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苦手な方はご注意ください。

馴染みの剣鬼・小話シリーズ

馴染みの剣鬼──小話『隠り歌』

作者: スタミナ0

本編で載せた短編『(こも)(うた)』です。



 森の奥の館に。

 ()に当たれば焼かれる娘がいた。

 親を知らず、太陽を識らず。

 ただ、ひっそり生きている娘がいた。



 大陸の最西端付近は森深い地だった。

 常緑樹(マルシュービット)の植生で満たされた地は、吹雪や乾燥にさらされても蒼然と大地から根を絶やさない。

 だからこそか、獣の国となっている。

 鳥の鳴き声、草を食む音、樹間をよぎる影。

 緑が萌え、大気は生気に充ち満ちる。

 だが、人は誰も寄り付かない。

 狩人(かりうど)が獣を仕留めに足を運ぶが、あまり深い所に行くと、帰れなくなるとの風聞がある。

 遭難か。

 それとも、森の奥に怪物がいるのか。

 はたまた、人を惹き留める桃源郷。

 そんな噂が立ち始める。

 いつしか。

 人々はここを緑の沼(シューブネスク)と呼んだ。

 そんな森の中。

 少年が木漏れ日を頼りに進んだ。

 まだ開拓がなされておらず、舗装(ほそう)された道が細々と木立の中を巡る。

 半ば獣道となっており、鞘ぐるみの剣で払いながら歩んでいた。

 木漏れ日に塗れる銀の髪に払いぞこなった枝がかかる。

 煩わしげに少年タガネが嘆息(たんそく)した。


「道が無いってのは厄介だな」


 齢十六の夏、今年で六度目の仕事だった。

 それは森の奥地を調査すること。

 すでに十二件の行方不明の報告が上がっており、これを不審に思って森に隣接する地域を治める辺境伯(へんきょうはく)から依頼が出された。

 そうして。

 請け負った傭兵もまた数名が行方知れず。

 巡りめぐって。

 タガネのところへ話が来た。


「本当、面倒なこって」


 思わず愚痴(ぐち)がこぼれる。

 タガネは方角をあらためながら進んだ。

 日の角度などから進行方向を確認し、森の奥地を目指す。気になった都度(つど)に修整などを心がけるが、特段その足先が(あやま)つことはなかった。

 人を惑わせる力が作用しているわけではない。

 噂では幻惑されると言っていたが。

 尾ひれがついて話が誇張されているのだろう。

 だからこそ。

 タガネは呆れるしかなかった。


(おおむ)ねの噂はウソだと」


 もうすぐ噂の奥地に着く。

 信憑性を欠く情報ばかりだったが、実際に行方不明者がいる。その後の消息が(よう)として知れないので、偶然で十数件に及ぶとは考えがたい。

 タガネの予想では純然たる危険が潜んでいる。

 人を惑わす魔性(ましょう)の類に違いない。


「どうせ魔獣か何かだろ」


 タガネは進み出して。

 ふと奥から聞こえた音に耳を()ます。

 足音、ではない。

 獣の鳴き声にしては、妙に上ずったり低くなったり、語調の変化を感じる。

 しばらく()いて、タガネはそれが歌だと理解した。

 まだ歌詞(かし)は聞き取れない。

 しかし、綺麗な音色だった。

 タガネはそちらへ足を運ぶ。

 そして。


「……化かされてるのか?」


 辿り着いた先。

 そこに集落があった。

 生け(がき)で囲われ、扉と思しき物も(しつら)えてある。その奥では土を叩く音がしており、中へ入れば人が畑仕事に(いそ)しんでいた。

 (うね)の間に体の芯を据えて。

 力強く鍬を振り下ろして土に叩き込む。

 人の営みがあった。

 遠くには多数の民家も見受けられる。

 タガネは畑へと立ち寄った。


「もし、そこの方」

「ん……もしかして、傭兵かい?」

「ああ。ちと訊きたいんだが」

「構わんぞ」


 畑仕事に当たる人物。

 その一人だった男に尋ねた。

 彼は肩にかけた手ぬぐいで顔の汗を拭きながら、タガネの下まで歩み寄る。


地図(ちず)じゃ、ここに村は無いんだが」

「そりゃ、そうさ」

「まさか、森を歩く内に彼岸を渡っちまったか」

「はははっ、そりゃ大変(てぇへん)だな」


 呵々と農夫は大笑する。


「…………おまえさんは、いつからここに?」

「ここに来て十余年だな」

「今年は移住者なんかがいたかい?」

「いや?」


 タガネは小首をかしげた。

 地図上に無い場所に十年以上前からいる。

 人の手が届いているなら、地図にも記される。『緑の沼』などと()われる所以などないはずなのだ。

 行方不明者は、この村にいない。

 では、何処(いずこ)に……?

