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「と、まあこんな感じで私と早見くんのイチャイチャキャンパスライフはスタートしたわね」
「とりあえず月夜さんが度を超えたストーカーだということはわかりましたね」
むしろ、それ以外は何も伝わってこないと言いたげなため息を吐きながら、水上さんはパソコンを叩いている。仕事をしながら会話を成立させているあたり、さすがはプロといったところだろうか。
「これに関してはプロもアマチュアも関係なく、器用さが重要になってくると思いますけど」
今度は画面ではなく、私の方に振り向いて、鉄格子の中にいる水上さんはキーボードには一瞥もくれずに文字を紡ぎ続けている。なるほど、私には無理そうだが早見くんなら速攻で身に着けそうな能力だ。
「というかあなた、私と話している暇があるなら、早く原稿終わらせたら?」
いつまでも監獄のような場所にいれられるのも辛いだろうし。
「いやぁ、珍しく〆切を破って初めてここに来たわけですが、意外と居心地いいんですよね、ここ」
ほとんどの作家はここに一度入れば以降〆切を破らなくなると(編集者の間では)評判の場所なのだが。
「そろそろ噂の人が戻ってくる頃だけれど、どれくらい進んだのかしら?」
「まだ半分も行ってないですね」
「何があったらそんな悲惨な状況になるのかしら……」
あの男が担当編集なのだから、進捗管理くらいしてそうなものだけれど。
「私が今回遅れたの、早見さんに全没喰らったからなので」
「なるほどね……」
それなら〆切を破るのも仕方ないと言えるかもしれないけれど、しかし一体どうして、あの水上瑞乃――作家としては深海 真水だったか。彼女の小説が全没なんてことになってしまうのだろう。仮にも彼女は新人賞の大賞受賞者、ベテラン編集たちに実力を認められて作家となったはずなのに。
「なんだか最近の私の文章にキレがないとかで……」
水上さんは肩を落とすときすらも原稿を書き続けていた。このペースで書いていてまだ半分以下というのだから不思議なものだ。
彼女と私のため息が重なったとき、私のスマホが震えた。
『あと五分で戻る』
早見くんからの、極めて完結なメッセージ。
彼女にその画面を見せると、彼女は悲鳴を上げながらパソコンを叩く速度を上げた。
まったく、以前の彼女とは大違いだ。私の知っている彼女は、真っ直ぐで、真面目で、不器用な、そんな人間だったのに……それが今となっては、こんなサボり魔に。
……いや、こんなことをいうのは彼女に悪いか。何せ、記憶がないのだ。きれいさっぱり、私たちのことも、以前の自分も忘れ、別の人間になっているのだ。以前の彼女と比べるのは、筋違いというものだろう。
とはいえ、頭では分かっていても、どうしても違和感は拭えない。見た目はあの頃と大差はない(ショートボブだったのが、今はかなり伸びて、右肩から垂らしているくらいだ)のに、中身はこの変わりよう。以前は人見知りもコミュ障もこじらせていたのに、今は猫みたいな感じで懐く人にはとことんまで懐いている。私とか早見くんとか、あとは佐原さんとかも。逆に言えば、それ以外の人とは会話もままならないのだが。
「戻ったぞ」
私がため息を漏らしたところで、早見くんがコーヒーカップを二つ、器用に片手で持ちながらかつかつと固い床を鳴らしながら歩いてきた。
「ありがとな、月夜」
「いえ、私もちょうど暇だったし……そうね、どうしてもあなたがお礼をしたいというのなら、今夜駅前のホテルで待ってるわ」
「ナチュラルに人をラブホテルに連れ込もうとしてんじゃねえよ」
嘆息しながら、早見くんはコーヒーカップのうち1つを、水上さんのいる部屋に差し出した。鍵付きの扉の下にある、小窓を通して。
「どうだ、原稿は進んだか?」
普段あまり聞くことのない、優しい声音で早見くんは語りかけた。
