19.魔導士長と冷蔵庫
お芋の試食会の次の日───
ルベール兄さまと離宮に向かうと、門の前に大きな箱を抱えたシブメンが立っていた。
「今来たところです。お気になさらず」
ルベール兄さまは何も言っていないのに、先に返事がかえされた。
「それはもしや冷蔵庫ですか? 重かったでしょう」
門の鍵を空けながら、ルベール兄さまは畑作業をしている男──畑人を荷運びのために呼び寄せる。
自分で受け取らないところがお坊ちゃまである。
駆けつけた畑人に冷蔵庫を渡して『では、失礼』と踵を返したシブメンは『使い方を説明しておきましょう』と、もう一度踵を返して厨房へと歩いて行った。冷蔵庫を持った畑人も小走りでついていった…………私たち、まだ挨拶もしていない。
「面白い人だね」
ルベール兄さまは無礼を責めるでもなく、クスクス笑いながら門の鍵を閉めた。
この門は離宮の正門なのだが、アルベール商会は利用するつもりがなく、普段の出入りは専ら裏手にある通用門を活用している。
今の様に正門を使うのは私を連れた付添人だけで、その理由は私の活動範囲である王宮の庭園と隣接しているからだそうだ。
鍵を閉めている間にシブメンは見えなくなってしまった。
冷蔵庫を持った畑人は急ぎ足ではあるが、どうやら置いて行かれてしまったようだ。
歩くのが早い、そして人に合わせない……初デートで振られるタイプね。
──…あれ? アルベール兄さまもそうじゃなかった?
ルベール兄さまと手を繋いで歩くのは楽だから、合わせてもらっているのがわかる。今もそう。
リボンくんのエスコートも優しかった。
アルベール兄さまと一緒の時は……ちょっと早歩き…走…どころじゃなかったな。
振り向いて、私がついてこれていないとわかると、掬って抱えて歩きながら片腕抱っこ装着……なんと、最初から並んで歩くことを放棄されていた! むむーっ!
「おんなの子とあるくときは、ゆっくりあるいてあげないと、いけません。アルベールにいさまは、しっているでしょうか」
「え? いきなり何の心配?」
「アルベールにいさまは、はやくあるいて、おんなの子を、おいてけぼりにして、いませんか?」
「そんなこと、ないと思うけど………ぉ…ぅん~?」
あぁ、声が裏返っている。思い当たる節があるんだ。
「パーティでのエスコートは完璧だったから、たぶん大丈夫。うん。兄上は完璧な王子だ。だから、大丈夫」
大丈夫を二回言った。
「ふつうの日は?」
子供の曇りなき眼でルベール兄さまを尋問する。
目が泳いでいた。
「ぁあ~、令嬢に話しかけられたら、多少立ち話もするし、歩きながらの会話も……会話を切り上げた…んだと………」
上を向く視線がスッスッと動いているから、認めたくない事例が何件も思い出されているようだ。
どうやら置いて行かれた令嬢は一人や二人ではないらしい。
アルベール兄さまがモテないはずはないけれど、本人にモテ自覚がないなら問題だ。
いわゆる女慣れは、攻略対象であるうちの王子たちには必要不可欠なのである。
害虫は走って追いかける、腕をつかんでぶら下がる、甘えた口調でうるさく鳴く。
虫の毒に耐性がないアルベール兄さまが「ふっ、面白い女だ」をかましたらどうしよう。
──…おのれピンク虫め!
怒りに打ち震えていると、察知したルベール兄さまは私を抱き上げて「大丈夫だよ~、大丈夫だよ~」とギューギューしてきた……また大丈夫を二回言った。不安だ。
「今度僕の女友達を連れて兄上を巻き込んでみるよ。だからシュシュは気にしな~い」
ルベール兄さまの女友達……そっちも気になるよ。
「さぁほら、お待ちかねの冷蔵庫が来たんだ。冷たいお菓子がこれからたくさん作れるんだよ。僕のために作ってほしいなぁ」
──…はっ! 冷蔵庫!
「はしれ! ディフィン!」
「ヒヒーン!」
ルベール兄さまは快く馬になってくれた。
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冷蔵庫を運び終えた手ぶらの畑人が歩いてきたので、すれ違いざまに馬上から手を振り走り抜ける。
外で作業しているランド職人長にも挨拶して、厨房に入った時にはシブメンによる冷蔵庫の説明会は終わっていた。
説明を受けたであろうチギラ料理人の瞳は輝いていた。
冷蔵庫の機能が相当よかったに違いない。
「こんなに軽くて小さいのに収納量が凄いんだ!…です!」と、チギラ料理人による説明会IIが行われようとしていたが、シブメンが帰ろうとしたので、ルベール兄さまが呼び止めて何やら難しい話を始めてしまった。よって説明会IIは中止……後で聞くからね。
会話に加われない私は、ルベール兄さまの肩越しにグルリと厨房を見渡した。
昨日運ばれてきた木箱の姿はもうない。
空いていた棚や壁に調理器具が、調味料が、所狭しと納められ、吊り下げられている。
調理台の上には今日の準備もすっかり整っていた。
お芋も……あった。届いてる。
「ゼルドラまどうしちょう。これから、とってもおいしいちょうみりょうを、つくります。いっしょに、たべませんか?」
何を食べるかは言わないでおく。
芋と知られたら逃げられてしまうから。
「芋でしたな。昨日は乳からできたバターで、今日は何ですかな?」
おぉぅ、もうご存じでしたか。
アルベール兄さまにでも聞いたのかな?……ってか、その冷蔵庫、もしやアルベール兄さまから納期短縮された?
