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 人間、素晴らしい要素を最適な形で享受するというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。

 僕、楚谷終夜はそんなことを思う。

 素材がいくら優れていても状況が悪ければ、幸福には至れないものだ。

 例えば僕の最近の朝のルーティーンを例に挙げてみよう。

 美少女が毎朝起こしてくれる、なんていうシチュエーションは全世界の青少年が憧れるもののはずだ。

 現状、僕はそのシチュエーションの中にいる。

 だが安心してほしい。きっとこれに対して嫉妬に狂うような者は存在しないだろうから。

「除霊師さん、起きてください。朝ですよ!」

 一人暮らしの高校生という身分にしてはかなり広めの、3LDKの賃貸アパートの一室。

 そこに少女の声が響く。

 彼女は必ず、目覚ましが鳴るより少し前に、待ちかねたように僕を起こそうとするのだ。

 名前は双葉アカリ。十四歳。

 彼女は確かに可愛い。美少女と言って良いほどだ。

 しかしそれでも、それを打ち消して余りある最悪な要素が三点ある。

 一つ、彼女の目が病んだように暗く淀み、そのしたに濃い隈が刻み付けられていること。

 二つ、彼女の身体がよく見ると透けていて、そして実際物体を透過すること。

 そしてもっとも致命的な三つ目が、彼女が頻繁に口にするある台詞だ。

「おはようございます、除霊師さん。今日こそわたしのことを殺してもらいますからね」

 こんなふざけた台詞から始まるのだから、本当にろくでもない朝だ。

 きっと今日一日も、またろくでもないまま終わるのだろう。


 彼女――双葉アカリさんは、自殺志願者の浮遊霊なのだ。




   ***


 例えば朝。僕が部屋で朝食を食べているときなど、彼女は傍らでフヨフヨ浮かびながらこんなことを言う。

「人は何のために生まれるのでしょうか?」

「朝から重たい話題だね」

 双葉さんは時々、生とか死とか、そんな如何にも重厚そうなテーマの話をしてくる。だが蓋を開けてみればそれらはいずれも中身がなく、陳腐で下らないものばかりだ。

「人は何故生まれるのでしょうか?」

 さらに似たようなことを問う双葉さん。ぼくは焦げた食パンを齧りながら、機械的に答える。

「さあ……」

「両親が性欲に負けたからでしょうか」

「やめなよ」

 こんな具合。これが最近の僕らの日常。

「そもそも、人の人生なんて大して意味がないのかもしれませんね」

「なんか悟っちゃったよ。……まあ、それはそうかもしれないけど」

「それなら、一人二人手にかけたところで、何でもないことなんじゃないですか?」

「朝からセンシティブ過ぎない?」

「と、いうわけで除霊師さん。ちゃちゃっとわたしのこと殺しちゃってくださいよ」

「何が『というわけで』なのか分からないけど……無理な相談だ」

 やれやれ……また始まった。

 食べ終えた食器をシンクへと運びながら、僕はもう幾度となく突きつけられた無茶ぶりにため息を禁じ得ない。

「まったく……よりによってこんな面倒くさい霊の担当になるなんて。自殺志願者の浮遊霊なんて聞いたことないぞ?」

 見ての通り、双葉さんは既にご臨終していて、立派な――いや立派ではないが、とにかくどこからどう見ても浮遊霊だ。

 しかし、そんな彼女は何度も僕に対して『死にたいから殺してくれ』などと無理難題を突きつけてくるのだ。

 曰く――

「仕方ないじゃないですか! 苛められた挙句自殺までしたのに、まさか自分が幽霊になるなんて! こうやって意識が持続しているなら生きてるのと変わりないじゃないですか! わたしは消えてなくなりたかったんです!」

