三等星の願い。終
私が早見 読と出会ったのは高校一年生の時の事だった。
その頃の彼は今と変わらず本ばかりに興味を示す、本の虫というやつで、彼は放課後、本屋に立ち寄った。新たな本を発掘するために。
私は私で本は好きだったので、その日はたまたま本屋に寄っていた。そしてお気に入りの作家の新刊を見つけたのだ。
だがここで、ひとつ問題が起こる。届かなかったのである。私の身長では、その作家の本が置かれている棚に、手が。
台も店員も、近くには見当たらない。さあ、どうしたものか。
格闘すること10分。一向に届く気配はない。諦めて、通販で買うしかないのか――なんて思っていた、その時だった。
私の通う学校の制服を着た男の子が、私が手を伸ばしていた本に、手をかけたのである。
「ほらよ」
笑顔なんてない。完全なる無表情だった。彼はピクリとも表情を変えることなく、本を私に渡して、本屋の奥へと去っていったのだった。
次の日、彼の姿を図書室で見かけた。
もちろん狙っての事だ。昨日は、礼を言う暇もなく彼は立ち去っていったから。
「昨日はありがとうございました。早見 読くん」
私が背後から話しかけると、早見くんは真底驚いた顔をして、すぐに昨日と同じ顔に戻った。
「なんで僕の名前を知ってるんだ?」
「調べたのよ」
「ストーカーか君は」
金に物を言わせたので、彼についてはばっちり調べあがっている。例えば今困っているのは、何か部活に入らないといけないこと、とか。
「私と文芸部を作りましょう」
この一言から、私たちは二人で文芸部を立ち上げた。いずれ、羽衣さんやほかの人たちも入部し、たいそうにぎわった。
そんな私の高校生活の象徴とも言える少年、早見 読に今晩時間を作ってもらった。
前までの私なら「ここで既成事実を……」なんて下品な事を考えたのだろうけれど、今の私はそんな事は思わない。
ただ、今日は伝えたかったのだ。自分の、正直な気持ちを。
「悪い、ちょっと遅れた」
約束の時間から二分遅れて、彼は駅前の広場に顔を出してくれた。
「では、行きましょうか」
行くと言っても、すぐそこだ。広場から歩いて10分くらいの、町を見下ろせる展望台だ。距離は近いのだけれど、道が急な坂だからちょっと大変。
「大丈夫か?」
「ええ、問題ないわ」
昔の彼からは考えられないが、最近の彼は他人をよく見るようになったと思う。今のように、多少の気遣いも覚えた。成長、あるいは変化。彼は明確に変わった。プラスの方向へ。マイナス面を見てきた私からすれば少しくすぐったいが、こんな彼も悪くないと思う。本当に。
展望台からは町を見下ろせる。時間帯も関係して、彼方に小さく見える家たちが、淡く個々を主張してとても綺麗に見えた。
「最後にここをみれてよかったな」
彼はきっと、本心からそういったのだと思う。いくら今までほとんどの事に対して無関心に生きてきたとはいえ、地元なのだから少しは愛着というものが湧いているのだろう。特に、お別れが近づいていると。
「で、今日は何の話だ?」
早見くんは意地悪な笑みを浮かべた。彼は頭が切れる。私の話の内容についてもある程度推測できているのだろう。
一度唇をきゅっと噛んでから、一気に力を抜いた。倒れそうになる位に脳を喰ら付かせて、理性を飛ばした。
「……私は、あなたが好きだった」
彼は黙って聞いている。
「はじめは本屋さんでの事。文化祭での事。沖縄に行ったときの事。彼女が倒れた時の、病院でも。今日だって」
早見くんはそっと目を閉じた。私と過ごした日々を思い出しているのだろうか。だとしたら、うれしいけれど。
「いつだってあなたは、ぶっきらぼうに優しくて。無表情なのにちゃんと人間で。私にも普通に接してくれたのは、あなたが初めてだった……」
私はお嬢様だった。みんな私にたいしては一線を引いて接するし、誰も私と深く交流は持とうとしなかった。
けれど、彼は違った。
彼は、彼だけは、私にもみんなと同じように接してくれた。それが、うれしかった。私もちゃんと人間なのだと、認めてもらえたようで。私も除け者じゃないんだって分かって。
気が付けば、両目にほんのりと温かさを感じていた。涙だ。泣いているのだ、この私が。
視界が霞む前にそれを啜り上げようとするが、うまくいかない。ぽたぽたと、足元に滴っていく。
「私はあなたが、早見 読が好き!!だから、だから……」
付き合って、というのが正しいのだろうか。いやきっと、そうじゃない。今彼にかけるべき言葉は、もっと別にある。
涙を抑えて、深呼吸をした。
そしてにっこりと笑った。私だって、彼と同じ表情にあまり出ないタイプなのに。
「行ってらっしゃい」
早見くんは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。そんなに彼の度肝を抜いてしまったのだろうか。
けど、すぐに私に笑顔を返してくれた。
「行ってきます」
翌日、私は兄の会社のデスクで仕事をしていた。4月から私もここに入社する予定だったので、ちょっと書類を覗きに来たのだ。
「ん?月夜ちゃん?今日は早見くんのお見送りじゃなかったっけ?」
社長室から出てきた兄に話かけられ、振り向くことすらなく答える。
「お別れなら、昨日ちゃんと言ってきたわよ。もっとも、これをしばらくのお別れにするつもりはないけれど」
兄の目の前で、私は社員の名簿から自分の名前を消した。
兄は驚くことすらなく、やれやれ仕方のないやつだと言いたげに息を吐いた。
「それが君のやりたい事なら、好きにすればいいさ」
「ええ、いつもありがとう」
お礼を一つ返すと、今度は死ぬほど目を見開いていた。確かに今まで生きてきて、兄にお礼を言った記憶などなかった。
「じゃあ、私も準備してくるわね」
調べてみたら、まだ間に合った。今からでも遅くない。早見 読と同じ大学の入試を受けるのは。
私も、東京に行く。彼を一番近くで、支えていたいから。




