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NO FPS, NO LIFE.

作者: 影山

 人には、それぞれ肩書きがある。

 単に職業を示すだけでなく、社会的な立場や帰属する場所、そしてその人の生き様までもを端的に表す、名刺代わりの名詞。自己アピールのためのキャッチコピー、あるいは、他人から勝手に貼り付けられる値札みたいなもの。それが肩書きってやつだ。

 僕の肩書きは、「FPS廃人」。

 FPSをやるためだけに生きている、朽ち果てた廃墟のように中身の無いがらんどうな人間。それが、僕である。

 FPS(First Person Shooter)とは、一人称視点で繰り広げられるシューティングゲームのこと。主に戦争モノのゲームがそれにあたるだろう。まあ要するに、銃でバンバン敵を撃ってガンガン倒すゲームがFPSであり、それにハマりすぎて日常生活を送ることがままならない状態となったのが、「FPS廃人」と呼ばれる人々だ。


 僕が初めてFPSと出会ったのは、中学生の頃のことだった。最初にプレイしたのは、確かポーランドかどこかのインディーゲーム制作会社が作ったマイナータイトルで、内容は、人里離れた極秘研究施設を舞台に、主人公が異形のモンスター達と戦う……みたいな感じのやつだったと記憶している。当時十四歳だった僕は、刺激的で、かつR指定の設けられていないソフトはないものかと中古ゲーム屋をあれこれ探していて、そこでたまたま発見した全年齢対象のシューティングゲームだった。

 今振り返ってみると、特に目新しさのない平凡なFPSだったと思う。システムも世界観もありきたりで、グラフィックだって微妙だった。しかし、それまでゲームといえばハムスター育成シミュレーションしかやったことのなかった僕にとって、仮想現実内とはいえ何かを〝殺す〟という追体験ができたのは鮮烈だった。殊に、初めて敵のモンスターを撃ち殺した瞬間などは、性的興奮にも近い戦慄が全身を駆け巡った。禁断の果実を齧ってしまったような、そんな気がした。

 FPSとの出会いは、僕の人生を変えた。僕は、中古で買った初めてのFPSに寝食も忘れて没頭するようになった。FPSにハマりすぎて不登校になってしまい、心配した両親に心療内科に連れて行かれた。両親の判断は間違っていなかったと思う、あの時の僕は、ほとんど病気だったから。

 実際、心療内科の先生からはゲーム依存症だと診断された。しかし、早期治療が功を奏して僕は運良く立ち直ることができ、その後は普通に高校に進学した。

 三年間の高校生活は、それなりに充実していたと思う。決して多くはないが気の許せる友人もできたし、勉学に励むことで努力の大切さを学べたし、隣町の女子高生とのひと夏の淡い恋愛だって経験した。中学ではFPSにのめり込みすぎて学校生活が破綻したが、高校生にもなるとそこらへんのバランスを上手いこと取れるようになってくるものだ。

 それでも、僕にとっての青春はやはりFPSだったように思う。帰宅部だった僕は、学校が終わると、友人の誘いを断って家に直行。一日最低でも六時間(学校の授業と同程度)はFPSゲームに費やした。また、時には図書館に赴き、戦術や兵器、紛争の歴史についての文献を読み漁ることもあった。軍事についての理解を深めることで、より一層FPSの世界観に浸れると思ったからだ。

 僕にとって第一なのは、常にFPSだった。FPS以上に打ち込めることなんて、見つからなかった。それでも、学業や人間関係構築にも同等に気を遣い、学校生活に半分、FPSに半分、と適度な比重の置き方を維持するようにしながら、高校卒業までこぎつけた。