 猜疑心にタガネが黙り込むと。

 農夫が北を指した。


「疲れたろ。家で茶でもどうだ?」

「いや、仕事の邪魔になる」


 タガネは畑を斜視する。

 すると農夫が笑って手を振った。


「なら夜主(ダーティル)の館はどうだ?」

「夜主……?」

「この村を治めてる方だ」


 指し示された方向を見た。

 両脇から梢を伸ばして屋根を作る樹の列、その中を潜る長い坂がある。

 そこに薄闇を(たた)えていた。


「なら、挨拶しに行くかね」

「しかし、えらい別嬪(べっぴん)だな。もし住むってんなら村中の男に伝えにゃ」

「俺は男だよ」

「…………おや男前(おとこまえ)!」

「仕事の途中に悪かったな、さっさと戻ってくれ」

「へへへ」


 農夫が意地の悪い笑みを浮かべて戻っていく。

 苦笑しつつタガネはそちらへ向かった。

 木の隧道(トンネル)となった坂道。

 タガネはその前で立ち止まる。

 よく仕事場にする王国の南部にも王室御用達(ごようたし)の薬草が採れる森があり、そこもまた異様なほど緑の鮮やかな土地ではあるものの、この緑の沼はまた一風(いっぷう)変わっていた。

 緑が鮮やかというより。

 まるで木々が緑に光っている。

 タガネは樹幹に触れて擦ると、木肌はひどく乾いていた。

 不思議に思って剣を抜く。

 刃で少し切って傷口を確かめた。

 そこから樹液ではなく、赤い液体があふれる。

 迸る真紅を指で(すく)って嗅いだ。


「…………血、だな」


 顔をしかめて払い落とす。

 次に足元を見下ろす。

 落葉(らくよう)はすべて茶色。タガネは跳躍して、頭上の梢から葉を一枚だけ摘んで取った。

 梢から切り離した途端、枯れていく。

 一瞬のことだった。

 樹幹に耳を寄せる。

 人間の耳でも、中に寄生した虫がうごめく音や、水が流れる音を聞き取ることはできる。

 確かめてみると。


「……歌だ」


 幹から音色が聞こえる。

 森の中で聞いた声と酷似していた。

 以前よりも内容ははっきりとしていて、女性の声だと判る。

 タガネは樹幹から身を離す。


「不気味なもんでも巡ってんのか」


 この面妖(めんよう)な木が道先への仄暗い予感を誘った。

 剣を鞘に納めるか悩ませる。

 逡巡で立ち止まっていると、後ろから砂を蹴る小さな足音を聞き咎める。振り返ると、そこに老婆が立っていた。

 老婆は小さく頭を下げて会釈(えしゃく)する。

 タガネも目礼で返した。

 両手に瓶を抱えて持ち、そそくさと隣を過ぎて坂道を進んで行った。

 ふと、鼻腔を掠める異臭がする。

 タガネは眉をひそめて。

 その老婆の後ろに従いて行く。


「もし、そこの婆さん」

「何ですかい?」

「もしかして夜主さんに用なのか」

「ええ」


 老婆が瓶を軽く持ち上げてみせる。

 タガネは隣に並んでそれを眺めた。


「これ、何だい?」

「『夜伽(ダータス)』だよ」


 その返答に。

 タガネは驚いて言葉を失った。

 夜伽――つまるところ、夜の無聊(ぶりょう)を慰めるために位の高い人間が寝所で人を侍らせたりするが、この時代でそれは暗喩であって大概が(やま)しい意味合いである。

 真っ先に瓶を睨む。

 老婆が『夜伽』と称する物は、きっと瓶自体ではなく中身にある。

 ならば、そう称呼する辺り怪しい薬の類が()れられていると想像した。

 頭を振って。

 タガネは瓶を指差した。


「えーと……夜伽ってのは?」

「夜主様の飲み物だよ」

「飲み物?」


 また予想外の言葉に。

 タガネは思わず間の抜けた顔になった。

 老婆が可笑しそうに笑う。

 瓶を揺らすと、中で液が瓶の内面を打つくぐもった音が聞こえた。

 老婆に差し出されて受け取ると、思いの外の重量に落としそうになる。

