転勤先、セントーリア最高裁判所(目覚めの刻)
「ご挨拶が遅れました。私、流射芽直正様担当本、サーシャ・コーラルと申します」と、その娘は嬉しそうに今後はサーシャと呼んで欲しいと言った。
「今、担当本って……言った?」
「はい」
「……はは」
「ふふ」
「へへ」
「ほほ」
「……って」
「?」
「意味わかんないんですけど。わかりやすく説明してくれる?」
「承知いたしました」と言って、白一色のコスプレの彼女、サーシャは体中から鮮やかな光を放つと見る見る本に姿を変えていった。
「こういう事です」
眩しさに目を細めていた俺は、宙に浮いて喋る本に驚く。大きさと厚さは辞典並み。表紙には【流射芽直正様@Sāsha-Kōraru】と横書きされており、背の部分には【法の書】と縦に記された真っ白な本。まるで、新刊ながらも稀覯本を思わせるような厳かさを漂わせていた。
「えっと……」
「どうしました?」
「説明になってない」
「!? 失礼しました!!」
慌てながら謝罪しているようだった。小刻みに天を向けては戻すを繰り返している。彼女は、同じようにして元の姿に戻っていった――。
「結局、どういうことなの?」
「私、これから流射芽さんが裁判官としてお勤めされる為に必要となる本なんです」
(いやぁ、そんなに嬉しそうに言われても……。それに、答えとして絶妙に不足してるんだけどなー)
取りあえず、履物を用意してもらいトイレに案内してもらうことにした――。
履物は今まで履いていたようなビジネスシューズなのだが、これが非常に軽くてフィットしていた。なんでも、魔法が施してあるとのことで『疲れにくい・蒸れにくい・水に強い!』という三拍子が揃っているらしい。だが、魔法という言葉が出てきたことに抵抗がないわけではないのだが、あえて素直に受け入れたとしても魔法じゃなくても……否、人の好意は素直に受けることにしよう。
「はて?」
豪奢な男子トイレで用を足し終えて、洗面台にいる。数十年前の俺にそっくりな男の子が目の前の鏡に映っいるではないか。それも、高い割に丸みのある鼻先や、左目尻の泣き黒子なんかヤバイくらいにソックリ。でも、この年頃の俺って顔が隠れるくらいにまで前髪伸ばしてたな。当然、年を考えたって別人……しかし、仕事柄こざっぱりとさせている今の髪型とまるっきり同じというのが気持ち悪い。
「誰もいない……」
自分の顔を両手で触ってみた……その子も触っとる(ヤベ、滴ついた)。
撫で回してみた……鏡の動きというやつだな、うん。
鼻に、思いっきり指を突っ込んでみた。
「――うぐっ!?」
これ、俺だ!!
慌ててサーシャのもとへ。
「ちょ、ちょっ!?」
「ちょ? チョー出ましたか??」
「面!!」
俺は、鼻に入れたままの指を押し上げて鼻声で伝えた。彼女は「ああ」と納得した様子で言葉を続けた。
「こちらの世界に来た方は、その方のピークの時の容姿になります」
「へ~、そう……」
(俺のピークって、16、7かぁ)と、少し哀愁が漂ってしまった――。
服のサイズが合わないことに気が付き、背広なんかもチャチャッと用意してもらい今は裁判所の中を担当本に案内してもらっている。
行き交う人々の言葉は全く理解できないし、表記されている文字であろうものも一つも読めない。そのことをサーシャに伝えると「後ほど直ぐに解決します」ということだったので頭の中に据え置きながら非常にクオリティの高い被り物を全身に纏った姿の人達に目を向けていた。
俺らが最初に立っていた場所が中心部で更には北の方角だったらしく、今は東の方へ向けて歩いている。それにしても、ここは立派な造りだ。
東西へ延びる廊下は、全て半円アーチで造られていて合わせるように南側の長方形の大きな窓が等間隔で明かりを優しく受け入れている。
窓から見える景色は、一面に芝生があって穏やかな日差しの中カップルや家族連れやらが思い思いの時を過ごしていた。
反対側は、幾つもの黒緑の重たそうな扉が幾何学的に並んであって、そこでは裁判が執り行われているとのことだった。建物の全体的な造りは凸のような形らしく、像の後ろが突き出た部分とのことだった。西側はというと、主に執務室や寝所になっているらしい。
(あっちの裁判所も、これぐらい綺麗だといいんだけどなぁ)
そんなことを思いつつ「んで、ここで裁判官をやるってことだよね?」と、尋ねる。すると、弾むような調子で「そうです」と彼女は答えた。
