アスカの才能
ゴールデンウィーク明け、約二週間ぶりに集まったリュウ達に、アスカはいきなり口火を切った。
「やっぱさ、恋にしようと思う。」
「……へ?」
全員が顔に『?』マークを浮かべた。
「ミクさんの、曲のテーマ。」
ありがちといえばありがちである。しかしなぜか今まで出なかった。
「ヒットしてる曲は恋愛をテーマにした曲が多いでしょ? ミクさんだって恋愛の曲バンバン歌ってるし。何より感情の動きがはっきりしてるから初心者に作り易い!」
言っていることはもっともだ。しかし、一つ問題があった。
「いいけどお前……恋愛経験あんの?」
それはネックである。リュウはそれで失敗したからよくわかる。
「……小学生のとき、サッカー部の男子に片想い……。」
へへ、とアスカは薄く笑った。場に鼻白んだ雰囲気が流れる。
「……分かった。サヤは?」
「……告白されたことは何回かありますけど、ピンと来なくって。誰かとお付き合いしたことはないです。」
なんとなくそんなタイプだろうとは思っていた。高一のときも、女子で固まっているイメージしかなかった。
「……うん。で、トモヤは?」
「それ僕に聞く……?」
食い気味に返された。本気で怒気をはらんだ返答だった。
「ああ、ごめん。」
リュウは嘆息した。経験がないとリアルな歌詞やメロディは作れない可能性が高い。
「そうやって人に聞くけどさー、そういうリュウはどうなわけ?」
アスカがけんか腰に聞いて来た。とりあえず、無難な答えを返しておく。
「ああ、まあ、人並み、かな。」
アスカは不服そうに声を漏らした。
「はぁ? なにそれ……」
「まあみんな大した恋愛経験はないけど、さ。」
アスカの台詞に割り込んでトモヤが言う。
「ミクさんが好きだ、って気持ちはみんな同じだろ?」
そういって一人一人の目を前髪越しに見つめる。絶対にこいつ、前髪無いほうがいいのにな、とリュウは思った。
「それを歌にすればいいんだ、あれこれ考える必要はない、って思うけどどうかな?」
「その通りだよ、トモヤ!」
アスカが嬉しそうに叫んだ。
「どっかの嫌味なやつと違っていいこと言う!」
『嫌味なやつ』とは無論、リュウを指しているのだろう。反応する言葉の代わりにリュウはアスカを軽くこづいた。
「……じゃあテーマは『恋』でいいとして……恋って言っても色々あんな。何にすんだ? 失恋とか両想いとか。」
「ミクさんの最期の曲ですけど……哀しく終わりたくはないです。」
サヤが控えめに提案する。
「それはあたしも同感。明るい曲にしよーよ。両想い楽しー、あなたに出会えてよかったー、みたいな。」
これはあっさり決まった。失恋がテーマにならなかったのはリュウとしてもありがたかった。数年前の、あの時の感情を、思い出してしまうから。
「……で、やっとテーマ設定は決まったけどどうする? 歌詞から先に書くの? それともメロディ?」
主に作詞を担当するであろうトモヤが尋ねた。
「……う~ん歌詞かな。プロはそうだっていうし。歌詞が先に決まってたほうが作曲やりやすいんじゃない?」
アスカが答える。それを聞いた瞬間、トモヤの目が妖しく光った。
「それじゃ、僕の出番だな。」
ふっふっふっと怪しげな笑い声を立てる。
「だけど、僕一人で作るわけじゃない。そうだろう、アスカ?」
「それは……もちろん!」
「じゃあみんな、一週間後までに歌詞作ってきてよ。もちろん僕も書く。それでみんなの照らし合わせて、僕が更にいいのにするからさ。」
え、と全員から疑問の声があがる。
「……まだテーマ設定しか決まってないのに、か?」
「文章を書くのは、ゼロから一を生み出す作業じゃない。百を一にする作業なんだ。」
「どういうことだ?」
「色んな本を読んで、それから得たものを元にして文章を書くってこと。材料がなくちゃ、始まらないからね。」
トモヤはアスカに尋ねた。
「テンポはどうするんだ?」
「ん~と、明るい曲だからアップテンポにしたいかな。」
「曲の長さは?」
「ミクさんの曲って短いイメージあるから……三分くらい?」
「じゃあ間奏とか後奏が一分くらいだとして、歌詞があるのは二分くらいだな。自分で音読して二分くらいの文量だから、そんなに長くは無いはずだ。受験勉強の合間にもできるね。」
「でも私、作詞したこと無いんですよ!?」
サヤが不安そうに言う。
「それなら僕も同じだ。なんならアスカもそうなんじゃないか?」
「確かに、あたしもないよ。」
そしてアスカは合点がいったような顔をした。
「だけど、挑戦することが大事だっていうんだね?」
トモヤは頷く。
「これはMST団の曲だから、みんなでやることが大事なんだ。僕も作詞のために色々と調べたけど、リフレインとか押韻とか、難しいことはひとまず考えなくていいよ。」
全員がそれに納得し、そこから一週間頭を悩ませ続けた。
一週間後、再びリュウたちは空き教室に集まる。何故か、いつもなら真っ先に来ているはずのアスカが現れなかった。トモヤがサヤとリュウの作った歌詞に目を通し、自分の分と比較して何か言おうとしたところ、やっとアスカがやってきた。