「あと3万字くらいですかね~」
「なるほど、残り6万字か。今日中に終わるな」
息をするように嘘を吐いた水上さんと、それを即座に見破った早見くんの、二人三脚で金メダルを取れそうな連携を見せつけられ、私は左腕につけられた腕時計をみた。
「今日中って、あと6時間しかないわよ?」
時速10000字。普通の作家の何倍もの速さだし、しかもそれをずっと持続できるなんて信じられない。人間離れしているとしか、いいようがない技だ。
「こいつなら、それだけで十分なんだよ。何せ、日本が認めた化け物だからな」
……そういわれると、何も言い返せない。
だって、数か月前の、彼女のデビュー作はそれだけの功績を残したのだから。
たった一ヶ月で、それもデビュー作で10万部なんて、ありえないじゃないか。
しかもその後も売れ続け、すでに100万部。コミカライズも決定し、編集部にはほかにもさまざまなメディアミックスの提案が届いているらしい。
映画化やアニメ化の話もきていて、日本の文学界の期待の星、と呼ばれている。あるいは、期待なんてせずとも世界を塗り替えてしまう作家だとも。
それほどまでに、彼女の作品は大きな影響を及ぼしている。日本に。話題性がありすぎて、読書離れが叫ばれている世代にも、彼女の作品のファンが多くいるほどだ。
そんな化け物が、売り上げや影響力だけで見ても化け物だと一目で分かる彼女に、これ以上の才を与えるとは、神様も残酷なことをする。
けれど、今までの彼女の人生を考えれば、これでもまだおつりがくるほどなのかもしれない。イジメや記憶消失など、ひとつ経験するだけでも私ならお腹がいっぱいになりそうな経験をたくさんしてきたのだから。しかも記憶消失に至っては彼氏ができてすぐに。二人で迎える夏を楽しみにしていた時に。そんな時に限って、彼女は記憶を失うのだ。やはり神、残酷なり──。
失った記憶は絶対に戻らない。そういう病気だ。今までの人生を強制的に消される。それも何度も。望まずしてそれを患った彼女には、それ以外の箇所にそれくらいの才能はあっていいのかもしれない。むしろ、ないと他の人と釣り合いが取れないだろう。
「……私はそろそろ自分の仕事に戻るわね」
「ああ、ありがとな」
「今度何か奢りなさい」
「時間があればな」
「時間がないなら作ればいいじゃない」
「無茶なことを言うな、相変わらず」
「相変わらずなのは、お互い様でしょう?」
カツン、カツンと床を鳴らして、私はエレベーターのボタンを押した。血の滲んだかさぶたを抑えるように、深呼吸をしながら。
お久しぶりです、時無紅音です。
気が付けばもうこの小説(公式略称は『無常』となっておりますツイートされたら全力で拾いに行きますので、ぜひ)を更新してから五か月が経過していたらしいです。読者の皆様以上に僕がびっくりしています。テヘペロ。
ちなみにその間なにをしていたかと言うと、もちろん執筆から離れていたわけではなく(そもそも執筆は僕の心臓と言ってもいいのでやめられるはずがない)、新人賞に応募するようの原稿を書いておりました。というか現在も書いております。今年は自分の限界に挑戦しようと、新人賞に十作ほど応募しようと考えており、また、めでたく高校二年生へと進級し、去年より一層時間がなくなり、小説家になろう様の方まで手が回らなくなってしまいました。申し訳ありません。
その代わり、ちょくちょく小説家になろう様やカ〇ヨム様で、その新人賞用の作品を投稿するまでの間だけ掲載しておりますので、興味がある方はぜひそちらも読んでみてください。また、時無紅音情報はTwitterにて発信しておりますので、フォローしてあげてください。「ファンです!」とでも言っていただければ秒でフォローバックしに行きます。
では、これからも長い間更新されないことが続くと思いますが、応援のほどよろしくお願いいたします。
全ての本好きに幸あらんことを。――時無 紅音




