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目を覚ます。



 あの部屋とは、違う部屋で目を覚ました。格子状の窓枠をくりぬくように落ちた光が、真っ白なシーツを照らしている。寝惚けた瞳には、霞む程の眩さ。なんて事の無い、至ってありがちな、平凡でごく普通な朝だ。

 でも私にはずっと訪れる事のなかった、ただ清々しいだけの朝だった。


いつの間に眠ったのだろう。殺し屋さんに助けられて、車に乗って、それから……。

 そうだ。私は救われたのだった。あの悪夢のような日々から。しかし、救われたからって、失くしたものが帰ってくる訳じゃない。今までこの身に受けた事、家族の事。思い返せば胸の奥に締め付けられるような痛みが込み上げた。

 昨日までの私ならば、それを泣いたのかもしれない。でも今日からは違った。違わなければいけなかった。だって生きると決めたのだ。許せないものを許さない為に生きると。なら、今泣いていてはいけないんだ。


 私は、シーツをどけてベッドから立ち上がり、部屋を見渡した。


 少し剥げたようなフローリング。ベッドとタンスの他に家具は無い。殺風景な、空っぽとさえ言える部屋は、何もかも失くした私と重なり合って見えた。


 気になった。こんな部屋の持ち主が、一体どんな人なのか。私を助けたあの人が、どういう人間なのか。聞きたい事も沢山ある。なら、話をしなくちゃいけないだろう。

 

 この部屋の先に、あの人は、殺し屋さんは居るんだろうか。私はドアの前に立った。ノブを回し開ければ、答えはわかる。でも、ただそれだけの事を、躊躇っている私が居た。恐ろしいとさえ思えた。伸ばす手が震え、踏み出す足が竦んでいる。


 そもそもここは、本当に私を助けた殺し屋さんの家なのか。


 何もかも幻で、このドアの先には、あの思い出したくもない、あの部屋に続いているような……。そんな錯覚に捕われて、私の身体は動かなくなった。まるであいつに、肩を掴まれているかのように。

 

――錯覚だ。そんな事がある訳がない。少なくともあいつは死んだ。ここで立ち止まっていても、何も分からない。こんな事で怖がっていたら、これからだってまた、守りたいものを守れない。だから、私はすっと、息を吸い込んで、ドアを開いた。


 軋んだ音と共に簡単に、部屋と部屋は繋がった。目の前に新たに広がった景色には、恐れた悪夢の影などなく、先程の部屋と似たような、ただ殺風景な部屋が続いていた。


「……そうだよね」

 ありもしない幻想に怯える私はバカで、どうしようもなく臆病だ。強張った肩から力が抜けていく。


 ここには怖いモノなんてない。気を取り直し、辺りを見渡す。入り口からはソファの背が見え、部屋中央にはテーブル、その向こうに小さなアンテナテレビが置かれている。

 ここはリビングか。部屋の右側はキッチンになっている。その脇にはまた扉がある。廊下に繋がっているのかも。ゆっくりと、廊下へと足を進める。


「あ」


 ソファの上で、殺し屋さんが寝ていた。入り口からはソファの背が邪魔で気付けなかったけれど、なるほど、ここに居たわけだ。

 布団替わりにしていたであろうコートが、床に投げ出されている。私はそれを拾って静かに掛け直した。


「ふふ、ふふふっ……」

 不意に寝顔を見てしまい、思わず笑ってしまった。何がおかしいって、物凄く険しい顔なのだ。眉間には深くしわが刻まれ、歯を喰いしばられている。言うなれば、もう怒る寸前だぞって顔。そんな表情をしておいて、寝息は極めて静か。おかしい。安らかな顔をするか、いっそいびきをかくなりして欲しい。


「あはは……」

 起こしちゃ悪いと思う。なるべく笑いを止めようとはしているのだけれど、どうにも難しい。ちょっとミスマッチすぎる。昨日の印象とも違いすぎる。ダメだ、こういうのは堪えようとすればする程ダメなのだ。まずは視線を逸らし、見るのをやめて、深呼吸をしよう。


「ふー」

 思えば、こんな風に笑うのも、何時ぶりの事だろう。ああ――。


「死ななくて、良かった」

 私は、一人、確認するように呟いた。殺し屋さんのおかしな寝顔を見て、私は本当に助かったんだと、そう思えた。 私は足を投げ出して床に座り、殺し屋さんの眠る、ソファの脇に背をもたれた。柔らかく、浅く沈む感覚と共に目を閉じる。

 


 悲しい事があった。何所にも続かない、暗闇に一人取り残されたような、そんな閉塞的な絶望を感じていた。多くのものを失くし、私自身汚され傷付けられて、取り返しのつかない事実と憎しみだけが残った。


 死ぬチャンスも、逃げるチャンスも、死にもの狂いになれば作り出せたのかもしれない。しかし私は見過ごした。いや、その僅かな光明に気付いていない振りをした。自暴自棄になって、どうせ叶いやしないと諦めていた。状況に絶望し、それをただ享受していた。一番簡単で、そして結局、何も変わらない選択。


 そう。私は、現状を辛いと、死んでしまいたいと、そう嘆いていながら何一つ、自分で変えようとはしていなかったんだ。何故なら、それが楽だったからだ。私は世界一不幸で、なんて可哀想な存在なんだと、そうやって現実から目を逸らし続けているのが一番楽だったから。


 けれど、ある日突然、事実を直視しなければならなくなった。幸運な事に、あの男が銃弾に頭を穿たれて死に、私は、助かってしまったからだ。


 皮肉な話だ。本当に自由になって、そして本当に、死にたくなってしまうなんて。逃げ続けて、悲劇に浸っていた私に、現実を受け入れる覚悟なんてある筈も無かった。だから、事実が襲い掛かってくる前に簡単に、壊れてしまった。壊れる事にしたのだ。やはりその方が楽だから。


 私は、また逃げた。


 でもそれを、許さない人が居た。悲劇に逃げるなと。何故戦わないのかと。


 その言葉でやっと――はじめて、私は冷静になれた。本当に悪かったのは誰なのかを思い出した。死ぬのなら、あいつらを同じ地獄に突き落としてからでも遅くはない。そう思えた。


 しかめ面のまま眠り続けている殺し屋さんを見た。


「……来てくれたのが、あなたで良かった」

 そうじゃなければ、より不幸な今があっただろう。私は幸運だ。ずっと現実から逃げて来たというのに。救う人が、何かを変えてくれる人が現れたのだから。


 こうやって、下らない事で笑えるのは本当に幸せだ。瞳の端が滲むほどあたたかで愛おしい、いつかの日と同じ幸せだ。だから、滲んだ端から熱い何かが頬を伝うのもきっと仕方がない事だろう。それは悲しさから流れたモノではない。なら、堪える必要なんてないだろう。


 もう、震えるような事はない。寒くなんてないからだ。日差しはカーテンに遮られているけれど、心地よい位の暖かさは室内に届けられている。

 ずっと続いてきた緊張は最早ない。眩暈のようなまどろみに、私は抗う事なく眠りに身を任せた。


 悪い夢なんて、見なかった。



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