番外編。文芸部が出来たから。2
「好きです。私と付き合って下さい」
誰かと関わる事は、その誰かを傷つけると言うことだ。
いつかもう名前も覚えていない人に、言われた言葉だ。
今まで、どれだけの人と関わってきただろうか。普通の人に比べて、僕は少ないだろう。しかし、少ないだけで、いないわけではない。
僕は、この15年、どれほどの人間を傷つけてきただろうか。
留美、羽衣、月夜。今主に関わっている人だけでもう3人いる。さらに再来先生にも、迷惑をかけている。会話はしていないが、学費や食費など、お金を出してくれている両親も、関わりがあると言える。遡れば、カンナもいる。
ぱっと思いつくだけでこんなにいる。僕は、交流が狭いからこんな結果になっているが、普通の人間ならば100人単位で数えられるだろう。
それだけの人を傷つけてまで、生きる意味はなんなのか。僕には分からない。
それに答えを出せる人間はいるのだろうか。
それに答えられる日は来るのだろうか。
おそらく、そんなものは何百、何千年と生きようと、それは分からない。
もしかすると、長く生きれば生きるほど分からなくなっていくのかもしれない。
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは、ずっと退屈だったそうだ。
退屈とは、何もする事がないと言うこと。それは、生きる意味もないと言うこと。
キスショットが、死に場所を求めていたように、退屈とは本来死ぬ事と同期なのではないだろうか。それは、生きる価値がないと言うことではないのだろうか。
ならば、僕は生きているべきではない。
ずっとそう思って生きていた。
才能に恵まれ、なんでも出来れば自然、生きる事は退屈になっていく。
人の心が読めれば、人と関わる必要なんてないと考えてしまう。
しかし、この数日で、僕の人生は驚くほどの変化を成した。
退屈と言う感情が持てなくなった。
明日も生きたいと思った。
死にたいなんて、考えなくなった。
それは、如月月夜の存在がなければ、訪れなかった事だろう。
彼女には感謝しても仕切れない。
だからこそ、困るんだ。好きだなんて言われると。
僕は彼女に対して、感謝の念を抱き、恩人だと思える。
しかし、それはそうとしか思えないということである。
尊敬する人物は尊敬しているだけで、好意を寄せる人物とは意味が違う。
彼女の言葉は、素直に嬉しかった。
だが、同時に切なかった。
初めて素直になれた人物。僕の世界を彩った人物。
その大切だと思える人を今から僕は傷つける。関わる事とは、別の意味で、相手を明確に悲しませる出来事として。
「ごめんな月夜、ぼくはお前と付き合えない」