 慌てて支えた老婆の助けを得て落ち着いた。

 タガネは胸を撫で下ろす。


「この村の税ってことかい?」

「いんや」

「うん?」

「夜主様はね、病なのよ」


 タガネは小首を傾げた。

 飲み物――やはり中身は薬なのか。


「病、ってのは?」

「夜主様は昔から日中は外に出れない体質でね、()の下に出ると身が焼けてしまうのさ」

「……へー」

「その為に必要だとさ」


 タガネは口許を手で隠して。

 坂道の先に鋭い眼差しを投げかけた。


吸血鬼(ピキュアール)みたいだな」

「何なの、それは?」

「ここから南に行った地域で、昔はよくいた鬼仔(ヴァン)だそうな」


 耳に覚えが無いのか。

 老婆は小首をかしげていた。

 吸血鬼。

 それは三千年も前に大陸西端で大量発生した魔獣と人の混血種である。

 すなわち鬼仔。

 父に人の血を好む蝙蝠(コウモリ)に似た『ピキュラ』という魔獣を条件とし、人間の女性が彼らによって子を孕まされた場合に発生する。

 鬼仔の例に漏れず、人に似た姿。

 ただし日の光に耐性が無く、日中は影に潜む。

 夜に活動を始め、ピキュラ同様に人の生き血を好物として(すす)る。

 ただし。

 ピキュラよりも異質な力があった。

 それは、あらゆる鬼仔の中でも長命であること。

 吸血行為による栄養補給を怠らなければ、半永久的に存立(そんりつ)する。

 加えて。

 吸血した相手を、自らの配下として隷属(れいぞく)させることが可能である。大量発生した当時は、西端一帯の村などを襲っては、多くの人間を支配し吸血鬼の領土を作った。

 その付近に栄えていた国が聖女ヘルベナと共に騎士団を派遣してまで排除に尽力したほどの脅威である。

 その討伐法。

 日光に晒し、心臓に銀の(くい)を打つ。

 そして聖女の魔力。

 これだけが有効だとされた。

 そこまで説明し終えて。

 タガネは改めて老婆に夜主のことを質す。


「夜主様は、いつからここに?」

「さあ……私が小さい頃、この村に来てからずっとこの地を治めていたわ」

「その中身……血、なのかい?」

「ええ、家族で出し合った物よ」


 老婆が瓶を取り出す。

 タガネは顔をしかめて坂道を進み出す。


「血を吸われたことは?」

「いいや」

「……血を夜主はどうすんだい?」

「薬の調合(ちょうごう)に使う、とか」

「そもそも、なぜ貢ぐ?」

「私の親の代から、この地は夜主様のおかげで豊かだと聞いてな」


 老婆も困惑していた。

 タガネは顎に手を当てて黙考する。

 夜主が吸血鬼だと仮定して。

 なぜ吸血行為によって村人たちを隷属させないのか。その膝下(しっか)に村を営ませている酔狂の正体も気になった。

 吸血鬼せず、ただ血を貰って生きている。

 木々から出た赤い樹液。

 夜主の力で豊かな大地。

 村人たちからの敬意。

 まだタガネは情報が足りないと判断して、坂道の先を急いだ。


「アンタ、夜主様に会ってどうすんだい?」

「ちょいと訊くことがね」

「訊くこと?」

「ああ」


 ふと。

 老婆が急いで従いていこうとしているのに気付いて、タガネは瓶を持って隣に並ぶ。老婆は礼を言って呼吸を整えながら進んだ。

 二人でゆっくりと坂道を上る。

 樹影に閉ざされた長い道を辿って数分。

 その先に古い館が現れた。

 煉瓦式の煙突を擁しているが、その大体が木組みでできた風体(ふうたい)は、しかし褪せた柱の木目の色味から年季が感じられる。

 館を見回すと、異様に窓が多いかった。

 特に、通路全体がガラス張りの部分もある。

 吸血鬼ならば身に堪える普請(ふしん)だ。


「……変わってんな」

「夜主様は中にいるよ」

「ああ」


