藤崎先生
MST団の次の集まりの日、リュウは音祢ミクの機材とパソコンを空き教室に運び込んだ。勝手に電気や場所を使ってしまっていいのか――という不安が脳をかすめたが、頭の隅に追いやった。
思ったより重量感のある設備にトモヤとアスカは目を丸くする。
「音祢ミクって……こんなに大きかったんだね!」
アスカは今週の集まりには参加した。進路の件はいいのかと問うたが、良い返事はなかった。でもそれは、リュウがどうこうできる問題じゃない。
「さっそく音祢ミクに歌わせてみよう。俺らの歌詞、な。」
リュウはトモヤが持ってきた歌詞を音祢ミクのテキストデータの部分に打ち込む。この一週間、トモヤが編集し続けた歌詞だ。ところどころリュウやトモヤが思いついた箇所もあるが、ベースはアスカだ。ある程度の打ち込みが完了したところで、リュウは再生ボタンを押す。
瞬間、淡々とした口調で歌詞が読み上げられ始めた。
「ミクさんの声だ!」
「聴き慣れた声だな。」
まだメロディは付いていないが、親しみのある音祢ミクの声を聴いたことでトモヤとアスカは目を輝かせた。
今はまだ不自然な抑揚だが、調節すれば人間に近い声になる。
「さーて、さっそく作曲に取り掛かろう。」
リュウはMIDIキーボードの電源を入れた。
MST団の今週の活動が終わり、リュウはこれから夜遅くまでしなければいけないテスト勉強を邪魔に思いながら帰途についていた。アスカが一週間の間に考えてきた、というコード進行はどれもセンスを感じさせるものだった。ためしにキーボードで鳴らしてみると明るくともどこか切なさを感じるメロディが響き渡った。それに影響されるようにリュウもめきめきと創作意欲が湧いてきたものの、予備校の開始時刻は待ってくれない。早く受験勉強から解放されて自由になりたいものだ、と思う。
廊下の柱を曲がって下駄箱に向かうと、途中の壁に一枚の絵が貼られていることに気が付いた。覚書から、何かのコンクールで入賞した絵のようだ。
目を引く美しいエメラルドグリーンの髪に大きな瞳、どこか憂いを感じさせる表情で、少女が手の中の輝く宝石を見つめている。肌の色はぬけるように白く、彫刻のように整った顔をしている。リュウはその可憐なイメージからなんとなく、音祢ミクをモデルに描いたのかな、と思った。題名は“歌姫の誓い”だった。繊細なタッチと色使いから女子が描いたのかと思ったが、作者は同じ学年の男子だった。
『三年四組・源 玄』
一年生のとき同じクラスだった。確か柔道が得意で、大きな大会に出場するほどだったはずだ。手もゴツゴツとしていて、とても音祢ミクが好きだったり、優しげな絵を描いたりするようなタイプには見えなかったが、意外なものだ。その絵を見ているとなんとなく癒され、リュウは少し元気をもらって予備校へと向かったのだった。
MST団にとって最初の危機といえる事件は、その翌週に起きた。
定期テストが終わり、サヤも戻ってきてさらに作曲活動に拍車がかけられる状況で、リュウも張り切ってMIDIキーボードを叩き、アスカとコード進行についての意見を戦わせていた。議論が白熱し、軽い言い争いのような状態になったとき、いきなり何者かによって空き教室の扉が開けられたのだ。
驚いて四人とも固まった。開いた扉の先にいたのは、あの英語教師――板倉だった。
「お前ら……何をやっている?」
怒りを滲ませた口調で板倉は尋ねた。リュウは黙っていた。アスカはうろたえるばかりで何も言えないようだった。
板倉はすぐにリュウが持ち込んだキーボードやスピーカーに目を走らせた。
「何を勝手に持ち込んでいるんだ! 電力も空調も、断りなく使っていたのか!!」
場に緊迫した空気が流れる。サヤは泣きそうな顔になっている。
「部活動の、一環みたいなもので……」
トモヤが口を開いた。
「顧問は誰だ!? 正式な届け出は出したのか!?」
うっ、とトモヤが口をつぐむ。
サヤの姿を認めた教師は、さらに激昂した。
「村上! お前は推薦だろう!! こんなことして、どんな影響があるか分からんぞ! 他のやつらも、もうすぐ受験だってのに何やってんだ!!」
「先生! サヤは、あたし
が脅したんです!」
アスカが必死の表情で叫んだ。
