プロローグ3
気持ちを落ち着かせる事が出来た俺は自分の家の扉を目の前にしてふっと思った。
……ちるって驚いたりするのかな??
何故急にこんな事を思ったのかはわからない。 でも喜怒哀楽の激しいちると過ごしたこの一年間で俺は色々な顔を見てきたと思ったがまだ驚くと言った表情は見た事がない。
そう思うとなんだか無性に見たくなってくるのが男の性なのだろう。
俺はその場で一旦止まり音を立てない様に静かに家の裏口へ向かう。
裏口から家に入って、ちるを驚かす。
一見単純な気もするが、ちる相手ならこの方法が一番良いのではと思ったりもする。
大掛かりな仕掛けは直ぐに見破られそうだし、俺にとっては足音や気配を消すことの方が自信のある事だったから。
裏口に着き呼吸を整えてから扉に手を掛ける。
今まで一回も開けた事のない扉だったので素直に開いてくれるか内心不安ではあったが、扉は驚くほど滑らかに開いた。
自分の幸運に感謝しながら、いつものちるなら何処に居るかを考えながら俺はゆっくりと家の中に入った。
今のこの時間、ちるはリビングでダラダラしている筈だ。
俺は真っ直ぐにそして静かにその場へと足を運ぶ。
ちるの驚く顔が見れるかも知れないと考えると自然と気持ちが昂ぶった。
たけど、リビングにたどり着いた瞬間に俺の気持ちは一気に沈むことになる。
いつも寝そべっているちるの姿が今日に限ってそこにはなかったのだ。
この時間ちるは毎日この場にいる筈だった。
どうして今日に限っていないんだ?? いや、むしろ今日だから居ないのか?
俺は予想外の展開にただ困惑していた。
思えば、あいつが他にいる場所の心当たりなんて一個も無いのだ。
「お主何がしたいんじゃ??」
困惑している俺の後ろから僅かに笑いを含む声が聞こえた。
そこ声の主はすぐにわかった。
俺は若干体をビクつかせてしまった事に苛立ちと恥かしさを感じながらも悟られまいと振る舞いながらその問いに答える。
「お前こそいつもそこで寝そべってるくせに何してんだよ」
振り返った俺の目の前にはちるが笑みを浮かべながら立っていた。
俺よりも頭2つ分ほど低いちるは俺を見上げているものの顔に浮かべる笑みは完全に見下している。
「はぁー、質問を質問で返すのは良くないぞ主よ。 まぁ良い、我が何をしていたかだったな?
さっき主が言っていた通り、そこのソファーでいつも通り寝そべっておったのじゃがな?
どうした訳か主が玄関を素通りして行ったので、我は何かあったのかと心配になったのじゃよ!!
だから直ぐに出て主の後ろをついて来たのじゃ! そしたらまさか裏口から入ってくるとは!!
……なぁ? お主は一体何をしたかったんじゃ??」
芝居がかった口調で話すちるの言葉に、全てを見破れた上で馬鹿にされているのだと理解した俺は、ちるを驚かそうとしていた事を正直に話した。
やっぱ一筋縄ではいかないな。
俺の言葉にちるは満足した様に大きく笑い俺の横を通り過ぎいつものポジションに寝そべりはじめる。
それにしても入口から既に後をつけられていた事は完全に予想外だったし全く気がつかなかった。
俺がちるを驚かす事に集中していたからなのか??
それにどうやって俺が玄関を素通りしたなんてわかったのだろうか??
今居るちるの位置からは見えやしないのに。
「それにしても我を驚かそうとするとはのぅ。 やはりお主は面白い男じゃな。
我も主を待っている間に少し暇だったので裏口の扉を整備しておいて良かったといったものじゃ、こんなすぐに使ってくれるとはのぅ」
何故バレたのかを考え込む俺にちるは笑いながら言った。
今日整備した? 裏口を?? タイミングが良すぎる。 俺がちるを脅かそうとしていた事をちるは最初から知っていたのか?
