リュウの過去
「で、私は口からでまかせを言ったわけだが……」
放課後、MST団を空き教室に集めた藤崎は、一人一人の顔を見まわした。
「先生、その件は本当にありがとうございました。」
アスカが深々と頭を下げた。アスカに聞いた話によると、藤崎は音楽の教師で、大分世話になっているらしい。
「君の歌に素質があるのは、私だけが認めているからね。板倉先生が厳しい言葉を言われるのを、黙って聞いていられなかったのさ。」
藤崎は優しい目でアスカを見つめた。まるで父親のようだとリュウは思った。
「それで、君達が今後もこのような活動を続けて行くとしたら、部としての申請が必要なわけだが……まず責任者は誰かね?」
三人の視線が一斉に一人に注がれる。
「あたしです! 三年五組、君嶋明日香!」
アスカが元気よく返事をした。三日前とは打って変わっている。
「問題があるのはだね、部として申請するのは部員が五人必要なんだよ。……人数はここに集まっているので全員かね?」
「まぁ、そう、です……。」
アスカが力なさげに答えた。
「今から入ってくれそうな人、いますかね……。」
サヤも不安そうに言う。リュウは、はっと思いつくことがあった。
「先生! 一人、心当たりがあります!」
源玄が在籍する三年四組に四人で押しかけていったときは、ゲン本人はもちろんだが周りの生徒からもそれは驚かれた。板倉に見つかった件でMST団の名は悪い意味で有名になっているらしく、無遠慮に好奇の目が注がれた。
そのときは昼休みで、ゲンは自分の机でクリームパンを食べていたが、声を掛けると食べるのを中断して話を聞いてくれた。
「なるほど、完成した曲につけるPVが必要だっていうんだな。」
「PVなんて……そんなたいそうなものじゃなくていい。一枚絵で十分だ。取り掛かるのは源の推薦が決まったあとで……とりあえずうちの部に籍だけ欲しいんだ。」
柔道が得意なゲンは確かスポーツ推薦を狙っているのだと噂で聞いた。
「ゲンでいいよ。まさか、俺の絵を見てくれてた奴がいたなんてな……」
低く、ぶっきらぼうだが温かみを感じさせる声だった。リュウたちは五人目の部員が見つかったことにほっと息をついた。
「ありがと、リュウ!」
翌週の集まりの際、アスカはリュウに抱き付かんばかりの勢いで感謝の意を表明した。
「まさか、ゲンが音祢ミク好きだったなんてね!」
「絵を見た時、ピンと来たんだよ。これは音祢ミクがモデルだな、ってな。」
堂々と作曲活動ができるようになり、アスカはますますやる気を出すようになった。自分で作った『創作ノート』とやらを空き教室――今は正式な部室だが――に持ち込み、家で書いて来たコード進行やメロディをリュウたちに見せたり、活動中に新たに何やら書きこんだりしている。
サヤもリュウがMIDIキーボードで出したメロディに「ここは和音を使ったほうがいいですね。」や「ここの転調はいらないでしょう。」といった的確なアドバイスをくれる。
トモヤは作曲の過程でどうしても出てしまった歌詞を削らなければいけない箇所や、逆に足さなければならない箇所に適当なフレーズを当てはめ、さらに良い歌詞へと磨いている。彼もまた、才能がある人物なのだな、と思う。
「ゲンな、まだ部活で忙しくて集まりには顔出せないけど、夏休みに一回曲のイメージを聴きに来るんだってさ。」
「なら、それまでに形にしないとだね!」
アスカのキラキラした笑顔にリュウは元気をもらったような気がした。
翌週、アスカは突然、リュウに
「来週ギター持ってきてよ!」
と提案した。なんでだよ、と問うと、
「やっぱりリアルの音あったほうがみんなインスピレーション湧きやすいでしょ? それに一回、リュウのギター聴いてみたいんだよね! 去年の文化祭以来だしさ!!」
と弾むように答えられた。
「いいけど、ここ最近練習してないんだよな……」
わずか一週間で勘が戻るかは分からない。それに、ギターには嫌な思い出がある。
「それを乗り越えないことには始まらないでしょ!」
アスカの強い口調にはっとなった。
「この曲のメイン楽器はピアノとギターなんだから! しかもギターは生音だよ!? リュウの腕にかかってんだって!!」
リュウはその夜、受験勉強を放置して久々にギターを手に取った。ずしりと来る重量感に、あの日のことを思い出す。
――去年の九月、文化祭。
リュウにはそのとき、交際をしている女子生徒がいた。可愛らしい見た目でよく笑い、リュウは一目見た時から好感を抱いた。リュウはその当時、気の合う仲間でバンド活動をしていた。入学してすぐ、ギターが弾ける、と周りの人間に言っていたら誘われたのだ。定期的にライブハウスを借りてライブのようなことを行い、そこに訪れていた彼女と親しくなった。音楽好きの彼女もまた、ギターが弾けるリュウに好意を持ったのだ。
リュウのほうから告白し、一緒にライブに行ったり、ギターの練習に付き合ってもらったりして最初のほうは上手くいっていた。
最初のほうは、だ。リュウにとっては初めての恋人だった。色々と至らない点があったのかも知れない。急に、彼女のリュウに接する態度が冷たくなり始めたのだ。きっかけはよくわからない。
どうして最近冷たいんだと聞いても、別に、とかそんなことないよ、とか気の無い返事をされるだけで、リュウは一体どうしたらいいのか途方にくれてしまった。文化祭の前、二人の仲はすっかり冷え切ってしまっていた。リュウは彼女の心を、彼女が好きな音楽で取り戻そうと考えた。
文化祭で弾くのは、その時人気だったバンドのラブソング。一ヶ月も前から練習を重ね、満を持してリュウはその曲を彼女も見ているステージで披露した。
演奏中に彼女の姿を見つけ、リュウは一瞬心が浮き立ったが、すぐに突き落とされるのを感じた。
――彼女は、同学年のある男子と一緒に来ていたのだ。
ステージは大盛況だった。しかし、リュウの心は重く沈んだ。
そのうちバンド仲間とも音楽性の違いというやつで揉め、年が明ける前に解散した。
よくある話と言えばそうだが、とにかくリュウにはギターにいい思い出がない。
弦を張り、運指を確認する。チューニングを済ませ、あの曲を弾き始める。流暢に流れるメロディに、よかった、まだ覚えていたのだと安堵する。
翌週は夏服への移行期間だった。それにも関わらず、長袖で部室に訪れたトモヤに、リュウは一抹の不安を覚えた。もしかしたら、リストカットしていたのは本当ではないか、と。
それを振り払うように、アスカに急かされ、ギターを手に取る。アスカがキラキラした目で見守る中、リュウはあの日の曲を弾いた。
弦を押さえる感覚、鼓膜を揺らす音、周りの感心したような視線。懐かしい、と思う。これが気持ちよくて、自分はギターを弾いていたのだ。あの時となんにも変わっちゃいない。感動だけは、移ろいがない。やがて弾き終わり、三人のこじんまりとした拍手に包まれる。
「すごいリュウ……あの日と、同じだ……。」
アスカがうっとりしたように呟いた。そういえば、こいつも文化祭のステージを見に来ていたのだな、と思い出す。誰かを感動させることができるなら、ギターもそんなに悪くないのかもしれない。
その週も活性化した議論が交わされ、曲の大まかな部分はもう少しで決まりそうだった。みんな満足げな表情のまま、その日はお開きとなった。