18.お芋
それからしばらくして、蒸かし終わったお芋が食堂のテーブルに運ばれてきた。
「それでは、バターをつかうまえに、かくにんのひとくちを、わたくしが……」
しかし、アルベール兄さまがスッと手をかざして私を止めた。
「いずれは自分のレストランに並ぶ野菜だ。私が毒…味見する」
覚悟を決めたように見えるのは、たぶん気のせいではない。
一見格好いいけど、頼もしくは見えるのだけど、敵がお芋なのでイマイチである。
「………」
あ、やっぱり、なんか嫌そう。
「………」
本当にいいのかとチギラ料理人の顔は言っているけれど、目を合わせたアルベール兄さまが真顔で頷くと、ジャガイモをナイフで小さく、本当に小さく、ミックスベジタブルなみに小さく切って取り分けた。
チギラ料理人の気遣いが過ぎて心の中で爆笑した。
──アルベール兄さまの前に、コトリと皿が置かれる。
大きな平皿の中央にちっこいお芋が鎮座している様子に、喉元まで笑いが込み上げてきた。
──フォークが恭しく手渡される。
いや、いいんだけど、そろそろ腹筋が痛くなってきたよ。
──刺して食べようとするがほろりと崩れてしまう。
「………………ナイフを」
ナイフの腹を使ってフォークの先に崩れたお芋ちゃんを乗せる。
一挙一動の注目を物ともせず、小さく開けられた口にお芋の欠片は運ばれた。
──…勇者だ。
ルベール兄さまとベール兄さまの驚嘆する表情に、勝手にアテレコを入れてみた。あながち間違いではないはずだ。
「………」
アルベール兄さまの閉じられた唇はあまり動かず、口内だけの感覚を元に脳内会議開いている様子だ。
結果、眉根を寄せるも「……次」と静かな声をチギラ料理人に向ける。
サツマイモ系の小さな欠片が乗った平皿……再びスマートな所作で欠片を口に含む。
「………」
アルベール兄さまは目を閉じ、しばし動きを止めた。
「…………今日の芋はこの二種類だけか?」
「そうですが……味は、どうでした?」
ミネバ副会長の顔は無表情だが、声がちょっとかすれている。
「そうだな……バターとやらは丸い芋に合うのだったか? シュシューア」
そうだな、は答えになっていません……などと茶々は入れないでおく。
「おイモのうえにナイフでわれめをいれて、そこにバターを、おとします」
私が言い終わらないうちに、チギラ料理人は新しい皿に手早くジャガバター(New)を用意する。
一番小さい丸芋がチョイスされたのは、チギラ料理人の気遣いである。
「バターか……良い香りだな」
アルベール兄さまの心の声がもれる。
「バターをとかしながらたべるのが、ただしいたべかたです。かわをたべてもいいですが、スプーンでくりぬくのがさほうです」
言うだけ言ってみた。
その通り食べてくれた。
そして完食。
アルベール兄さまの顔に黒い笑みが浮かんだ。
──…イエス!!
アルベール兄さまのお墨付きが得られた。
「チギラ料理人!」
私はタクシーを止めるように手を上げた。
「シュシュ、こういう時は手首だけ動かして、こんな感じに……」
そう私を指導するルベール兄さまは、そのまま視線をチギラ料理人にスライドさせ「僕にも頼むよ」と、指導も注文にスライドした。
直後に似た動作で、ミネバ副会長とベール兄さまも……ベール兄さまはまだ様になってないね。可愛い。
しかして、残りのお芋たちは均等に分けられてちょびっとずつ配膳された。
アルベール兄さまの反応が薄かったサツマイモは、ふむ、甘さが少ないかな。
じゃがバターは、ほくっ、まったり、後から塩味がじわぁ~。
お皿に残ったバターをサツマイモに絡めて……
「んふぅ、おいしぃ~……アルベールにいさま、あかいおイモにも、バターがあいますよ」
「うむ」
なんだ、もうやっていましたか。
「みなさんは、どうですか? おいしいですか?」
コクコクコク。
言葉もなくコクコク。
言葉にならないほど美味しいのではなく、家畜の餌が美味しい事に衝撃を受けた頷きである。
くふふふ、してやったり。
「このバターをつけると、何でも美味しくなりそうですね」
落ち着いてからのミネバ副会長は、たぶんレストラン利用を考えている。
「芋じゃなくて、バターが旨いのか?」
組み合わせが大事なのですよ、ベール兄さま。
「シュシュ、バターは何からできているんだい?」
ルベール兄さま、お芋よりそちらが気になりますか。