 老婆が先に進もうとして。

 ふと館の戸口の前で足を止めた。


「アンタ、剣士かい?」

「うん、まあ」

「夜主様がもし、その吸血鬼ってのだったら殺す……その為に来たのかい?」

「…………」


 タガネは少し黙って。


「俺の仕事は森の奥地の調査だ」

「…………」

「調べるだけで、その夜主様が俺に牙やら爪やら立てなきゃ剣は抜いたりしない」

「そうかい」


 少し安心した様子で老婆が戸を叩く。

 タガネもその後ろについた。

 すると。


『入りなさい』


 歌声と同じ声が迎える。

 ただ、それは戸の奥からではない。

 扉自体から聞こえた。


「木に声を通わせる力でもあんのか」


 戸が独りでに開く。

 老婆が先に進むが、タガネは驚いて立ち止まっていた。


『あなたもおいでな』


 声が催促する。

 タガネは深呼吸して敷居(しきい)を跨いだ。

 木の声に招かれて踏み入った館は全く人気が無かった。

 その中を躊躇いなく老婆は進む。

 内部構造を心得ているのか、その足先(あしさき)には迷いはなく、戸口に出てすぐ正面に構える階段を上がっていく。

 その後ろ姿を見失う前に。

 タガネもその後を追って進んだ。

 踏みしめる段差の軋みが激しく、静まり返った屋内ではひどく響く。生業性(なりわいしょう)なのか、足音を潜ませることも多いため、タガネとしては段差が大きく鳴くたびに足が止まる。

 それに。

 得体の知れない者の住まう館。

 タガネとしては寸秒も気が抜けない。

 もし、鬼仔ならば。

 その戦闘力は魔獣とは異なって厄介だ。

 かつて世界を滅ぼす寸前まで追いやった魔神。

 その(むくろ)から無限に湧き、人を脅かす。

 その性質を受け継ぎながらも人としての知性がある分、相手を効率的に倒す術理を心得ている。

 極めて危険な敵になる。

 屋内といい、戦闘状態になれば勝ち目があるか。

 そんな不安を抱えて階段を上がった。

 老婆の後に続いて二階へ。

 長い廊下を経て突き当りの一室の扉まで直行(ちょっこう)すると、門前に複数の瓶が積まれていた。老婆もそこへ音を立てないよう持参した瓶を置く。

 老婆が膝を突く。

 両手を門前で組み、頭を下げた。

 タガネは訝って顔を覗こうとし、瞑目した彼女の表情から一種の祈祷(きとう)なのだと察する。

 そのまま。

 老婆は沈黙の祈りを捧げた。

 扉がわずかに震える。


『ありがとう、ミール』

「いえ。夜主様もお健やかに」


 老婆が立ち上がる。

 扉へと一礼してその場を去った。

 タガネはそれを見送って、扉の取手をつかむ。

 そこで動きを止めた。

 扉の奥は――全くその行為を咎めない。


「入って良いのかい?」

『旅の方でしょう』

「調査依頼を()けて森を訪ねてね」

『お入りな』


 門前に虎のごとき傭兵。

 それなのに、余裕のある声だった。

 森の歌声、木から聞こえる声と一致する。

 心の安らぐような音色。

 騒ぐ胸を説き伏せ、タガネは呼吸を整えてから取手をひねる。

 ゆっくり扉を押しやった。

 隙間から光が漏れる。

 タガネは扉を大きく開け放つ。


『いらっしゃい』

「おまえさんが夜主かい」

『ええ』


 そこは書斎だった。

 文机に一つだけ灯籠(とうろう)を置いている。

 部屋の壁に書架が並び、光で照明されて目視可能な限りでは、どれも表面が擦り減って題名すら朧な書物を多く収容していた。

 その書架の前で。

 ちょうど本一冊を手に取る女性。

 腰まで伸びた銀の長髪は、光に照らされて揺れる都度に艶が毛先まで滑る。振り向いたその人相は、細くつり上がった目の眦を柔らかくし、酷薄(こくはく)な弓なりを描く唇の端を少しだけ上げて微笑んでいた。