いや、俺がちるを脅かそうと思ったのはあくまでさっき咄嗟に思いつた事だ、流石にそれはありえない……筈だ。
ちるの言葉に再度困惑したが、直ぐにちる相手に色々考える事は意味が無いと思い直し、俺はちるが寝そべっている対面に一旦座った。
「それにしてもお主が我を脅かそうとしていたのはわかったが、何故そんな事をしたのじゃ??」
不思議そうに頭を傾けて、二つに縛った長い黒髪の片方を弄りながらちるは声を出す。
如何やら俺の行動を悟ってはいてもその真意まではわからないのだろう。
まぁ全部知ってて聞いている可能性もあるけど。
どっちにしろ今更隠す事もないか。
「別に深い意味はないよ。 この一年間ちるの色々な顔を見てきたけど、驚いた顔は見た事ないなぁと思っただけさ」
「な、なるほどのぉ……言われてみれば確かに驚きと言った表情、感情は今まで無かった事かもしれないのぉ!! お主は面白い所に気がつくな」
「今まで? この一年だけじゃなくて今まで一回も無いのか??」
俺がそう言うとちるは急に立ち上がり胸を張って得意げに答える。
「当たり前じゃ! そもそも驚くとは思いがけない事が起こるような事であろう? 我にそんな事があると思うか?? 答えは否じゃ!
今までもこれからもこの我が驚く事など無いのじゃ!!」
腰まで伸びた黒髪をなびかせながらまるで歴戦の強者の様に高らかに笑い勝ち誇る様にちるが叫ぶ。
その見た目は俺が座っている今、ちょうど目線が合うくらいのただの少女だ。
ちるを知らない人が見たらただの生意気そうな子供にしか見えないだろうと俺は笑いそうになったが、このタイミングで笑うと間違えなく怒られると思いそれを悟られないうちに話を続ける。
「まぁ確かにちるの言う通り、ちるを驚かすなんて出来る人間は今は居ないかも知れないがまだまだわからないだろう?
これから色々な事が起こるかも知れないしその日は案外すぐかも知れないぞ」
「いや、あり得んな。 我が誰かに驚かさせられるなどどんな事があっても絶対にないじゃろう!!」
「よくもまぁそんな自信満々に答えられるな……あり得ない話じゃないと思うんだが?
これからの人生は長いんだしちるが想像も出来ない事が沢山起こるかも知れないだろ??」
少ししつこかったのか、ちるは呆れた様に目を細める。
「ふぅー、お主はいつも我をそこら辺の少女と同じに捉えるな……いや、その事自体はまぁ嬉しい事なのだが、いい加減我を認めたらどうじゃ?」
ちるはそう言って俺へ背中を向ける。
耳が少し赤くなっているのを見て、俺は尚更ちるを普通の少女の様に思ってしまう。
認めるかぁ……いや、わかっている。
ちると初めてあった日、その時から俺はちるを特別な存在だと認めている。
俺にしてくれた事にも感謝しているしな。
だけどその事を認めるは少し嫌だった、俺とちるの間に埋める事の出来ない溝が出来るみたいだったから。
「あなたは神様の存在を信じていますか?」
ふとさっきの女の人の言葉を思い出す。 久し振りに会話したちる以外の他人。
そうだ、結局あの質問を答える時も色々考えた俺の頭に浮かんだ人物は一人だった。
返ってくる言葉のわかっている質問を俺はちるに尋ねた。
「認めるって何をだ?」
その言葉にちるはすぐ様振り返り満面の笑みで答える。
「我がこの世界の神様である事をじゃ!!」
再びちるは高らかに笑う。
俺はその姿を少し悔しく思いながら見つめていた。
自らを神様と高らかに宣言する少女。
明日で出会ってからちょうど一年が経つ。
ちると過ごしたこの一年は俺にとってとても大きくかけがえの無いものだ。
いつか自分が受けた恩以上のものを彼女に返したい。
例えそれがこの世界の神様だったとしても。
ちるの元気な笑い声が部屋中に響く。
だけど自慢げに笑うその声には心なしか哀愁が漂っている様に俺には思えた。