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 深海真水の新刊が発売されると、町中の本屋が嘘みたいな賑わいを見せる。まだデビューしたばかりの新人だというのに、会社に来る途中に寄ってきた本屋にはすでに深海真水ファンでごった返していて、誰もかれも嬉しそうに小説を持ってレジに並んでいる。

 活字離れが嘆かれているこの時代に、結構なことだ。本が売れることは良いことだと思うし、編集者としては売れてくれなきゃ困るだけなので、嬉しいのだが。

 この光景を見ると、なんだか心に刺さるものがあった。

 僕が今まで作りあげてきたものはなんだったのだろう。他の作家が命を削ってまで書き落とした原稿は、一体なんだったのだろう、と。

 言うまでもないことだが、誰もが誰も、自分に表現できる最大級の『面白い』を探し求めて、作品を作り上げている。僕だってそうだ。少なくとも僕が担当してきた作品は、そのポテンシャルを限界まで引き出してきたつもりである。

 しかしそれでも、僕がどれだけ頑張って作家たちと話し合っても、深海真水という個人にすら、敵わない。

 一応、深海真水の担当編集は僕ということになっているし、彼女の作品を出版するにあたって上司に話を通したりするのも僕ではあるのだが、可能な限り彼女の作品を良いものにしようと尽力しているのだが、基本的に彼女の小説で編集すべき点など、誤字脱字くらいのもので。内容に僕が触れることなんて、ほとんどない。

 彼女の小説は、彼女が一人で作り上げているといってもいい。そこに僕が入り込む余地など、存在しないのだから。

 つまり僕は、彼女の担当編集としてほとんど何もしていないのだった。

 だってそうだろう。誤字脱字のチェックなんて、多少知識のある素人ならば誰でも出来るし、内容について話し合ったりすることがないのなら、僕は存在しないのと一緒だ。

 いてもいなくてもいい存在。そんなもの、いないのと同じだろう。

 故に僕は最近、彼女の担当編集を辞めるべきなのではないか、とも思っていたのだ。彼女に担当編集は必要ないし、広報なんてしなくても勝手に売れてくれる。新しい作品を作りたくなったのなら彼女が自分で編集社にかけあうことも出来るだろうし、ひょっとしたら僕の力量が不足しているだけで、ベテランの凄腕の先輩編集者たちなら、彼女の作品をより良いものにすることも出来るのかもしれない。

 あとはいつ上司に話すかだが……と考えていた時、彼女の方から連絡があった。

 僕が初めて彼女の編集者らしいことを出来るチャンスが与えられたのは、その時だった。


 というわけで、沖縄にやってきた。

 なんの脈絡もない話になってしまって申し訳ないが、しかしこれは僕にとっても脈絡のない話で、未だに状況を理解しきれていないから許してほしい。

 数時間前のことだ。深海真水――水上瑞乃から、一本の電話があった。


――取材をしに沖縄に行きたいので、ついてきてもらえませんか


 と。

 担当している作家の取材旅行に同行するのは、今までに何度か経験があるし、僕はOKの意を示したうえで、日時を聞いた。聞いたのだが、返ってきた返事がまたぶっ飛んでいて。


――今からですけど


 いや今からて。

 思わず地の文に砕けた表現を用いてしまうほど、僕は動揺し、混乱した。

 普通、こんなことがありえるか? そりゃあ僕が担当している作家には他にも、社会に出ても絶対に馴染むことのできないような頭のおかしいやつが何人かいるが、そいつらでも前日には連絡してくる。今から沖縄いこうぜなんて、聞いたことも言われたこともない。

 しかしまあ、OKと言ってしまった以上、彼女を悲しませたくない僕は上司に華麗なる土下座披露し、今から数日間の休みを急遽取らせてもらって、今に至る。

 すっかり日が沈んだ、冬も近づいてきた砂浜で、僕と彼女は裸足で歩いているのだ。

 数分前にチェックインを済ませ(僕の予定を聞く前に彼女は予約まで取っていたのだが、もはや僕には突っ込む気力も残っていない)、夜の海に行きたいという彼女のわがままに付き合った形だ。まあ取材旅行だし、基本的には作家の言うことに従うしかないのが担当編集だ。文句は言うまい。

 と、さすがに沖縄でも冬の夜の気温に負けたのか、ひんやりしている砂場を歩いていると、目の前の彼女が突然に立ち止まった。


「おい、どうし――は?」


 彼女は方向を変え、海の方へ向かっていく。それはいい。足元が水にさらされているのは、構わない。

 問題はその後の行動だ。

 彼女は着ていた服を、事もあろうか脱ぎ始めたのだった。


「おい、おいおいおいちょっと待て水上」


 徐々に露わになっていく白い肌に、僕は慌てて目を逸らす。

 この女、記憶と一緒に羞恥心もなくしたのか……?

 なんて考えていると、服は胸元までまくりあげられ、そして――当然のように、水着が姿を現した。


「…………」


 ……。いや。何も期待なんてしてなかったけれども。普通に考えて海に来て服を脱ぐという行為に結び付くのは、痴女という単語よりも水着の方が正しい。季節と僕の、つまり異性の前であることを考えればおよそ普通とは言い難いという点を除けばだけれど。

 彼女はその辺に服を投げ捨て、足元を水に晒した。


「つめたっ」

「当たり前だろ。今何月だと思ってる」


 僕は水上の脱いだ服を拾い、彼女を見失わないくらいに近い場所に座る。

 彼女はそんな僕をよそに、ぱちゃぱちゃと水面に指を立ててみたり、小魚でもいたのか両手で水を掬い上げたりと子供のような無邪気さで、海にはしゃいでいた。

 まあ無理もないのだろう。彼女は見かけこそ20代そこそこだが、そのうちの17年間を保有していないのだから。単純に考えれば体だけやけに育ってしまった小学生と同じなのだ、今の彼女は。

 一応は社会で『大人』として生きている彼女も、仕事を抜きにしてみればこんなもの。人気作家になったって代わりやしない。それに不思議な安堵感を覚えながら、意味もなく寝転がる。

 星が綺麗な、夜だった。

 都会のビルに霞むことのない星空が、視界の全てを埋め尽くしている。一切の光が周りにないおかげで、それぞれの輝きがより一層増して見えた。

 僕はそれを見て、思い出す。

 前に沖縄に来た時も、僕はこうして星空を見上げたこと。その時も冬で、今くらいの季節だったこと。そして──その時も彼女が、隣にいたことを。

 無常3周年らしい。中学二年生が高校二年生になってしまうくらいの時が流れている(僕のことである)。そんなにも長い時間読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。多分現在最終章な気がしなくもないので、あと少しだけお付き合いください。とりあえず高校卒業までには完結させた……い……。

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