第七章「侍たち」
日曜日、図書委員の月例会があるというので、皆本みなもは哀川みずきにつきあって、大山の板橋区民ホールに出かけた。
属性と番付に従って、複数の会議室に分かれての、図書委員たちのミーティングの間、「侍」は大ホールで「懇親会」なのだそうだ。
みなもは覚悟していたのだが、ホールの中は男、男、男。男だらけだった。入口で配られたソフトドリンクを片手に、そこかしこで「ご歓談」しているのは、揃いも揃って、けっこうなガタイのお兄さんたちだ。顔見知りのカルロス赤塚や、都立高島の岡田将吾を見かけて、目礼を交わす。
みずきちゃんは「女の侍もいる」なんて言ってたけど、女子はわたしだけじゃないの…と、みなもが心細く思っていると、
「皆本さん、こっちこっち!」
と、サングラスをかけた女性が会場の隅の方で手を振っている。ほっとして、みなもはそちらへ向かう。
そこにいたのはしかし、並みの女性ではなかった。一人はジャージスタイルの巨大な女子大生。背中に「日本体育大学」と刺繍されている。
「荒巻早苗っす。日体大三年。所属は柔道部。見ての通りの重量級っす」
もう一人は、すらりと背の高い、黒のスーツ姿の女性だ。かけていたサングラスを外す。
あ!とみなもは声を上げる。
「カルメンさん…ですか?」
ファッションに疎いみなもでも、彼女のことは雑誌やテレビでよく目にしていて、知っている。ファッション誌「キャンキャン」のトップモデルのカルメンだ。
「初めまして。カルメンです。本名は唐沢芽依。あなたが、今度みずきちゃんの侍になってくれたっていう、皆本みなもさんね? これからは、よろしくお願いします」
おじきして、艶然と微笑む。
「は、はい!」
と、みなももおじきする。カルメンから立ち上る芸能人オーラにあてられて、クラクラしそうだ。
「板橋区で図書委員の侍やってる女は、先月まではわたしら二人。皆本さんが三人目っす」
と早苗。
「わたし、家が柔道の町道場で、男兄弟にもまれて育ったから、こういう男ばっかの場所で女扱いされると、逆に居心地悪いんすよ。女同士で話せて嬉しいっす」
「わたしも今年の春からなのよ。一番下の妹が中学生になって、図書委員になったもんだから、めんどう見てやらなきゃって」
とカルメン。
「カルメンさんって、こんなにスマートでおしゃれなのに、柳生流なぎなたの四段なんすよ。お会いするまで知らなかったけど。頼もしいっす」
「あーら、事務所のインターネットの公式ページにちゃんと書いてあるわよ。『趣味と特技・お茶、お花、スイーツ食べ歩き、なぎなた』って」
「わ、わたしは、そういうのはまったくで、格闘技どころかスポーツもまともにやったことなくて。そんなわたしを、何でまたみずきちゃんは侍にしたのか…」
みなもは急に恥ずかしくなる。早苗さんも、カルメンさんも、それに会場いっぱいの男の人たちも、みんな強くてたくましくて、昔だったら本物の「侍」でも不思議のない人たちばかりなのに、わたし一人、女ってこと別にしても、何もできない、非力で無力の役立たず。
「そんなことないわよ」
と、カルメンに言われてびっくりする。わたしの心を読んだ? この人ってばテレパシスト?
「皆本さんが心細く思ってるのは分かる。でも、みずきちゃんは皆本さんが必要だと思ったから、侍になってもらったのよ」
「わたしが必要?」
「図書委員と侍に限ったことじゃないけど、人はパートナーに自分には無いものを求めるの」
「それって何なんでしょう?」
「気持ちの細やかさとか、優しさとか、みずきちゃんの場合は『協調性』や、それに『常識』もね」
サラっと辛辣なことを言う。
「実はつい先日、みずきちゃんと会ったの。皆本さんのこと話してくれた。侍である以前に一番の親友で、とっても頼りにしてるって。だから、今日も初めて会うような気がしなくって」
「みずきちゃんのこと、よく知ってるんですね」
「そりゃそうよ。ウチの事務所をあげて、モデル業界にスカウトしようとしてるんだから。わたしも個人的に何度か食事に誘って、お願いしたんだけど、そのたびに、いろんな理由をつけて断られてさ」
「みずきちゃんがモデルに?」
それを実は意外には思っていない自分を、みなもは発見する。そうだよ、みずきちゃん、あんなにかっこいいんだから、ファッションモデルでも女優でも何でもなれるよ。
「だけどまあ、規格外れの子よね。タトゥー入れたなんてのもねえ」
「モデル失格ですか?」
「逆よ。そんくらいの個性と突出した美意識の持ち主だからこそ、欲しいのよ。美人でスタイルがいいってだけなら、いくらでもいる。それで生き残れるような世界じゃないのよ」
「それにしても、カルメンさん、やっぱり相当注目されてますね」
と、みなも。
「男の人たち、みんなけっこうこっちを気にしてる。スマホで写真撮った人もいたし。こういう場所で声かけられたり、ナンパされたりしませんか?」
「はっは、それはないない。わたしは『男嫌い』が看板だし、それにホラ、アレだから」
「アレ?」
「ああ、皆本さんは知らなかったか。別に隠してるわけじゃないから言うけど、わたし同性愛者なのよ。いわゆる『ビアン』ってやつ」
「同性…愛?」
「パートナーがいて、一緒に暮らしてるの。事務所のページにも公開済み。ああそうだ、この秋に二人でバルセロナ行って、結婚式挙げるのよ。二人とも純白のウェディングドレスで。楽しみだわあ。『キャンキャン』がグラビア組むっていうから、半分仕事になっちゃってんだけどね」
はあ…と、みなもは思う。世界って広いんだ。わたしは何も知らない。
「じゃあ、みずきちゃんのことも…その…」
「それは違うわよ。仕事と私生活は別。彼女のこと可愛いとは思うけど、恋愛対象にはならない。あくまでモデルとしての、彼女の資質と潜在能力を評価してるのよ。そもそも、仕事ってそんなに甘いもんじゃないんだぞ。女子高生には分からないと思うけど」
ふふっとカルメンに微笑まれて、みなもは赤面する。
月例会が終わった後、区民ホールを出て、三田線の板橋区役所前駅まで歩く間、みなもはみずきに訊いてみる。
「みずきちゃん、モデルになる気ないの?」
「モデルって…ああ、カルメンと話したんだな。あそこの事務所、ホントにしつっこくってさ。社長なんてハゲてるくせに」
「ハゲは関係ないと思うけど」
「モデルなんて絶対やだよ。働くにしても、土方のバイトでもやったほうがずっとマシ」
「どうして? 向いてると思うよ。わたし、東京コレクションのランウェイをさっそうと歩くみずきちゃんを想像したの。絶対似合ってる。素敵なのに」
「だってさー、嫌じゃんよ」
「何がよ?」
「服着なきゃなんないんだろ? ファッションモデルって」
そこかーい、とみずきは心の中でずっこける。
「だからって、ヌードモデルは恥ずかしいしさー」
「ヌード…だなんて、学校クビになっちゃう。それ以前に、十七歳のみずきちゃんを使った時点で事務所に警察が入るよ」
「ははは、そうだよな。だから、モデルなんて絶対無し無し」
からからと笑って歩いていく。