 ……と、いうことらしい。

 本当に、勘弁してほしい。

 言いたいことは分からないでもないが、彼女の護衛担当である除霊師の僕に言って良いことじゃない。

「あぁもう……確かに君の前世は気の毒だったかもしれないけどさぁ……だからこそ早く成仏してよ。来世まで記憶が引き継がれる事例は極まれだし、それにもしかしたら、次こそ幸せな人生を送れるかもよ?」

 仕方なく、僕は自分の立場に従って、手垢のついた一般論を口にしなければならない。しかしそれもすぐに反論されてしまう。

「いーやーでーす! わたしみたいな運の悪い魂は、どうせ来世でも悲惨な人生を送るのが目に見えてるんですから! いいから早くわたしを殺してくださいよ! 霊体じゃ自分で死ぬのも無理ですし……除霊師さんなら、霊を殺す能力があるんでしょう!?」

 やはり感情論は強い。

「あのねぇ……何度も説明したけど、ぼくら除霊師の能力は霊感のある人間や浮遊霊を襲う”怨霊”を倒すためにあるんだよ。罪もない浮遊霊を殺したりなんかしたらどんな罰則が待ってるか見当もつかない」

「それは何度も聞きました」

「何度も話したからね。……それに、ぼくは君を怨霊から守るための護衛なんだよ。国の──“アストラル局”の施設がいっぱいだからって、面倒な仕事を押し付けられるこっちの身にもなってくれ」

「……確かにその話も確かに何度も聞きました。けど……」

「けど?」

「その、怨霊というのは、本当に存在するんですか? わたし、死んでからそこそこ経ちますけど、遭遇したことないですよ?」

 ここにきて双葉さんは、浮遊霊が抱きやすい典型的な質問の一つを口にしてきた。

 幸い、僕は何度か、過去にこの手の問いに答えさせられていたので、模範解答が脳内にしたためてある。

「そりゃ……世界中で交通事故が多発してるのに、当事者になることは滅多にないのと同じ理屈じゃない?」

「あ……なるほど」

 納得の双葉さん。

 話が一段落ついたっぽいところで、僕は通学のための準備を開始する。具体的に言うと着替えだ。

「どわぁぁあああ!? 脱ぐんなら脱ぐって言ってくださいよもぉーっ!!」

 壁をすり抜け、律儀に部屋から出ていく双葉さん。

「僕の部屋だし勝手でしょ」

 端から浮遊霊なんて同居人にカウントしていない。

「誰もあなたの下着なんか見たくないですよ! このバカ! エッチ! 変態! チカン!」

「小学生みたいな悪口だね」

「うるさいデリカシーゼロ男! 変質者! 強姦魔! 人殺し! 放火犯! テロリスト!!」

「罪状がどんどん吊り上がってく」

「このっ……外患誘致罪常習犯!!」

「絶対いねぇだろそんな奴」




   ***


 浮遊霊と一緒に登校し、浮遊霊を傍らに置いたまま授業を受ける。

 双葉さんの護衛役である僕は、常に彼女と一緒にいないといけない。彼女は学校という場所が嫌いらしく、多少嫌そうな態度を取るものの、一人は心細いからか、素直についてきてくれている。



「楚谷ー、帰ろうぜー」

「悪い。ちょっと寄るとこあるんだ」

「んだよ今日もかよー。付き合いわりーなー」

 やがて授業が終わっても、部活に励むわけでもないくせして、僕らは真っすぐ帰らない。放課後は、双葉さんに関係した日課があるのだ。

 声をかけてくる友人を適当にあしらうと、僕らは教室を出た。




   ***


 そうして僕らは保健室を訪れた。

 一階の花壇に面した、消毒液の匂いが漂う特別教室。

 調度品などは几帳面に整頓され、執拗に白で統一されたインテリアが特徴的だ。三分の一が掃き出しの窓からは、カーテンが全開のため校庭が一望できる。無駄に健康的で開放感のあるこの雰囲気が、僕は何だか苦手だった。

