Ⅰ 旅立ち― ⅵ
「また伏せっているのか。本当にお前は、難儀なことだな」
見回りから帰って来た父の声を、うつらうつらしていた瞳が辛うじてとらえる。
「お父様。お戻りでしたのね」
「ああ。そろそろ商人たちが集まって来る時期だ。お前の好きなジャムも献上されてきたぞ」
言えば少しだけ微笑みを見せ、上体を起こそうとする娘を支えてやる。
「嬉しいわ。私、ディクトンさんたちのジャム大好きだもの。いらっしゃるうちに、お礼に行きたいわ」
「今のままでは無理だ。安静にしていなさい」
緩やかに波打つ、見事な金色の髪を撫で、優しく笑いかける。
「目が覚めたら、ジャムを添えてお茶にしてもらうといい。ルイに預けておくよ」
「はい」
花がほころぶような笑みに、男爵は頷いて部屋をあとにした。
ロムニア男爵には息子が一人と、五人の姫君がいる。どの姫君も麗しく、聡明との聞こえが高い。中でも末の姫君ユリゼラは、その美しさにおいて比較出来るものがないと謳われるほどだ。しかしながらユリゼラは体が弱く、滅多に人前に姿を現さなかった。
男爵自身、親馬鹿ではあろうがユリゼラの相手になるほどの姫はいないと思っている。上の姉たちも賢明ではあるが、それは姫君なりの教養の範囲の話だ。ユリゼラは、政治の話がわかる。もっともこれは、伏せっているユリゼラに問わず語った己の愚痴の所為でもあるのだろうが。
男爵はユリゼラが生まれたときに、そう長くは生きられないとだろうと医師から告げられていた。幼い頃から何度も危ういときを乗り越え、なんとか今まで生きては来たが、恋愛のひとつも知らずにいることが、不憫でならない。しかしこれといって、ユリゼラの相手に相応しいと思える男も見あたらなかった。三番目の娘が商人に嫁ぎ、今は幸せに暮らしていることを思えば、貴族に固執する必要も感じてはいない。容姿に目が眩むことなく、心延えまで美しいユリゼラを大切にしてくれる男が現れたなら……
「ふむ。わたしも過保護だな」
末の子供ということもあり、ついついユリゼラの将来を案じてしまう。ユリゼラは動けない訳ではないのだ。幼い頃に比べればずっと元気になっているのだから、ユリゼラが自分で出会いを見つける可能性だってある。
男爵はそう自分に言い聞かせると、立ち止まっていた歩みを進めた。
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