 タガネとしては、自分以外に初めて見る銀髪にやや驚いた。

 紙を()る指先は瑞々しい。

 金色の瞳がタガネを見詰める。

 息を呑む妖艶さだった。


『ようこそ、緑の沼へ』

「吸血鬼、みたいだな」

『いかにも』


 夜主の手が椅子を示す。

 タガネは首を横に振って拒否した。

 やはり、と夜主は苦笑して文机にもたれる。

 所作の一つひとつに色香が漂う。


『事情は心得ているよ』

「では、単刀直入に訊こうか」

『どうぞ』

「この村で行方不明者が続出してる。それは、おまえさん……または、おまえさんが扇動(せんどう)した村の連中の仕業かい?」

『いいえ』


 タガネは目を(すが)める。

 まだ部屋に来て一分も経たない。

 そんな短時間でも、この女性のまとう雰囲気に心が傾きそうになる。人心を掌握する魔性じみた力を感じて、なおさら言葉が信じられなかった。

 夜主が笑みを止める。

 一転して憂いのある顔になった。


『けれど、それは私の責任』

「責任?」

『私は貴方に害をなすつもりはない』

「…………」

『ただ、協力して欲しいことがあるの』

「協力?」

『貴方はさぞや腕が立つのでしょう?』


 夜主が目を細める。

 タガネの首筋を冷や汗が撫でる。


「俺にどうしろと?」

『信頼して貰うためにも、まずはすべてを話す』

「ほう?」

『その上で判断して欲しい』


 夜主は本を閉じて文机の上に置いた。


 夜主の名は無い。

 その出生は三千年前に壊滅した小国の娼館で、一人の娼婦が魔獣の子を(みごも)ってできた子供である。

 鬼仔の例に漏れず迫害を受けて育った。

 細々と動物や人の死体から血を吸って生きた。

 そして二十歳の(みぎり)

 吸血鬼が大量発生しており、それを討滅すべく聖女が率いる騎士団によってことごとくが斃された。

 死体を装って難を逃れ。

 やがて同朋の(むくろ)を苗床にして木々が立ち、『緑の沼』と呼ばれる森の原形が完成した。

 長命の鬼仔を(ようぶん)にした植生。

 それは、尋常な物とは異質の力を備えて常に青葉を蓄えて生きる。その梢の葉、草と根、それらを食した動物は鬼仔の力に冒されて絶命し、土に還って森の養分になる。

 そうして。

 森は深く、広くなっていった。

 迷い込んだ人間が誤って山菜を採り、倒れた動物の肉を穫れば、同じ効果が人間に現れた。

 そこから当時は死の森と噂された。

 それでも、足を運ぶ人は絶えない。

 ただ、迷い込む人々の中には孤児(みなしご)や故郷から迫害を受けた者がいた。

 自殺を選んでこの地へ。

 そんな者たちの骸も積み上がる。

 その被害を防ぐべく。

 そういった人々を夜主は森に迷い込んだ人を自らの下へ招き、そこに村を作った。

 鬼仔としての力か。

 同朋の血が通った木々から、夜主は自身の意思を伝達する術を発見し、身寄りの無い者は毒を食らう前に誘導し、狩人などは警告を発して帰り道を示した。

 村に来た人々には、自身の血を分け与えて毒性への耐性を身に着けさせ、少しずつ開墾などを繰り返して尋常な草木を育み、人の住める環境を拡張する。

 夜主と村人の努力もあり。

 森の奥を安息の地へと変えた。

 そうして、この村はおよそ百余年の安寧を築く。


 夜主が微笑んだ。


『それが村の成り立ち』

「……行方不明者は?」

『私の声を聞いて混乱した者もいた。却って好奇心に進んで村を見つけるや略奪を試みた者や、()()になって獣を狩る者や、むしろ森の毒性を心得ながら喜んで死を選ぶ絶望者が……その行方不明者だと』

「ああ、だから歌を」

『不安が紛れると思って』


 タガネは腕を組んで黙り込む。

 たしかに。

 木々から声が聞こえれば、誰でもその怪異に驚いて混乱する。事前に死の森、帰れない――『緑の沼』だと聞き及んでいれば、そこで起こる現象に心が乱れるのは人として当然の理。