 そして、そこから僕の本格的な廃人生活が始まった。

 高校卒業後、僕は進学も就職もせず、ニートになった。全てを捨て、FPSに専念することを決意したのだ。そのためにまず、FPSを主軸とする生活リズムを確立しようと、綿密に一日のタイムスケジュールを立てた。一秒たりとも無為に費やしてはならない、意識ある限り、己の全てをFPSに捧げるのだ――崇高なる志を掲げ、午前六時に起床してから翌午前四時までFPSをやり続ける。そして、二時間の仮眠をとってから再度FPSの世界へ。食事をとる時間がもったいない(そんなことしてるヒマがあったらFPSしたい)ので一日一食とし、さらに、風呂に入る時間も惜しいからと風呂は三日に一度と定めた。その上、入浴している時間が無駄なので浴槽には浸からず、髪を洗う手間さえ省こうと、頭髪を除草剤で全処理してツルツルのスキンヘッドにした。

 人付き合いはどんどん減っていった。FPS浸けの生活を送るようになってから目がずいぶん悪くなったせいか、僕は「目つきが悪い」と指摘されることが多くなった。常に獲物を狙っているかのような、獰猛な目つきだと。人を殺しそうな雰囲気が出てる、とも言われた。その上スキンヘッドでもある僕は、一見しただけで相手をビビらせるやくざな風貌をしているらしく、近寄りがたいオーラを醸しているらしかった。

 そんな僕が唯一人気者になれたのは、FPS関連のオフ会だった。僕はFPSに関する知識と実力なら誰にも負けなかったし、元々人当たりが良く社交的な性格なので、オフ会メンバーとすぐに打ち解けることができた。同性の友達がたくさんできたのはもちろんのこと、「剣呑な雰囲気と柔和な笑顔とのギャップがたまらない」と女性から告白されることもザラにあった。だが、その都度「今はFPSが恋人だから」と丁重にお断りした。

 そして、FPS廃人としてのキャリアを積んで五年ほどで、僕はついに世界の頂点に立った。オンライン対戦でのランキングは常に世界一位を独占するようになっていた。

 僕はいつの間にか、その見た目から〝最前線で戦う僧兵〟との異名を持つようになり、FPS界隈では一目置かれる存在となっていた。

 FPSってものは、費やした時間がそのまま実力となる。誰よりもFPSに人生を賭けている僕が、負けるはずなどないのだ。


 もちろん、FPSに人生を賭けているがゆえの弊害もある。

 FPSの世界に没入しすぎるあまり、過酷な戦場に駆り出されるゲーム内の兵士達に心を添わせてしまうらしく、PTSDにかかってしまうことはしばしばあるし、外に出て日光を浴びないので死にかけの地底人のように顔色が悪く、その上セロトニンという精神の安定を保つ脳内物質が正常に分泌されなくなり半ば鬱になりかけている。また、FPSにかまけて睡眠をとらないためか、思考にもまとまりがなくなっていて、近頃では譫妄に近い症状まで出始めた。そんな状態の中にあってもなおゲームをやり続けているものだから、もはや現実と虚構の境目は極めて曖昧だ。実を言うと、ここに記してあることだって、事実なのか妄想なのか疑わしいくらいなんだ。

 このように精神は既にズタボロ、とっくに満身創痍の状態で、このままだとFPSが原因で死ぬかもしれない、と思うことさえある。死因:FPS。

 しかし、だからといって、今更僕からFPSを取り除いたところで何になる? ただの無職じゃないか。社会的に見れば、僕なんか生産性皆無の不要な人材でしかないじゃないか。


 僕が輝けるのは、FPSの世界の中だけだ。そこでは僕は名の知れた有名人であり、トップを走り続ける先駆者だ。だから、僕のことをニートだなんだと非難する人達には、こう問いたい。あなたは、何でもいい、何かの分野で一番になったことはあるんですか? 頂点に立ったことはあるんですか? と。僕はあります、FPSだなんてしょーもない界隈の中だけではありますが、それでも確かに世界一位に輝いたことがあるんですよ。僕は、ナンバーワンなんですよ。そう言ってやりたい。


 僕にとってFPSとは、ヒマつぶしなんて生やさしいものじゃない。ヒマを殺す――ヒマ殺し、だ。やるかやられるか、FPSの世界っていうのは、常に命懸けなんだ。

 NO FPS, NO LIFE.

 それが僕の生き様。

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