「きヤギのちちです。なまクリームのもとから、すいぶんをぬいて、おしおであじをつけると、こうなります」
「芋はもうないのか?」
私の話になど興味がないベール兄さまは、チギラ料理人とミネバ副会長を交互に見て食欲を素直に訴えた。
「うははは、残りの芋も蒸気にあててますから、ち~とお待ちを~」
ランド職人長が食堂の入口に立って笑っていた。気が利くぅ~。
「手伝ってまいります」
チギラ料理人は手早くテーブルを片付けると、そそくさと厨房に引っ込んだ。
バターの味見は済んでいるだろうけど、今度はお芋の味見をするのだろう……さてさて。
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残りのお芋も蒸かし終えて全員にじっくりと味わってもらい、小腹が満たされた後の感想はおおむね良好だった。
もちろん、厨房にいるふたりにも意見を聞いてみた。
ランド職人長は何の抵抗もなくパクついて『旨いですね~』としか言わなかったから、あまり参考にはならなかった。
チギラ料理人は、丸い芋のみ、赤い芋のみを口に運び、料理人らしくしっかりと味の確認をしたあと、私の言った作法を守って『じゃがバター』を食べた。
ため息とは違う大きな息をつき、彼も『旨いです』としか言わなかった……もう。
☆…☆…☆…☆…☆
「よしっ、黄ヤギだな。確保してあるからいけるぞ。ミネバ、バターの特許申請の準備を頼む。商業ギルドの試食はアルベノールでいいな。焼きたてのパンに添えて出そう。チギラ、厨房の器具を本格的にそろえろ。シュシューア、バターを使った料理をいくつかチギラに伝えるように」
出た。即断即決。
「アルベールにいさま。バターのことより、おイモのことを、きめてください」
これはお芋の試食会なのです。
「あ~、家畜の餌のままでは広められないのだ。ルベール、お前から説明してやってくれ」
託されたルベール兄さまは一度私の顔を見て、どう説明するか頭の中でまとめるように目を閉じた。そして首をかしげながら目を開けると外の畑に視線を移す……難しい話しかな?
「あのね。赤いお花と青いお花が結婚すると、紫のきれいなお花が生まれたりするのだけど、それを品種改良というんだ。お芋でも同じ事をしてから食べてもらうんだよ」
「ヒンシュカイリョウ……わかります。おいもを、もっとおおきくして、おいしくするのですね」
「今のままでも美味しいけれど、家畜の餌の芋のままだと、みんな嫌がると思うんだ。だから、ちょっと品種改良して新しい野菜の名前で登録するんだよ。以前にマナロという実を品種改良したら人気が出たから、今回もきっとそうなるはずだ」
マナロの実は甘酸っぱくて美味しいのだが、毒々しい色のせいで魔物の化身と言われて忌避されているらしい。それを品種改良して色味を変えたのがシプードだ。自分が好きな果物の話題に、ベール兄さまがドヤ顔で教えてくれた。
「どのくらいで、ひんしゅかいりょう、できるのですか?」
早くしないと北方の大飢饉に間に合わなくなっちゃう。
「植物成長の補助魔法を使えば結果は早く出るよ。薬草課の主な仕事だね」
植物成長? 成長……補助……まほう……
サーリちゃんがマハリークしちゃうアレか!!
魔導士って魔法が使えたのか。
厄払いする神主さんみたいなことする人たちだと思ってたよ。
「しょくぶつせいちょうのまほうで、だいほうさくに、なる?」
「残念。作用はごく狭い範囲だけなんだ」
「あ~ん、そんなぁ」
そりゃそうかぁ~。
じゃなきゃ飢饉なんておきないものな~。
「そういうことだから、シュシューア、芋の件はもうしばらく待ちなさい。まずは家畜甘液を完成させてからだ」
「アルベールにいさま……」
家畜甘液とはあんまりな。
「薬用の甘液として完全提供する代わりに、商会が薬草課の協力を得られるよう契約を進めるつもりだ。芋の品種改良だけではないぞ。保温魔導具も使えるようにしてやる。他にも使えそうな備品があったら、遠慮などせずに借りてしまえ」
あぁ、黒い黒い。
「アルベールにいさま。あと、れいぞうこはどうなりましたか? ベールにいさまが、シャーベットをまっています。それから、ゼルドラまどうしちょうの、はちみつは?」
ベール兄さまがシャーベットの言葉に反応して『よく言った!』と可愛い顔をしている。
「ふっ。その魔導士長が自作の魔導冷蔵庫を作っている最中だ。しばし待て」
まぁ! シブメン! イケメン!