何があったのか目は泣きはらしたように赤くなり、右頬が腫れあがっている。完成した歌詞をトモヤに渡したあと、お待たせ、といった声も掠れているようだ。当然皆が心配し、訳を尋ねた。
「ああ……これはね……親とちょっとね。」
「……! 進路のことか。」
リュウがメールの内容からピンときて言った。アスカはしばらく黙ったが、否定しないところをみるとどうやら図星らしい。
「まだ決まってないんですか?」
サヤが心配そうに尋ねる。
「そういう訳じゃないんだけど……。」
アスカは口ごもる。
「アスカ、今日は帰れ。」
リュウが突然強い口調で言った。
「もう一回、親とちゃんと話し合え。……中途半端にしたら、いずれ後悔するぞ。」
リュウは親と進路で揉めたことは無い。国立大学に行きたいと言えば応援してくれた。だからこそ、受験勉強に集中できているのだ。納得のいかない進路ならここまで頑張れない。
「でも……。」
「どうせ今日は僕以外やることないだろ。アスカが帰ったってなにも問題はないさ。」
トモヤが不遜に言った。彼なりに気を使っているのだとリュウには分かった。
納得がいかなそうな顔をしながらもアスカは空き教室をあとにした。あとに残されたリュウたちもどことなく雰囲気が重い。
「アスカちゃん……いつも明るいけど、色々心配ごとを抱えているんですね……。」
「一回メールで聞いてみたんだけどよ……。心を許してないんだか何にも教えてくれなくてさ。」
くそ、とリュウは唇を噛み締めた。まだそれほど、アスカとの仲は深くないのかもしれない。
「無理に聞くのはよくないさ。本人が話してくれるまでそっと待つんだ。」
トモヤがアスカの分の歌詞に目を通しながら言った。
「僕らがここであれこれ言っても仕方ないよ。受験勉強もあるんだからさっさと曲作りに取り掛かろう。」
トモヤは机の上に四人分の歌詞が書かれたルーズリーフを出した。
「感想を言わせてもらうと……リュウのはそこそこ良かったと思うよ。経験者だけあって、ところどころ光るフレーズがあった。サヤのも悪くないんだけど……平凡な印象は受けるな。」
サヤが少ししょげたような表情をした。やはり才能があるのはごく一部の人間だけなのだ。
「そして、アスカ。」
トモヤはアスカの分のルーズリーフを凝視し、重々しくつぶやいた。
「これは、別格だ。」
リュウは思わずアスカが書いた歌詞をトモヤからひったくった。すぐに目を通し、信じられない、といったような口調で呟く。
「これ、本当にアイツが……?」
「リュウがアスカの曲を聴いたとき、なにも言えなかった理由が分かった。」
単純明快でありながら心をゆさぶる、恋の歓びを感動いっぱいに歌い上げた歌詞。美しい比喩とささるフレーズ。眺めているだけで心が躍り、思わず歌いたくなるようだ。
「打ち上げ花火みたいに消えてなくなったりしないでよ……oh空に縫い付けて」
ぶつぶつとトモヤが読み上げた。リュウの脳内に、メロディが浮かび上がる。あいつならどうする、とリュウは思う。きっともっと良いメロディをすぐに思いつくはずだ。
「すごいですね……アスカちゃんには、才能があるんだ。」
サヤがどこか寂しそうにつぶやいた。
「サヤだって、ピアノの才能があるんじゃないのか?」
トモヤが思い出したように言った。確かにサヤのピアノは素人耳には十分上手く聴こえる。
「いいえ、私くらいのなんて、ゴロゴロいますよ。」
サヤが遠い目をして言った。昔のことを思い出している目だった。やはりそういう風に思う訳は教えてくれず、まだ心を開いてくれていないのだと思う。人間の心とは、なんて難しいものなのだろう。
「それじゃ、来週からいよいよ作曲のほうに取り掛かれるな。」
リュウはトモヤに目配せして言った。
「その前にテストですよ、リュウ君。」
サヤが注意するような口調で言う。リュウたち高校三年生は、六月初めに一学期の定期テストを控えていた。受験生のため、そちらも手を抜けない。
「あー、どうするよ? 来週の集まり。」
来週はテスト期間だった。受験生なら、普通はそちらを優先する。
「……僕は、やりたいけど。」
トモヤがぼそっと言った。実を言えばリュウも同じ気持ちだった。アスカの歌詞を見てから、思いつくメロディが止まらない。
「私は……遠慮しときます。推薦は定期が重要ですから。」
サヤが控えめに主張した。アスカとは異なり、しっかりと将来を見据えて努力する姿勢は素晴らしいと思う。
「まあ仕方ねえな。俺とトモヤだけでやるか。アスカは……来れるか分かんねえし。」
トモヤも心配そうな表情をした。励ますようにリュウは言葉を続ける。
「来週から、いよいよ音祢ミクを使っての作曲作業に入れるな。ギターの練習もやらなきゃだし、忙しい。トモヤも受験勉強大変だろ? 余計なこと考えてる暇ねえよ。」
トモヤはひとまず元気を取り戻したようだった。
歌詞の編集はトモヤが家でやってくることになり、リュウはいつものように予備校へ向かう。