不測の事態
「いやー、買った買った! これでしばらくはお洋服に困らないねっ」
「ですねー。代償としてお兄ちゃんの財布の三分の二が亡くなりましたが」
大通りを満足げにスキップしている鈴莉と、同じく満面の笑みで横についている天音。そして袋を持たされた俺は肩を落として後をついて行っているワケだが。
「金額に関しては何も言わんが、服選びに時間かかりすぎだろ。二時間とか頭湧いてんじゃないのか?」
不服そうに言う俺に、二人は歩を止めてこちらに振り返ると、
「「全世界の女子に謝れ」」
……いやなに。女子ってそんなに服選びに時間かかるの? 確かに試着とかあるだろうけどさ、せめて一時間だろう。とっくにお昼すぎたぞ。
などと思いながら改めて辺りを注視する。結衣さんの言に従えば、まだ天音を狙う危険人物は居ないとの事だが……それでも、注意しておく分には構わないだろう。
──この学園都市。道行く人は大半が科学者か素性を隠している異能者だが、その中に紛れ込まれていても面倒だ。相手が仮に異能者の場合、木を隠すなら森の中、の要領になる。
──最低限の交戦は免れないと考えて良いかもな。
さて。時は少し経ち、我が家近辺。残すところ数百メートルといったところである。
いつものように鈴莉と手を繋ぎながら歩いていた最中、ソレは起きた。
「……鷹宮天音は、お前か」
「──ッ!?」
俺たちと対峙するように立っている数メートル先の電柱。その影に身を隠すようにして、突如現れた一人の男。
それを聞き留めると同時、鈴莉と天音を庇うように立つ。
ソイツは端的に告げると、目にも留まらぬ速さである物を投擲した。
一瞬にして俺の目に捉えられ、夕日に反射して紅く輝くそれは、1本のナイフ。何処にでも売ってるような、ごく一般的なモノだ。
それを目視するやいやな、手提げ袋を離し、反射的に──そして直感的に、天音の背中をこちらに引く。
そして十歩ほど距離をとり、男の動向を観察した。
「ゴルゴ……にしては痩せすぎか。何か武器になる物は?」
細身で、長身。顔はターミネーターかと思うほどの鉄面被で、ある種の不気味さを感じる。
そして先程の発言からして、恐らく狙われているのは天音。本家筋と思しき人間であり、忌み子であり、家族でもある彼女。護る理由には事欠かないが──この男が天音を狙う理由が、こちらには分からない。
男は初撃が躱されたのに警戒してか、中々行動を起こそうとはしない。だが、それもそこまで。
「お兄ちゃん、これでいいですか?」
「勿論。お前はそこでじっとしてろ」
俺の背後に隠れるようにいる天音から手渡されたのは、小ぶりのカッターナイフ。恐らくだが《万物創造》で創り出したのだろう。
対して男は、何処からか出してきたナイフを手にしていた。恐らく、内ポケット辺りにでも秘匿してあるんだろう。ストックがあったら面倒だ。
「でも、お兄ちゃん、逃げた方がっ──!」
「それは逃げれるなら、の話だぞ?」
背後にいる天音が悲痛な叫びを上げるが、あのナイフの投げ方、一連の流れ。あれは誰が見ても、殺し屋を連想させるモノだ。
だとしたら、逃げるなんて事は考えぬ方がいい。逃げれられない。
どんな形であれ、互いに条理の外に居する存在。逃げられぬとも、こちらにだってプライドはある。一端の異能者であり、忌み子なのだから。
カチカチっ、と音を立ててカッターの刃を最大限にまで伸ばす。武器とも言えぬそれを構えたのを見てとって、男はこちらに駆けてきた。
武器を先に無効化してからか、はたまた邪魔する者は排除するか、どのような考えかは知らないが──来てくれるのなら、好都合。
下から弧を描くようにして振るわれたナイフは、俺の手にするカッターナイフを狙ってきている。 たとえ鍔迫り合いになろうとも、所詮は文房具。容易く折れるだろうね。
......しかし、しかし、だ。それはその『定義』さえ無ければ、という話なのだが。
「......ッ!」
漏れ出た声は、俺ではなく男から。
その視線の先は、男が手にしていた刀身が切断されたナイフにあった。
男は状況を瞬時に判断し、再度俺から距離をとる。そして、無用の長物となったナイフを投げ捨てた。
僅かとはいえ、男の纏う雰囲気には折れも曲がりもしないカッターナイフへの戸惑いと焦りのような色が見られる。
そして、それは千載一遇の好機。
それを確認した俺はカッターナイフを横に大きく振るう。明らかに男にも届かぬ距離と方向ながら。
その先は、歩道にある街路樹のうちの一つ。そこへと向けて。
金属のナイフでさえ易々と斬り裂いたカッターナイフは、勿論、その幹でさえも同様に。
音も無く斬られ重心が不安定になり倒れてくる大木を、俺は蹴る事により方向を変える。
それは、呆然と立ちすくす男へと。
僅かながら目を見開き、腕を上げようとする男が何かを成す前に──俺は、追い討ちともいえる一手を放った。
倒木と、カッターナイフ。それら双方を同時に処理しなければならなくなる。故に、僅かな隙が生じる。俺が狙ったのは、そこだ。
「逃げるぞ!」
「結局逃げるんじゃないですか!」
咄嗟に手提げ袋を掴み、全力疾走。人間、生きるか死ぬかの瀬戸際には有り得ない力が出るもので、それが今の俺だ。
鈴莉をお姫様抱っこし、更には中がパンパンの手提げ袋まで持つ。それを成しながら駆けるというのだから恐ろしい。
それは天音も同様に、俺と大差ないほどの逃げ足だった。
──さて、あのカッターナイフは俺の手から離れた瞬間に名刀の如く切断力を失うだろうが、それはあの男には知り得ないところ。
そんな事を思いつつ、俺は駆け続けた。 大木の衝突音が聞こえなかった事に、一環の不安を覚えながら。
~to be continued.