「でも、こっちの法律なんて知らないよ」
「それは問題ありません」
「どういうこと?」と、行き止まりで踵を返したサーシャが説明を始めた――
彼女の話によると、こちらの裁判では、訴訟の内容が原告と被告の記憶から担当本を通して頭の中に入って来るらしい。そして、適用可能な法も流れ込んできて判決文を作成するのだそうだ。俺の世界と類似する法も多いらしく、和解なんかもあるという。
「流れは何となく分かったよ。じゃ、原告なり被告なりが嘘を付くことは出来ないっていうことだよね?」
「そうです」
「で、例えば被告が判決を反故にした場合どうなるの? 強制執行とかになるの?」
「制約が掛かるので、余り心配ないと思います」
制約とは、このセントーリア最高裁判所の魔法で世界最強レベルなのだそうだ。
昔々、とある偉大な魔術師様が国々の王に共通の法を定めるべきだと説いて回ったらしい。その甲斐あって世界の中心ともいうべき此の地に【セントーリア最高裁判所】と銘打って【聖:法の書】という凄い物を設置したという。で、その【聖:法の書】は、この世界のあらゆる生命エネルギーを必要な分だけ集約して媒介を通じて制約を発動。それを解くということは、掛けられた者の消滅を意味する。もちろん、そんな自殺行為を望む者は早々いないとのことで判決は滞りなく執行される。また、その時の決め事としてセントーリア最高裁判所は不可侵の地として生きとし生ける者に制約が掛けられていて、絶対的な地位で護られているのだそうだ。
「続きですが」と言って、サーシャは話し始める。
「あくまでも光景だけですので、心情は伝わりません」
「その場合、尋問や証拠の提出を求めることになる?」
「はい」
「まあ、それでも相当数のペースで裁判できるだろうし、弁護士も必要ないね。ていうか、自分達でやったらいいじゃん」
「この世界の者では、集約したパワーである威光は強すぎて死に至る可能性が極めて高いんです。また、残念ながらは裁判官の体力も著しく消耗されますので執り行える数に限りがあります。それに、皆さん裁判の相性もあって万能ではありません 」といった。
「薬も量を間違えるとなんとやら……異世界の住人なら誰でもいいの?」
「いえ、裁判経験者の方が望ましいようです。もっと厳密に言うと、裁判官の方が相応しいようです」
「なんか、マネーロンダリングみたいだなぁ」
「なぜか今の言葉に悪事の響きを感じました」
「便利なような不便なようなシステムだなってこと」
「そんなことはありません。そのお蔭で出会うはずのない方々と出会えるのですから……。こうして、私は流射芽さんと出会えました。これからは1人と1冊で1つの存在です。私達は法司者であって、法使者であり、奉仕者なんです。一蓮托生なんですよ」
俺を覗き込んでハニカム彼女。可愛いのは分かるが、それよりも気になる事が四つ。
一つ、1人は1人。1冊は1冊。私たちは別々の存在。
二つ、公務員たるもの、無償で働くことはない。
三つ、責任の所在は明らかに。
そして、最も気になること。
「あのさ」
「はい」
「俺、裁判やってて逝ったりしないよね?」
「……」
「サーシャさん!?」
彼女は表情を崩さず「戻ってきました」と言った。そして(帰りたい)という俺の眼差しを完全にスルーした。
(?)
像の真向かい、正面玄関と思われる方に目を遣ると、サーシャと色違いの藍色の装いをしたショートカットの女性が代わる代わるの質問にテキパキと答えているのが分かった。鮮やかな緑。最近の脱色はスゲーな。
「同僚?」
「ええ。私達、受け付け係もするんです」
「へぇ」
「ちなみに姉です」
「ほー。二人姉妹?」
「いえ、103姉妹です」
「へ~百……ひゃくさん!?」
どこぞのワンチャンより多いぞ。
「そ、それって……みんな同じお母さん?」
「はい。私、末っ子なんです」
「そ、そう……」
コモンマーモセットが約5.52秒、ガラガラヘビが約23時間……どっちなんだ父さん母さん。
「それでは」
サーシャは何処からともなく羽根ペンを取り出して俺に手渡した。そして、再び本の姿になるとパラパラとページを開いて白紙の最終ページのところでピタリと止まった。
「すいません、こちらに署名をお願いします。あの、でも……私、初めてですので……その、優しく……して、ください」と言って、ほんのり白紙を赤く染めあげた。
「う、うん……」
意味わからんが、俺は其処に署名した――
(っ!?)
