、あたし。ああ、早くその日がこないかなあ…」