三等星の願い。34
僕の部屋は広い。
六畳の部屋なので、もとから生きるのには困らない広さなのだが、高校生という立場上、結構荷物が多かった。教科書などは学校のロッカーに置いているのだが、学校指定の鞄や制服、体操服などスペースはさほど取らないが、塵も積もれば山となるらしく、僕の部屋はそう言った類で埋め尽くされていた。
それに、以前はこの部屋の半分を占める大きさの本棚があった。むしろ、それ以外はなかったと言っていい。
本棚を撤去して、この部屋はようやく本来の広さを取り戻したわけだが、何もやる気の起きなかったので今までは掃除を最低限にとどめてきた。
悪臭がしない程度に清潔さを保ち、使用する労力を最低限に収めてきた。
唐突だが、これは今朝の会話である。
「お兄ちゃん、部屋汚すぎない?」
「不必要な行動を極限まで削った結果だ。気にするな」
「不必要な行動を極限まで削るほど時間に追われてないでしょ」
「あの瑠美に論破された……だとっ!?」
「一体私のことどれだけ馬鹿だと思ってるの!?」
と、まあこんな感じで、僕は愛すべきマイシスターのウザったらしいお言葉により、今日は掃除コマンドを実行することになったわけだ。
掃除と言っても、床に散らばっているわずかばかりの物品を適当に棚に追いやって、掃除機なり雑巾がけをするなりするだけなのだが。
おっと、そういえば机の引き出しもしばらく開けていないな。元からそんなにものは入っていないが、いや、入っていないからこそ、そろそろ掃除をしておかなければならないだろう。僕とてゴキブリなんぞは苦手だし。そこに卵なんて生まれていたら、速攻で殺虫剤をぶちまけるレベル。
フローリングに散らばった服たちを片付け、ようやく机のなかとご対面。
まず手前に、シャー芯があって、その奥に予備の消しゴム。必要最低限の文房具だ。何年前のものかはわからないが。
その後ろに、何やら紙束があった。
さらに後ろに手をやると、冷たくて細い金属に触れる。どうやら、ホッチキスでで綴られているようだ。
少し心に引っ掛かりを覚える。だが、それがほどかれる前に、好奇心が働いた。
「これは……」
『文芸部』とでかでかと書かれたタイトル。その下には、『創刊号』と書かれている。機械で書かれたものではなく、人の字だ。それも、とても見覚えのある字。
それもそのはずで、これは僕の字だった。
ようやく思い出した。これは、高校一年生の時の文化祭で作った部誌だ。そして、僕が初めて書いた小説が載っている。
脳が危険信号を上げている。しかし、なぜかこの部誌は、開くべきだと思ってしまった。
一ページめくる。そこに書かれていたのは目次。一番上に作品のタイトル(この部誌では全員が同じ題材で書いた)、その下に四人の名前。
二ページ目からは小説の本分が始まっていた。
「……」
気が付けば、掃除をする手を止めて、夢中で読みふけっていた。
「……」
しばし、静寂と時折ページを繰る音だけが僕の部屋を満たした。
「……あ」
その最後まで読んだとき、最後の小説の作者の名前を目にしてしまった。
いや、本当はその名前を見なくても、だけが書いたものなのかは分かっていた。だって、こんな小説を書けるのはこの世に一人しか居ないから。
水上瑞乃
その文字を見ただけで、いやに視界がぼやけた。
やがて、部誌に波紋のように灰色が広がっていく。
「あ……あ……」
心臓が痛いくらいに早く動いている。まるで、運命に出会ったかのような、そんなリズムで。
「ああ……」
その瞬間、今まで多少なりとも保ってきた何かが、プツンと切れた。
とめどなく涙が溢れてくる。嗚咽を殺すように目を手で覆いながら、歯を食いしばる。
思い出してしまった。僕は、どうしようもなく水上瑞乃が好きだったということを。
僕は、彼女が好きだった。彼女が僕だけに見せる、安心しきった笑顔が。彼女が景色を俯瞰する瞳が。彼女が、見ていた世界が。それを彩っていく、言葉たちが。
ベッドに投げ捨てられていたスマートフォンを手に取る。
着信履歴の、一番上。
迷わずコールする。
相手はすぐに出た。
「月夜」
先手必勝とばかりに呼びかけると、電話の向こうで息を吐く気配が伝わってきた。
「どうしたのかしら?」
「僕は、編集者になりたい」