 室内では、キャスター付きの執務椅子に腰かけた白衣の保険医──湯ノ沢 倫先生が、目と鼻の先を漂う双葉さんと向かい合う形を取っている。

「はい、じゃあカウンセリング開始ー」

「……おねがいしまーす」

 湯ノ沢先生の軽薄な勧告に、双葉さんがよく通る声で、怠そうに応対した。

 そして今日もまた、『カウンセリング』と称した茶番が展開されていく。

「双葉ちゃんはさー、なんかやりたいこととかってないのー?」

「皆無です」

 即答。いつも通り。

「じゃあー、この世に未練とかない感じー?」

「皆無です」

「それなら成仏してよー。楽しい来世が待ってるよー?」

「絶対に嫌です! どうせ来世もろくでもない人生に決まってます! わたしは消えてなくなりたいんです!!」

「そっかそっかー。うんうん。まあ、それなら仕方ないね。わたしは双葉ちゃんの意思を尊重する。君が思うようにすれば良いと思うよ~」

「ですよね! 先生もそう思いますよね!? ……と、いうことで除霊師さん。さっさとわたしを殺してください!」

「カウンセラーが自殺を推奨してんじゃねぇ」

 あまりにもあんまりな結論に、彼女らの傍らに座る僕はたまらずツッコミまがいの苦言を呈した。不快感のあまり変に力が入り、尻の下でストゥールが大きな軋みを上げたほどに。