「あぁ~、申し訳ない。兄上に冷蔵庫を急かされたのですね……今日の新作も食べたそうにしていたからなぁ」
やっぱり。ルベール兄さまもそう思いますか。
はっ! 目の下にクマが出来てるのはそのせい? 徹夜した? ひゃぁ~、うちの兄がご迷惑を~。
日本人的社畜思考がよみがえってきた。急ぎの仕事、怖い。
「きょ、きょうはマヨネーズという、たまごからつくるちょうみりょうです。ゼルドラまどうしちょうのためにつくります!「シュシュ? 僕のでしょう?」ぜひ、たべていってください!」
美味しいのを作って労わなければっ!
ルベール兄さまのはまた今度です!
「お言葉に甘えましょう」
よし! 嫌がっていない、はずっ!
「では、あちらの、しょくどうで、おまちください」
「調理の過程を見たいので、ここで結構です」
「ランドしょくにんちょぉ、いすをおもちして~」
「お構いなく」
「シュシュ~、落ち着こうねぇ~」
ワタワタする私はルベール兄さまにグルグル回された。
今はヨチヨチされても収まりそうにありません。
初めての接待なのだ。成功必須なのだ。
ここでシブメンとの縁を深めなければいけないような気がするのです!
逃げられないようにガッチリと胃袋を掴まえておかなければならないのです!
「×××××× ×× ×××」
シブメンの指先が私の額に触れた。
声が……トンネルで響いているような声が……ほわぁぁ?
「興奮を抑える綴言です。どうですかな?」
どうですかな……って、ん~?
「……しんこきゅう、した、あとみたい」
「良いようですな。では『まよねーず』作りを見せてください」
……これか。
ベール兄さまが言っていた『空気読む気はありません』は。
そう。前世の孤独を思い出して嘆く子供を前にしても、プリンにしか興味を示さなかった男……と、ちい兄に評価されたのだ。
「プリンのひとくち大会の時を思い出すなぁ」
やっぱり。
「……ん? あれ? もしかして、いまのは、まほうですか?」
シブメンの声にエコーがかかってた……ような気がする。
あれを聞いて気持ちが落ちついた……ような気がする。
精神干渉系の呪文だったりする?
乙女ゲームジャンルの創作にあるあるの『魅了魔法』があったりする?
「まほうで、そのきのないひとを、すきにさせることは、できますか?」
ヒロインに魅了を使われたら、たまったものではない。
「シュシュ~。そんなことが出来たら魔導士が世界を征服しちゃってるよ」
「でもでも、こえがボワンとしたのです! あたまがジワンとしたのです!」
「さき程のものはただの『おまじない』です。僅かな魔力に言霊を乗せてよく聞こえるようにはしましたが、効果はその場限りです」
「ではでは、まりょくを、つよくしたら?」
「強い魔力は体感を刺激しますので、さすがに相手も気づきます…「えと、えと」…回答を続けましょう。微量の魔力を相手に流し続けることは可能ですが、止めてしまえばそれまでです。効果も持続しません。言霊を魔力に乗せるために唱え続けるのも現実的ではありません。よって、意味のない行為であると知っている魔導士は、それを行いません……余興で笑いを取るのがせいぜいですな」
──…難しい言葉がいっぱい。
「強い魔力を向けられると、体がくすぐったくなるから、すぐバレちゃうんだって」
ルベール兄さまが通訳してくれた。
ほっ。じゃぁ、魅了魔法は無いも同然ね。
──…くくく、ヒロイン、ざまぁ。
「シュシュ、誘惑してほしい人がいるのかな? 僕の知っている男かい? ん~?」
不機嫌そうにほっぺをツンツンされた。
3歳児に何を言っているのですか、この兄は……
「ワーナーせんせいに、みせてもらった、しょくぶつせいちょうまほうが、すごかったので、ほかのまほうも、しりたかっただけですよ」
乙女ゲームの話はまだ誰にもしていないので、そういうことにしておく。
でも、植物成長魔法はマジで凄かった。動画の早送り再生みたいで興奮した。
三回続けてやってもらったら飽きちゃったけど。
……あ、チギラ料理人と目が合った。
視線がぬるい。
ルベール兄さまも、スタンバってる彼に気が付いた。
「……待たせちゃったね。なんだっけ……まよねーず、だっけ?」
私語禁止令を忘れていた兄妹でした。
アルベール兄さまには内緒です。
☆…☆…☆…☆…☆
さぁ、気を取り直していきましょう!