 鬼仔の力はまだ謎が多い。

 祖に持つ魔獣の特性。

 人と混合したことで新しく獲得する力もある。

 知らないからこそ恐れる。

 聞いた話から。

 行方不明者の果てとしては納得だった。

 だが。


「歌でも怖いもんは怖い」

『…………そう』


 夜主が少し肩を落とす。

 タガネは咳払いをして。


「それで、略奪を試みた連中は?」

『ええ』

「…………殺したのか」

『村を築いた私の使命だから』

「……なるほどね」


 タガネは失笑をこぼす。

 村を統轄する者なら、侵略者に対する待遇として正当な行為である。むしろ、ためらって人命を失う最悪を想定し、行動できる決断力は昨今の町村でも見ないほどだった。

 築き、そこに命を育む者の責任。

 夜主は理知的な人物だった。


「守り、住まわせる……か」

『…………』

「その対価に血かい?」

『そうしないと生きていけない』


 夜主が苦々しく歪める。

 鬼仔、それも吸血鬼としての定め。

 村を見守る為には、どうしても必要なのだ。


『信じてくれた?』

「ま、信じようとは思ったね」

『ありがとう』

「それで、頼みとは?」


 女性が自身の胸に手を当てる。


『この村を狙う者がいる。数日前にここを嗅ぎつけてきた。今は北に潜伏している』

「…………」

『本来なら迎え撃つのだけれど、相手は五十名……傭兵団、らしい。かなりの手練れ』

「ずいぶんな規模だな」

『先日、斥候が数人来たから迎撃した……でも、そのときに負った深傷で戦えない』


 そう言って。

 夜主は胸に置いた手を強く握る。


『斃した斥候の血を吸って一命は取り留めたけれど、まだ走ることもできず』

「村人の血でも足りないか」

『回復はしている……』

「その様子じゃ、切った張ったは無理だな」


 タガネは後ろをかえりみる。

 積まれた瓶は多い、それらは老婆の様子から見ても惜しみない貢物であるのは判った。

 それだけ慕われている人格者。


「結論を言ってくれな」

『どうか、傭兵団から守って欲しい』


 村を守るための助勢。

 夜主の依頼はただそれだけだった。

 だからこそ。


「一つだけ言おう」

『ええ』

「俺は調査で来た。ここに村があることも漏れなく報告する所存(しょぞん)だが、そうなればその傭兵みたいな手合が多く生じる」

『ええ』

「村を守る者として、依頼すべきは黙秘を要求することじゃないかい?」


 夜主は少し黙って。

 しかし緩やかに首を振って否定した。


『村の者が健やかであれば』

「…………」

『永久の平和は存在しない、世の常だから』

「傭兵団の撃退」

『ええ』

「どうあっても、この地は露見するぞ」

『覚悟の上よ』


 夜主の意思は変わらない。

 決然とタガネを見据えて返答する。

 この村の安寧は、秘匿された地であることが大きく影響しており、誰かに知られることそのものが脅かされることと同意義なのだ。

 たとえ傭兵団を退けてもタガネの報告によって周知される。

 どうあっても平和は保たれない。

 それも承知の上で。

 目先の危険な暗影を排除したいと(こいねが)う夜主に、タガネは嘆息した。

 よほど、村を愛しているのか。


「少し考えさせてくれな」

『ええ』


 ふと、夜主がタガネの後ろを見遣った。

 タガネもそちらを見ると、すでに日が山陰に隠れようとしている。もうすぐ夜が来るのだ。


『では、支度しないと』

「支度?」

『村を巡回する』

「……どうして」

『村の皆の顔がみたい』


 夜主は笑って言った。

 村人を愛し、守ろうとする。

 夜主としての務め、というよりも彼女本人の愛情が先立っているように見えた。

 吸血鬼と人が共存する村。

 面妖で不気味、けれど情で育まれた風土。

 タガネも我知らず笑みで応えた。


「俺も」

『なに?』

「傭兵をやってるが、実のところ嫌われ者でね……定住先を探して旅してんのさ」

『そう』

「もし、宛が無ければ……ここに来てもいいかい?」

『いつでも、いらっしゃい』

「ふん」

『でも、『夜伽』は貰うけど』

「いいさ」

『…………?』

「この村は()()注いで守る価値があると見た」

『そう?』

「定住先の候補が一つ……報酬はそれで充分だ」

『……いいの?』