「……頼みますよ、先生」

 だというのに湯ノ沢先生はまるで悪びれもせず、爽やかな微笑まで浮かべながら、僕らを追いやるように出口を手で指し示してくる。

「はいはい、タイマーピピピ。時間だからもう今日の面談終わりー。二人とも帰った帰ったー!」

「仕事は真面目にやってくださいよ」

「何言ってんのかにゃ? 仕事はテキトーにやるものだよ」

 こういう大人にだけはなりたくないと、この人と相対するたびに思う。

「それでもカウンセラーですか」

「う~ん……成仏推奨カウンセラーとか言ったって、民間の場合ちゃんとした資格があるわけでもないしねー。霊感ありゃ誰でもなれるよぶっちゃけ。霊感自体が希少だし」

 軽薄な態度を崩すことなく、あろうことか自身の肩書をボロクソにこき下ろす湯ノ沢先生。

「うわぁ……業界の闇語らないでくださいよ」

「肩書なんてそんなもんよ」

「いや、肩書って看板みたいなものですよね。重要じゃないんですか?」

「そんな無垢な反論が出てくるなんて、楚谷くんもまだまだ子供だねぇ。重要であることと中身がないことは、必ずしも矛盾しないんだな~これが」

 長い手足を組み、人の神経を刺激する特有の微笑をたたえつつ、栗色のミディアムヘアを揺らしながら頷く湯ノ沢先生。

 本当に、この人と話してると調子が狂う。ついつい言い返したくなってしまうのだ。

「それじゃ駄目でしょう」

「ん? 何で駄目なの~?」

「いや、だから……その……」

「えー何で何でー? 何で駄目なの~? お姉さん理由言ってくれないと納得できなーい」

 うわウッザ。

「……名前詐欺じゃないですか」

 苦し紛れに、咄嗟に浮かんだ単語を口にする。

「え~? 名前詐欺ぃ? あはは。面白いこと言うね」

 と。

 思わず食い下がっていた僕に対して、今までとは質の異なる冷たい声が返ってきた。見ると、湯ノ沢先生は意地悪そうに口角を上げていた。

「な……何ですか」

 たじろぎながらも、僕はこの性格の悪い保険医と過度に無駄話をしてしまったことを後悔していた。

「君だって人のこと言えないでしょ。除霊師とか名乗ってても、実際は迷える浮遊霊のお守りばっかでしょ? 詐欺じゃん」

「……そ、それは…………」

「お姉さん、君が自分から怨霊やっつけるところなんて見たことないけどなぁ~?」

「………………」

 僕は黙る――ほとんど本能的な選択だった。

 腹の底から湧き上がりそうになる感情を押さえつける。意識から目を逸らす。

「何? 怒っちゃった?」

 湯ノ沢先生は嘲笑の気配を絶やさない。

 死ねば良いのに。

「双葉さん、帰るよ」

「あ、はい……」

 僕は、やり取りの真意が分からずに困惑しているであろう双葉さんに声をかけると、彼女を連れ立ってその場を後にした。




   ***


「あー死にたい」

「はいはい」

 学校からの帰り道――双葉さんの言動は相変わらずだ。

「首吊って死にたい」

「はいはい」

「凍死も良いなぁ。イメージだけど」

「やるならお金の勉強とかちゃんとしてからの方が良いよ」

「トウシ違いですよ!」

「日本語は難しいなぁ」

 時刻は夕方。茜空の下。日本中探せばどこにでもありそうな平凡な住宅街を、僕は歩き、双葉さんは浮遊していた。

「一瞬で凍えて全身の感覚なくなって気持ちよく死にたいんです」

「……はいはい」

 病んだ浮遊霊の戯れ言に、機械的に相づちを打ち続ける。

「でも焼死とか溺死とかは嫌」

「そうなんだ」

「苦しんで死ぬのって嫌じゃないですか。死ぬときは楽~に……逝きたいんです」

「如何にも自殺志願者が言いそうなことだ」

 下らないことを話しながら踏み出すこの足は、どんよりと沈んだ僕の内心と同じくらい重い。

 湯ノ沢先生に言われたことが原因なのは言うまでもなかった。

 本当に、嫌な人だ。

 ……けれど、彼女が言ったことは間違ってはいなくて、そのことがより一層僕を悩ませる。

 現状の僕は、落ちこぼれの除霊師と言って良い。浮遊霊の護衛役を命じられた時点で、戦力外通告を受けたのと同義だったのだ。

 このままで、良いのだろうか。

 唯一の肉親である妹は、今でも果敢に怨霊討伐に励んでいるというのに。

 僕だけが、こんな──

 疑問を孕んだ不安だけが胸に募っていく。

「どうして日本には安楽死の制度がないんでしょう……こんなに死にたがってる人が多いのに」

 僕が一人悩んでいる間も、呑気な自殺志願者は下らない話を延々続けている。もはや呆れを通り越して感心してしまうレベルだ。

「ねえ、除霊師さん。聞いてます?」

「えー? あー、うん。安楽死ねぇ……」

 僕は適当に応対する。

「確か、スイスならそういう制度があるらしいよ。スイスで死んで来たら?」

「スイスだって幽霊じゃ無理でしょうに」

「そりゃそうだ」

 彼女も多少は頭が回るらしい。

「わたしが総理大臣だったら、安楽死制度なんて秒でOKしますよ。いえそれどころか、国民を片っ端から死刑にしてやりますよ」

 前言撤回やっぱコイツ普通に頭おかしいわ。

「……いや何でだよ。ただただ暴君じゃん」

 僕は面食らいながらも、一応はツッコミをくれてやる。

「何故なら人は皆、無意識に死を求めているはずだから」

「思想が凶悪な方面に強すぎない?」

 下らない会話は続く。

「あ、そーだ。わたしは除霊師さんには触れるんだから……除霊師さんの首とかに縄引っ掻けて首吊るとかどうでしょう。……あダメか。まずわたしが縄触れないから」

「いやそれ僕まで死ぬくね?」

 おそらくは僕らが家に着くまで延々と──

「ところで、除霊師さんはどうやって死にたいんですか?」

「まず死にたくないんだけど」

 ──かのように思われた。

 その時までは。

「……何ですかあれ…………」

 一瞬前とは打って変わって、双葉さんが明らかに怯えを孕んだ声を発する。

 その時、僕らの目の前に降り立ったソイツは――



「怨霊……」

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