署名が済んだ途端、胸の奥にチクリと刺さるものがあった。そして、そこからジワリと灰汁のような嫌な感じのものが広がっていった――。
「どうしました?」
「……なんでもない」
聞いてみようかと思ったけれど、署名の間ずっと身悶え書きづらかったので掴んで押さえたら「そこはダメ~!」とか「ハヤクシテ~~ッ!」とか叫びだし、書き終えたら終えたで絨毯にヘタリ込むように落ちて息遣い荒く見返しをパタパタさせている本に聞くことなど何もない。
「……おや?」
ふと気が付くと、周りの話し声が耳に馴染んで理解できていた。また、表記されている文字も読めるようになっていた。
「そ……それでは参りましょう」
姿を戻して、やっとのことで立ち上がったサーシャが女神像さんの後へ回り込むようにして歩き出す。見てみると、像さんの後ろ側には金色の大きな扉があった。最初は視認できなかったこの扉は、関係者以外認知できないらしい。どうやら、署名をしたことで関係者の仲間入りを果たしたようだ。
お上りさんのようにして見上げていると、サーシャは両掌を合わせて何事かを呟き始める……すると、その扉は音一つ立てずに独りでに動き始めて両開きでゆっくりと向こう側へ開いていった――
室の中は、不思議な空間だった。まるで行き止まりというものを感じない。下手をすると床の感覚すら怪しくなる。そのことをサーシャに伝えると、ここは別次元だそうで神様のおわす神界と繋がっているのだそうだ。だが、実際のところ本当にそうなのかどうかは誰も行ったことがないので分からないらしい。
「これが【聖:法の書】、通称【Mother】です」
コツコツと足音を立てながら進んだ先に鎮座する本。
扉が開いた瞬間には、視界一杯にあった神々しい本。
「でっけぇ……」
圧倒される大きさだった。
おそらく、この本からしたら俺ら米粒だろう。
真っ暗な室の中でゆっくりと回転する神々しい本。一回転ごとに色が変わり、まるで、この世界の理を色で表現しているかのようだ。
「……触っていいかな?」
「3メートル以内に近づくと、感知魔法で木端微塵です」
何かの魔法に罹ったように見惚れながら歩みを進めていた俺はピタリと止まる。結構ヤバイ距離な気がするんですけど。サーシャに早く言えと抗議する為に振り返ってみると「流射芽さん」と、彼女は体の前で両の手を組んで真顔で言葉を紡ぐ。
「私達【法の書】は【Mother】から生まれました。裁判官となられる御方と出会う為に生まれました……。これから私も流射芽さんのお役に立てるように、精一杯努めさせて頂きます」
そうして、サーシャは弾ける笑顔を俺にくれた。
(……)
鼓動が波打つ。熱い何かが俺の中を駆け抜けていく――――に、しても……。
「サーシャ」
「はい!」
「本っていうのは、露出狂なの? ていうか、本って表紙が服? 裏表紙が下着? 更には、ページが裸体だったりする??」
後ろから見ると、純白の法服のように見えるので露出度は少ないのだが、前から見るとチューブトップブラとでも云うのだろうか。それに、下もレディースのボクサーパンツとでも云うのだろうか。穢れのない真っ白なそういったもので最低限の部分しか隠していない装いは、よくよく見ると欲情するものがある。
若返ったことで異性に対する旺盛なものが徐々に蘇っているのだろう……否。親御さんの前というのが興奮させるのだろう。嗚呼・・・お義母さんゴメンナサイ。唯々、合掌。真っ白なショートブーツから上に向かって舐めるように視界に収めることを繰り返すことが止められない。
「か、考えたことも無いです……」
羞恥心を覚えたサーシャが隠れているにも関わらずアチコチ手で隠し始めた。
「……フム」
俺は、これから妙な興奮を本に覚えてしまうかもしれない。