「嫌がってたのに無理やり協力させて、あたしが全部悪いんです!! サヤはなにも悪くありません! あたしは退学になったってなんだっていいですから……サヤの推薦に影響が及ぶことだけは……どうか……」
最後の方は半泣きになっていた。リュウは静かに立ち上がった。
「板倉先生、俺もです。」
ぐっ、と、教師の目を射抜く。
「俺も村上さんを脅してました。」
トモヤも無言で板倉の前に進み出た。
「僕もです。村上さん、全然乗り気じゃなかったのに……」
なにか言おうとしたサヤをリュウは視線で制止した。
「……ともかく、このことは職員会議で報告する! お前らへの処分はそれからだ!! 村上以外の三人は三日後の昼休み職員室に来い!!」
板倉は苛立たしげに言い放つと空き教室を出ていった。
その瞬間、わっとアスカは泣き崩れた。
「ごめん……ごめんサヤ。あたし、自分のわがままのせいでサヤの一生を台無しに……!」
「気にしないでください。協力したい、って言ったの自分の意思ですから。」
サヤはきっぱり言い切る。こういうところでおどおどしないのは彼女のいいところだった。
「それに私、推薦がダメでも大丈夫なように一般に向けての勉強もちゃんとしてますから。もし最悪の状況になっても、アスカちゃんがそんなに心配することないです。」
ふっと安心させるように微笑んだ。
「でも……推薦って、サヤが三年間頑張って来た証でしょ? やっぱり意味があることだって思うんだ。」
「さすがに推薦取り消しって事態にはならないと思うけどな。校則違反でもねえだろ……。でも、機材とか場所とか使うの、よく考えてなかった……俺も悪かったよ。」
リュウは頭をかきながら言った。こうなった以上、学校で楽曲製作を続けるのは難しいかもしれない。それでも、
「曲を作るのは続けるだろ……?」
「トーゼンじゃん。」
アスカは鼻をすすりながら言った。
「まぁ俺の家……ちょっと狭いけどな。やれなくはないだろう。」
「ありがとリュウ……最初は、全然乗り気じゃなかったのにね。」
「バカにつられた。」
リュウはふてぶてしく言った。
楽曲製作は続けるとはいえ、今後の学校の処分によっては、リュウ達に重めの罰が下されるかもしれない。どことなく晴れない雰囲気のまま、その日は解散となった。
三日後、リュウとアスカとトモヤは板倉の前に立たされていた。眉間にしわを寄せ、板倉は厳しく問い詰める。
「職員会議の結果……お前らは厳重注意だ。村上以外は内申書に記入される。まあお前らがやったことだからな。今回の件……言い出しっぺは誰だ?」
「あたしです、あたしが言い出しました。」
アスカが真っ先に名乗り出た。
「君嶋……お前なあ……そんなことしてるから自分が歌手になれるとか身の程知らずなこと思うんだぞ。」
言っていることの意味がよくわからない。単純に、この教師はアスカをバカにしたいのだろうと思った。
「それは関係ないでしょう。」
はっきり言いきった声が響く。発言したのは、トモヤだった。
「歌手になるのが身の程知らずなんて、そんなの先生が決めることじゃありません。」
きっ、とした攻撃の目がトモヤに向かう。
「菅お前……そんな風に客観的な見方も空気を読むってこともできないからクラスで、浮いて……」
「その辺にしとかないかね、板倉先生。」
初老の男性の声が英語教師の言葉を遮った。潔い低音の声だった。リュウはあっけに取られて声のしたほうへ顔を向ける。アスカが小さく
「藤崎先生……。」
と呟いた。初老の教師は咳払いを一つして話始める。
「すまんね、私はもう年なものですっかり忘れていたよ。君嶋くん、君から創部届けを預かっていたのだね。」
静かで、しかし有無を言わせない口調にアスカは軽くうなずいた。
「君達は楽曲製作のようなことをしていたのだろう? 顧問は私だ。電力のことも空調のことも、私が支給される部費から払っておくから心配はない。当然、これは私のミスだから君達の内申書にも影響はない。それでいいね、板倉先生?」
板倉は予想していなかった展開に面食らったようだった。
うろたえたように、
「え……まぁ……藤崎先生がおっしゃるなら……」
とだけ言った。
「と、いうわけで、創部に関して話し合いたいことがあるから、君嶋くん達は今日の放課後、例の空き教室に来てもらえるかね。」
突然の藤崎の提案に、図らずも救われたリュウたちは恐る恐る同意した。