「五十なら、手に負える範疇だし」

『……感謝を』


 夜主が腰を折って深々と一礼する。


「村を巡るんだろう」

『ええ』

「なら、おまえさんの愛する村とやらを俺にも紹介してくれな」

『無論だとも』


 夜主とともにタガネは館を出た。

 暮れの時分に一つひとつの民家の戸を叩く。

 一日の仕事に疲れた後にもかかわらず、誰一人として夜主に対して嫌な顔をする者はいなかった。

 それどころか。

 家へと招いて団欒の中へと誘う。

 夜主も喜んでそれらに参加した。


「最近は日が長いあらなあ」

『暑くなったものね』

「夜主様も体に気を遣ってくださいよ?」

『ふふ』


 囲炉裏を囲って。

 一家の主が夜主と笑顔で会話する。

 その娘が彼女の服の袖を引いた。


「夜主様、今日は何の日かわかる?」

『あなたの十の誕生日でしょう、おめでとう』

「えへへ」


 タガネは厚意で供された煮汁を啜る。

 匂い立つ湯気の中から夜主を観察していた。


「旅人さん、おかわりは?」

「ああ、これはどうも」


 空になった碗を女性に差し出す。

 新たに注がれた煮汁に満たされる。


「旅人さんは、移住希望?」

「いや依頼で立ち寄った由、そうしようか悩んでるところだ」

「そう。もし住むなら歓迎するわ」

「そりゃ、ありがたい」


 少し時間を経て。

 世話になった一家に礼を言って次の家へ。

 そこでもまた少し時間を過ごした。

 すべてを巡り終えるまで、およそニ刻を要した。

 二人で寝静まった夜の農道を進む。


「良い村だったな」

『旅の子よ』

「うん?」

『その歳で、傭兵となり旅をしているという事情で大体を察する…………今は、辛くない?』

「さてね。今宵みたいな団欒の煮汁に含んじまえば大して苦にならんよ。…………そればかりでもないが」

『大変ね』

「だからこそ、この村には守る価値があると思った」


 タガネは後ろを振り返る。

 森の一方角から煙が立っていた。


「そろそろ仕事をするかね」

『旅の子』


 夜主が深々と頭を下げた。


『どうか村を、よろしくお願いする』

「承ったよ。俺にも貴重な定住地候補だ」

『…………』

「どこぞの輩に潰されるわけにはいかん」


 そう言って。

 タガネの顔に修羅の笑みが宿った。 




 森の調査に赴いた剣鬼は帰らなかった。

 同時期、森に踏み入った傭兵団五十名も消息を絶ち、森の不気味さはますます人々を畏れさせ、周辺にいる村もこれ以上の調査を中断した。

 手を出さなければ無事に済む。

 不用心に入った者の犠牲がそれを痛感させた。

 そうして二月後。

 何処かの戦場で活躍する剣鬼の名を人は耳にする。

 彼は『緑の沼』で消えたはず――。

 死んだはずの人間が現れる。

 謎が深まり、恐れは大きくなる。

 やがて、人々は『緑の沼』が神の力が働いた神聖な土地であり、不可侵だと後世にまで言い伝えることになった。

 その平和は。

 一月であれ、一年であれ、百年であれ……。

 長く続いたという。

 そんな後のことも知らず。


「やれ、よく働いたな」


 タガネは保存食をかじりながら。

 森を遠くから眺める丘に座っている。

 傭兵団五十名の動きを、夜主の力の掩護を得て把握し、その先手をことごとく潰して、背面から奇襲を仕掛けた。

 村人には報せず。

 タガネの手によって傭兵団は滅びた。

 その後は、夜主の案内を得て森を抜けて現在に至る。

 調査を依頼した村とは反対方向にいた。

 報告はしない。

 もし、してしまえば将来の定住先の候補が一つ消えてしまう。

 それだけ。

 それだけがタガネにとって痛手となる。

 自身の体から血臭がして顔をしかめた。


「川の場所でも聞けば良かったな」


 斬った傭兵団の返り血。

 身を清めることを失念していた。

 タガネは小さく笑って、立ち上がる。


「さ、そろそろ」

『また、いらっしゃい』

「…………」


 森から歌声が聞こえる。

 森に隠る夜主のそれが剣戟の音に堪えた鼓膜を癒やす。

 タガネは軽く手を振って応えた。


「さて、今日は何処にいくかね」






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