「では、ゼルドラまどうしちょうのために、ゼルドラまどうしちょうがもってきたはちみつで、とっておきのおかしをつくって、おれいをしましょう」
「シュシュ~、僕のは~?」
「あ、ルベールにいさま。そうでしたね。え~と、あしたのしょくざいは、なにがとどくのですか?」
誰ともなく聞いてみる。
「明日も芋が届きますよ。どんな種類かはわかりませんが」
こういうことはミネバ副会長に聞けばいいのね。
「調理で必要なものがあれば、これからは直接チギラに言って揃えさせてください。報告はチギラから受け取りますので、ご自由にどうぞ」
自由に? いいの?
アルベール兄さまを見たら頷いてくれた。
王宮の厨房でやらせてもらえなかったアレコレを、離宮の厨房で全部やらせてもらえる!
バンザーーーイ!と両手を上げたら、お行儀の注意をルベール兄さまから受けたけれど、今だけは許してほしい。
だって、日本にいたら当たり前にあった味を、異世界でも味わうことができるのだ。
王族に生まれて良かった! お金持ちの兄がいて良かった! 大感謝!
「それでは、あしたも、あたらしいちょうみりょうを、つくります! チギラりょうりにん、メモのごよういは……」
あれ、いない。
「なんですか?」
呼ばれたと思って、チギラ料理人が厨房から顔を出した。
「あしたも、ぜったい、きてくださいね」
「あ、はい。何か持ってくる物はありますか?」
「たくさん!」
またやっちゃった。全員にスルーされたけど。
「私から後で書いたものを渡す。今は片づけを優先してくれ」
ミネバ副会長は再度筆記用具を手元に引き寄せ、慣れた様子で指示を出す。
チギラ料理人の方もまた「了解です」とノーマルモードな感じで引っ込んだ。
──…ふむ、上司と部下か。
前世の部下の顔が浮かんだ。
アルベール商会に関わってからというもの、よく彼を思い出すようになった。
いきなり死んじゃったからな~、残された仕事を片付けるのは大変だったろうな~。けどヤツのことだ。そつなくこなしたに違いない。
記憶持ったまま転生してこないかなぁ、佐藤くん。いや、死ねという意味ではなく……
──…あれ? もしかしてフラグ立てちゃった?……なんつって。
「シュシュ、戻ってこい!」
「いだっ!」
いつの間にか私の横に立っていたベール兄さまに、デコピンを貰ったようだ。
「俺は授業があるからもう行く。明日も旨いのがあるなら来るから、俺も人数に入れておけ」
「ルベールに~はまのためにぃ、つくるのでぇ、きょかをもあってくらさ~い」
私の鼻の頭はぐいぐい押されてブタにされている。
最近のベール兄さまの新しい遊びである。
『うきき』と笑うちい兄の顔が滅茶苦茶可愛いので、私も喉の奥を「うくっ」と鳴らしながら毎度萌えるのだった。
「ふふふ、明日は僕が付添人をするから、昼食はここで済ませようかな。ベールもおいで」
私に甘いルベール兄さまは、実は弟のことも可愛くてしょうがないことを私は知っている。
やったー!と、自分の分を確保できたとわかったとたん、ベール兄さまはミサイルのような速さで食堂を飛び出して行った。また、授業を抜け出してきていたらしい。
「明日は商会の仕事で、私とミネバは来ることが出来ない。シュシューア……」
事務的に言っているけれど、新しい味が気になる様子のアルベール兄さまであった…が、だが、しかし……
「れいぞうこがないと、とっておけません」
ストップ食中毒!
これは譲れないのだ。
明日は特に生卵を使うつもりなので、食の安全を全力で守っておきたいのだ。
「ミネバふくかいちょう、あしたひつようなものは……」
この先がちょっと長くなってしまったのは仕方がない。
なにしろ食材の名前がサクッと出てこないのだもの。
お約束のマヨネーズを作るには、あと何が必要だったかな~?