今日のお芋はジャガイモ系のみ。
蒸かしはランド職人長にお願いして、私たちはマヨネーズ作りに入ります。
卵黄と塩と酢と食用油を、泡だて器でもったりするまで混ぜる、だけ。
油を少しずつ加えるぐらいのことは言っておく。
味の調整は、ティストーム人の舌を持つチギラ料理人に任せることにした。
まずは万人に受け入れてもらわないと話にならないしね。
前世では酸味少なめが私の好みだったけど、今の私ははたして……
それよりも大切なのはサルモネラ菌対策だ。
鳥類の卵は糞と同じ場所から出てくるから、時々やばい状態になるのだ。
60度以上の湯にさらすと殺菌されるのだけど、温泉卵になってしまうのでそれは没。
アルコールでの消毒方法は知らないので、とりあえず今回は完成品の湯煎で殺菌することにした。
あと、殻を水につけると菌が中に浸透しやすくなるので、水洗いは割る直前にするよう注意した。
チギラ料理人が泡だて器でシャカシャカやっている間に、ランド職人長にゆで卵を作ってもらう。
火台が3つもあると、こういう時に便利だ。だから使わなかった卵の白身も平鍋で同時に焼くことが出来る。焼いた後はパンの上に乗せて……と思ったらパンがない。
「パン生地はこねてあります。焼きたてをお出ししますよ」
チギラ料理人の視線の先に、ドーム型の窯の上部分だけの調理器具が置いてある。
火台の上にかぶせて使う簡易窯だそうだ。
いつも食べているナンのようなパンは窯で焼かれていたのか。考えたこともなかったよ。
お芋は蒸かし終わった。
卵の白身も焼けている。
ゆで卵も茹であがって殻は剥き終わった。
次はクリーミーに仕上がったマヨネーズを熱湯で湯煎する。
そこで、シブメンが質問をしてきた。
「その湯煎の意味は?」
「なまのたまごには、ときどき、おなかをこわす、ワルイやつがはいっているので、おゆのねつで、なくすのです」
「あぁ、ゾウゴウ・ダフのことですか。それには入っていないので湯煎の必要はありません」
こちらで菌はダフ。ダフ、ダフ、ダフ、ゾウゴウ・ダフ。
──…ん? 入っていないとか言った?
「ゼルドラ魔導士長は鑑定持ちなんだよ。鑑定とは物の本質を見極める……え~と、見ただけで全部わかる力だよ」
「ぜんぶわかる……」
「生まれつきのものです。努力したわけではありません。さぁ君、パンを焼き始めなさい」
シブメンが、チギラ料理人に指示を出す。
「マ、マヨネーズは、れいぞうこで、たべるまで、ひやしておいてください。ゆでたまごは、こまかく、きざんでください。それで、それで、ゼルドラまどうしちょう。あれ、あれのなかみは、なんですか?」
明らかに塩が入っている容器を指して「全部わかる」をせがむ。
「鑑定しないでくださいね。興奮して鼻血出しますから」
──…あ~ん。いけずぅ~。
「おぉ~、冷蔵庫! やっとシャーベットが食べられるな」
ベール兄さまの登場だ。
出来上がりの時間を狙って来ましたか?
「それに凍らせる機能はありません。冷凍庫はもうしばらくかかります」
「えぇ~」
「そういえば、この冷蔵庫は魔導具でしたね。氷を使っていないということは……どれ」
ルベール兄さまが冷蔵庫の見分に入った。
私も抱っこされているので一緒に観察する。
ベール兄さまの興味はチギラ料理人のパン作りに向いていた。
「箱の背面に冷気を出す魔法陣を嵌め込んでいます。温度調節はこの突起で……」
チギラ料理人による説明会IIは、その出番をシブメンに奪われた。
見た目はただの木の箱だけど、内側の金属と二重構造になっていて……
──…え? ちょっと待って、これは……
「ゼルドラまどうしちょう。とびらのうちがわについている、かたくない、これは、なんですか?」
──…パッキンだよね! ゴムだよね!
「ガモの木の樹液を固めたものです。魔導具の保護によく使われますが……欲しいのですかな?」
「はいっ、はいっ。つくりたいものがあるのです!」
「魔導部にあるので、いつでも用立ていたしますよ」
キャーーーーッ!
「皆さま、試食の準備が整いました。食堂の方へどうぞ」
チギラ料理人が話の腰をボキッと折ってくれた。
助かった。鼻血の難を逃れたよ。ありがとう。
 





